光希(みつき)は外に出ると、龍の姿になった。
「さあ、乗って、姫」
珠菜(しゅな)にとって、龍の姿を見るのは二回目だが、未だに慣れず驚いてしまう。
「は、はい」
「楽しんできてくださいね、珠菜様。それと、体調が優れなくなったら、いつでも帰ってきてくださいね」
瑚冬(こと)はお見送りで、外に出ていった。
抜かりなく、珠菜の体調を気遣っている様は長年仕えているだけあってさすがである。
「分かっているわ、瑚冬。それじゃあ、行ってきます」
珠菜を乗せた光希は地面から離れ、空高く舞い上がった。



「初めて乗った時よりもゆっくりな感じがします」
速度が遅くなったおかげで、珠菜は酔ってなく上空から見える景色を楽しむことができるようになった。
「前回は姫が慣れていないのに、速く飛んじゃったからね。これからは、ずっとこの速度で飛ぶから安心して」
光希が珠菜のことを気遣ってくれたことに、嬉しかった。
こんな感情を夢以外で感じたのはいつ以来だろうか。
だけど、珠菜は光希と現実で会って、感情が少しずつ出てきたことに心の中は暗くなっていった。
天界で過ごしている時間は夢のようで幸せな分、珠菜の心は脆くなり不安や恐怖に耐えられず壊れてしまわないかと。
「姫、大丈夫?」
静かになった珠菜の様子に光希は心配になった。
「大丈夫ですよ。あの、私たちはどこへ向かっているのですか?」
珠菜は考えていたことを頭の中から追い出し、心配しないよういつも通りな感じで応じた。
「北だよ」
なんてこともないような感じで光希は答えたが、珠菜は北を治める黒龍に会うかも知れないと興奮していた。
「天界は、現世、姫がいた世界、と違って季節が地域によって違うんだよ。帝がいる中央には季節はないけど、僕たちがいる東は春、赤龍がいる南は夏、白龍がいる西は秋、これから行く黒龍がいる北は冬なんだ」
「春だったから、光希様の場所は暖かかったんですね」
「これから、いろんなところに行こうか。あ、見えてきたよ。あれが、黒龍の家だよ。雪景色を見る前に姫のこと黒龍に紹介してもいい?」
「もちろんです。黒龍様に会ってみたいです」
光希は黒龍の家の前で着地した。



黒龍の家は水を取り囲んでいる漆黒の水城だった。
北は季節が冬なだけあって、辺りには雪が降る積もっていた。
「暖かい恰好をして正解でした」
「そうだね。早く中に入ろっか」
中へ入ると、大広間に通された。
「いらっしゃい、青龍。青龍の隣にいる女性が?」
艶やかな黒い黒髪に魅惑的な金色の目を持つ珠菜よりも少し年上の女性が待っていた。
「光希様の巫の珠菜と申します」
「光希って......」
「僕の名前だよ。姫につけてもらったんだ」
黒龍が驚いて言葉を失い、光希が嬉しそうにしている理由が分からなかった。
「私たちは基本的に名前がないから、誰かからつけてもらったり、自分でつけたりするのよ」
黒龍がとんでもない事を告白した。
「黒龍様のお名前は?」
椿(つばき)よ」
「冬の寒い中、可憐に咲く花。椿様のようですね」
椿は珠菜の言葉を聞くと目に涙を浮かべた。
「長く生きてきたけど、こんなこと言われたの初めて......。青龍じゃなくて光希、珠菜様を幸せにするんだよ。こんなに可憐で美人で素敵な方はいないからね」
珠菜は椿が自分のことに好印象を持ってくれたのは嬉しいが、ここまで褒められるような凄いことをしていない。
「そうそう。姫は中身も外見も美しいんだから」
椿だけではなく、光希も参戦しだしたので珠菜は止めに入った。
「私は、中身や外見は美しくないですよ」
空のような澄んでいる水色に輝いている金の瞳を持つ光希に、魅惑的な美女の椿。
この間見た光希の家臣も顔が整っていたし、天界にいるものは顔立ちが整っている者が多いに違いない。
一方、珠菜の見た目は長いだけが取り柄の髪に、人間離れした淡い目の色。
珠菜は自分の容姿は気にならなかったが、ここに来て気になり始めた。
「珠菜様は珠菜様が思っている以上に魅力的な女性よ。それで、どうしてここまで来たの?光希のことだから、珠菜様を紹介しに来たこと以外にも他にあるでしょ?」
黒龍なだけあって、頭の回転が速い。
六花(りっか)園で雪景色を見たかったから」
「六花園を見に来ただなんて嬉しいわ。長居させてごめんなさいね、光希、珠菜様。珠菜様、また遊びに来てね。今度は照も誘ってお茶会よ」
「また遊びに来ますね、椿様」
「次の会議で」
珠菜と光希は椿と別れて、六花園に向かった。



「六花園までは歩いて行ける距離だけど、乗る?」
六花園は椿の家のすぐ近くの山の頂上にある。
標高が高くなく手入れされているため上りやすいが、空から行くこともできる。
「せっかくなので歩きたいです。あの、先ほど椿様がおっしゃった照という方は?」
「照は南の赤龍だよ。お、階段が見えてきた」
「名前を持っているんですね」
先の見えない階段を上り始めた。
「うん。僕以外はみんな名前を持ってるんだよ。でも、今は『光希』っていう名前があるし、現世では知られていないことだからね」
だんだん、下の方が小さくなっていった。
「確かに、龍に名前があるなんて知りませんでした」
「六花園は椿が作ったんだよ」
「だから、あんなに嬉しそうだったんですね。誰かが自分が作ったものを見に来てくれる......。素敵ですね。私は、誰かに見てもらうという考えがないので......」
珠菜は舞や琴などを秘密で鍛錬していたので、誰かに見てもらうという経験がなかった。
「大丈夫だよ。僕が全部、姫がしたことを見るから」
「ありがとうございます。光希様が見てくれるなら、もっと精進しますね」
「無理しないでよ。あ、頂上が見えてきたよ」
珠菜と光希は残りの階段を駆け上がると、差し込んでくる光によって煌めいている銀世界が眼下に広がった。
先ほどまで黒く大きく見えた椿の家や木々は雪で白く化粧していた。
珠菜は見渡す限りの雪景色に圧倒された。
「ここに行くときはいつも一人だったけど、今日は姫と一緒で二人で見ているからいつもよりも景色が輝いて見えるよ」
「光希様が言う通り、美しい銀世界ですね」
光希は景色から目を離し、珠菜を瞳に映した。
「姫、いや、しゅ、珠菜。これからもずっと僕の傍にいてくれる?」
珠菜は満面の笑みで
「はい、もちろんですよ。それよりも、光希様が私を『珠菜』と呼んでくれたなんて......」
珠菜は喜びでいっぱいだった。
「珠菜、これからは僕も珠菜と一緒に歩くよ。珠菜が抱えている不安や恐怖は僕も持って支えるよ」
「光希様......」
珠菜はどんなに苦しくても辛くても泣かなかった。
苦しくもない、辛くもない、痛くもないのに、涙が頬を伝った。
「珠菜はもう一人じゃないんだよ」
(一人じゃない)
ずっと光のなかった珠菜の歩いてきた道に光が差し込んだ。
(光希様はいつも私が欲しい言葉を言ってくれる)
珠菜の黒くなったところが光を浴びて消えていく。
(そして、私の中の光。もう離せない。離したくない)
珠菜の涙は溢れ出て止まらなくなった。
「泣きたいだけ泣いていいんだよ。ここなら、僕以外誰もいないから、周りを気にすることもないしね」
光希は泣きじゃくる珠菜を抱いた。珠菜を温めるように。
抱かれている珠菜は徐々に落ち着てきた。
(光希様に抱かれるなんて)
光希に抱かれて泣き止む自分が恥ずかしいが、光希の温もりに安心する自分がいた。
「ご迷惑をおかけしますが、これからもよろしくお願いします」
泣き晴らした目で珠菜は微笑んだ。
「こちらこそ、よろしくね、珠菜」