名無しが家の裏から戻ると、ヨハン爺さんがクワを持って出てきた。
「おう、デューク。畑仕事に出るから手伝え」
「ああ」
家の前に広がる畑。一番大きな一角が途中まで掘り返したまま放置されてる。ヨハン爺さんはよろよろと畑に立つとクワをその土に振るった。
「爺さん、俺がやろう」
ヨハン爺さんと交代に名無しはクワを振るった。慣れない感覚だ。思ったよりも力が要る。これを爺さん一人でやっていたのか、と名無しは思った。
「いかんいかん。力が入りすぎじゃ」
ヨハン爺さんはそう名無しに声をかけた。
「なんじゃ? 忘れたか? 腰を使って……そう。クワの重みで振るうんじゃ」
「こうか」
名無しはヨハン爺さんに言われた通りに、クワをふるった。ざくり、とクワが地面を返す度、濃厚な土の匂いが立つ。今まで名無しが道具を振るえば、立ち上るのは血のにおいだった。これは初めての経験だ。
「そうそう。昔言ったろう。土は作物のお布団なのじゃからふわふわにせんとな」
「へぇ……」
それから名無しは黙ってクワを振るい続けていた。ヨハン爺さんはどこか楽しそうにそれを見ている。
「あっ、ヨハン爺ちゃんとパパ」
そこに現れたのはクロエである。クロエは水桶を抱えていた。
「なんだ、重そうだな。言ってくれたら俺が行ったのに」
「ううん、これくらい平気よパパ。それより畑手伝ってくれたんだね」
「ああ。難しいものなんだな」
「でも爺ちゃん一人だったらもしかしたら種まきに間に合わないかもって思ってたからすーごく助かるよ」
クロエが別の畑に水をやる横で、名無しはクワを振るい続けた。
「パパー! そろそろご飯だよ」
「ああ」
クロエに声をかけられて名無しはやっと手を止めた。クロエの用意した昼食は黒パンにりんごだった。朝食に続いて質素である。
「クロエ、そういえばハンナは?」
昼食を取りながら名無しはさっきから思っていた疑問をぶつけた。
「ママは……二年前にお星様になっちゃった」
お星様、と言う事は死んだ、という事だろうかと名無しは考えた。
「そうか……」
「そうだ、これ食べたらお墓参りに行こう。いいよね、ヨハン爺ちゃん」
「ああ、それがええ」
ヨハン爺さんは嬉しそうに頷いた。昼食を取り終えると、クロエと名無しは墓地へと向かう。道々、クロエは花を摘んでいる。
「ママ、きっと喜ぶよ」
「……もう死んでいるのに?」
「もう! ママはお空であたしたちを見てるんだよ!」
名無しのデリカシーのない発言にクロエはぷりぷりと怒り出した。しかし、名無しにとって命とは刈り取ってしまえばお仕舞いなものだった。
「ほらここだよ」
村の教会の裏手にある墓地の一角。ここにデュークの妻は眠っているらしかった。
「ママ、パパが帰ってきてくれたよ」
そう言ってクロエは墓前に花を添えた。名無しは会った事もないハンナには何の思い入れもないので微妙な気持ちでその姿を見つめていた。
「……デュークもここに葬るべきだったな」
「なに? パパ」
「いやなんでもない」
名無しは家の裏に埋めてしまったデュークの指の事を思っていた。夜のうちに掘り返してここに埋めよう、と名無しは思った。
「さ、行こうか」
「うん」
名無しとクロエが来た道を引き返していると、向こうから村人がやってきた。
「クロエ、どうした? 随分男前を連れて歩いてるな」
「あのねー? パパが帰ってきたんだよ」
クロエは身をよじりながら嬉しそうに答えた。その答えを聞いて村人は目が点になった。
「パパって、デュークが……?」
「そうだよー!」
「クロエ、先に帰っていてくれ。ヨハン爺さんが待ってるだろ」
「うんパパ!」
名無しはクロエを先に家に帰した。そして少し警戒心をあらわにしている村人に話しかけた。
「俺はデュークの知り合いだ。ヨハン爺さんはどうもボケてるらしくて俺をデュークだと思い込んでる」
「ああ……なるほど……どうも知らん男がヨハン爺さんのとこにいるってみんな噂していたがあんたの事か。それでデュークは? あいつは村一番の切れ者だったんだ」
「……今は国のとある重要な仕事に就いてる。詳細は言えないが」
名無しは村人相手にホラを拭いた。上手な嘘のコツは本当の事を少し混ぜる事。名無しはそう教えられていた。
「そっかぁ。で、あんたは何しに来たんだい」
「俺が休暇に入るって言ったら、デュークはしばらく故郷に戻れそうにないから様子を見に行ってくれと」
そう聞いた村人は一応納得したようだった。しかし思い出したかのように名無しに聞いて来た。
「クロエもお前をデュークだと思い込んでるみたいだな」
「ああ……あんまり喜んでるんで言い出しにくくなってしまった」
「そっか……早いとこ言った方がいいぞ」
「ああ……」
「俺はリック。この村でなんか困った事があったら言ってくれ! 村のみんなには俺が説明しておくよ!」
人の良さそうな村人、リックは手を振りながら去っていった。名無しは内心ほっとしながらその姿を見送った。
「しかし……あの子になんて言ったらいいのか……」
名無しはちょっと憂鬱な気持ちになった。爺さんは理解しないかもしれないが、クロエはキチンと説明すれば分かるはずなのだ。自分がデュークではない事、そして本物のデュークはすでに死んだ事を。
「どうして俺は……?」
名無しは自分の気持ちが分からなくなった。こんな事ははじめてで、名無しは戸惑いを必死に押し殺していた。
「おう、デューク。畑仕事に出るから手伝え」
「ああ」
家の前に広がる畑。一番大きな一角が途中まで掘り返したまま放置されてる。ヨハン爺さんはよろよろと畑に立つとクワをその土に振るった。
「爺さん、俺がやろう」
ヨハン爺さんと交代に名無しはクワを振るった。慣れない感覚だ。思ったよりも力が要る。これを爺さん一人でやっていたのか、と名無しは思った。
「いかんいかん。力が入りすぎじゃ」
ヨハン爺さんはそう名無しに声をかけた。
「なんじゃ? 忘れたか? 腰を使って……そう。クワの重みで振るうんじゃ」
「こうか」
名無しはヨハン爺さんに言われた通りに、クワをふるった。ざくり、とクワが地面を返す度、濃厚な土の匂いが立つ。今まで名無しが道具を振るえば、立ち上るのは血のにおいだった。これは初めての経験だ。
「そうそう。昔言ったろう。土は作物のお布団なのじゃからふわふわにせんとな」
「へぇ……」
それから名無しは黙ってクワを振るい続けていた。ヨハン爺さんはどこか楽しそうにそれを見ている。
「あっ、ヨハン爺ちゃんとパパ」
そこに現れたのはクロエである。クロエは水桶を抱えていた。
「なんだ、重そうだな。言ってくれたら俺が行ったのに」
「ううん、これくらい平気よパパ。それより畑手伝ってくれたんだね」
「ああ。難しいものなんだな」
「でも爺ちゃん一人だったらもしかしたら種まきに間に合わないかもって思ってたからすーごく助かるよ」
クロエが別の畑に水をやる横で、名無しはクワを振るい続けた。
「パパー! そろそろご飯だよ」
「ああ」
クロエに声をかけられて名無しはやっと手を止めた。クロエの用意した昼食は黒パンにりんごだった。朝食に続いて質素である。
「クロエ、そういえばハンナは?」
昼食を取りながら名無しはさっきから思っていた疑問をぶつけた。
「ママは……二年前にお星様になっちゃった」
お星様、と言う事は死んだ、という事だろうかと名無しは考えた。
「そうか……」
「そうだ、これ食べたらお墓参りに行こう。いいよね、ヨハン爺ちゃん」
「ああ、それがええ」
ヨハン爺さんは嬉しそうに頷いた。昼食を取り終えると、クロエと名無しは墓地へと向かう。道々、クロエは花を摘んでいる。
「ママ、きっと喜ぶよ」
「……もう死んでいるのに?」
「もう! ママはお空であたしたちを見てるんだよ!」
名無しのデリカシーのない発言にクロエはぷりぷりと怒り出した。しかし、名無しにとって命とは刈り取ってしまえばお仕舞いなものだった。
「ほらここだよ」
村の教会の裏手にある墓地の一角。ここにデュークの妻は眠っているらしかった。
「ママ、パパが帰ってきてくれたよ」
そう言ってクロエは墓前に花を添えた。名無しは会った事もないハンナには何の思い入れもないので微妙な気持ちでその姿を見つめていた。
「……デュークもここに葬るべきだったな」
「なに? パパ」
「いやなんでもない」
名無しは家の裏に埋めてしまったデュークの指の事を思っていた。夜のうちに掘り返してここに埋めよう、と名無しは思った。
「さ、行こうか」
「うん」
名無しとクロエが来た道を引き返していると、向こうから村人がやってきた。
「クロエ、どうした? 随分男前を連れて歩いてるな」
「あのねー? パパが帰ってきたんだよ」
クロエは身をよじりながら嬉しそうに答えた。その答えを聞いて村人は目が点になった。
「パパって、デュークが……?」
「そうだよー!」
「クロエ、先に帰っていてくれ。ヨハン爺さんが待ってるだろ」
「うんパパ!」
名無しはクロエを先に家に帰した。そして少し警戒心をあらわにしている村人に話しかけた。
「俺はデュークの知り合いだ。ヨハン爺さんはどうもボケてるらしくて俺をデュークだと思い込んでる」
「ああ……なるほど……どうも知らん男がヨハン爺さんのとこにいるってみんな噂していたがあんたの事か。それでデュークは? あいつは村一番の切れ者だったんだ」
「……今は国のとある重要な仕事に就いてる。詳細は言えないが」
名無しは村人相手にホラを拭いた。上手な嘘のコツは本当の事を少し混ぜる事。名無しはそう教えられていた。
「そっかぁ。で、あんたは何しに来たんだい」
「俺が休暇に入るって言ったら、デュークはしばらく故郷に戻れそうにないから様子を見に行ってくれと」
そう聞いた村人は一応納得したようだった。しかし思い出したかのように名無しに聞いて来た。
「クロエもお前をデュークだと思い込んでるみたいだな」
「ああ……あんまり喜んでるんで言い出しにくくなってしまった」
「そっか……早いとこ言った方がいいぞ」
「ああ……」
「俺はリック。この村でなんか困った事があったら言ってくれ! 村のみんなには俺が説明しておくよ!」
人の良さそうな村人、リックは手を振りながら去っていった。名無しは内心ほっとしながらその姿を見送った。
「しかし……あの子になんて言ったらいいのか……」
名無しはちょっと憂鬱な気持ちになった。爺さんは理解しないかもしれないが、クロエはキチンと説明すれば分かるはずなのだ。自分がデュークではない事、そして本物のデュークはすでに死んだ事を。
「どうして俺は……?」
名無しは自分の気持ちが分からなくなった。こんな事ははじめてで、名無しは戸惑いを必死に押し殺していた。