蛇に睨まれた蛙のように身を縮こませて原因を考えていると、突然父が怒鳴り声を上げた。至近距離だったのもあり、全身が大きく跳ね上がる。
「父さんも、母さんも、姉ちゃんも、なんで……っ!」
「クニユキっ! やめんか!」
「ばあちゃんも……っ! なんで黙ってんだよ‼」
父の手に握られていたグラスがテーブルに強く叩きつけられ、その衝撃でパリンと破片が飛び散った。
「クニユキ‼ いい加減にしろ‼」
「叔父さん! 落ち着いて!」
慌てて祖父と智が仲裁に入るも、酔いが回ってタガが外れているからか、なかなか収まらず。辺り構わず怒鳴り散らしている。
これまでの人生の中で、酔っぱらっている姿は数えきれないほど見てきた。
だけど……。
「うわっ、ちょっ、やめろ! お前に何が分かるっ!」
体当たりして仲裁に入ったジョニーにまで怒号が飛び、おぼんを持つ手がカタカタと震える。
吐き出される暴言、真っ赤になった目。
私の知っている父の姿はどこにもいなくて、恐怖で足がすくんで動かない。
「──……ちゃん、一花ちゃん」
肩を叩かれて我に返ると、祖母が隣にいるのに気づいた。
「危ないから、一旦避難しましょう」
手にはビニール袋と小さなちりとりセット。私が呆然としている間に片づけたらしい。ふと前を見たら、伯母も曾祖母に寄り添っていた。
刺激しないように、目を合わせないように。
祖母に背中を擦られながら、ゆっくりと立ち上がる。
「おいどこへ行く! 話はまだ終わってねーぞ!」
しかし、相当頭にきていたようで、そう簡単にはいかなかった。
制止する声に足を止めた時、既におぼんには父の手が伸びていて──。
──ガシャン!
綺麗になったテーブルの上に、おぼんと2つの器がひっくり返って落ちた。
醤油で浸されていく旗を目にした瞬間、抑え込んでいた感情が溢れ、視界が滲んでいく。
もう、ダメだ……っ。
「一花ちゃん!」
「一花っ!」
涙を浮かべたまま逃げるように居間を後にし、そのまま家を飛び出した。
夕焼け空の下、無我夢中で走り続け、気づいたら海にたどり着いていた。高台の上から海岸を見下ろす。
夕日に反射して輝くオレンジ色の海面。朝も同系色だったけど、この時間帯は心が落ち着くような温かい色合いをしている。
「さ、そろそろ帰るよ」
「やだーっ、まだ遊ぶーっ」
ぼんやり眺めていると、小さな女の子が駄々をこねて父親の腕を引っ張っているのを見つけた。
微笑ましい光景に顔をほころばせる。と同時に、収まっていた涙がまた出てきた。
……何か、間違えてたのかな。
ふさわしくない食べ物を選んでしまってた? もしかして、まだ祝う時じゃなかったとか?
だとしても、あんなに怒らなくても……っ。
「あれ……? 一花ちゃん?」
手で涙を拭っていると、聞き覚えのある優しい声が私の名前を呼んだ。
滲む視界の中で動く白いアロハシャツ。誰だかすぐに分かってしまった。
「どうしたの……⁉ どこか具合悪い⁉」
首を激しく横に振って否定する。
大袈裟なくらい振るのは、顔を覗き込まれているから。
目が合ったら、それだけでまた涙が溢れ出してしまいそうだから。
こんなぐしゃぐしゃで汚い顔、凪くんに見られたくない。
なのに──。
「一花っ、俺の顔見て」
不意打ちで再び名前を呼ばれて、目を合わせてしまった。
「何があったの……?」
一昨日にも向けられた、吸い込まれそうな眼差し。それは、私の涙腺を崩壊させる、安心感をまとった優しい眼差し。
凪くんの馬鹿……っ。女兄弟がいるくせに、どうして女心が分からないの……っ。
再度涙が頬を伝う。咄嗟に俯くと、背中を擦られているのを感じた。
触れているのか分からないくらいの、かすかな感覚。
それが凪くんの手だと分かると、さらに涙が溢れ出してきて。
口を手のひらで覆って嗚咽を漏らしたのだった。
◇
「少し、落ち着いた?」
「うん。ありがとう」
ひとしきり泣いた後、近くの階段に腰を下ろした。
すっかり日が沈み、オレンジ色に染まっていた雲は東の空に消え、入れ替わるように夜が徐々に顔を出し始めている。
今日は満月だったっけ。もうすぐあの空からお月様が出てくるのかな。
ブーッ、ブーッ。
空を眺めていると、ポケットに入れたスマホが振動し始めた。
「……出なくて、いいの?」
「うん」
画面に表示された名前を見た瞬間、着信拒否ボタンを押して、再びポケットの中へ。
酔っぱらった人間なんかと電話なんてしたくない。
「一花ちゃん」
「ん?」
「……もしかして、家族と喧嘩した?」
「…………うん」
号泣した原因をピンポイントで当てられた。
やっぱりこの人、読心術習ってるんじゃない? いや、さっきのでなんとなく察しがついたのかも。
「……長寿祝いのことで、お父さんと喧嘩したんだ」
涙が収まるまで傍にいてくれた彼に、小一時間ほど前に起こった出来事を簡潔に話した。
「コップが割れるって……大丈夫だった? 怪我してない?」
「大丈夫。……まぁ、心は粉々になってるけどね」
自虐的に笑って返したけれど、笑えるレベルではなかったようで。本当に心が壊れたのではないかと、逆に心配させてしまった。
「父さんも、母さんも、姉ちゃんも、なんで……っ!」
「クニユキっ! やめんか!」
「ばあちゃんも……っ! なんで黙ってんだよ‼」
父の手に握られていたグラスがテーブルに強く叩きつけられ、その衝撃でパリンと破片が飛び散った。
「クニユキ‼ いい加減にしろ‼」
「叔父さん! 落ち着いて!」
慌てて祖父と智が仲裁に入るも、酔いが回ってタガが外れているからか、なかなか収まらず。辺り構わず怒鳴り散らしている。
これまでの人生の中で、酔っぱらっている姿は数えきれないほど見てきた。
だけど……。
「うわっ、ちょっ、やめろ! お前に何が分かるっ!」
体当たりして仲裁に入ったジョニーにまで怒号が飛び、おぼんを持つ手がカタカタと震える。
吐き出される暴言、真っ赤になった目。
私の知っている父の姿はどこにもいなくて、恐怖で足がすくんで動かない。
「──……ちゃん、一花ちゃん」
肩を叩かれて我に返ると、祖母が隣にいるのに気づいた。
「危ないから、一旦避難しましょう」
手にはビニール袋と小さなちりとりセット。私が呆然としている間に片づけたらしい。ふと前を見たら、伯母も曾祖母に寄り添っていた。
刺激しないように、目を合わせないように。
祖母に背中を擦られながら、ゆっくりと立ち上がる。
「おいどこへ行く! 話はまだ終わってねーぞ!」
しかし、相当頭にきていたようで、そう簡単にはいかなかった。
制止する声に足を止めた時、既におぼんには父の手が伸びていて──。
──ガシャン!
綺麗になったテーブルの上に、おぼんと2つの器がひっくり返って落ちた。
醤油で浸されていく旗を目にした瞬間、抑え込んでいた感情が溢れ、視界が滲んでいく。
もう、ダメだ……っ。
「一花ちゃん!」
「一花っ!」
涙を浮かべたまま逃げるように居間を後にし、そのまま家を飛び出した。
夕焼け空の下、無我夢中で走り続け、気づいたら海にたどり着いていた。高台の上から海岸を見下ろす。
夕日に反射して輝くオレンジ色の海面。朝も同系色だったけど、この時間帯は心が落ち着くような温かい色合いをしている。
「さ、そろそろ帰るよ」
「やだーっ、まだ遊ぶーっ」
ぼんやり眺めていると、小さな女の子が駄々をこねて父親の腕を引っ張っているのを見つけた。
微笑ましい光景に顔をほころばせる。と同時に、収まっていた涙がまた出てきた。
……何か、間違えてたのかな。
ふさわしくない食べ物を選んでしまってた? もしかして、まだ祝う時じゃなかったとか?
だとしても、あんなに怒らなくても……っ。
「あれ……? 一花ちゃん?」
手で涙を拭っていると、聞き覚えのある優しい声が私の名前を呼んだ。
滲む視界の中で動く白いアロハシャツ。誰だかすぐに分かってしまった。
「どうしたの……⁉ どこか具合悪い⁉」
首を激しく横に振って否定する。
大袈裟なくらい振るのは、顔を覗き込まれているから。
目が合ったら、それだけでまた涙が溢れ出してしまいそうだから。
こんなぐしゃぐしゃで汚い顔、凪くんに見られたくない。
なのに──。
「一花っ、俺の顔見て」
不意打ちで再び名前を呼ばれて、目を合わせてしまった。
「何があったの……?」
一昨日にも向けられた、吸い込まれそうな眼差し。それは、私の涙腺を崩壊させる、安心感をまとった優しい眼差し。
凪くんの馬鹿……っ。女兄弟がいるくせに、どうして女心が分からないの……っ。
再度涙が頬を伝う。咄嗟に俯くと、背中を擦られているのを感じた。
触れているのか分からないくらいの、かすかな感覚。
それが凪くんの手だと分かると、さらに涙が溢れ出してきて。
口を手のひらで覆って嗚咽を漏らしたのだった。
◇
「少し、落ち着いた?」
「うん。ありがとう」
ひとしきり泣いた後、近くの階段に腰を下ろした。
すっかり日が沈み、オレンジ色に染まっていた雲は東の空に消え、入れ替わるように夜が徐々に顔を出し始めている。
今日は満月だったっけ。もうすぐあの空からお月様が出てくるのかな。
ブーッ、ブーッ。
空を眺めていると、ポケットに入れたスマホが振動し始めた。
「……出なくて、いいの?」
「うん」
画面に表示された名前を見た瞬間、着信拒否ボタンを押して、再びポケットの中へ。
酔っぱらった人間なんかと電話なんてしたくない。
「一花ちゃん」
「ん?」
「……もしかして、家族と喧嘩した?」
「…………うん」
号泣した原因をピンポイントで当てられた。
やっぱりこの人、読心術習ってるんじゃない? いや、さっきのでなんとなく察しがついたのかも。
「……長寿祝いのことで、お父さんと喧嘩したんだ」
涙が収まるまで傍にいてくれた彼に、小一時間ほど前に起こった出来事を簡潔に話した。
「コップが割れるって……大丈夫だった? 怪我してない?」
「大丈夫。……まぁ、心は粉々になってるけどね」
自虐的に笑って返したけれど、笑えるレベルではなかったようで。本当に心が壊れたのではないかと、逆に心配させてしまった。