きっとろくに話す時間もないだろうからここに記しておく。おかえり、名無し。お前はきっとやきもきしながらこの村に帰って来たことだろう。

 この村はいいとこだな。じいさんは俺をデュークって呼んでくるけど。俺達が寝起きしていた王都の裏町のドブ臭さと比べたら豚小屋の香りも芳しいもんだ。
 お前の娘、なのかあれは……クロエはしきりに俺にお前の事を自慢してきたよ。強くて優しい自慢のパパだってさ。こっちが照れちまった。じいさんとクロエとの毎日は意外と賑やかだな。俺も真っ当に生きてればこんな道もあったのかね。

 村人も俺が自分でやった大したことのない怪我を心配して差し入れを持って来てくれたり、手作りの湿布を作ってくれたりと至れりつくせりだ。
 そのついでに王都から行商人を装う為に持って来た手鏡だの櫛だのをやろうとしたらご丁寧に料金を置いて行きやがる。

 名無しよ、俺等が人から奪ってばかりいた間にここではちょっとの物や気遣いを与え合ってるんだ。そんでな、それが俺には苦しい。窮屈でしかたない。
 認めたくないが、俺は長く血に浸かりすぎたみたいだ。もしな、お前がここで真っ当に暮らせるっていうならそうした方がいい。お前はまだ若い。

 あと、きっとイライラしながらこれを読んでると思うから言うな。この場所はアーロイスには伝えてない。この周辺の目撃情報はあちらさんは掴んでるがもうとっくに移動してるだろうって言ってやったよ。お前を殺すのは俺の仕事だけど、お前を居所を見つけるのは俺の仕事じゃないんでな。

 幸せになれよ。幸せってどういう事か歳食ってから分かっても意味ないぞ。じゃあな。もう会うことはないだろう。

 バード



 名無しが久し振りの家のベッドの枕に違和感を感じて探ってみたところ、こう書かれた紙が入っていた。バードが残した最後の書き置き。

「あの……お節介……」

 名無しは悲しさと嬉しさが同時にこみ上げてきた。ヨハンとクロエの寝息の聞こえる中、名無しはそっとベッドを抜け出し、暖炉の火を拝借して家の裏にむかった。
 ぼうっとその火に照らされた地面。かつて一度デュークの指を葬った穴を名無しは掘り起こした。一度掘った地面はまだ柔らかく、難なく穴が出来たところで名無しはその手紙を穴の中に置いた。

「ごめんな、バード。でもこれは残しちゃいけないものだ」

 名無しは松明の火でその紙を燃やした。

「……」

 踊る様に燃えていくバードの最後の言葉。それがすっかり白い燃えかすになるまで、名無しはじっとそれを見つめていた。
 そして、その温かい灰の上に、冷たくなったバードの指を並べた。

「墓標もなくてすまん。けれど俺は忘れない。バード、あんたの事はなにもかも」

 そう呟くと、名無しはその穴に土をかぶせた。その姿を高く昇った月だけが見ていた。



「おはよーっ! パパ」

 翌朝。クロエの元気な声で目覚めた。名無しは、ああやっと帰ってきたのだと実感した。

「朝ご飯にしよう」
「ああ」

 三人で囲む朝食。このささやかな優しい時間を、バードは受け入れる事が出来なかった。時折名無しを苦しめる黒い衝動のようなものが、きっとバードの中にもあって、彼はそれに捕らわれてしまったのだろう。

「そうだ、クロエにお土産があった」
「えっ、本当?」
「ほら、ユニオールの紋章のリボン」
「うわー、パパありがとう」
「選んだのはエミリアだけどな」

 名無しがそう言うと、クロエはふっと笑った。

「だよね、パパはこういう事しないもん」
「クロエ……」
「でもパパ、本当に聖都まで行ったんだね。どうだった!?」
「うーん……でかい教会がある以外は普通かな……それより手前の街の方が面白かった。温泉があって……」

 名無しは旅の様子をかいつまんでクロエとヨハンに伝えた。エミリアが命を狙われていた事や、ライアンが権力争いに巻き込まれた存在だという事はもちろん伏せて。

「パパ、ありがとうね。エミリアさんについてってくれて」
「うん?」

 一通り話を聞いたクロエは突然そんな事を言い出した。

「あたしね、最初パパが行っちゃうの嫌だって思ったの。でも歩きであんな遠くまでいくエミリアさんにパパがついていってくれてよかったって思った」
「そうか」

 名無しはクロエの赤い髪をなでてやった。クロエはニコニコしながらその手を握った。

「さ、今日も畑仕事がんばろう!」
「そうだな」

 それから三人は畑に出て土にまみれた。



 そして――。ここはローダック王国の王城、アーロイスの部屋である。まだ寝間着姿のアーロイスは取り巻きの報告に怒りにまかせてサイドテーブルを蹴り上げた。

「どういう事だ! ライアンがユニオールにだと!?」
「はい、すでに中央教会にその身を……」
「引きずり出して殺せ!」
「しかしながら、すでに出家され……むやみに手を出しては教会を刺激する事に……」
「くそ……」

 アーロイスは爪を噛んだ。兄を病にして、あとはライアンが事故か何かでいなくなれば自分の王位継承権は間違いなく手に入るはずであったのに、と。

「そうか……」

 怒りに赤くなっていたアーロイスの顔がふっと晴れた。

「なんだ……簡単な事ではないか」
「アーロイス殿下……?」
「こんな小細工などしなくても、私がとっとと王位についてしまえばいいのだ。なんだ簡単ではないか」

 取り巻きの顔が引き攣った。それが意味するところは、今の王を廃するという事である。

「フェレールを呼べ」
「はっ」

 アーロイスは取り巻きに命じて第二王子派の中心である大臣を呼びにいかせた。そして誰も居なくなった部屋で一人狂ったように笑った。

「ははははははは!!」

 その声は、王城の広い廊下まで響きわたった。