「いただきます」
アイジスはそう言って目の前の料理に手をつける。
トーストや茹で卵など、アイジスにとっては少し懐かしい料理が並んでいた。
少し感慨深くなりながら、その料理を口に運ぶ。
うん、美味しいと、口角を上げて思う。
ふと前を見ると、アイジスもゆっくりではあるが、食事に手はつけている。
ゆっくりと咀嚼するが、その表情は笑っていない。
ただ生命活動を継続する為だけに、機械的に摂取しているのみ。
今のジルにとっての食事とはその様な物ではないかと考えてしまう程に、その顔に心は宿っていなかった。
「どうだい? 美味しいだろう!」
厨房の方から、ジョウルの軽快な声が聞こえる。
「はい、とっても!」
「だろう?」
ふとジョウルの得意げに笑う顔が想像できた。
そのまま再び食事を再開した時。
アラムが帰ってきた。
「あ、ただいま!」
「お帰りなさい、御母さん」
アラムは着ていた上着をハンガーに掛けながら応える。
そしてゆっくりとアイジスの方へと歩み寄った。
「初めまして。この町の領主を務めさせていただいております、アラム・ハイヤルと申します。ようこそ、我が町ギィガルへ!」
両腕を目一杯広げながら、四人しかいない宿屋の中で、その声は隅々までに響き渡った。
しかし、ただの宿屋の一人の従業員が、領主を名乗ってこの町を代表している姿は、何とも言えない。
悪く言えば滑稽、よく言えば……あまり思いつかないな。
だが、悪い気は俄然起きない。
それこそが、領主アラムの人格者たりえる手腕なのだろう。
「お、お邪魔しています……」
それくらいしか返す言が無いのだから仕方ない。
「しかし残念です。折角我が町自慢の夕陽をご覧になって頂きたかったのですが、生憎の曇りで。どうです? うちの店のご飯美味しいでしょう?」
領主としてのアラムと従業員としてのアラムが混在している。
「はい、とても美味しいです!」
「それは良かったです! うちの店はね、ディナーも絶品なんですよ! なので……」
「なら夕食もこちらで頂くことにします」
「ありがとうございますっ!」
正直、少し鬱陶しい。
だが観光客にはこの方がウケるのか?
いやはや、よく分からないものだ。
「そう言えば、アラム様とリリーさんのご関係は……?」
「様など付けずとも結構ですよ。私など、宿屋のしがない一従業員ですから」
いやいや、主な職業は領主だろうが、と思うがその言葉は心の中に留めておく。
「それで、リリーとの関係ですか? ……夫婦です」
少し小さな声で、頬を赤らめながらアラムは言った。
「何照れてんだい、領主様!」
「いや、照れてなどいないよ、断じて!」
「いや、照れてた。顔真っ赤だった」
「違うってお義母さん…………」
なんか、不思議な光景だ。
領主相手に少し嘲る母親と、領民をお義母さんと呼ぶ領主。
違和感しかない。
「アイジスさん……だっけ?」
「は、はい!」
突然ジョウルに呼ばれて、少し素っ頓狂な声が出てしまった。
「領主様ね。リリーと結婚したの先週なのよ」
「は、はぁ」
「付き合ってた期間はそこそこあったらしいけどね、未だ夫婦って紹介するのが恥ずかしいって……」
「やめて…………」
アラムは顔を真っ赤にして外方を向いている。
それを見てニヤニヤしてるジョウルを見る限り、あぁ普段は領主として威勢を張っているけれど、本来はシャイなのだ。
だからこそ皆この領主を好んでいるのだなと理解する。
事実、アイジスもアラムの事を少し、いや結構気に入っていた。
「あ、アイジスさんは、どの位ここに滞在される予定なのですか?」
話題を変えようと少し噛みながらアラムはアイジスへ訊ねる。
「明日くらいには出発しようかと」
「そうですか……明日には晴れると良いのですが」
あの夕陽は本当に自慢なんですよ、と溢すアラム。
心底この町が好きだと言う事が重々に理解出来た。
この時には既にアラムへの鬱陶しさなど霧散していて、寧ろ好感すら覚えている。
「ただいま!」
そんな時、リリーが沢山の食料品を抱えて帰ってきた。
どうやら買い出しに行っていた様である。
「お帰り」
そう言ってアラムはその食料品を受け取り、厨房まで運んだ。
リリーは、アラムより渡された傘を片していた。
「あ、アラム! そう言えばさっき、向こうのファイリさんが呼んでたよ!」
「わかった! 行ってくるよ」
それじゃあ、失礼します。そう言ってアラムは宿屋を飛び出して行った。
この場には、アイジスとジル、ジョウルとリリーの四人のみとなっている。
リリーはアラムの出て行った入り口を眺めながら。
「アラム、少し鬱陶しいでしょう?」
突然リリーはそう暴露した。
思わぬ発言に飲んでいた水を吹きそうになってしまう。
「口を開けば町の宣伝ばっかり。アイジスさんも、聞きました?」
「はい、少しだけですけど」
「どう思いました」
「ま、まぁ、ギィガルが心底好きなのだなぁ、と」
「……アイジスさんは優しいのですね」
リリーはそう言いながらアイジスへと微笑みかける。
その艶めかしさは、もともと感じていた可憐な顔には似合わぬ程に嫣然と佇んでいる。
「私が初めてあった時も、そんな感じの熱量で話されました。ほんと、鬱陶しくて、後ちょっとでも喋ってたら怒鳴り散らしていたかも」
可憐な顔立ちには似合わぬ少しワイルドな方なのだなぁと、アイジスはリリーへの印象を更新する。
「でも、だからかも知れません。何故かそこに惹かれたのです。好きなものに対して、直向きに、ずっと想い、繋ごうとする姿勢に」
それはアイジスも同感だ。
「そしてまぁ、色々あって今の関係に落ち着いた訳ですが」
何があったのか、訊くのは野暮というものなので、特に言及しないでおこう。
「つまり、あの人はただ鬱陶しいだけの人じゃ無いのだと、ただそう言いたかっただけなのです」
気付けばリリーはアイジスの隣のテーブルに着いていた。
「いや、別にアラムさんを鬱陶しいとは思っていませんよ?」
「え?」
「寧ろリリーさんと同意見ですし」
「えぇ?」
目を見開くリリー。
その表情を見るに、本当に驚いている様である。
「…………そう、そうですか」
外方を向く。
その頬は少し赤らんでいた。
「鬱陶しいと思っていたのなら訂正しようと思ったのですが。余計なお世話でしたか」
どうやら頬を赤らめているのは羞恥のためだと理解する。
それにしても、つくづくいい夫婦だなと思う。
「いえいえ、よりアラムさんの事を好ましく思います」
「そうですか、なら良かった」
再びアイジスの方を向き、優しく微笑んだ。
今回の笑みは嫣然さを孕んでおらず、ただ優しく、優しく、秋の夜凪に包容されている様な、暖かい笑顔だった。
本当に、良い夫婦だ。
「そう言えば、アイジスさんはいつまでギィガルに?」
既視感のある質問だ。
「一応明日には発とうかと」
「なら、明日。晴れると良いですね」
この天気じゃ夕陽も拝めませんし。
そう言ってリリーは、窓から外の暗雲を視認する。
町想いな領主と、妻想いでシャイな夫。
夫の面倒臭い所すら絶大な魅力であり、これまたシャイな妻。
何より、二人とも性格が酷似しているのだ。
だからこそ、お似合いだと思うのだろう。
仲睦まじい夫婦なのだなと、つくづく感じられる。
是非ともこれからも仲良く過ごして欲しいものだと心底願う。
アイジスは残っていた水を飲み干し、食器を厨房にいるジョウルへと渡した。
それに後続して、ジルも食器を盆へ乗せ始めた。
その光景を見て、再び微笑むリリー。
可愛い……と呟きながらウットリしている。
確かに、ジルもこの歳にしては美形だしな。
見惚れるのも無理ないか。
そんな事を思っていた時。
―――突然外から轟音が唸った。
「な、何⁈」
あまりの轟音に、ジルは腰を抜かしてしまっている。
ジョウルも厨房より飛び出してきた。
アイジスとリリーはすぐさま外へ出て、音の鳴った方へと目をやった。
「………………え?」
果たしてそう絶句したのはアイジスか、リリーか。
目の映るは、ただ一面に広がる炎の海だった。