名無しはたき火に枯れ枝を放り込んだ。パチパチとその火に炙られているのは先程捕まえた蛇である。
ここは王都を離れた街道近くの川辺である。名無しは懐からあの男の指を取りだした。そしてその指に嵌まっていた指輪を外す。
「ハンナからデュークへ……」
指輪の刻印にはそう印してあった。デューク、それがあの男の名前なんだろう。ハンナは妻か恋人か。なぜそのような存在が居てあの組織に足をつっこんだのだろうか。おおよそ職にあぶれたか何かして身を持ち崩した末だとは思うが。
名無しには当然家族は居なかった。気が付けばあの組織に居て、暗殺の術を覚えさせられていた。覚えなければそれは即、死を意味した。
「こんな森だったな……」
ナイフ一振りを渡されて、幼い名無しは一週間森で一人で過ごした。森の獣相手にナイフを振るい、雨を凌げる穴蔵で眠り、食べられるものを自分の舌で確かめながら探した。
「さ、焼けた」
名無しはこんがり焼けた蛇に食らいつくと、バリバリと食らった。
***
「この道で合っているはずだが……」
半月後、名無しは辺境の村ハーフェンの近くまで来ていた。すでに日は落ちかけて辺りは薄暗くなって来ている。丘を登ると、その先に集落があるのが見えた。
「あれがその村だな」
名無しは村の内部に入った。習性で物陰に隠れながら、寝静まった村の様子を見て、人を訪ねるのは日が昇ってからにしようと考えた。すると、視界の端に集落からぽつんと離れた廃屋があるのが見えた。
「今夜はあそこで一眠りするか」
名無しは廃屋に近づき、扉を開けた。
「うわっ!」
「うーん?」
なんと、廃屋だとばかり思っていた家には人が住んでいたようだ。
「すまない、間違えた」
名無しはすぐに出て行こうとした。その足を止めたのは老人の呟きである。
「デュークか……?」
「……」
なんと、訪ねるつもりの家はここだったようだ。
「ちょっと待ってな、今ランプを付けるから」
老人は眠そうに目をこすりながら明かりをつけた。部屋で眠っていたのは白髪の老人と八歳くらいの小さい子供だった。子供も目をしぱしぱしながら起き上がった。
「深夜にすまない。廃屋だとばかり思ったから」
「デューク、帰ってきたのか」
老人は名無しの言う事が聞こえなかったかのようにしわしわの手を伸ばした。
「……」
「もしかしてパパ!?」
子供の方は老人のその反応を見てそう叫んだ。
「いや、人違いだ」
「ばかもん!」
突然、老人は大声を出した。
「都で一旗あげるなんて夢みたいな事を言って出て行ったきりなんの便りもよこさんで……」
老人はさめざめと泣き出した。名無しはどうやらこの老人は少々呆けているらしい、と気づいた。
「ねぇ、パパなんでしょ? ヨハンおじいちゃんずっと待ってたんだよ。もちろんあたしも」
老人の名前はヨハンというらしかった。赤毛の少女は名無しをさっきからパパ、と呼んでいるがその少女の父親にしては名無しは若すぎた。
「……すまんな」
誤解だ、と続けようとした所でヨハン爺さんはベッドを指差した。
「今日はもう遅い。休もう」
「……ああ」
誤解を解くのは明日にしよう。明るいところで見ればこの爺さんも息子でないと分かるかもしれない。
名無しはそう思って、部屋の端にあるベッドで眠った。
――翌朝。名無しが目覚めると老人と少女はまだ眠っていた。名無しは特にやることもないのでじっとしていると、少女が起きてきた。
「ちょっと待ってね。朝ご飯作るから」
少女は暖炉に火を熾すと、麦のかゆを作った。
「はい、これパパの分。こっちはヨハンじいちゃんの分」
こと、と名無しの前に木の器が置かれる。名無しはそれを黙って食べた。
「はーあ、ふわふわの白いパンとか食べたいなぁ」
「贅沢言う出ない。クロエ、デュークの様に都に出てもどうにもならんぞ」
「あの、それなんだが、それは俺ではない……」
「な、デューク」
「……」
名無しはなんだかこのまま自分がデュークでもいいような気がしてきた。どうせこの村のどこかに住むつもりなのだし。
「パパ、お土産はないの?」
「お土産?」
いつでも名無しの装備は最低限だ。装飾品なども付けていない。
「じゃあ……これ」
名無しはポケットをまさぐった。手にあたったのは紐だった。それをクロエに渡す。
「わあ、綺麗な飾り紐」
クロエはさっそくそれで髪をまとめた。紐の正体は第二王子の政敵を密かに屠った時のものである。
「そんなにうれしいか?」
「うん、ありがとう! パパ!」
「……」
名無しはなんとも言えない気分になって俯いた。
「しかし、デュークが帰ってきてくれて本当によかったのう、このままではクロエが心配でわしは死ぬに死ねなんだ」
「もう、やめてよヨハンじいちゃん」
一見、明るい家庭の光景だった。しかし実際は名無しはデュークではない。名無しは食事を終えると立ち上がった。
「パパ、どこ行くの?」
「ちょっと村を見てくる」
そう言って家の裏手に行った。取りだしたのは本物のデュークの指である。
「ちょっと借りるな……」
名無しは指輪を抜き取ると、指を地面を深く掘って埋めた。
「お前がやりたかった『田舎でのんびり』ってやつをちょっとやってみようと思う」
名無しは埋めたデュークの小さな墓に、そこらへんの小さな花を添えた。
ここは王都を離れた街道近くの川辺である。名無しは懐からあの男の指を取りだした。そしてその指に嵌まっていた指輪を外す。
「ハンナからデュークへ……」
指輪の刻印にはそう印してあった。デューク、それがあの男の名前なんだろう。ハンナは妻か恋人か。なぜそのような存在が居てあの組織に足をつっこんだのだろうか。おおよそ職にあぶれたか何かして身を持ち崩した末だとは思うが。
名無しには当然家族は居なかった。気が付けばあの組織に居て、暗殺の術を覚えさせられていた。覚えなければそれは即、死を意味した。
「こんな森だったな……」
ナイフ一振りを渡されて、幼い名無しは一週間森で一人で過ごした。森の獣相手にナイフを振るい、雨を凌げる穴蔵で眠り、食べられるものを自分の舌で確かめながら探した。
「さ、焼けた」
名無しはこんがり焼けた蛇に食らいつくと、バリバリと食らった。
***
「この道で合っているはずだが……」
半月後、名無しは辺境の村ハーフェンの近くまで来ていた。すでに日は落ちかけて辺りは薄暗くなって来ている。丘を登ると、その先に集落があるのが見えた。
「あれがその村だな」
名無しは村の内部に入った。習性で物陰に隠れながら、寝静まった村の様子を見て、人を訪ねるのは日が昇ってからにしようと考えた。すると、視界の端に集落からぽつんと離れた廃屋があるのが見えた。
「今夜はあそこで一眠りするか」
名無しは廃屋に近づき、扉を開けた。
「うわっ!」
「うーん?」
なんと、廃屋だとばかり思っていた家には人が住んでいたようだ。
「すまない、間違えた」
名無しはすぐに出て行こうとした。その足を止めたのは老人の呟きである。
「デュークか……?」
「……」
なんと、訪ねるつもりの家はここだったようだ。
「ちょっと待ってな、今ランプを付けるから」
老人は眠そうに目をこすりながら明かりをつけた。部屋で眠っていたのは白髪の老人と八歳くらいの小さい子供だった。子供も目をしぱしぱしながら起き上がった。
「深夜にすまない。廃屋だとばかり思ったから」
「デューク、帰ってきたのか」
老人は名無しの言う事が聞こえなかったかのようにしわしわの手を伸ばした。
「……」
「もしかしてパパ!?」
子供の方は老人のその反応を見てそう叫んだ。
「いや、人違いだ」
「ばかもん!」
突然、老人は大声を出した。
「都で一旗あげるなんて夢みたいな事を言って出て行ったきりなんの便りもよこさんで……」
老人はさめざめと泣き出した。名無しはどうやらこの老人は少々呆けているらしい、と気づいた。
「ねぇ、パパなんでしょ? ヨハンおじいちゃんずっと待ってたんだよ。もちろんあたしも」
老人の名前はヨハンというらしかった。赤毛の少女は名無しをさっきからパパ、と呼んでいるがその少女の父親にしては名無しは若すぎた。
「……すまんな」
誤解だ、と続けようとした所でヨハン爺さんはベッドを指差した。
「今日はもう遅い。休もう」
「……ああ」
誤解を解くのは明日にしよう。明るいところで見ればこの爺さんも息子でないと分かるかもしれない。
名無しはそう思って、部屋の端にあるベッドで眠った。
――翌朝。名無しが目覚めると老人と少女はまだ眠っていた。名無しは特にやることもないのでじっとしていると、少女が起きてきた。
「ちょっと待ってね。朝ご飯作るから」
少女は暖炉に火を熾すと、麦のかゆを作った。
「はい、これパパの分。こっちはヨハンじいちゃんの分」
こと、と名無しの前に木の器が置かれる。名無しはそれを黙って食べた。
「はーあ、ふわふわの白いパンとか食べたいなぁ」
「贅沢言う出ない。クロエ、デュークの様に都に出てもどうにもならんぞ」
「あの、それなんだが、それは俺ではない……」
「な、デューク」
「……」
名無しはなんだかこのまま自分がデュークでもいいような気がしてきた。どうせこの村のどこかに住むつもりなのだし。
「パパ、お土産はないの?」
「お土産?」
いつでも名無しの装備は最低限だ。装飾品なども付けていない。
「じゃあ……これ」
名無しはポケットをまさぐった。手にあたったのは紐だった。それをクロエに渡す。
「わあ、綺麗な飾り紐」
クロエはさっそくそれで髪をまとめた。紐の正体は第二王子の政敵を密かに屠った時のものである。
「そんなにうれしいか?」
「うん、ありがとう! パパ!」
「……」
名無しはなんとも言えない気分になって俯いた。
「しかし、デュークが帰ってきてくれて本当によかったのう、このままではクロエが心配でわしは死ぬに死ねなんだ」
「もう、やめてよヨハンじいちゃん」
一見、明るい家庭の光景だった。しかし実際は名無しはデュークではない。名無しは食事を終えると立ち上がった。
「パパ、どこ行くの?」
「ちょっと村を見てくる」
そう言って家の裏手に行った。取りだしたのは本物のデュークの指である。
「ちょっと借りるな……」
名無しは指輪を抜き取ると、指を地面を深く掘って埋めた。
「お前がやりたかった『田舎でのんびり』ってやつをちょっとやってみようと思う」
名無しは埋めたデュークの小さな墓に、そこらへんの小さな花を添えた。