百万年前のことやったか、一千万年前のことやったか、はたまた一億万年前のことやったか。
 今となっては、覚えてへん。
 ワシがいくつ歳を重ねたんか、数えることすら忘れてしもた。

 せやけどあの時、ワシとナミは、コバルトブルーの海を一面に見下ろせる天空の世界に()った。
 神様たちが暮らす高天原(たかまのはら)ちゅうところや。

 「透けるように美しく、鬼のごとく恐ろしい。触れないほど冷たく、燃え上がるほど熱い。深く深く永遠と続く、それでいて刹那の海」
 ナミはそう言うとったなあ。
 当時の俺には意味分からへんかったけど、年老いた今なら分かる。
 あれはほんまに刹那の海や。

 ワシは、そないな表現する繊細なナミを心の底から愛しとった。せやからこの暮らしが幸せやった。

 そないなある日。
 ワシらの運命が動き出したんや。

 並んで座るワシとナミの前に、五つの喋る玉が空中を漂うて現れた。ぼんやりとした白い霧に覆われてやな。それぞれに異なる六色の光を発しとった。

「ナギ、ナミ。あなたたち二柱に命令を言い渡します」
 
 ちなみに人間は一人、二人って数えるけど、ワシら神様は一柱、二柱って数えるねん。
 最近やとほら、妹のために鬼退治する漫画でも、強いやつのこと柱て呼んどるやろ。まさにあんな感じや。ワシらは強くてかっこええ柱や。

「あなたたちで、国を作りなさい」
 玉ゆうても、よう喋る玉やろ。まあ、五つの喋る玉っちゅうのはあれや。この世界で、一番最初に生まれた神様のこと。別天神(ことあまつかみ)ゆう名前や。

 ワシとナギは進化の結果、人間と同じような見た目をしとるけど、別天神に姿や形はあれへん。
 概念みたいな存在やからやな、とりあえず幽霊みたいな雰囲気でやな、ぼわぼわっとした玉に化けてやな、恨めしや〜ってな感じで突然現れる訳や。せやけど、言葉だけは流暢に喋れんねや。その点、コミュニケーションは取りやすくて有難かったな。

「私たちに国を作れ、というのですか」
 横に座るナミが、目をまあるく開いて静かに言葉を発した。ナミはワシと違おて「玉が喋っとる! きゃ!」なんて騒がへんで。ちゃんと真面目に取り合うあたり、ほんまにええ子やろ。

 一方の喋る玉かて一切動じひんで。ふらふら〜っと、恨めしや〜っと、浮遊したまま。
「そうです」なんて抜かしとる。

「そのような大切なことを、私たちが? 本当にやり遂げられますか」
「できるか、ではありません。やるのです。あなたたちが国を作るのです」
 ふと横目でナミを見たら、産まれたばかりの仔羊みたいに震えとった。なんて健気な子なんや。可愛ええやろ。ワシはナミの背中にそっと手を添えた。ほんで、なるべく柔らかな口調で玉に質問したんや。

「詳しく聞かせて下さい。別天神さま」
 ほんなら、そん時や。ワシの声に合わせるように、五つの玉がゆらゆらと前へ躍り出て大きな一つの玉になった。ほんで覆われた霧の狭間から、黄色い光をぱっと強く発したんや。
「うっ眩しい」
 あまりの眩しさにナミが目を伏せた。これはあかん。守らなあかん。ワシは必死に、着物の袖でナミの視界を隠した。
「大丈夫か」

「ええ。ありがとう。ちょっと驚いてしまって。ごめんなさい」
 ナミはワシの手をぎゅっと握りしめ、黄色の玉の方向へ顔を上げた。
「続けて下さい」
 黄色の玉はしゅーっゆう音を立てながら、おっきく膨らんでいった。

「今ここは、まるで水に浮く油のよう。海の上を、クラゲのようにただふわふわと漂い続けているような。混沌とした状況です」
「混沌……」

「ナミ、ナギ。言っている意味は分かりますね」
「はい。でも、私はその海が大好きです。ふわふわと漂う油があるならば、もうそれで十分ではないでしょうか」

「大好きだからこそ、この海の上に一つの国を作るのですよ」
「国……。申し訳ありません。自信がありません」

 勘ええ人らは気い付く頃かもしらへんから言うけどやな、国ってあれやで。自分らの住む日本のことやで。
 今、ワシら日本作ろうとしてんねやで。

「私たちからの命令は絶対です。中つ国(なかつくに)を固めて国を作るのです。逆らうことは出来ませんよ」
 中つ国ゆうのは、あれや。今でいう地上。自分ら人間の住む島々のこと言うてんねんで。ワシらの居る世界が高天原で、自分ら人間が住む国が中つ国や。
 まあ別にこれ、神様用語やから自分らは知らんくてもええけどやな。

「それは……分かっています。でも一体どうやって国を作るのですか」
「これを差し上げます」

 黄色の玉はそう述べるや否や、また力強く発光したんや。強く、より強く発せられた光はいずれ縦に広がり、膨張し、黄金の輝きを纏おていった。

「決して朽ちぬ輝きを放つこの『天の沼矛(あまのぬぼこ)』は、あなたたちを必ずや助けてくれるでしょう」
 ナミは相変わらず震えとったけど、ワシは天の沼矛と呼ばれたそれを美しいと感じてしもたんや。見たこと無い黄金の輝きに、たった一目で吸い寄せられた。

 それにや。
 さっきも話した通り、そもそも別天神・・・・・・五つの喋る玉の命令には逆らえへん。

 あれは所謂、学校で例えるところの校長先生と同じ位偉いんや。
 神様界のトップオブザトップ。絶対的存在なんや。ただ、神様の社会っちゅうのは悲しいもんで、自分ら人間たちの暮らす学校みたいに転校やらなんややらっちゅう制度は存在せえへんのやで。もしワシらが校長の命令断って、学校中を敵に回したら……そないおっかないことあらへんわ。一貫の終わりや。八つ裂きにされるか追放されるか。想像しただけでワシの寿命が縮まってまうわ! 

 ……て興奮してもうたけど、そもそも神様に寿命なんてあらへんがな。永遠の命やがな。亡くなったとて、黄泉の国(よみのくに)で生き続けるだけやがな。がはは。

 一方のワシらはまあ、学年主任くらいの立場やな。学年主任は、ワシとナミ含めて全部で七柱おる。神代七代(かみよななよ)ゆう名前で活動しとって、そこそこ権力はある方や。
 現代で言うところのアイドル神セブンと同じ感覚やろか。あれはたしか、人間七人で上から順に神セブンやろ。
 ワシは六位、ナミは七位。ぎりぎり神セブン入りしとる訳やな。
 
 話がズレたけどやな。つまるところ、ワシらには国を作る以外の選択肢は無かったちゅうことが言いたい訳やな。

 ほんでワシは天の沼矛を手に取り、ナミの青く澄んだ目を真っ直ぐに見つめた。
「ナミ、二人で一緒に国を作ろう」
「本当に出来るのかしら。私、不安で堪らないわ」
「大丈夫や」
「どうして大丈夫だって言えるの?」
「そんなん決まっとるやろ。俺がおるからや」
「ナギ君……」

「俺は、ナミを愛してる。二人なら、どんな壁も乗り越えられると信じてる。いや、ナミの前にある壁なんて俺が全部ぶっ壊してやる。何があっても守り抜く。絶対しんどい思いはさせへん。泣かせへん」
「ありがとう。ナギ君」

「やれるだけ所まででええ。やってみようや」
「頼りにしてるわ、ナギ君」
 ワシは、ナミの頬にはらはらと流れる涙を親指で拭い、体を優しく抱き寄せた。

 思い返すと、あれやな。ワシかっこええな。あまりのかっこよさに、頭くらくらしてきたわ。若かりし当時は、ワシのこと俺なんて呼んでしもて。ほんまかっこええな。
 
 こうしてワシらは次の日、国を作るために天の浮橋(あまのうきはし)に向かったんや。天の浮橋ゆうのは、現代で言う兵庫県は淡路島のあたりにある橋のことやな。
 せやけど、橋ゆうても地上にはあらへん。まだ淡路島はおろか、日本ができる遥か昔の話やからな。地上から空を見上げたあたり、高天原に架かる橋や。

「ねえ、緊張してる?」
「そやなあ。一世一代のことやからな」
 ワシがそう言うと、ナミは顔をくしゃと緩めて笑おた。
「私、ナギ君のお陰で吹っ切れたの」

「俺のお陰?」
「うん。今はもう、不安がない。怖くもない。素敵な国を作って、ナギ君とずっと幸せに暮らしていこうって決めたから」
 ワシ、重めの女がタイプやねん。せやからこんなん言われたらもう可愛くて可愛くてしゃあないわけ。たまらんわけ。

「ナミ、ありがとう」
 ワシはナミの体を抱き寄せた。
「早速始めよか」

 そうしてワシらは二人並んで、天の浮橋から海に向かって天の沼矛を突き刺したんや。
 矛の使い方なんて教わってないし知らへんからやな、サイズ的に取り合えずこんな感じ? どんな感じ? いけそう?ちゅう具合や。ええ~いと刺し込んで、鍋かき回す時みたいにやな、こおろこおろと掻き回した。あん時の海、結構な重さやったで。

 人間ゆうたら二日目のカレー鍋が重くて混ざらんやら弱ちいこと言うけどやな、そんなん比にならん重量級の感覚やったわ。
 まあワシ、重めのんはタイプやからええねんけどな。って違うか。

「そろそろかき混ざったかしら」
「せやな。引き上げてみようか」
 ナミと息を合わせて天の沼矛を引き上げた、そん時や。突然、矛の先から白いなんぞやがぽたぽたあと滴り落ちて、海の上にずんずこずんずこ積もっていったんや。

「凄いわね、ナギ。海の上に塩が積もっていくわ」
 なるほどな。矛から落ちる白い何かの正体は塩やったんか。って思うたけどやな。そない恥ずかしいこと好きな神の前で言わんほうがええ。共感しといたわ。
「ほんまやな。美しいな」

「ええ。海の上に地上が出来ていく」
 ナミの言う通り、海の上にみるみるうちに島が出来た。

「自ずから凝り固まってできた島ね」
「自ずから、凝り固まって……」
 それ、ええやん。「自(オノ)ずから凝り(ゴリ)固まってできた島」略して、
「オノゴロ島なんてどうや」
「良いじゃない。オノゴロ島にしましょう」
 ワシ、渾身のダジャレや。自分覚えとくとええことあるで。
 日本で一番最初にワシら神様が作った場所はオノゴロ島。日本のはじまりはオノゴロ島からっちゅうわけや。

 せやけど自分ら人間は相変わらず好き勝手言うで。
 淡路島周辺にある小島指して、「あれがオノゴロ島や」「ちゃう。これがオノゴロ島や」「証拠示し」言い合っとんのやで。

 思い返したら、鎌倉時代には卜部兼方くんや、江戸時代には本居宣長くんらも文献にまとめておったけどやな。
 知らんがな。
 ワシかて、そない前の小島がどれやったかなんて覚えとるはずあらへんがな。ワシ、天空の橋の上から地上見下ろしててんで。そもそも、当時やてそないはっきり場所まで把握してへんわ。
 ちなみにあれやで。今話題に挙げた卜部くんや本居くんに限らずやな、日本の偉人ら生み出したのも基本的にワシやで。偉人が凄いんやのうて、基本的にワシや。覚えといてな。

 ほんでワシらは橋から飛び降りた。オノゴロ島に降り立ったんや。
「俺らだけの御殿を作ろう」
 ワシはそう言うて、ワシらが住むに相応しい煌びやかな御殿を建てたんや。御殿の真ん中にはかっこええ柱も建てた。神様が作っとるわけやからな、えらい神聖な柱や。

「とっても美しく品のある御殿と柱ね」
 ナミは御殿の中心に腰を下ろし、大きく息を吸いながら天井を見上げた。
「ほんまやな。それにしてもやな。やあ~広い御殿やな」
 二柱で住むのにはもったいない程の広さやった。せやから、
「やあ~広い、やあ~ひろい、や~ひろい……、や~ひろ、やひろ!」
「ナギ? 突然どうしたの?」
 ナミがまるっこい目を更に丸くしてワシを見つめる。

「この御殿の名前、思いついたったで! やひろ御殿や」
 こうして、ワシ渾身二つ目のダジャレによって、新居の名前が決まったんや。
「本当、ナギったら可愛いんだから」
 ナミと肩を並べて笑い合った。幸せやった。ここ、やひろ御殿で二柱の幸せな時間が永遠に続く。そう思った時や、

「島も御殿も出来たことだし、これからも一緒に暮らしてくださらない? 結婚しましょう」
 突然、ナミがそう言った。

 正味驚いたで。なんやったらその日、ワシもプロポーズしようと思っとったからや。新居も出来たことやし、これでナミを一生守れるて確信したんや。自分らに言うてへんかったけど、実はワシらまだ結婚してへんかったからやな。カップルのまま新生活するのもあれやから、ケジメつけるためにもプロポーズしようと思てた。

「先、越されてまったわ」
 ワシは嬉しさのあまり震える両手でナミの頬を包んだ。
「手が震えているわ」
「カッコ悪いな。ごめん」
「ううん。カッコ悪くなんか無い」
「優しいな。ありがとう」

「ナギもプロポーズしようと思っていたの?」
「そうやで。それも今日、しようと思うとった」
「そうだったのね。ふふふ。そのプロポーズ、喜んでお受けいたします」
 ナミは胸に手を当て、ちまこく、こてんと頭を下げた。
「俺もナミを一生大切にします。この先何があってもナミを守り抜きます」
「ありがとう。ついに新しい生活がはじまるのね」
「ああ。楽しみやな」

 ほんでワシらは、たった二柱きりでこの上ない幸せな新婚生活を過ごしんたんや。好きな時間に寝て、好きな時間に起きる。寝ても覚めても好きな神が隣におる。その安心感ったらあらへん。
 思い返したら、この一ヶ月がワシの神様生活でもっとも幸せな時間やったと思う。

 そんなある日、極め付きの知らせが訪れた。

「ナギ、私。妊娠しているかもしれない」
「……妊娠?」
「ええ。お腹に赤ちゃんがいるわ」

「ナミ、ナミ! ありがとう! ほんまに嬉しい。ほんまにありがとう」
 愛するナミとワシとの間に生まれる赤子や。どない可愛い子やろか。どない愛らしい子やろか。楽しみで楽しみでしゃあなかった。
 ワシはお腹の大きいナミの体を庇いながら、食事も洗濯も掃除も出来ることは全てやった。ナミの負担を少しでも減らそうと慣れへん家事に全力投球したんや。
 
 せやけど、幸せな生活はそない長く続かへんかった。

 そもそも妊娠自体が奇跡なんてことは知っとったけどやな。
 ナミの妊娠……、うまいこと続かへんかったんや。

 赤子と一緒に三人で暮らす夢は叶わへんかった。あの当時は、自分ら人間みたいに、家のすぐそばに産婦人科なんてあらへんからやな。診てくれる医者もおらへんから原因も分からへんし、ワシらはただただ涙を流すことしか出来へんかった。

「私、これからどうしたら良いのか分からないわ」
 ナミも酷く憔悴して、へこんどった。

「一度、高天原に戻らへんか」
「高天原に?」
「そうや。高天原で指示を仰ごう」

 日本を産むことの出来る天の沼矛をくれた程の神や。高天原に戻れば、きっとあの喋る玉が助言をしてくれる。
 ワシはそう信じ、ナミと一緒に高天原に帰ったんや。