知恵遅れには個人差があるけれど、私と同じ21歳になった今でも、那由多の知能は、小学校低学年レベルのままだ。
そして、その知能が今後発達することはないという。
知恵遅れの一部には、ある特定の分野において突出した才能を見せる人間もいる。一芸に秀でる、というやつだ。音楽や絵画、あるいは数学など。そのジャンルは様々だけれど、那由多がそれらにおいて他人より秀でる何かを持っていたかというと、彼はそうではなかった。
代わりに、音や光に敏感だった。これは彼らに多いパターンのひとつとも言える。
「また明日ね知恵ちゃん、きみはいつも那由多くんのこと迎えに来て、偉いね」
「もう慣れっこですから」
「大学はどう? 順調?」
「ぼちぼち」
「確か、児童福祉士になりたいんだっけ」
それで社会学部、立派だなあ、とベルトの上に乗っかったお腹がふくよかな館長さんに曖昧に笑ったら、肩がけ鞄を提げた那由多が私と館長さんの間に入った。
「終わったー! 知恵ちゃんかえろー!」
「うん、帰ろう」
「カンチョーさんさようなら!」
「はいさようなら。今日は花屋さんお休みだったから夕方までいて疲れたでしょ〜。ゆっくり休みな、それで明日もよろしくね」
「はーい!」
気をつけて、とすっかり薄暗くなった外を図書館のロビーから見上げて、那由多のかけ鞄を持って家に帰る。
これも、もう私が大学に入って那由多がアルバイトを始めてから、お決まりの日常。
私が彼の提げ鞄の持ち手を持って、気もそぞろな那由多を家まで送り届ける。
「…えらいねぇ、知恵ちゃんは」
「まるで保護者って感じですね」
これが、私たちの日常。
「知恵ちゃん、ふゆむし!」
「那由多あぶない!」
青い胴体の光の虫、それを追いかけようとする那由多の鞄を強く引く。そうすると、私たちの前をセダンが通り抜けていった。
「信号赤でしょ」
「あ、はーい」
那由多は一人で自宅に帰ることが出来るけれど、例えば横断歩道で信号が青になるのを待っているとき、駆け抜ける車の光や音につられてしまう。
注意力散漫な部分があるせいで春には蝶々に気を取られて横断歩道に飛び出してしまうこともあったし、人が肝を冷やしているというのに、そんな時、怪我をしないで尻餅をついただけだった那由多は、クラクションを鳴らした運転手に純粋に笑うのだ。
笑顔は、無垢だと思う。
笑顔は、人の心を癒すと思う。
けれど一度使い所を間違えてしまえば、狂気や人の気を逆撫でする道具にもなり得る。