エミリアが教会に移った後、村人総出でヨハン爺さんの家の補修が行われた。
「ありがたいこっちゃの」
「なぁに、この家は柱はしっかりしてる。壁を修繕すればすむから」
リック主導で穴や隙間は埋められて、見違えるように綺麗になった。
「みんな、簡単だけど食事を用意した」
「食べて、食べてー!」
名無しとクロエは自宅の備蓄のパンとハムとチーズでサンドイッチを作り、村人に振る舞った。名無しはまた買い物に出かけなければならないな、と思った。
「まぁ、綺麗になりましたね」
そこにやって来たのはエミリアである。
「もう出歩いていいのか」
「ええ、少しの散歩くらいなら平気です」
エミリアは教会の厨房を借りて作ったというクッキーを村人達に振る舞った。
「エミリアさん、ありがとう!」
クロエはクッキーを頬張って嬉しそうにしている。
「キャッ」
その時、エミリアが悲鳴をあげた。見ると肩に蜘蛛がとまっている。名無しが握りつぶそうとすると、エミリアはやんわりと避けた。
「毒もありませんし、ほら」
エミリアは蜘蛛をそっとつかんで逃がしてやった。
「無駄に命を奪う事はありません」
「……」
ぽかんとしている名無しを見て、エミリアは微笑んだ。
「これも神の教えです。命を繋ぐ以外の殺生は避けよ、と」
「なんでも神様なんだな、あんたは」
一匹の蜘蛛にさえ気を払うエミリアを名無しはまるで違う生き物のように感じていた。
「あなたは神を信じていないのですね。嫌っているのですか?」
「……関心がない」
それは名無しの正直な気持ちだった。物心ついた頃から神の存在を意識した事もないし、祈った事もない。そんな暇があったなら名無しは他人の命を奪い、己を生かしてきた。
「そうですか。困りましたね……」
「困った事などない」
名無しのその答えを聞いて、エミリアは困ったように微笑んだ。
「あなたは自分が生かされていると考えたことはありますか?」
「生かされている?」
名無しはそう問われて考え込んだ。いつだって自分は一人で生きてきた。それはどこか悪い事なのだろうか。
「簡単な事です。あなたも赤子の頃があったでしょう。その時に乳を与え、今を生きる術を教えてくれた人が必ずいるはずです」
「生きる術……」
名無しが思い当たった人物が、一人いた。それは名無しのいた組織の首領であった。子供の自分を拾い、名前も与えなかったが生き抜く方法は教えてくれた。
「もう死んだ」
「そう……ですか」
エミリアはそう聞いて悲しそうな顔をした。忙しい女だなと名無しは思った。
「ではヨハンさんやクロエちゃんの事はどう思っていますか」
「どうって……」
名無しは混乱した。どうしてこの女はそんな事を聞いてどうするというのだ。そしてヨハンやクロエをどう思っているのか、名無し自身にもよく分っていなかった。
「あんたには関係ない」
「怒らないで。私はただあなたは一人じゃないと言いたかっただけ。人は一人では生きられませんもの」
「怒ってはいない」
名無しは憮然として答えた。だがその胸中には何かモヤモヤとしたものが湧き上がっていた。
「……あんた、おせっかいだな」
そう言って名無しはその場を離れた。名無しは村の柵を越え、原っぱの木まで来るとするするとよじ登った。そうすると村の全体がよく見える。どうしてこの村を目指したのか。名無しは一人で思い返していた。
「……帰りたい……か」
そのきっかけはデュークの最後の言葉。名無しには組織以外に帰る場所など無かった。死に瀕したデュークが求めた故郷が羨ましかったのだ。
「あああああ!!」
名無しは振り払うようにふいに叫んだ。気づきたくなかった。人を羨む気持ちなど。何も欲さない孤高の存在でありたかった。でもそれは名無しがそう思い込んでいただけだと、知ってしまった。その証拠に名無しはこの村に住み着いて、そして魔物から守る事を選択していた。
「あの女……余計な事を……」
再び名無しは村を眺めながら、ヨハンとクロエの事を考えた。二人とも嫌になるくらいお人好しで無力だ。間違っても寝首をかくことはない。クロエは無邪気で自分が父親でないと知っても自分をパパと呼ぶ。……その度に名無しはくすぐったい気持ちになる。
「……分からん」
エミリアにこの気持ちを話せば、きっと答えを教えてくれるのだろうという確信があった。しかしそれは癪だな、と名無しは思った。
「あー! パパこんな所にいた」
「アルさん!」
「クロエ、エミリア」
「もうみんな帰っちゃったよ!?」
名無しはストンと木から下りた。すると二人が駆け寄って来る。
「ごめんなさい、私が余計な事を言って……説教くさいのは性分なんです」
「尼さんだもんな」
「まぁ」
「あんたの言いたい事は分かる。俺にもできない事はいくらでもあるし」
むしろここに来てからそんな事の発見だらけだった。名無しは畑仕事も大工仕事も人に贈り物をするのも苦手だ。
「すまんな」
「いえ……良かったです」
「あんたは当り前の事を言っただけなんだ、多分」
そう言うと、エミリアは顔をほころばせた。その笑顔に、名無しはしばし目を奪われた。
「ありがたいこっちゃの」
「なぁに、この家は柱はしっかりしてる。壁を修繕すればすむから」
リック主導で穴や隙間は埋められて、見違えるように綺麗になった。
「みんな、簡単だけど食事を用意した」
「食べて、食べてー!」
名無しとクロエは自宅の備蓄のパンとハムとチーズでサンドイッチを作り、村人に振る舞った。名無しはまた買い物に出かけなければならないな、と思った。
「まぁ、綺麗になりましたね」
そこにやって来たのはエミリアである。
「もう出歩いていいのか」
「ええ、少しの散歩くらいなら平気です」
エミリアは教会の厨房を借りて作ったというクッキーを村人達に振る舞った。
「エミリアさん、ありがとう!」
クロエはクッキーを頬張って嬉しそうにしている。
「キャッ」
その時、エミリアが悲鳴をあげた。見ると肩に蜘蛛がとまっている。名無しが握りつぶそうとすると、エミリアはやんわりと避けた。
「毒もありませんし、ほら」
エミリアは蜘蛛をそっとつかんで逃がしてやった。
「無駄に命を奪う事はありません」
「……」
ぽかんとしている名無しを見て、エミリアは微笑んだ。
「これも神の教えです。命を繋ぐ以外の殺生は避けよ、と」
「なんでも神様なんだな、あんたは」
一匹の蜘蛛にさえ気を払うエミリアを名無しはまるで違う生き物のように感じていた。
「あなたは神を信じていないのですね。嫌っているのですか?」
「……関心がない」
それは名無しの正直な気持ちだった。物心ついた頃から神の存在を意識した事もないし、祈った事もない。そんな暇があったなら名無しは他人の命を奪い、己を生かしてきた。
「そうですか。困りましたね……」
「困った事などない」
名無しのその答えを聞いて、エミリアは困ったように微笑んだ。
「あなたは自分が生かされていると考えたことはありますか?」
「生かされている?」
名無しはそう問われて考え込んだ。いつだって自分は一人で生きてきた。それはどこか悪い事なのだろうか。
「簡単な事です。あなたも赤子の頃があったでしょう。その時に乳を与え、今を生きる術を教えてくれた人が必ずいるはずです」
「生きる術……」
名無しが思い当たった人物が、一人いた。それは名無しのいた組織の首領であった。子供の自分を拾い、名前も与えなかったが生き抜く方法は教えてくれた。
「もう死んだ」
「そう……ですか」
エミリアはそう聞いて悲しそうな顔をした。忙しい女だなと名無しは思った。
「ではヨハンさんやクロエちゃんの事はどう思っていますか」
「どうって……」
名無しは混乱した。どうしてこの女はそんな事を聞いてどうするというのだ。そしてヨハンやクロエをどう思っているのか、名無し自身にもよく分っていなかった。
「あんたには関係ない」
「怒らないで。私はただあなたは一人じゃないと言いたかっただけ。人は一人では生きられませんもの」
「怒ってはいない」
名無しは憮然として答えた。だがその胸中には何かモヤモヤとしたものが湧き上がっていた。
「……あんた、おせっかいだな」
そう言って名無しはその場を離れた。名無しは村の柵を越え、原っぱの木まで来るとするするとよじ登った。そうすると村の全体がよく見える。どうしてこの村を目指したのか。名無しは一人で思い返していた。
「……帰りたい……か」
そのきっかけはデュークの最後の言葉。名無しには組織以外に帰る場所など無かった。死に瀕したデュークが求めた故郷が羨ましかったのだ。
「あああああ!!」
名無しは振り払うようにふいに叫んだ。気づきたくなかった。人を羨む気持ちなど。何も欲さない孤高の存在でありたかった。でもそれは名無しがそう思い込んでいただけだと、知ってしまった。その証拠に名無しはこの村に住み着いて、そして魔物から守る事を選択していた。
「あの女……余計な事を……」
再び名無しは村を眺めながら、ヨハンとクロエの事を考えた。二人とも嫌になるくらいお人好しで無力だ。間違っても寝首をかくことはない。クロエは無邪気で自分が父親でないと知っても自分をパパと呼ぶ。……その度に名無しはくすぐったい気持ちになる。
「……分からん」
エミリアにこの気持ちを話せば、きっと答えを教えてくれるのだろうという確信があった。しかしそれは癪だな、と名無しは思った。
「あー! パパこんな所にいた」
「アルさん!」
「クロエ、エミリア」
「もうみんな帰っちゃったよ!?」
名無しはストンと木から下りた。すると二人が駆け寄って来る。
「ごめんなさい、私が余計な事を言って……説教くさいのは性分なんです」
「尼さんだもんな」
「まぁ」
「あんたの言いたい事は分かる。俺にもできない事はいくらでもあるし」
むしろここに来てからそんな事の発見だらけだった。名無しは畑仕事も大工仕事も人に贈り物をするのも苦手だ。
「すまんな」
「いえ……良かったです」
「あんたは当り前の事を言っただけなんだ、多分」
そう言うと、エミリアは顔をほころばせた。その笑顔に、名無しはしばし目を奪われた。