お祭り騒ぎのような一夜を終えて、朝がやってきた。名無しはいつものように誰よりも早く目覚めるとむくりと起き上がった。しかしどこか倦怠感が残っている。

「酒はやっぱり好かん」

 名無しはそう呟くと、顔を洗おうと水瓶を覗いた。

「……水が切れてる」

 名無しは水桶を持って共同井戸まで向かった。

「まあ! アル! 早いわね」
「ああ」

 井戸の周りには村のおかみさん連中がたむろしていた。

「水汲み? 偉いわね、うちの旦那も見習って欲しいわ」
「いや、いつもはクロエがやってるんだがまだ寝ていて……」
「あら優しいわー」

 名無しはおしゃべりなおかみさん達に囲まれていたたまれない気持ちになった。そんな名無しを救ったのはリックだった。

「おいアル! おはよう」
「ああ」
「ちょっとこっちに来てくれないか?」
「なんだ」

 リックに手招きされた所には昨日名無しが退治した魔物の死骸が山積みになっていた。

「こいつをどうしようかってみんなと相談しててな」
「……ああ、これは雑食で肉はまずいはずだ。でも毛皮はそこそこ良い値で売れると思う」
「そうか、ありがとう!」

 リックと別れ、ようやく水を汲んで家に帰ると扉の前にクロエが立っていた。

「……パパ居た……」
「どうした」
「居なくなっちゃったらどうしようかって思って」
「……いなくならないぞ」

 クロエは名無しにぎゅうとしがみついた。名無しはその頭を撫でた。

「だってなんか昨日ちょっと感じが違ったし、もしかしたらって」
「気のせいだ」

 名無しはそう言いつつ、内心では冷や汗をかいていた。きっとクロエが感じ取ったのは昨夜の殺戮の余韻である。

「水を汲んでいただけだから」

 そう言って名無しはクロエから離れた。

「そっか、じゃあご飯にするね」
「ああ」

 その後はなんでもない顔で朝食を取り、名無しはいつものように畑に出た。麦はすくすくと成長している。

「これがもっと大きくなって実をつけて……パンになる」

 名無しはそう呟いてせっせと草取りをはじめた。そのどこかに昨夜の高揚とのギャップを感じながら。

「パパ、お昼にしようー!」
「ああ」

 名無しが無心に農作業を続けていると、クロエが昼食に呼びに来た。

「はい」

 クロエと並んで土手に座って、いつものパンとりんごの昼食を取っているとまたリックがやってきた。

「お二人さん、ごきげんよう」
「あ、リック!」
「今度はどうしたんだ?」
「明日毛皮を売りに町まで出るんだ。何か買うものがあったらついでにと思って」
「買うもの……特には……」

 名無しがそう言うと、クロエがそっと名無しの袖を引いた。

「あの……小麦とか……買えないかな……」
「小麦?」
「パパの分も増えたから、冬まで持たないかもしれないの」

 クロエは申し訳なさそうにそう言った。言われてから名無しはこの家に一銭の金も入れていない事に気が付いた。

「……ああ! 馬鹿だな。早く言ってくれればよかったのに」
「うー」
「リック、明日は俺達も付いて行ってもいいか?」
「ああ、構わないよ」

 名無しがそう言うと、クロエはがばっと立ち上がった。

「パパと一緒に町に行っていいの!?」
「ああ」
「やったぁ!」

 クロエはその場で嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねた。


 明くる朝、名無しとクロエは村の入り口に立ってリックを待っていた。

「お待たせ。後ろの荷台に乗ってくれ」

 魔物の皮を満載にした荷台の隅に乗った二人を乗せて、田舎道を荷馬車はゴトゴトと進んだ。

「クロエは町に行った事は?」
「ないよー。でも人がいっぱいで物もいっぱいでーって聞いたの」
「そうか。迷子になるなよ」
「うん!」

 やがて荷馬車は一番近くの町に着いた。王都のにぎわいに比べればささやかな町だ。

「わぁーお……」

 それでも村とは比べものに人の多さにクロエは息を飲んだ。

「それじゃあ、俺はこれを売ってくるから! あとでここで集合な」

 町の入り口でリックと別れた名無しとクロエは食料品を扱う店を探した。

「小麦をくれ、それから……そこの豆も」
「あいよ」

 名無しは小麦と豆の袋を担いだ。そしてチーズが売っているのを見つけるとそれも買った。さらに干し肉とハムも買う。

「パパ……そんなに買って大丈夫?」
「ああ」

 名無しにはいままでの稼ぎがあった。王都を脱出する前に持ち出したその金は食料を買う金など微々たるものだった。

「そうだ、クロエ。そこの古着屋に寄る」
「どうして?」
「俺の着替えとクロエの服を買う」
「え、大丈夫だよ!」

 名無しはそう言うクロエを無視して古着屋で服を買った。黒尽くめではない、普通の農夫のような服と、クロエが入りそうな服を見繕ってもらう。

「こんなの、いいのに……」
「碌なお土産も渡せなかったからな」
「パパ……ありがとう!」

 クロエはにっこりと微笑んだ。名無しはそれを見てなんだか心が軽くなるような感じがした。
 そして荷物がすごい事になってきたので、名無しとクロエはリックとの待ち合わせ場所に向かった。

「おっ、すごい買ったな」
「さすがに重たい」
「そうだろう」

 リックはそう言って荷馬車に荷物を載せるのを手伝ってくれた。

「そっちの首尾はどうだった?」
「ああ、毛皮の傷も少ないし数も多いしで高く売れた」
「そうか」

 名無しの攻撃は基本一撃必殺である。その為毛皮に痛みが少なかったのだろう。

「あっ、そうだ。クロエ、手を出してごらん」
「なあに?」

 素直にクロエが手を出すと、リックは小箱をクロエに渡した。

「これ……」
「良い子にしていたご褒美だ。キャンディーだよ。学校のみんなで食べな」
「わあああ!」

 そのクロエのきらきらした顔を見て、名無しはなんとなくリックに負けた気がした。