「そんなことがあったのに、未だに俺が生きてるなんてとんだお笑いですよね」
 一通り語り終えた後、カルマは自嘲気味に笑った。重苦しい空気に耐えられず、気休めとばかりに窓を開けた。
「今ならわかるんですよ、俺たちが見た“空の宝石”の正体」
 バックミラー越しにちらりとカルマの顔を見る。カルマの頬を一筋の涙が伝った。
「よく、朝露ってあるじゃないですか。あれ、空気中の水蒸気が飽和して、水になったものなんですよ。俺、馬鹿だから大人になってから知ったんです。それが氷点下十度だと、空気中でそのまま細かい氷の粒になることがあるんですよ。氷の粒に太陽の光が反射してダイヤみたいだから、“ダイヤモンド・ダスト”っていうんだって」
 知っている。カルマの新曲のタイトルは『ダイヤモンド・ダスト』だ。マネージャーとして当然のことだろう。
「伊勢谷さんは、俺が『ダイヤモンド・ダスト』リリースする前から、知ってましたか?」
 一瞬、カルマの質問に激しく動揺してしまった。もし車が猛スピードで走行していたとしたら危うく事故になるところだった。渋滞に感謝するとともに、平静を取り戻す。落ち着け、カルマは「曲を聴く前から“ダイヤモンド・ダスト”という気象現象があることを知っていましたか?」と聞いているだけだ。
「ええ」
 私が戸惑いながらも肯定するとカルマは小さく「そっか」と呟いた。
「今から言うの、独り言だから全部忘れてね」
「ええ」
 今度は先ほどよりもはっきりした声で了解の意を伝えた。
「俺もさ、露みたいに消えちゃえたらよかったのに。貴子と一緒に」
 その一言こそが、数分間の楽曲に込められた悲痛な思いのすべてなのだろう。私はカルマに何と声を掛けたらいいかわからなかった。

 カルマと信頼関係が築けていないから、とか、二条貴子のことを何も知らないからという無知を理由にしたものではない。私は知りすぎてしまった。
 全部知っていた。カルマと出会うずっと前から。
 フェアではないかもしれないけれど、この話を私がカルマの口から聞いてしまった以上、カルマに絶対私の過去を知られるわけにはいかない。私の前の勤め先は二条工業だ。
 二条大河(たいが)、すなわち二条貴子の兄と同期で入社した。別に彼が社長の息子で将来的に重役になることに文句を言うほど子供ではなかったが、彼の人間性を好きにはなれなかった。彼は、昔男に騙されて駆け落ちしそうになった妹を連れ戻した話を武勇伝のように語った。有原駆真の名前は出さなかったが、身内のプライベートな話を高歌放吟するような人間と仲良くなろうとは思わなかった。
 私が二条大河の人間性を疑ったのは、私が二条貴子と知り合いであると知ったうえで彼女の初恋の話を面白おかしく話していたからだ。二条貴子は私が短大で所属していたアカペラサークルの後輩だ。とはいっても年がだいぶ離れているのでOGとして一度母校を訪れた際に会ったことがあるくらいで彼女と親しいわけではない。それでも、人の色恋沙汰をあのような形で消費する風土はどうしても肌に合わなかったのだ。
 二条貴子は生きているし、彼女は鬼や殺し屋に殺されたのではなく親族に連れ戻されただけ。カルマはその現場を気絶していて見ていないのだから、「殺し屋に殺された」と勘違いしていてもおかしくはないだろう。
 いや、本当は彼もわかっているのだろう。殺し屋が社長本人ではなく一介の女子高生にすぎない娘を狙うなんて、鬼と同じくらい非現実的な話だ。
 そう思わないとやっていられなかったのだろう。それほどに辛かったのだろう。世界中のどんな敵からも守ると決めた想い人を、結局ただの身内に連れ戻されてしまったことが。もしかしたら、それは強硬手段によるものではなく説得によって合意の上での帰宅かもしれないなんてきっと彼には耐えがたいことなのだろう。

 だから、私はすべて知らないふりをする。彼がこれからも歌い続けるために。
 ようやく車は渋滞を抜けた。私は何も言わずにアクセルを踏んだ。人通りのある街を、窓を開けたまま通り抜ける。街頭のテレビから音楽が流れていた。カルマの最新シングル『ダイヤモンド・ダスト』だ。ラスサビの“亡き恋人”に宛てた歌詞が、故郷の冬の空気よりもクリアに聞こえた。


「あれは何かな? 真珠かな?」って
無邪気に君は問いかけた
あの時の僕は分からなかった
「答えられなくてごめん」君にはもう届かない

「あれは何かな? ダイヤかな?」って
無邪気に君は問いかけた
「朝露でできた宝石だ」って
答えて僕も消えてしまえたらよかったのに