野宿に毛の生えたような一夜を終えて、朝がきた。屋根や壁にある隙間から、日の光が差し込んでいる。

「わっ、なんだ!?」
「……ああすまん」

 外に出ようとしたライアンは扉の下部に張ってあった紐に足を引っかけた。コツンコツンとそこにぶら下げられた小枝が鳴った。転びそうになったライアンに名無しはぼそりと詫びた。

「アル、なんでこんないたずらを……」
「いや……夜間に侵入者が居たら分かるようにだ」
「う、そ……そうか」

 名無しはナイフを手に、その紐を切った。のそりとベッドから起きてきたフレドリックがその様子を見ながら名無しに言葉をかけた。

「いやはや用心深いですな」
「やり過ぎなくらいが丁度いい」

 フレドリックは名無しを見てふぅ、と感心したようなため息を吐いて火を熾し始めた。

「朝食にしましょう。あとは村を一つ経由すれば最後の街リュッケルンですな」
「ああ。もう少しだ」

 名無し達は簡単に朝食を済ませて、村を出た。ライアンを馬上に乗せて一行は次の村へと向かった。

「昨夜は襲撃が無かったですから……次の村は要警戒ですね」

 エミリアは出てきた村を振り返りながらそう呟いた。その呟きを耳にしたライアンは首をかしげた。

「エミリア。巡礼の旅に護衛はまだ分かる。しかし……用心が過ぎるのではないか?」
「……エミリアを狙ってくるのは夜盗や獣の類いだけじゃない。教会内部の人間が彼女を狙ってる」
「な……本当か」

 ライアンは驚いた顔で名無しを見た。そしてフレドリックは苦々しい表情で呟いた。

「アル!!」
「いい。……じい。我々も似たような立場だろう」
「ですが……」

 フレドリックからしてみれば目くらましにいい盾を見つけたものの、それにめがけて矢が飛んできたきたようなものだ。

「エミリア、良ければ話してくれ。我々の行く先もユニオールの教会本部なのだ」
「教会本部に……?」
「ああ。私も事情を話す」

 そうしてライアンはエミリアに自身の王位継承権第三位という出自と王家に追われる身となった事を伝えた。

「そんな……家族でしょうに……」
「王冠とは罪なものだな。さぁ、エミリア。こちらの事情は話した」

 ライアンはどこか遠くを見ながらそう言って、エミリアに話を促した。

「私には……学友がおりました。神の教えを共に学ぶ……その親友の名はアビゲイルといいいます。彼女と私は歳も近く、互いに切磋琢磨する仲でした。しかし……」

 そこまで話すとエミリアは唇を噛んだ。しばらく押し黙った後、ようやく彼女は言葉を続けた。

「お互いが聖女候補となった時、教会内に内紛が起きたのです。アビゲイルの父親は有力貴族。教会内に影響力を持ちたい貴族の派閥とそれを良しとしない派閥とに別れました」
「その貴族どもの派閥がエミリアを狙っているのか?」
「ええ。すでに中央幹部は貴族達のいいなりです。……私は巡礼の旅を成功させ、より聖女にふさわしいことを示さないといけません」
「それで妨害が……」
「そういったやり口を神に仕えるものとして許すわけにはいきません。……が、私にできる事はひたすら旅を続けるのみです」

 ライアンはエミリアの話を聞いて、黙り込んだ。その思い詰めたような横顔に、名無しは声をかけた。

「権力争いなんてどこにだってある。負けなければいい話だ」
「アル……」
「たかってくる蝿は俺とフレドリックが追い払うから、お前とエミリアは前だけ向いて進め」

 なんでもない事のように名無しは言った。ライアンはその言葉にちょっとだけ微笑んだ。

「そうだな。立ち止まれば相手の思うつぼだ」
「その通りだ」

 名無しは空を見上げた。春の初めの空は薄く掃いたような雲を浮かべて、淡い日差しを四人に注いでいた。

「さ、この話はお仕舞い! 次の町に向かいましょう」

 エミリアの元気な声で、一行はまた道を進んでいった。

 その頃、ハーフェンの村に足を引き摺りながらふらりと一人の男がやってきた。男は簡素なその入り口の門を通り抜け、村を眺めた。

「ふーん。小さな村だ。木陰は緑、広がる畑……いいねぇ。こんな所で余生を過ごしてみたいもんだ」

 その人影を見つけたのは水やりをしていたクロエである。

「こんにちは!」
「ああ、こんにちは」
「おじさん、どうしたの?」
「いやいや……行商の途中で足を痛めてしまったようでね。ちょっとこの村で休ませて貰いたいんだ」
「そうなの? 大変だ! とりあえずうちにおいでよ。司祭様を呼んであげるから」
「そうかぁ」

 男はクロエについて行き、ヨハンの家の中に入った。

「今ね、お爺ちゃんは畑に行っててパパはお出かけしてるから誰もいないんだけど……そこに座ってちょっと待っててね!」
「……ああ」

 クロエが駆け足気味に家から教会に向かうと、男は指差されたベッドに座りこんだ。そこは名無しが使っていたベッドである。誰もいないのをいいことに、男はそのベッドにごろりと横になった。そして枕をひっつかむと鼻を押し当てた。

「……ふふ」

 男は満足げに頷くと、起き上がりクロエと司祭がくるのを待った。

「やあやあ、お待たせ」
「すみませんねぇ……歳かな」
「まぁ見せてください。うーん。この間まで回復魔法が使えるものが居たんですけどねぇ」
「そうか、それはついてない」
「ま、軽い打ち身ですな。炎症止めを出しましょう……ところであなたお名前は?」

 司祭は診断を下すと、薬を出して男の名を聞いた。

「へぇ、バード(・・・)といいます」
「しばらく歩くのは控えた方がいい。教会に泊まりますか?」
「うちでもいいよ! ヨハンお爺ちゃんもきっといいって言うし、ベッド空いてるし」
「そうだなぁ……」

 バードはヨハンの家を見回した。

「じゃあ……ここでお世話になろうかな」
「そうですか」
「いやぁ……恥ずかしながらこの歳まで独り身で……賑やかなのに憧れが……」
「ははは、クロエがいればそりゃあ賑やかでしょうな」
「そんな事ないもん!」

 司祭の言葉に憤慨するクロエ。バードは微笑みながらその様子を見つめていた。