霧の中を進んでいくと、急に辺りが晴れてきた。
  雪が降る灰色の空模様ではなく、透き通った青空が待っていた。
  「待っていたよ、僕の姫」
  橋の向こう側には何故か光希(みつき)がいた。
  「どうして、ここにいるのですか?」
  「姫が僕の巫なんだよ。早く会いたくて迎えに来ちゃった」
  「そんなこと、聞いていません」
  「まあまあ、早く僕のところまで行こうか」
  そう言って、光希は青龍の名の通り青い龍の姿になった。
  流石に、これには珠菜(しゅな)も驚いた。
  「わ、分かりました。あの、この姿だと瑚冬(こと)達が乗れないのでは?」
  「心配しなくてもいいよ。瑚冬たちは自分で行けるから、だよね?」
  「はい。珠菜様を見送った後、お屋敷に向かいます」
  「そうなのね」
  「よし、気を取り直して行こうか」
  「はい」
  珠菜を乗せた光希は空高く飛んで行った。
  落ちないようにしっかり掴まっていると、珠菜の住んでいた城と同じくらい大きい平屋のお屋敷が見えてきた。
 光希は静かに地面に着地し、珠菜が降りたことを確認すると人の姿に戻った。
  「平屋なんですね」
  珠菜は龍に乗ったことで酔ってしまったが、光希に見せないよういつも通りの笑顔で言った。
  「敵に攻められないし戦が無い平和な世界だからね。僕の家臣が姫に会えることを楽しみに大広間で待っているから行こうか」
 


  大広間の上座で光希の横に座ると、下座にいた家臣達が一斉に頭を下げた。
  「巫様が来てくださったことに家臣一同喜び申し上げます」
  「頭上げて良いよ。それでー」
  光希が何か言っているが、珠菜は全く頭に入って来なかった。
  久しぶりに外出た挙句、乗り物酔いという慣れないことを体感して、珠菜の身体は耐えきれなくなってきた。
  熱が出ているのか頭が朦朧としているが、珠菜の化粧といつも通りの微笑みで誰も気が付かなかった。
  「よし、行こうか」
  急に光希が声をかけてきたので、慌てて
  「わ、分かりました、光希様」
  珠菜と光希は、大広間を出て行った。
 余談だが
  「青龍様のお名前を巫様がつけたのは、本当だったのだな」
  「さすが、巫様だな」
  「巫様、ものすごく可愛くなかったか?青龍様が羨ましい」
  などなど、珠菜のしらないところで、光希の家臣たちから持て囃されるのだった。



  「来たばかりなのに、長時間座らせてごめん」
 「お気になさらず。光希様の家臣方の姿を見れてよかったです」
 「そっか。ここが、姫の部屋だよ。今日はゆっくり休んでね」
 「お気遣いありがとうございます」
 襖を開けると
 「お待ちしていました」
 と瑚冬が待っていた。
 部屋の中は既に持ってきた花嫁道具が整頓されて、珠菜が好きな香が焚かれていた。
 光希がいなくなったことを確認して
 「珠菜様、こちらが解熱剤です」
 長年の経験から、瑚冬は珠菜が熱を出していることはすぐに分かった様子だった。
 「さすがね。光希様も分からなかったのに」
 「珠菜様は身体の調子が悪い時こそ、目を閉じて微笑んでいますから。ほら、早く休んでください」
 「分かったわ、おやすみなさい、瑚冬」
 珠菜は目を閉じたが、身体の異変を感じ取っていた。
 重い白無垢で歩き、酔って、発熱状態で長時間の正座。倒れてもおかしくないのに、意識を保つことができた。それに、いつもよりも熱が低い。
 とはいっても、やはり調子が悪いことには変わらず、すぐに意識が無くなった。



 珠菜が寝てしばらくすると、部屋に光希がやってきた。
 「姫はどこにいる?」
 「奥で休んでおります」
 光希は奥へと進み、襖を開けると珠菜が布団で寝ていたが、心がざわついた。
 (姫は眠っている......。どうして、こんなにざわつく)
 珠菜に近づくと、先程と同じ顔色をした珠菜の寝顔がよく見えた。
 (先程と同じ顔色?)
 珠菜の顔を優しく触ると指に粉が付いた。
 「柔らかい濡れた布を持って来て」
 襖の傍にいた賢い瑚冬は何も聞かず、光希に言われた通りのものをすぐに持ってきた。
 珠菜の顔を拭くと、健康そうな顔が消え、病人特有の青白い顔が浮かび上がってきた。
 「僕は姫になんてことを......」
 過去の行いは変えられないが、光希は珠菜の身体に負担をかけるようなことをしたことを悔やんでいた。
 それに、夢で無神経なことを言って、珠菜の心を傷つかせていたことも。
 夢の中で光希が『普通』だと思って、雪景色や花見などを言ったとき、珠菜はどう思ったのだろうか。
 珠菜の手足は着物や布団で隠れているが、普通の女性と比べて白く細いことは明確だった。
 「姫は僕のこと嫌いだよね......。姫のこと全く分かってなくて、気遣いができない男に」
 「光希様、珠菜様は光希様に対して全くそのような感情を抱いてません。珠菜様はいつも微笑んでいらしゃいますが、その目はいつも光が無く全てをあきらめていました。しかし、光希様を映す目は、光が、感情が宿っていました」
 「本当に?」
 「はい。珠菜様に直接聞いたらどうでしょうか?もちろん、珠菜様が起きたらですけど」
 「姫が起きるまでここにいてていい?」
 「かまいません」
 それから、光希は珠菜が起き上がるまで片時も離れず、ずっとそばにいた。



 翌朝、珠菜は目を開けると見慣れない天井が見えたこと以上に驚いたことがあった。
 「光希様はどうしてここへ?」
 「姫、すまなかった」
 急に光希が謝ってきたことに困惑した。
 「どうして、急に謝るんです?私の行動に非があるのなら、すぐに直します」
 「いや、姫は、全く悪くないよ。僕は姫のこと全く分かってなかった。姫が病弱なことも、いつも微笑んで姫の不調を感じさせないことも、どうして化粧しているかも、何一つ分かっていなかったん」
 「そんなことないですよ。だって、私がいつも笑っている理由も化粧している理由も分かったんですよね。瑚冬は私が病弱であることを教えても、この理由は教えないはずですから」
 珠菜は普段の明るい表情からかけ離れた弱弱しい、触れたら壊れてしまいそうな微笑みを浮かべていた。
 「でも、僕は」
 光希はそれから先のことは言えなかった。
 「私は光希様がいたから、ここまで来れたんですよ。夢の中の光希様は、いつも私に光をくれました。全てをあきらめた私に。それに、光希様は外を知らない私にたくさんの景色を見せてくださいました」
 「珠菜様は外にあまり出歩かないのに、外のことを知っているのはそういうことだったんですね」
 「僕も姫と一緒にいる時間が好きだった。だから、嫁いでくることを知って嬉しかったんだ」
 「私も嬉しかったのですが、驚きました。まさか、相手が光希様なんて」
 「姫」
 急に真面目になった様子になった光希に合わせて
 「なんでしょうか」
 と応じた。
 「姫、これから何したい?」
 真面目そうな姿から一変、迷子の子どものような様子な光希に珠菜は驚いた。
 「どういうことですか?」
 「今回の詫びだよ。姫が何と言おうとも、僕は姫のことを分かったつもりでいた。そんな自分が許せないんだよ」
 珠菜は今までしたいことなんて考えてこなかったが、珠菜の心の奥底には溜まっていたのかすぐに答えが出てきた。
 「その、あの、以前光希様が教えてくれた美しい銀世界を見てみたいです」
 「体調は大丈夫なのですか?」
 瑚冬が心配そうに聞いているが、当然である。
 昨日、熱が出ていた珠菜の身体だ。
 大体、疲れた日の翌日は珠菜の身体は不調になることが多かったが
 「大丈夫よ。いつもと比べ物にならないくらい身体が軽いんだもの」
 今日の珠菜の身体は、熱や悪寒がなかったのだった。
 まさに、奇跡である。
 「本当ですね。いつもよりも、顔色が幾分と良いですね」
 「せっかくだし、一番きれいなところに行こうか。少しここから離れるけど」
 「構いません。雪景色、楽しみにしていますね」
 凍っていた珠菜の感情が、春の雪解けのように溶けていった。