「朝だよー!」

 早朝からクロエは元気である。歌いながら今日も麦がゆを作った。今日は特に上機嫌だな、と名無しは思った。

「ねぇ、パパ。どうかな」
「どう……とは」

 クロエにそう言われた名無しは困惑した。この所の生活でどうやら自分は一般とは少々ずれている自覚が出てきた名無しはどう答えるのが正解なんだろうと考え込んだ。

「背が伸びた……か」
「ホント? ってそんな急に伸びないよ! 洋服! 変じゃないかな?」
「ああ……変じゃないが」

 クロエはいつもの汚れたツギの当たった服では無く、少し小綺麗な格好をしていた。

「パパのくれた飾り紐も、ほら」
「あ、ああ……」

 ここに来て名無しはもっとマシなものをクロエにあげれば良かったと思った。

「今日はパパも一緒に行くよね?」
「ん? どこにだ」
「やだ。今日は安息日だよ。教会に行くに決まってるでしょ」
「ん? そうか、そうだな」

 名無しはとってつけたように答えた。

「さーて、そろそろ行こうかの」
「あっ、ちょっとまって!」

 クロエが慌てて麦がゆを食べ、三人は揃って教会へと向かった。クロエはスキップをしながら先を歩く。

「随分楽しそうだな」
「今日は畑仕事も休みじゃし、教会の学校があるからの。父親が帰ってきたと皆に自慢するつもりなんだろうて」
「……」

 名無しはまずい、と思った。まともな他人から見たら自分はクロエの父親では無い事は明白だ。しかし、教会はもう目の前だ。

「着いたー!」

 クロエはさっそく教会の祭壇の真ん前に陣取った。ヨハンと名無しもそれに続く。

「あら、クロエちゃんその人は……?」

 隣の中年女性がクロエにさっそく聞く。案の定クロエは満面の笑みでパパだと答えた。

「え、パパってデューク……?」

 中年女性は驚いた顔で名無しを見た。それもそうだろう。本物のデュークと名無しとでは顔も年齢も違う。

「クロエ、静かにせんか」
「はーい」

 ヨハン爺さんがクロエをたしなめると、クロエはようやく静かになった。それからすぐ礼拝がはじまったが、名無しはその中年女性の視線をチラチラと感じながら過ごす事になった。

「それでは今週の礼拝は以上です。神のご加護がありますように」

 そうしてようやく礼拝が終わった。クロエはそのまま学校の教室に移動していく。

「じゃあね! おじいちゃん、パパ!」
「ああ頑張っておいで」

 手を振るヨハン爺さんに見送られて、クロエは去っていった。

「あの……あなたはデュークの知人なんですよね?」

 先程の中年女性がおずおずと聞いた。良く見ると、他の村人も名無しを興味深げに見ている。

「ああ……」

 名無しが説明しようとした時、割って入ってきた者がいた。リックだ。

「ほら、爺さんボケちゃってるだろ? それで息子と勘違いされちゃって、クロエもそう思い込んでるって訳さ」
「なんだ……どんな魔法でデュークがこんな男前になったのかと思ったわよ。まさかねぇ」
「そういう訳だ」

 リックの助け船で村人の警戒心は薄れた。しかしリックは難しい顔をして名無しに詰め寄った。

「それにしてもクロエにはちゃんと説明するって言ってたじゃないか」
「タイミングがなくて」

 名無しは頬をかいた。もっと早く説明すれば良かったと名無しは後悔した。その時だった。

「で、あんたはなんて名だい?」

 他の村人が何気なくした質問に名無しは一瞬固まった。

「俺の……名?」
「ああ」

 名無しは冷や汗をかいた。名無しに名乗る名前などない。

「俺の名はアーロイス……いやアルだ」
「アルか」

 とっさに名乗ったのは自分を陥れたこの国の第二王子の名だった。

「しばらくこの村に厄介になると思う……よろしく」
「ああ、よろしく」

 そう村人達に告げると名無しはヨハン爺さんを連れて家へと戻った。



「わあああああん!」

 しばらくすると、案の定大泣きしてクロエが帰って来た。

「どうしたんじゃ、クロエ」
「パパが……パパ……」

 クロエは泣きじゃくって言葉にならない。おおよそ、自分がクロエのパパではない事を指摘されたのだろうと察した名無しはクロエの目線に合わせてしゃがみ込んだ。

「クロエ、今から大事な事を言う。爺さんも分からないかも知れないが聞いてくれ」
「……わがっだ……」

 涙を拭いながらクロエは名無しの目を見た。名無しはゆっくりと話しだした。

「まず、俺はデュークではない」
「……」
「そしてデュークは……」

 ここから先の事は言わなくてもいいのかもしれない。しかし、クロエには知る権利があるだろうと名無しは思った。

「デュークは……お星様になった。ハンナと同じように」
「それ……ホント……?」
「ああ」

 名無しは懐に入っていたデュークの指輪を取りだした。その刻印を見て、クロエはポロポロと涙を流した。

「パパ……」
「すまなかったクロエ」
「あたし……本当はちょっとそうかなって思ってた……小さかったけど覚えてるもの。パパにはおひげがあったもの……」

 名無しはクロエに謝った。クロエはしゃくり上げながらもそう答え、その小さな手で名無しに触れた。

「じゃあ、あなたは誰なの……」
「俺は、デュークと一緒に働いていた。それでここの事を聞いてここに来たんだ」
「そっか……」

 クロエはなおも溢れる涙を拭い、名無しを見た。

「これからなんて呼んだらいい……?」
「……アル」
「パパって……もう呼んじゃだめ?」

 縋り付くようなクロエの目。思わず名無しはクロエを抱きしめていた。

「……いいぞ。パパって呼んでも」
「クロエを置いてどっかいったりしない……?」
「ああ」

 途端、火の付いたようにクロエは名無しの胸の中で思い切り泣いた。名無しはクロエが泣いて泣き疲れて眠るまでそのままクロエを抱きしめていた。