果たして、目の前に在るものの本質とは、本当に其処に在るのだろうか。
 自分自身すら、本当に我が本質が有ると言えるのだろうか。

 しかし現実は、自分が自分で有る事の証明すら、ままならないのだ。
 もっと遠く、遠く、遙か久遠の先。
 自分らの本質は、常に向こう側に、有る。


 ◆


「…………って事なんだけど」
「いやいや解りませんって」

 辺りを見渡すと、コンクリートでは無い何かで作られた白い壁が見える。
 建築やそう言った素材に関する知識など皆無であるが、そんな俺が見ても、その壁が異質なのが解る。
 その上、机でさえも、ただ宙に浮いている板なのだ。
 椅子も然り。
 ふわふわの何かが宙に浮き、それに座る。
 地球の技術でこんな物が作れる筈も無し。
 此処が地球でない別文明の世界である事は確かなのだが。

「いや、解るでしょう? 君が、デンシャ? に轢かれそうになった所を僕が助けたのさ。寧ろ感謝して欲しいね」

 目の前の男は、傲岸不遜な態度で俺にそう言う。
 正直腹が立つが、賢い俺はここで激昂したりなどしない。
 そう、俺は賢いのだ。

「いや、君は賢く無いよ」
「五月蝿い!」

 いや、え?
 目の前の男は、まさか俺の思考を読み取って……

「そうだよ」

 やはり。

「一体どうやって……?」

 一応訊いてみる。

「簡単な話さ。“自我意識”の形を見るんだ。と言っても、僕と母様以外に出来てる奴を見た事は無いけどね」

 自我意識……とは?

「まぁ順を追って説明するさ。落ち着き給え」

 一々癪に触るな。

「何だと?」
「いえ、何も無いです」

 危ない危ない。

「そうだな、実に危ない」

 ってか、一々人の心読むの止めてくれません?
 俺何も出来なくなるんで。

「今だけの辛抱さ。後でどうにかするから」
「なら」

 取り敢えずここじゃ何だし、移動しようか。
 そう言って目の前の男はこの部屋を去った。
 当然俺もそれに後続するのだった。


 ◇


「先ず状況を整理しよう」
「お願いします」

 来た場所は、恐らく食堂らしき場所。
 そこで男は食事をとり、俺はその目の前でただ座っている。
 食事と言っても栄養食の様な物だ。
 そのバー一本食べるだけで一日分の栄養を補給出来る、みたいな。

「ご明察。その通りだよ」

 お、本当にそうだった。

「ちなみに何味か分かるかい?」

 いや、食べてないから分かんないし。
 それにこの世界の食事など知り得ている筈もない。

「正解はチョコレートだ」
「チョコレート⁈」

 思わず大きな声が出てしまった。

「この世界では最近、地球食が流行っているのさ。誰かがラーメンを模倣して販売したんだよ、僕だけど。それが馬鹿みたいに売れてね。以降色んな人が地球食の再現に奮闘しているんだ。栄養食が蔓延っている世で、しっかりとした食事を摂ると言う発想自体無かったからね」

 でも結局は栄養食が手っ取り早くて、安くて良いんだけど。
 そう言って男は再び栄養食を口に入れる。

「そうそう、状況整理だったね」

 食べながら、思い出した様に男は言った。

「先ず、君は死にかけた。ここまでは良いかい?」

 まぁ、解りましたけど。

「駅のホームから転落して今にも電車に轢かれそうになっている所を、僕が華麗に救出したってワケ。解った?」

 俄かには信じ難いですが。

「そうだね。君の持つ稚拙な知識のみでは、とても測り知れ無い超常に聞こえるだろう」

 順を追って説明してやる、と言って、目の前の男は説明を始めた。
 要約するとこうだ。

 つまり、人間を含む知的生命体の本質とは、主に二つに分かれるらしい。
 一つは『自我意識』。
 これは、所謂魂とも言える存在で、その個体の性格、記憶、人格、思考等々の、つまり知的生命体としての“中身”を司るのが、この『自我意識』なのだ。
 そしてその受け皿となるのが、『体組織』。
 所謂人体である訳だが、これがある事で、自我意識を隠せ、そして知的生命体としての生活を送れる様になる、と。
 簡単に言えば、大まかにはその二つで構成されている。
 男は俺が死ぬ直前、俺の自我を()()()()()、俺の自我意識のみをこちらへ持ってきたのだと。
 だから自我意識を隠す体組織が無い為、今の俺の思考は丸分かりだし、何もかもが筒抜けになっている、まぁ言わば全裸の様な状態っていう事だそうだ。
 つまりその体組織さえ手に入れれば、思考が読まれる事も無い、と。
 男が言っていた「今だけの辛抱さ」とは、そういう意味だったらしい。

「って事は、俺の体を用意してくれているって事ですか?」
「無論。とっくに用意している」

 ヤッタァ! と心の中で喜ぶ。
 まぁバレているのだろうけど。
 ほら、俺を見た男がニヤけた。

「だが、タダと言うワケでは無いさ」

 まぁそんな上手い話は無いわな。

「君にはね、我が母が作り賜うた箱庭へ行って貰う」

 おう! これはまさかの異世界転生では⁈

「まぁそうかもしれないが。異世界とは呼べない代物なのだ。まぁ僕も詳しくなく、その真実を知るのは創造主(我が母)のみとされているが。一説では四次元空間内に作られた幾万もの三次元空間のうち創造主が新たに創った三次元空間。また一説では多元宇宙(マルチバース)の内の一つを創造主が改変させた物、だとも。つまり、まぁ異世界とは呼べないかもしれないな。君の思っている様に、魔法とかスキルとかがあるワケでも無いし」
「え⁈ 無いんですか!」
「あるワケ無いでしょ、そんな非科学的な」
「そんなぁ…………」

 多少は期待していたのだ。
 多少は。

「なんか……ごめんね?」
「いえ、俺の勝手な妄想なので。すみません」

 そこそこ落胆しつつ、本題に入る。

「そこで、何をしろと…………?」

 タダでは無いのだから、何かあるのだろう。
 しっかりと聞いておかないと。
 もしかしたら魔王討伐、とかだったりして!

「いや、()()()()()何もしなくて良い」

 あれ? そうなんですか?

「僕がしたいのは、自我意識を向こうに送れるかの検証。成功するとは思うけど、もし失敗したら君の自我意識は霧散して消えちゃう。それが、僕からのお願い」

 まさか、俺の命とは、たったその検証の為だけの価値だったとは。

「もし消えたく無いのなら、別に良いよ? まぁ、自我意識()のままだけど」

 そりゃ死にたくは無いけど。
 この状態で一生を過ごすのもそれはそれで嫌だな……
 うーむ。

「ちなみに成功率はどのくらいなのですか?」
「…………多分四割……いや、五割か…いやいや、六割!」

 いや何割だよ。
 まぁそこまで確証のある物では無い事が解った。
 そして、俺の命はただの検証材料でしか無い、と。

「だーかーらー。別に引き受けなくても何も言わないってさ。誰しも『死ね』って言われて死ぬやつなんて大していないんだから」

 つまり貴方は俺に『死ね』と?

「あっ…………」

 あっ…………って何だよ。

「でもまぁ、このまま居ても羞恥の塊ですし。どうせ死ぬ身だったんです。五割もの確率で再び生きながらえれるなら、それも悪く無いかなぁ、と」
「そうかそうか! いやぁ、君が引き受けてくれなかったらどうしようかと思ったのだよ。また新たな自我意識を採って来なきゃならないし……」

 なんかサラッと怖い事言ってるけど、ここは無視だ。
 そうだ、俺は賢いのだ。

「いや、だから賢くな――」
「じゃぁやっぱり断ろうかな……」
「いやいや、賢い賢い」

 やっとそこまで腹が立たなくなってきた。

「そりゃ良かった」

 一々五月蝿いな。


 ◇


「そう言えば、貴方は誰なんですか?」

 初めはあまり疑問に思って無かったけど、この人(?)の名すら未だ知らないのだ。

「僕? 僕の名前はガイスト=ルイア。ガイストは種族共有の苗字みたいな物で、名前はルイアだ」
「やっぱり人間じゃ無いんですね?」
「そうだな」
「…………神様……とか?」
「いやいや、そんな大層なものじゃ無いさ。ただ我々は、我々の事を『上位種』と呼称している。何で上位なのかは……想像に任せるけど」

 あぁ、人間だろうなと本能的に理解する。

「ちなみに僕の母様はその“向こう”の世界を作った、上位種の祖、創造主と呼ばれている。まぁ君はあまり気にしなくて良い事さ」

 なら頭に留めておくのみにしておこう。

「そういや言い忘れてたけど」

 何?

「向こうの世界で君は、齢一歳の赤子の体組織に乗り移って貰う。その赤子の名は、アイジス=ロメオという。つまり、これからの君の名は、アイジスだ」

 つまり暫くは赤子のふりをしろって事か。

「そう言う事だな」

 向こうに行ったら好きにして良いんですか?

「良いよ……と言いたいが、若し何か向こうでして欲しい事があれば声を掛けるので、成る可く手伝ってくれると助かる」
「解りました」

 まぁその頼みによるけど、これでも男、ルイアは俺の命の恩人なのだ。
 貰った恩は返さないと。

「宜しく頼む」
「承知しました」

 そう言いながら俺とルイアは固い握手を交わした。


 ◇


「最後に一つだけ訊いても良いか?」
「何ですか?」

 向こうへ行く準備をしていた時、ルイアは突然そう声を掛けた。

「君は君か?」
「………………え?」

 質問の意味が解らない。

「簡単な話。君の自我は君のものなのか?」
「…………はい………………?」
「なら良い」

 どう言う事だ?
 だが結局ルイアは、その質問の真意を教えてはくれなかった。


 ◆


「それじゃぁ向こうに行って貰うけど、準備は良い?」
「大丈夫です」
「なら送るよ?」
「お願いします!」

 そう言った瞬間、男は消えた。
 成功していれば今頃、アイジスとして向こうに顕現した筈。
 後で確認に行かなければ。

「ふぅ…………」

 後ろにあった椅子に深く腰掛ける。
 ルイアは頭の後ろで腕を組み、ほぅっとため息を吐いた。

「これで果たして、成功するかどうか」

 ルイアの脳裏に反芻されるは、彼の母の姿。
 あの忌々しい思想を想起するだけで吐き気がしてくる。

「頼むぞ…………」

 自らの宿願の成就を心の底から願い、ルイアは天に祈った。