部屋の中で、スレイヴと名乗る男と皇国兵の異形が戦っているのだが、スレイヴが扉を閉めたが為に、中が一体どう言った様子なのかが一切分からない。
 ただ激しい戦闘音のみが響いた。
 この音の大きさからするに、暫くすれば部屋の床が抜けるのも時間の問題だと思われた。
 なので早急に家を脱出せねば行けないのだが。

「――コル…………コルぅ…………?」

 ただ戸の前で、愛した夫の名を呟く。
 しかしもうその人は居ない。
 突然奪われた。
 信じられないのは当然。
 しかし何故か俺は、そこまで衝撃を受けていない。
 悲しいのは確かだ。
 しかし悲しいだけなのだ。
 つまり俺の中でコルという人間は、心の底では他人であったのだ。とても、家族であるとは思っていなかった。
 家族だと、思えなかった。
 俺の家族は、別に居るのだ。
 鬱陶しいと思っていた親だ。
 しかしこんな俺を、向こうでは唯一愛してくれた人なのだ。
 離れて、その暖かさが理解出来た。
 しかし、ここに来て、ティリムとコルと出会って。
 そしてティリムは、俺がアイジスでない事がバレてしまった。
 しかしコルはそれを知らない。
 それに知っているティリムだって。

 ――俺じゃなく、()()()()を愛していたのだ。

 結局俺は、アイジスの皮を被った他人でしか無い。
 そんな他人を心の底から愛せるか。否、心の底より愛せる筈も無し。
 ただそれを知らぬ者からすれば俺はまごう事なきアイジスであり、コルからすれば愛すべき息子なのだ。
 だからこそ気にかけ愛してくれていたのだが。
 それが嫌だった。
 申し訳がなかった。
 コルの望むアイジスはもう亡く、俺はアイジスの皮で自分を欺瞞している。
 ただ偽りの自分をアイジスと勘違いし、心の底から愛してくれている事に、途轍もない罪悪感を感じていた。
 果たして自分が愛されても良いのだろうか、と。
 ずっと悩んでいた。
 ずっと、ずっと、ずっと。

 しかしついさっき、その懸念は消えた。
 コルが、死んだ。
 これで悩む必要も無い。
 罪悪感もない。
 何も隠さずに生きていける。
 今までの懸念が、全て消え去るのだ。

 だが、罪悪感は膨張するばかり。
 人の死を嬉々と捉えるなど、俺に出来る筈もない。
 だが、傷心はしていない。
 結局心のどこかでは、コルは他人であったのだ。
 辛辣だろう。
 薄情だろう。
 人の心が無いと言われても、否定できない。
 だが実際、自分の事を知らない人は、他人と同義になってしまうのである。


 ◇

 
 その点ティリムは、コルの事を知っているし。コルもティリムを深く知っている。
 お互い想い合っていたからこそ、死を嘆く。
 今もこうして、嘆く。

 だが残酷な事に。嘆いている時間は、無いのだ。

「お母様! 早く‼︎」

 茫然自失と立ち尽くすティリムにそう叫ぶ。
 その気持ちも分かるが、今は自分達の命が優先だ。

「早く‼︎」

 必死に呼び掛けるが、反応は無い。
 ずっと、立ち尽くすのみ。

「お母様‼︎」

 あまつさえ、ティリムは歩き出し、現在交戦している部屋のドアノブに手を掛けようとした。

「ティリム‼︎」
「…………ッ!」

 ティリムの手がピクリと震え、その手はドアノブから離れていく。

「………ごめんなさい」

 小さな声で、囁くように。ティリムはそう言った。
 奥では激しい戦闘音が聞こえると言うのに、その小さな声は、辺りが静寂に包まれた時よりも鮮明に聞こえた気がした。
 ……俺も、酷な事を言っていると、理解している。
 それに、俺が特にダメージを受けていない事が、可笑しいのだ。
 だが、相も変わらず、深く知り合わぬ人には、どうしても感情移入出来ない。
 どうしても、深く想えない。
 だからこそ、そんな俺にできるのは、未だ生きているティリムやダイアを守る事。
 コルを喪って。
 そして改めて思ったのだ。
 ダイアを、ティリムを、もっと知らねばならないと。
 コルも()()()()を愛した。
 ティリムは、アイジス()を想ってくれた。
 ダイアも、アイジス()を兄と慕ってくれた。
 その俺に対する想いには、応えなければならない。
 それこそが、愛されると言う事なのだから。
 だからせめて、二人だけは守り通して、もっと二人を知るのだ。
 全人的理解は無理にしろ、せめてここまで育ててくれた恩がティリムにはあるし。
 ダイアは、ずっと側にいて慕ってくれた大事な妹だ。
 どうしても家族と思えずとも。
 それでも返すべき恩が多すぎる。
 それだけは返そう。

 ダイアとティリムを守り通す。
 それが、今俺の為さねばならないことだ。


 ◆


 しかし、未だ領民は、異形襲来を知らない。
 現在、避難訓練の終わり、丁度夕食時。
 それぞれの家で、美味しそうな晩御飯を拵えている頃。

 ロメオ領は、地獄と化す。