最近至は不機嫌だ。というのも花火大会中に勝手に葵と花火を見ていたということを知ってひどくご立腹だった。せっかくの夏祭りが台無しだと至は葵につめ寄って喧嘩になりそうだった。歌恋に対しても、どうせ俺のことなんて、と卑屈な態度を取る。まるで幼子のようだ。ぱっと見た感じはとっても大人びていて何でもできるクールな男性なのに、実は幼いというギャップ。少しばかり安心した。つまり、完璧すぎないほうが楽だ。

 毎日夏休みだというのに、至の束縛心はおさまらないらしい。
 顔を合わせている時間も長いし、休み中は死神の仕事を手伝う時間も増えている。ちょっとばかり気まずい。

「葵には昔惹かれていた時期があったよ。でも、今は至が一番だから」
 さみしそうな後姿の至に声をかけた。
 昔惹かれていたということを隠していると変に疑われるかもしれない。
「惹かれていたのか……」
 一言セリフを吐き捨てると、こちらを見る。
「俺を一番に思ってくれるならそれでいい。過去の歌恋も含めて俺は好きだから」
 さらっときゅんとするセリフが耳に入る。
 さすが至。隠さないストレートな性格だ。
 

 今日は四人で海だ。

 まさに真夏の快晴といった感じで青い海、青い空が美しい。
 電車を降りるとそこには、たくさんの人が水着でビーチに密集していた。
 夏休み中ということもあって家族連れも多く海の家は賑わっていた。
 夏風が頬を撫でる。
 香りも夏の香りがした。
 大切な人、至がもしいなくなったらどうするのだろう。
 元に戻るだけなのかな。
 明日香は漣がいなくなることを知らない。
 いなくなるその時まで知らないほうがきっと幸せだと思う。
 明日香のことを思うと複雑な気持ちになる。

「漣は泳がないのか?」
「小さい頃溺れてから、海は眺めるものとなってる。泳げないんだよ」
 漣は小さい時の恐怖をずっと抱えていた。

 緊張しながら水着を披露する。
 これも至が買ってくれたものだけど、露出は少なめを希望した。
 至も他の人に肌を見せないほうがいいということで、ラッシュガードを着ることにした。
 スタイルに自信がない歌恋は水着を披露することは恥ずかしいことだった。
 至は気にしなくていいというけど、どうしても自分の体形が好きにはなれない。
 
 明日香もあまり派手な格好を好まないので肌を露出しない格好でよかったと思う。
 明日香は筋肉があり、引き締まった体型をしていた。
 運動部に入ったこともなく、ただ家の手伝いをしていた歌恋は健康的な肌色でもなく、引き締まった筋肉もない。

「かき氷買ってきたぞ」
 至はお金をいつも払ってくれた。
 かき氷くらい四神の家にとって痛くもかゆくもないのだろうけど、そんなささやかな優しさが好きだった。

 買ってきたのはレインボーかき氷というらしく、カラフルなシロップで覆われていた。
「このシロップ甘いね。イチゴの香りとレモンの香りとメロンの香りが混ざり合ってる」
「かき氷のシロップって色が違っても味は同じらしいぞ」
「気持ちの問題ってことかな」
「果汁も入ってないし、色のせいで香りがするような気がするということなのかもな」
 かき氷で舞い上がってしまうなんて、恥ずかしいな。

「これからもっと楽しいことがあるから、もう無理しなくていいから」
 そっと耳元で囁かれる。

「やっぱり、俺、死にたくないかな」
 めずらしく漣の口から弱気な言葉が出た。

「母親と父親の秘密が気になるんだ。何で、離婚しなきゃいけなかったのか。謎の手紙が気になってさ」
『名前を似せても好きな人を諦めることはできませんでした。ごめんなさい、幸せになってください』という内容の手紙のことだろう。名前を似せるというのは誰と誰の名前を似せていたんだろう。
 至が調べているからいずれ分かると思うんだけど。

「まだ調査中だ。近々報告できるだろう」
「なぜ私のお父さんと漣くんのお母さんは再婚したんだろうね。たしか同じ歳で同じ学校出身だったから、知り合いだったのかな」
 同じ高校だとは聞いた。昔から恋仲だったのか、それは不明だった。

「私なら、子どもを置いて幸せになるのは辛いと思う」
「俺の母は、子どもを置いて幸せになったからな」

 たしかに幸せなのかもしれない。わがままな娘に振り回されて大変だけど、嫌がってはいなかった。
 むしろお義母さんこと、漣の実母は歌恋を嫌っていた。歌恋さえいなければもっと幸せなのにという感じがしていた。
 ずっと体で感じていた疎外感。
 至と同居を始めてからそれがなくなった。
 お金の心配もしなくていい。
 大切にしてくれる。
 至は仕事が忙しく、家にいる時間は思ったよりも少なかった。

「歌恋ちゃんは至くんと幸せなの?」
「そうだね。幸せだよ」
「私も幸せだよ。祭りの後に、海の計画を立てて、二人きりで手を繋いだんだ」
 明日香は少し照れながら嬉しそうに報告してくれた。
 死神は残酷だ。この先の未来を知っているのにあえて伝えてはいない。
 歌恋自身も未来のことはわからないけど、今楽しいのは事実だ。

「あれ? お姉ちゃんじゃない?」
 苦手で嫌いな妹の夏香がなぜか海に来ていた。
 友達が多いし、近いから会ってもおかしくはないけど、タイミングが悪すぎる。
 露出も甚だしい水着を着用している。
 若い男性に声をかけられてニコニコしているようだった。
 いつわりの笑顔。
 嘘で塗り固めた性格。上っ面だけいい人のふりをしている。
 いつも悪いのは歌恋。
 愛想がないのは歌恋。
 嫌われるのは歌恋。
 おねえちゃんなんだから、という魔法の言葉で虐げられてきた。
 嫌な言葉を発する時の表情だ。
 右眉が上がる。口角が上がる。
 本音を言う時の声のトーンは低い。

「そんなに肌を見せないなんて、よっぽど自信がないのね」

 自信がないのもあったけど、昔やけどを負ったことがあった。
 やけどの跡を見られたくはない。それは妹のせいだった。
 妹がかんしゃくを起こしてあついお湯の入ったコップを投げつけたことがあった。
 割れたマグカップの破片でケガもした。
 熱いお湯は服の上から体にかかった。
 コップのぶつかる衝撃で打撲になり割れたガラスの破片で出血もした。最悪だった。
 ずっと我慢していた。
 どんなに辛くても歯をくいしばっていた。
 妹にたたかれたこともある。あざは消えたけど、心の傷は消えない。
 出口の見えない辛い日々だった。
 耐えることしかできない日々。
 年々関係は悪化していた。
 至がいなかったら、ここから抜け出すことはできなかった。
 思い出すだけで寒気と吐き気がする。
 嫌な感じが全身を襲う。
 目の前の悪魔を見て、恐怖に包まれた。
 まだ逃げることはできないのだろうか。

 鋭い妹のまなざしが怖い。
「まだ荷物もあるし、取りに来なよ」
「とりあえず至が揃えてくれたから、大丈夫」
「もしかして、自分は特別なんて思ってるんじゃない? 遊ばれてるだけ。からかわれているだけなのにね」
 いじわるな言い方。
 辛い日々を思い出す。

「男に媚びるなんてらしくないんじゃない? 地味なあなたのことをどうして愛するって言うの?」
 たしかにその通りだ。
 顔立ちも性格も地味なことはわかっている。
 黙っていても次々告白される妹とは違う。
 派手な洋服を着こなせる妹とは違う。 

「至さん。お姉ちゃんを嫁にするなんて冗談なんでしょ。私と真剣に付き合ってみない? 私、今フリーだから」
 笑顔がまぶしい。海が似合う妹は華がある。

「顔色が悪いな。歌恋、大丈夫か?」
 至はいつも味方になってくれる。
 体が硬直して動けない。
 過去の記憶が体を固めてしまう。
 そんな歌恋のことを察したのか、至は攻撃態勢をとる。
 彼の睨んだ顔は勇ましく鋭い。

「本気に決まってるだろ。歌恋以外考えられないから」
 そんな言葉を微笑みで交わす妹の夏香。

「いつでも気がかわったら会いに来てよ」
「妹の夏香って言ったな。昔から青龍の末裔、青龍葵を好きだったそうだが、相手にされてないらしいな。彼は歌恋のことが好きだからな」
 至はお見通しのようだった。葵はたしかに好きだと言ってくれた。
 昔から葵は夏香にはなびかないとは思っていたけど、夏香も他の男性と付き合っていたので、葵への好意は本気だとは思わなかった。
 少し焦った口調になる。

「私は、本気で葵のことを好きだったわけじゃないんだから」
 むきになる夏香。
「俺たち神の血を引くものは心の清らかさがわかるんだよ。お前の場合、暴力やいやがらせをしているから、泥沼のような濁りしか見えないんだよ」
「泥沼ですって?」
「汚いヘドロが体中をむしばんでいる色が見えるんだよ」
「適当なことを言わないでしょ。いつか選び間違えたと後悔するわよ」
 髪の毛を掻きながら、自分が一番美しく見える角度で誘惑する目をする。

「金輪際、歌恋には近づかないでほしい」
「言われなくても、身内だなんて思ってないし」
「嫌がらせをしたら、俺が黙っていない。彼女にやけどを負わせたことはわかっているからな」

 やけどのことを話していないのに、至は気づいていたのだろうか。
 死神の力で調べたに違いない。
 妹はヒステリーな表情をして、その場を立ち去った。

「勝手に調べてごめん。やけどのことは花嫁として調査したときにわかっていた」
「私、あまり素肌を出したくないんだよね」
「どんな過去も受け入れるつもりだ。どんな傷もどんなあざも気にしないから」

 優しい人だな。こんな人に出会えるなんて幸せだ。
「妹の夏香からは危険な予感がした。何か仕掛けてくる可能性が高い。なるべく俺がそばにいるから」
「ありがとう」
 本当は妹に会った瞬間体が凍った。
 怖かった。何をされるんだろう。何を言われるんだろう。
 何も言えない歌恋はただ、相手の言葉の刃を受けるしかできなかった。

「ひどい妹だね」
 近くで見ていた明日香が激怒していた。

「慣れてるから」
 本当はあの視線が怖かった。
 でも、自分をずっとごまかしていた。
 自然と涙が出る。今まで味方と言える人は葵だけだった。
 でも、彼は直接妹に何か言うとか守るわけではなかった。
 辛い時に傍にいてくれた。

 でも、至は違う。真向勝負で挑んでくれた。守ってくれた。
 それがとても嬉しかった。
 自然と涙があふれる。
「ありがとう」
 そう言うと、至は優しく微笑む。
「ずっと守るから」

 明日香はうらやましそうな声で「いいな。ずっと守ってくれるなんて素敵じゃない」と言う。
 贅沢者だと思う。今まで辛抱してきた甲斐があったのかな。
 これからは、辛いことだけじゃないのかな。

 私たちは四人で足首だけ海に浸かり、海の波を体で楽しんだ。
 水をかけあって、笑いあう。
 太陽の日差しは高くまぶしく、足の水がとても心地いい。
 水面に反射する太陽の光が夏らしさを感じる。

 もしかしたら、妹が何か仕掛けてくるかもしれない。
 そのことが頭の隅で引っかかっていた。
 でも、至に全部預けよう。
 一緒に生きていくのだから。
 いつの間にか結婚への決意は固まっていた。

 海に来ていた夏香は、ナンパされることで自分への価値を見出し、飽きた頃に近所に住む葵に連絡を取っていた。
【これから、会えない?】
 メッセージを送る。夏香は自分中心なので、突然の誘いなんかは平気だ。
 いつも強引に相手の懐に入り込む。
 葵はいつもは適当に断っていたが、失恋という事実に夏休みはどんよりした毎日を送っていた。
 気持ちを伝えても、時すでに遅し。
 両思いだったとしても、既に結婚前提の相手がいる歌恋。
 どうしようもなく寂しい気持ちだった。

【歌恋おねえちゃんも海に来てるみたい】
【婚約者がいるんだろ】
【これから、会いに行くよ】
 夏香は強引に葵を誘っていた。
 葵にはいつも告白めいたことを言っていた。
 好きだと言っても流されてしまうので、ちゃんと告白をしたことはなかった。
 なんとなく葵は歌恋のことを好きなのだと思っていた。
 葵はイケメンで、ビジュアルとしては四神至に引けをとらない。
 今、付き合うなら葵しかいない。他の男子ではだめだと夏香は思っていた。

「私、今日は帰るね」
 一緒に来ていた引き立て役の女子たちに別れを告げて、自分勝手に帰宅する。
 葵を手に入れれば、四神には劣るとしても、準じた彼氏ができる。
 四神至があまりにも姉を想うので、悔しくなり、葵の元へ急いだ。

「久しぶり」
 葵の家に上がり込む。
「海に行ってきたのよ。無性に葵に会いたくなってさぁ」
 甘えた声を出す。たいていの男はこれで落ちる。
 でも、葵はいつも落ちてはくれなかった。

「最近、失恋したんだ」
「死神男が現れてお姉ちゃんをさらっていった件?」
「俺は、妹の夏香が姉をいじめていることになにもできなかった。だから、歌恋の相手としては失格だと思ってる」
「葵もお姉ちゃんが好きだとか言い出すわけ? 正気? それに、私はいじめていないけど」
「言葉の暴力があの家には蔓延していた。家族全体の態度もひどい。俺は、ただ寄り添うことしかできなかった。四神みたいに住処を用意したり、家族から離すほどの経済力はないから」
 無力感を拳に込める。強く握った拳は痛いくらい手のひらに食い込んでいた。

「俺を誘うのはアクセサリーとか嫌がらせの一種なんだろ」
「違う。私は本気よ」
「何人もの男がわがままに付き合えなくて交際から離脱しただろ」
「私が飽きただけよ」
「みんな呆れてるのに気づかないのか。最初は笑顔なのに、どんどんものを買ってほしいとかわがままがエスカレートしていくから、別れてるんだよ」
「私は葵が好きよ。他の人なんて、葵への気持ちとは全然違う」
「俺は、夏香が好きじゃない。海で、歌恋に会ったっていうから、俺がおまえを呼んだんだよ。お前は何をするかわからない爆弾だからさ」
「はぁ? 何よそれ、人を危険物みたいに言わないでよ」
「俺はずっと歌恋を想い続けるよ。それがかなわぬ恋でもね」

 お姉ちゃんのどこがいいのよ。
 あんなに冴えない地味な女になんで四神も葵も惹かれてるの?
 わかってくれる男友達に慰めてもらおう。
 夏香に好意を持っている人なんていくらでもいるんだから。

 夏香は負けず嫌いで、姉のことが大嫌いだった。
 いつも葵が手に入らないから、ちやほやしてくれる男を探して付き合っていた。
 好きじゃなくても、アクセサリーは身に着けるもの。
 そんな感覚で、彼氏を作っていた。

「もし、四神の家に睨まれたら、ただじゃ済まされないってわかってるよな? あの一族に法律は通用しない。特別な家柄なんだから」

「姉妹という事実は変わらないでしょ。私はお姉ちゃんと交流したいだけなの」

 おもちゃがいなくなって寂しくなった子供のように夏香は不機嫌になり、そのまま誰かと連絡を取りながら葵の家から姿を消した。

 その様子を見て、スマホに入っている歌恋の写真を眺めて葵は紅茶を一口飲んだ。
 せめて俺にできることがあれば、力になりたいと。