聖都ユニオール中央教会内部。多くの僧侶や尼僧が生活するその場所の最も奥に彼女はいた。
「あらあら……」
その日届けられた書類の束の中に、素朴な封筒を見つけたエミリアはそこに書かれた署名を見て微笑んだ。
「クロエちゃん……」
エミリアの脳裏に赤毛のおさげを揺らしてにっと笑うクロエの顔が思い浮かんだ。人気がないのを確認して、エミリアはそっとその手紙の封を切った。
「んー……。『エミリアさんへ。ハーフェンの村のみんなは元気です。これから畑仕事が忙しくなるけど、今年はパパがいるから平気だよ。そう、この間の春節祭でパパが聖女アリシャの役をしたの。お化粧までしていたよ』……ふふっ」
そしてそのクロエの手紙の下にはこう走り書きがしてあった。
「無事か。元気で……これだけ? もう、本当にアルは手紙を書く才能がないのね」
その短い文は署名はなかったが名無しの字だった。エミリアはその文字をそっとなぞる。
「私は……元気です」
こちらから返事を書くことは多分許されないだろう。この手紙もきっと子供の字だったから届いたようなものだ。
エミリアは手紙を小さく畳むと胸元にしまった。そんなエミリアに他の尼僧が声をかけた。
「エミリア様、祈祷の時間でございます」
「はい……」
エミリアはそのまま尼僧達に囲まれて祈祷所に向かった。ユニオールの教会の祈祷所は広大である。何百年もの歴史を持ち、高いアーチ状の美しい彫刻を施した天井の下には何百人もの聖職者達がひしめく。そこでエミリアは祈祷を捧げた後、キョロキョロと周りを見渡した。この場所でくらいしか会えないお目当ての人物がいるのである。
「あ、ライアン!」
「ああ、エミリア……」
エミリアはライアンを探し出すと、声をかけた。
「どうです、こちらの暮らしには慣れましたか?」
「どうもこうも……まぁ愚痴っても仕方あるまい」
ライアンはため息をついた。ちょっとだけ顔色も悪い気がする。
「相変わらず腫れ物みたいな扱いだよ。それで? 暮らしぶりを聞く為に声をかけたのか?」
「ああ……そうそう、アルの村から手紙が届いて」
「そうか。村にはちゃんと戻ったみたいだな」
「ええ。アルの娘さんから……ほらこんな便りが」
「……娘っ!? あいつ娘がいるのか」
ライアンはぎょっとした顔をしてエミリアを見た。
「ふふ、実の娘さんではないですけどね。ライアンよりちょっと下かしら」
「そ、そうなのか……」
ライアンはあの廃屋のような家に泊まった時に自分にナイフを渡してくれた名無しの事をふと思い出した。あの行動はライアンにとってちょっと意外だったのだが、娘がいると聞いてなんだか合点がいった。
「見ていいのか、その手紙」
「ええ、いいですよ」
ライアンはその手紙を見て吹きだした。もちろん名無しの女装姿を想像してである。
「ぷふっ、あのアルが……」
「ね。おかしいでしょう?」
「……ありがとう。久々に笑った」
ライアンは目尻にたまった涙をぬぐった。慣れない生活で気を張っていたのが少し紛れた気がする。
「そろそろなんだろう。その……」
「聖女の就任式ですか」
「ああ」
「三日後から潔斎に入って、それから儀式に入ります。」
「そうか……」
こうして話せる機会もきっと減ってしまうだろう。しかし今更エミリアの立場も、ライアンの立場も変わるものではない。ライアンが少しの寂しさを感じていると、突然鋭い声が降ってきた。
「エミリアさん! これから聖女になろうという方が男性に近づき過ぎでは?」
「……アビゲイルさん」
そこには豊かな黒髪の尼僧が立っていた。その目は咎めるようにエミリアを見ている。
「ライアンはまだ十一歳ですよ。子供です」
「それでも男性にかわりはありませんわ」
アビゲイルのヒステリックな声にエミリアは困ったように眉を寄せて答えた。
「……今後、気を付けます」
「そうね。でないと誰がどこで見ているか分かりませんからね」
言うだけ言って去っていったアビゲイルの姿を見送ってエミリアは軽くため息をついた。
「エミリア……あれが……お前に敵対していたもう一人の聖女候補か」
「……そうです。しかたないですね。では、ライアンも頑張ってね」
「ああ……」
エミリアはライアンから離れて住居房の方に下がっていった。その後ろ姿がすっかり見えなくなるまでライアンは見つめていた。
この教会に来てから、ライアンは特別広い宿坊を与えられ、何人かの僧が仕える為か見張る為か常に寄り添っていた。教会からしたら手厚い保護なのだろうが、ライアンに積極的に話しかける者もおらず、彼は孤独だった。教会の規律よりも、ライアンにとってはそれが堪えた。
「……手紙、か。フレドリックも手紙の一つくらい寄越せばいいものを……」
ライアンもまたそんな風に呟きながら祈祷所から去った。忠義厚き老騎士フレデリックからはあれから一切の連絡はなかった。
***
「もう届いたかなー。ねぇ、パパお返事くるかな?」
「……あんまり期待しない方がいい。あっちは教会の奥の方にいるんだ」
そしてその頃、手紙を出したクロエはそわそわしながら名無しに聞いていた。
「そっかー……でもまた書こう。パパまた街に出たらお手紙出してね。変なとこ寄り道しないでね!」
「う……ああ」
名無しがリックと見合いの後で娼館まがいの宿屋に言った事はあっという間に村中に広まっていた。名無しは呻くようにこめかみを押さえながらなんとか頷いた。まぁクロエが本当に意味が分かって言っているとは思わなかったが。
「さ、クロエ。午後はまた草むしりだ。爺さんの腰の調子が悪いから気合いいれていくぞ」
「うん!」
昼食を終えた二人は農作業へと戻っていった。
「あらあら……」
その日届けられた書類の束の中に、素朴な封筒を見つけたエミリアはそこに書かれた署名を見て微笑んだ。
「クロエちゃん……」
エミリアの脳裏に赤毛のおさげを揺らしてにっと笑うクロエの顔が思い浮かんだ。人気がないのを確認して、エミリアはそっとその手紙の封を切った。
「んー……。『エミリアさんへ。ハーフェンの村のみんなは元気です。これから畑仕事が忙しくなるけど、今年はパパがいるから平気だよ。そう、この間の春節祭でパパが聖女アリシャの役をしたの。お化粧までしていたよ』……ふふっ」
そしてそのクロエの手紙の下にはこう走り書きがしてあった。
「無事か。元気で……これだけ? もう、本当にアルは手紙を書く才能がないのね」
その短い文は署名はなかったが名無しの字だった。エミリアはその文字をそっとなぞる。
「私は……元気です」
こちらから返事を書くことは多分許されないだろう。この手紙もきっと子供の字だったから届いたようなものだ。
エミリアは手紙を小さく畳むと胸元にしまった。そんなエミリアに他の尼僧が声をかけた。
「エミリア様、祈祷の時間でございます」
「はい……」
エミリアはそのまま尼僧達に囲まれて祈祷所に向かった。ユニオールの教会の祈祷所は広大である。何百年もの歴史を持ち、高いアーチ状の美しい彫刻を施した天井の下には何百人もの聖職者達がひしめく。そこでエミリアは祈祷を捧げた後、キョロキョロと周りを見渡した。この場所でくらいしか会えないお目当ての人物がいるのである。
「あ、ライアン!」
「ああ、エミリア……」
エミリアはライアンを探し出すと、声をかけた。
「どうです、こちらの暮らしには慣れましたか?」
「どうもこうも……まぁ愚痴っても仕方あるまい」
ライアンはため息をついた。ちょっとだけ顔色も悪い気がする。
「相変わらず腫れ物みたいな扱いだよ。それで? 暮らしぶりを聞く為に声をかけたのか?」
「ああ……そうそう、アルの村から手紙が届いて」
「そうか。村にはちゃんと戻ったみたいだな」
「ええ。アルの娘さんから……ほらこんな便りが」
「……娘っ!? あいつ娘がいるのか」
ライアンはぎょっとした顔をしてエミリアを見た。
「ふふ、実の娘さんではないですけどね。ライアンよりちょっと下かしら」
「そ、そうなのか……」
ライアンはあの廃屋のような家に泊まった時に自分にナイフを渡してくれた名無しの事をふと思い出した。あの行動はライアンにとってちょっと意外だったのだが、娘がいると聞いてなんだか合点がいった。
「見ていいのか、その手紙」
「ええ、いいですよ」
ライアンはその手紙を見て吹きだした。もちろん名無しの女装姿を想像してである。
「ぷふっ、あのアルが……」
「ね。おかしいでしょう?」
「……ありがとう。久々に笑った」
ライアンは目尻にたまった涙をぬぐった。慣れない生活で気を張っていたのが少し紛れた気がする。
「そろそろなんだろう。その……」
「聖女の就任式ですか」
「ああ」
「三日後から潔斎に入って、それから儀式に入ります。」
「そうか……」
こうして話せる機会もきっと減ってしまうだろう。しかし今更エミリアの立場も、ライアンの立場も変わるものではない。ライアンが少しの寂しさを感じていると、突然鋭い声が降ってきた。
「エミリアさん! これから聖女になろうという方が男性に近づき過ぎでは?」
「……アビゲイルさん」
そこには豊かな黒髪の尼僧が立っていた。その目は咎めるようにエミリアを見ている。
「ライアンはまだ十一歳ですよ。子供です」
「それでも男性にかわりはありませんわ」
アビゲイルのヒステリックな声にエミリアは困ったように眉を寄せて答えた。
「……今後、気を付けます」
「そうね。でないと誰がどこで見ているか分かりませんからね」
言うだけ言って去っていったアビゲイルの姿を見送ってエミリアは軽くため息をついた。
「エミリア……あれが……お前に敵対していたもう一人の聖女候補か」
「……そうです。しかたないですね。では、ライアンも頑張ってね」
「ああ……」
エミリアはライアンから離れて住居房の方に下がっていった。その後ろ姿がすっかり見えなくなるまでライアンは見つめていた。
この教会に来てから、ライアンは特別広い宿坊を与えられ、何人かの僧が仕える為か見張る為か常に寄り添っていた。教会からしたら手厚い保護なのだろうが、ライアンに積極的に話しかける者もおらず、彼は孤独だった。教会の規律よりも、ライアンにとってはそれが堪えた。
「……手紙、か。フレドリックも手紙の一つくらい寄越せばいいものを……」
ライアンもまたそんな風に呟きながら祈祷所から去った。忠義厚き老騎士フレデリックからはあれから一切の連絡はなかった。
***
「もう届いたかなー。ねぇ、パパお返事くるかな?」
「……あんまり期待しない方がいい。あっちは教会の奥の方にいるんだ」
そしてその頃、手紙を出したクロエはそわそわしながら名無しに聞いていた。
「そっかー……でもまた書こう。パパまた街に出たらお手紙出してね。変なとこ寄り道しないでね!」
「う……ああ」
名無しがリックと見合いの後で娼館まがいの宿屋に言った事はあっという間に村中に広まっていた。名無しは呻くようにこめかみを押さえながらなんとか頷いた。まぁクロエが本当に意味が分かって言っているとは思わなかったが。
「さ、クロエ。午後はまた草むしりだ。爺さんの腰の調子が悪いから気合いいれていくぞ」
「うん!」
昼食を終えた二人は農作業へと戻っていった。