「 病める時も喜びの時も、悲しみの時も富める時も貧しい時も、これを愛し敬い慰め合い 共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」 

 私は純白のドレスに百合のブーケを抱え、シルバーのタキシードを着た陽太と教会で永遠の愛を誓う。私は晴れ渡った青空を見上げながら、この日を境に25年間名乗り続けた、高見(たかみ)姓から床戸(とこと)姓に名前が変わった。

晴菜(はるな)、ずっと一緒にいような」
陽太(ようた)、これからずっと宜しくね」
 
 一生分の幸福がフラワーシャワーと大勢の歓声と共に降り注ぎ、大好きな陽太から誓いのキスが落とされた。私はこの日が生きてきた一番幸せだった。

※※

「ちょっと、陽太!」

私は陽太が朝食べたトーストとサラダのプレートをダイニングテーブルに置き去りにしたまま、ソファーに転がってスマホを弄っているのを見て思わず睨みつけた。

「え? あ、ごめん。美味しかった」

「そうじゃなくて、片付けてって言ってるの!」

「あー、あとでしようと思ってたんだよ。てか休日くらい晴菜も少しゆっくりしたら? 俺より早く起きて朝食の準備も大変だし……洗濯まわすのだって別に明日だっていいじゃん」

陽太ののんきな言葉に私は眉を顰めた。

「なにそれ。家のこと何にもしないくせに! 陽太が休みの日に私より先に起きて何かしてくれたことあった? 休日は陽太が家事代わってくれるわけ?」

「いや別にそういうこと言ってる訳じゃなくてさ……」

「これも! 飲んだならシンクに入れて水で流しておいてよ!」

昨晩寝る間に陽太が飲んだとみられる空のマグカップにはコーヒーの輪ジミができたままテーブルの端っこに置き去りになっている。私はわざとカチャンと音をたてながらシンクにマグカップを置いた。見ればまた陽太はスマホの画面に釘付けだ。

(なんなのよ、共働きなんだから家事はどっちがやってもいいのに)

「ねぇ! ちょっと聞いてるの?」

「あ、えとなんだっけ……?」

陽太が跳ねた髪をガシガシ掻きながら困ったようにスマホから顔を上げた。

「そんなにスマホが手放せないんだったら、スマホと結婚したらよかったじゃない!ゲームする暇あったら、土日くらい掃除機くらいかけてよっ」

 結婚して十年、社会人歴は十三年目に突入。それなりにキャリアを積んだ私は男性と同じ仕事量をこなし男性と同じお給料をもらい、春には念願だった課長にも昇給した。ただ、その分忙しくなって気づけば週末は家事もストレスもたまりに溜まっている。もともとのんびりとした穏やかな性格の陽太の言葉に、最近はイライラしっぱなしだ。

「いつもごめん。あとで掃除機やるから、ちょっと今は忙しくて」    

「あとでやるとか嘘ばっかり。ゲームに忙しいんでしょ。どうせ掃除機かけるの、また来週まで、ほったらかしのくせに」 

陽太はどうせやらないと分かっているのだから、いっそ言うことも期待することも諦めてしまえばいいのに、私の一度開いた口は止まらない。

「大体、共働きなのに掃除も洗濯も料理も私だし、自治会の役員だって他の人は皆んな、旦那さん来てるんだよ!」

「仕方ないだろ。俺、休日出勤あるからさ。それに俺らは俺らだろ?」

「休日出勤ない時くらい変わってよ。普段何にもやらないくせに!」

「……っ。何にも出来なくて悪かったなっ」

「そんな言い方しないでよっ!私だって家事に仕事に毎日こんなに頑張ってるのに」

「なんだよそれ!」

(あ……)

珍しく声を荒げた陽太を見て、すぐにしまったと思うがあとの祭りだ。まるで陽太が何も頑張ってないような言い方をしてしまった自分が嫌になる。いつからこんなに可愛くない言い方しか出来なくなってしまったんだろうか。

「出かけてくる!」

陽太はテーブルをバンっと手のひらで叩くようにして、ソファーから起き上がると財布をズボンのポケットに突っ込んで家から出て行った。

(はぁ……やっちゃった……)

私は静かになった部屋でマグカップにコーヒーを注ぎ入れる。この間、お昼休憩で入ったスタパの期間限定のドリップコーヒーだ。可愛らしいパッケージにクリスマス限定の文字に惹かれて買ったのだが、一番の理由は陽太が無類のコーヒー好きだからだった。

(一緒に飲もうと思って買ったのにな……今日もひとり)

 私達夫婦には子供がいない。なかなか授からないのだ。奮発して買ったアンティークのチェストの上にはウエディングドレス姿の私とタキシード姿の陽太が映った写真が飾ってある。

(あの頃が一番幸せだったな)

 結婚して年月が経てばたつほど些細なことから喧嘩が増えて、一緒に出かけることも笑い合うことも抱き合うことも最近はぐっと減っていた。平日は互いに仕事の追われる日々だが、せめて土日くらいは陽太とたわいのない話でもしながら一緒にコーヒーが飲みたいと思っているのに素直じゃない私のコーヒータイムは毎回独りぼっちだ。

「いつからだろう……」

頬杖をつきながら私はマグカップの中のコーヒーを覗き込んだ。

──私と陽太はまるでドラマか漫画のような出会いから恋に落っこちた。   

 当時大学4回生だった私は大学に向かう途中、急に降り出した雨に困ってコンビニの軒下で雨宿りしたことがあった。いつもならすぐ止む通り雨がなぜかこの日はなかなか止まない。しびれをきらした私は店内に入ると店の奥に最後の一本のビニール傘が見つけた。
 そして私が急いでビニール傘の取手に手をかけた時、ごつごつとした男の人の指先と触れた。 

『え?』

 見上げれば背の高いスーツ姿の若い男性が、私と同じ最後のビニール傘に手を伸ばしていたことに気づく。

『わ。すみませんっ』

『あ、こっちこそ、ごめんなさいっ』

 男性は慌てて私の指先から大きな掌を離すと頭を掻いた。

『傘、どうぞ』

『でも……』

 学生の私はもう講義も終わり家に帰るだけだが、この男性はおそらく仕事中だ。スーツが濡れてしまったら困るのではないだろうか。

『そんな困った顔しないでください、俺、男なんで濡れても平気なんで』

『でも……スーツが』

『ほんとに気にしないでください。今日は商談もこのあとないし』

 唇を持ち上げて私を安心させるように笑った男性の笑顔に思わず一瞬見惚れた。 

『ありがとうございます』

『いえ、じゃあ』

 男性は結局ブラックコーヒーだけを買って、雨の中小走りで駆けていった。
私はその後ろ姿に一度だけ、とくんと鼓動が跳ねたのを覚えている。

 それから私は大学を卒業後、地方銀行に入社した。慣れないお金の計算や管理、事細かに定められた銀行マニュアルに戸惑いながらも日々は充実していた。

『お先に失礼致します』

 就業を終え先輩方に挨拶を済ませると、私は銀行を出て灰色の空に目を向けた。

(傘持ってないのに家まで雨もつかな……) 

 勤め先の銀行から一人暮らしの家までは歩いて20分ほどだ。しかし雨女の私は5分ほど歩けば、案の定ぽつりぽつりと空から小さな雫が落ちてくる。そしてあっという間に土砂降りになった。  

(もう、最悪……)

 目の前のコンビニ駆け込むんだものの、あいにく傘は売り切れだ。

(仕方ない、入り口の下で雨宿りするか)

 両親から晴れわたる空のように、笑顔の素敵な女性に育ちますようにと付けられたが完全に名前負けだ。雨の日には笑顔どころか灰色の空を見上げているだけで憂鬱になってくる。

『良かったら、どうぞ』

『え?』

 ふいに私に差し出されたブルーの傘の持ち主を見上げて、私は大きく目を見開いた。

『あ、良かった、覚えててくれたんだ』

 そういって頭を掻きながらはにかむように笑った男性に、ドキンッと心臓が大きく飛び跳ねた。そう、この男性こそがのちの私の夫となる陽太だった。

私達は再会を機に連絡先を交換して食事に行くようになり、やがて陽太の方から告白され交際が始まった。

『これからもずっと側にいてくれる?』

『はい、こんな私で良かったら』

 太陽のようによく笑う優しい陽太が側にいるだけで、なんて事ない毎日が輝いて見えて陽だまりのように心が暖かく満たされた。

そして交際して二年の記念日に陽太からプロポーズされた。

『晴菜、その……えっと……結婚してください』

そういって薔薇の花束を差し出した陽太は、薔薇と同じくらい真っ赤だった。

『はい、こんな私で良かったら』

 そう言って私も真っ赤になりながら花束を受け取って二人で笑い合った。

 陽太がなぜプロポーズの際に薔薇の本数が9本だったのか、私は随分後になってから雑誌の花言葉特集で気づいた。

 好きだとか愛してるとか、陽太は絶対に言わない。言えないのだ。そんな口下手な陽太が薔薇の花束に込めた気持ちが嬉しくてこれ以上なく幸せだった。

※※

「あの頃に戻りたいな……」 

 コーヒー片手に思い出に浸っていた私は深いため息を吐きだす。手を繋ぐだけでドキドキして、たわいないことで笑い合ってふざけ合って、抱きしめあえば涙が出るほど幸せで、陽太が居れば何にもいらない、そう思っていたのに。

 そしてコーヒーを飲み終わると、私はふいに壁にぶら下がっているカレンダーに目をむけた。

「え! 嘘……っ」

 そこには丸印がついている。自分で付けたくせにすっかり忘れていた。

「最悪の10年目の結婚記念日じゃない……」

 涙が滲みそうになった私は鼻を啜ちながらダイニングテーブルから立ち上がる。

「陽太いつ帰って来るんだろう……衣替えでもしよっかな」

 別に今日衣替えしなければいけないわけでもなんでもない。でも掃除も洗濯も終わって何もすることがない私はひとりぼっちの寂しさを何かすることで紛らわせたかった。

「うんしょ……、あれ届かない?」 

 背の低い私は押し入れの前に椅子を持ってきて衣装ケースに手を伸ばす。いつもは背の高い陽太が取ってくれる為、自分で衣装ケースを取り出すのがこんなに大変だとは思わなかった。私は思い切り手を伸ばすと陽太の洋服が入っている衣装ケースに手をかける。

「えっ……わっ!」

 バランスを崩した私は衣装ケースを支えきれず落っこちた。衣装ケースの中から陽太の洋服がそこら中に散らばる。

「痛ったー……」  

 畳に打ちつけたお尻が痛い。

(いつもだったらすぐに陽太が駆けつけてくれるのに……)

 何だか悲しい気持ちになりながらふと見れば、少し黄ばんだノートが落ちている。そのノートを拾い上げた私は声が突いて出た。 

「え! これ……」

 ノートの表紙には陽太の筆跡で『夫婦ノート』と書いてある。

「懐かしい」

 私はすぐにページを捲っていく。

 結婚してから初めての私の誕生日が過ぎた頃に、陽太が提案した夫婦の交換ノートだった。

『俺さ。うまく気持ち伝えられないタイプだからさ。何かお互いの要望とか希望とかその時の本当の気持ちとか、ここに書くようにするのどうかな?』

『交換日記みたいなもの?』

『そう。この間も残業で遅くなってさ、晴菜の誕生日のプレゼント一緒に見に行けなくて悪いなって思ってたんだけど、うまく言えなくて……』

 そうだ。陽太から誕生日プレゼントを買いに行くと言われて嬉しかった私は仕事を定時に上がって、おしゃれして待っていたのに陽太が帰ってきたのは、22時を回っていた。  

『ひどいよ!ずっと待ってたのに。今日くらい早く帰ってきてくれてもいいのに!』

『仕事なんだから仕方ないだろっ』

 確かそんな言い合いをして、次の日もその次の日も謝らない陽太にしばらく腹を立てていた事を思い出す。さらに私はページ捲っていく。

『この間の誕生日はごめん。美味しいイタリアン探しておくから』

『許してあげる。イタリアン楽しみ』

 思わず、ふっと笑った。肝心なことに限って言ってくれない陽太とこうして、『夫婦ノート』でやり取りしてたことを私はすっかり忘れていた。

 いつからだろう。いつの間にか、やり取りしなくなったノートを陽太はずっと自分の衣装ケースに入れていたということだ。

 途中からは私の返事はないのに、陽太の言葉だけがノートに書き記されている。

『また晴菜を怒らせてしまった。洗濯したのはいいけど、おしゃれ着用洗剤じゃなくて普通の洗剤を使ったから、晴菜のお気に入りワンピースが縮んだ。晴菜が喜ぶかなと思ったのに失敗』 

 奮発して買ったブランドのワンピースが縮んだことを確か、私は頭ごなしに陽太を怒った気がする。

『食器を洗ってたらお揃いで買ったマグカップを割ってしまった。いま晴菜はベッドで泣いてる』

 付き合って初めて買ったおそろいのマグカップで、もう廃盤で買えないと思うと凄く悲しくなって泣いたことがあった。

 そのあとも日々の些細な喧嘩について陽太目線の気持ちが綴られている。
 私はどんどん読み進めていく。 

 そしてちょうど一年前の日付に差し掛かって、私のノートを捲る手が止まる。

『俺もついに父親か。晴菜には驚きすぎて、ふぅんといってしまったが、めちゃくちゃ嬉しかった。まだ卵みたいな俺たちの赤ちゃん。元気に育ってほしい』

『晴菜のつわりが酷い。何か作ってあげたいけど、うまく作れない俺に晴菜は毎日イライラしている。明日は休日だからスマホで検索してみよう』

 私はだんだん陽太のノートの文字が滲んでいくのが分かった。

 次のページを捲るのが怖い。少し震える指先で私は息を止めてページを捲った。

『晴菜が流産した。初期の流産はよくあることだと医師から説明があったが、どうして俺たちの赤ちゃんなんだろう。晴菜に何て声をかけてやればいいんだろう』

 私はこの時も酷く陽太を責めた。

『陽太が洗濯も掃除も料理もしてくれないから、全部私がやって、仕事もして無理したせいで……赤ちゃんが……』

 陽太のせいじゃないなんて分かってた。それでも妊娠した時、あまり嬉しそうに見えなかったことと、家事を手伝ってくれない陽太に腹を立てて、赤ちゃんを流産してしまった悲しみを全部陽太にぶつけてしまった。陽太は何も言わずに黙ったまま、泣き叫ぶ私の背中を摩ってくれていたのを思い出す。 

『赤ちゃんのことをうまく慰めたいのに、相変わらず晴菜泣いてばかりだ。もっと上手く言葉が出て来ればいいんだけど。晴菜の体も凄く心配だ。仕事復帰は少し先にしたらどうかと話したが、意地っ張りな晴菜は来週から復帰すると言ってきかない。俺に何がしてやれるだろう。晴菜は俺と結婚して幸せだろうか』

 私の目から溢れた雫で、ノートは水玉模様であっと言う間に埋め尽くされる。

 最後のページは昨日の日付だ。

『明日は結婚10年目の記念日。ネット検索してみたら奥さんにアクセサリーや花束をプレゼントして、夜は夜景の見えるイタリアンとかが喜ばれるみたいだ。アクセサリーなんか何を買えば晴菜が喜ぶのかわからない。花束にしようか。晴菜は喜んでくれるかな。覚えてくれてるだろうか。あとは困ったな、夜景の見えるイタリアンなんて行ったことがない。そもそも、そんなお洒落な所に晴菜を誘えるだろうか。よし、まずは明日、ネット検索してみよう』  
 
「あ……」

 私は口元に手を当てた。陽太は朝、スマホで私と行くイタリアンを探していたことに気づく。

 私は何年、陽太の側にいて、私は陽太の何を見てたんだろう。途端に陽太に会いたくて堪らなくなる。すぐにスマホで陽太に電話をかけようとして、陽太がスマホを忘れたまま出掛けていることに気づいた。 

 そしてふと、小さく聞こえてくる音に気づいて窓の外を見れば、ザーッと強めの雨が降っている。

(通り雨……陽太はきっと……あそこだ)

 私は慌ててコートを羽織るとブルーの傘を持って外へ飛び出した。

 私は陽太のブルーの傘を挿しながら、真っすぐにその場所へ向かって駆けていく。陽太に早く会いたくて陽太の顔が早くみたくて、陽太に早く、ごめんね、を言いたくて。

 そして駅前近くのコンビニの前まで辿り着いた時だった。

「陽太っ」

 私の声に陽太がすぐに振り向くと大きな二重瞼を見開いた。

「え?晴菜、何で……ここって分かったの?」

「何と、なく……雨だから迎えにきた」

 ちゃんと言わなきゃいけないのに、陽太に会いたくて走ってきたのに。陽太の顔を見たら、何故だか上手く言葉が出てこない。

「ありがとう。帰ろっか」

 陽太はそれだけ言うと、手に持っている花束を後ろに隠して、私からブルーの傘を取り上げる。そして私が濡れないように相合傘で二人で並んで家に向かって並んで歩いていく。

 陽太と相合傘なんていつぶりだろう。背の高い陽太の肩に背の低い私の頭が時折こつんと当たる。

「晴菜、ごめんな」 

 先に口を開いたの陽太だった。陽太の優しいいつもと同じ穏やかな声を聞いて、何だかひどくほっとする。

「え?どした?」  
 
 泣き出した私に陽太がオロオロとする。

「えっと、ごめんな。帰ったらちゃんと、掃除やるからさ」 

「……違っ……陽太ごめんね。私、『夫婦ノート』見たの……。陽太は私の事、いつも大事に思ってくれてたのに可愛くない態度ばっかりで、陽太のこと全然わかってなくて……ごめんなさい」

 陽太が私を花束ごとそっと抱き寄せた。薔薇の甘い香りが傘の中にふわりと香る。

「俺こそ、いっつも言葉足らずでごめんな。うまく晴菜に言えなくてさ。今日も結局イタリアン誘えなかったし……これ結婚記念日のプレゼントなんだけど貰ってくれる?」

 恥ずかしそうに差し出された薔薇の花束は、プロポーズの時と同じ9本だった。薔薇は本数で花言葉の意味が変わる。

 9本の薔薇の花言葉は『いつも一緒にいて欲しい』だ。

「陽太、ありがとう……」

「どういたしまして」

陽太は私の目から涙をそっと指先で拭うと、にこりと笑った。

「今日で晴菜と結婚して10年だな。いつも掃除や洗濯、美味しいご飯ありがとう」

 こんな風にストレートに陽太が言葉にするのは初めてかもしれない。驚いて言葉が出ない私を眺めながら陽太が言葉を続けた。

「俺……晴菜と『夫婦ノート』交換するのやめてからも、時々書いてたんだ。でもさ、昨日ノート書いててさ……いくらノートに書いても言葉にしなきゃ、ちゃんと晴菜に伝わらないなって。そんなこと10年経ってようやく気づいた」

「ううん。私こそいつも大事にしてくれてたのに、陽太のこと責めたり八つ当たりばっかりして本当にごめんね……陽太、こんな私だけど……《《これからも一緒にいてくれる》》?」

 陽太は驚いた様子で少しだけ宙をみて頭を掻いた。 

「まいったな、バレバレだった?」

「嬉しかったよ」

ちゃんと私も言葉にしたら、陽太がふっと笑った。

「晴菜……」

 陽太は真面目な顔をすると私の目を真っ直ぐに見つめた。

「これからは俺も言葉にするよう努力するからさ……俺こそ、これからもずっと一緒にいてくれる?」

 陽太の恥ずかしそうな顔に、私まで顔が熱くなる。

 それでも心は幸福で満たされていく。

「はい、こんな私で良かったら」

 私はとびきりの笑顔で返事をすると、花束ごと陽太の背中をぎゅっと抱きしめた。

※※

「お。このコーヒーすっごくおいしい」

「でしょ。スタパの期間限定」

 私達は帰り道に近所のスーパーで買ったケーキを頬張りながら、コーヒータイムを楽しんでいた。見慣れたダイニングテーブルの上には薔薇の良い香りが充満している。

「晴菜、結婚記念日なのに本当にイタリアンじゃなくてよかったの?」

「うん。陽太と家でこうやってコーヒータイムできる方が嬉しい」

「そっか」

 気取らなくてもお洒落じゃなくても全然いい。ひとりぼっちより二人の方が日々が何百倍も幸せで、一緒に居られることがただただ愛おしい。

「あ、あとでさ。俺に洗濯物の畳み方教えてくれる?」

「え? どうしたの急に」

「俺、洗濯と食器洗いは上手くできる自信ないけど、畳むのならいけるかなって」

「じゃああとで一緒にやろ」

「おう」

 これからの私達にもう『夫婦ノート』は必要ない。けれど今日だけはこの幸せに満ちた、忘れたくない想いをあとでこっそり綴っておこう。

「陽太、大好き」

「俺も晴菜が……好きだよ」

 初めて聞いた陽太の好きという言葉に胸がいっぱいになる。私たちはお互いに気恥ずかしくて暫く笑い合ったあと、そっと唇を重ねた。


──これからもずっと夫婦一緒にいられますように。






2023.12.22 遊野煌

※フリー素材より。