一方その頃、ライアンとエミリアの部屋ではエミリアが鼻歌を歌いながら荷物を解いていた。

「ライアン。上着を脱いだら?」
「え? あ、ああ……」

 ライアンはエミリアにそう言われてはじめて上着に手をかけた。

「……手伝いましょうか」
「ああ……」

 もぞもぞと慣れない様子のライアンにエミリアはそっと手を貸した。

「ライアンはご兄弟は?」
「……居ない。母上が早くに亡くなったから」
「そうですか。私と同じですね」

 ライアンは意外そうな顔してエミリアを見た。エミリアはふっと笑うとライアンの上着を洋服かけにかけた。

「そうか」

 ライアンはそれっきりベッドに腰掛けて窓の外を眺めていた。村の木立の向こうから夕闇がじわじわと迫ってくるのを、じっと。エミリアはそれを見て一体この小さな体には何を背負っているのだろうと思いながらも黙ってそれを見守っていた。

「そろそろ夕食だと」

 そうこうしている間に名無しが部屋の扉を叩いた。

「ええ、じゃあ行きましょう」

 一行は教会の食堂に集まった。司祭はすでに席についていて、皆に着席を促した。

「さぁ、ささやかではありますが食事をご用意しました」
「ありがとうございます。お心遣い感謝いたします」

 フレドリックがぺこりと頭をさげて、皆席についた。すると、すぐにグラスにワインを注がれた。ライアンには水で割ったものが供された。

「この地方独特のワインです。食前酒にどうぞ」
「まぁ。随分甘いのですね」

 一口飲んだ、エミリアはその濃厚な甘みに驚いた。とろりと蜜のような味わいのワインなのでライアンもくぴくぴ飲んでいる。

「そこの方も。どうぞ」
「ああ……」

 名無しも司祭に促されてワインを口にした。小さなグラスの琥珀色の液体を、一口。

「どうです、この村の自慢なんですよ」

 にこにこと話す司祭に、名無しは曖昧な笑みを浮かべグラスを空けた。

「それではご馳走様でした」
「はい、旅の疲れもあるでしょう、ごゆっくりお休みください」

 夕食が終わり、一同はそれぞれの部屋に解散した。

「なんだか疲れましたなぁ……今日は」
「色々あったしな」
「ええ」

 フレドリックも疲労を訴え、ベッドに横になった。名無しは部屋にある文机の前に腰掛けながら眠りに落ちるフレドリックを眺めていた。

「……なかなかお上品だな」

 すうすうといびきもかかずに眠るフレドリックを見て名無しは苦笑した。

「まあ、助かる」

 名無しはベッドに移動すると、ライアンとエミリアの部屋に面した壁に耳を押し当てた。そして待つしばし。窓の外の月が高く昇り、そして傾きかけた頃。名無しは動いた。
 名無しの足が廊下に向く、そしてゆっくりと扉を開け隣の部屋を開けた。

「……何してる」
「ひっ……」

 そこには眠るライアンとエミリア。そしてエミリアの荷物を漁っている司祭の姿があった。その司祭の手には荷物にしまわれたエミリアの巡礼者のローブが握られている。

「仮にも坊さんが、盗みか……? いや、違うな」
「馬鹿な、お前も薬入りのワインを飲んだはずっ!」

 司祭は腰を抜かしながら、叫んだ。その声を聞いてもライアンもエミリアも目を覚まそうとしない。

「生憎、そういうのには敏感なんだ。パンに吸わせて吐き捨てたさ」

 名無しは自分で毒物や眠り薬を扱うこともあった。当然、あのワインを一口飲んだ瞬間から違和感を感じていたのだ。

「眠らせて巡礼者かどうかを確かめようってか」
「う……ぐっ」

 図星を指されて司祭は呻いた。名無しはつかつかと司祭に歩み寄ると、その小剣を突きつけた。

「そして? 巡礼者だったらどうするつもりだった?」
「ほ、報告を……」
「ふん」

 司祭は名無しの研ぎ澄まされた殺意を向けられ、がたがたと震えだした。名無しはこいつは小心者の小物にすぎない、と思った。

「……今夜、お前は何も見なかった」
「な、なにを言って……?」
「しばらくその口をつむげばお前はもうちょっと長生きするだろうな」
「……あ、ああ……」

 司祭はコクコクと玩具のように頷いた。名無しは懐から金貨を出すと司祭に握らせた。

「これはほんの気持ちばかりだが……お前の神(・・・・)の守護がありますように」
「はっ……はい」

 そうして司祭は這いずるようにして部屋から出て行った。

「……面倒だな、やっぱ」

 名無しは口封じに司祭を殺してしまうのが手っ取り早いとは思ったが、自分達が訪れた後に司祭が死んでいたらそれこそ怪しまれる。とっさに握らせた金貨の威力がどれほどのものか。

「……念には念をだな」

 名無しはライアンとエミリアの部屋の扉の前に陣取ると、座り込んでようやく眠りについた。

「痛っ!」
「あら……アル。どうしてこんな所で寝てるんです?」

 うつらうつらしていた名無しは、エミリアが思いっきり開けた扉に背中を打ち付けられた。

「……俺は護衛だから」
「そんな事言って、これからずっとこんなとこで寝る気ですか? ちゃんと休まないと」
「休んでるよ。十分だ」

 名無しはそう言い残して部屋へと戻った。するとフレドリックが難しい顔をして名無しのいるはずの空のベッドを睨み付けていた。

「どうした、フレドリック」
「……アル、一晩中隣を見張っていたのか?」
「まあな」
「……すまない」

 フレドリックはがしがしと頭を掻いた。名無しはそんなに乱暴に扱って髪は大丈夫かと思った。

「あんたも一服盛られたんだ。しかたない」
「えっ!?」

 フレドリックは目をむいた。そしてそれを聞いて無力感に震えているフレドリックの肩を軽く叩いた。

「まあ、あんたのとこの坊ちゃんもついでに守ってやるよ」
「あんた……何者なんだ」
「……護衛さ」

 名無しは素っ気なく答えた。