放課後、帰る支度をしていたあたしは教卓で作業をしている先生に視線を送った。
実際の年齢は聞いたことがなかったけれど、たぶん二十代後半から三十代前半くらい。整った顔立ちをしていて、かけている眼鏡のせいで真面目で一瞬厳しいイメージを持ってしまうけれど、その目が微笑むと、同い年の男の子よりも遥かに可愛い笑顔に変わる。柔らかく下がる目尻に、何度ドキドキしたことだろう。
下を向いてペンを走らせている今の表情には、そんな可愛らしさはない。これまではあたしの視線に気がついて目が合うと、いつも表情を緩めてくれて、それがたまらなく愛おしくて、大好きだった。また、あの顔を見せて欲しい。そう思いながら先生の事を見つめていても、その瞳がこちらを捉えることはなかった。
思わず漏れてしまうため息に、あたしはカバンを手に取ると教室からゆっくりと出た。
校門を抜けて、足取りも重たく歩いていると、もうすっかり聞き慣れてきてしまっているあの声で、名前を呼ばれた。
「水瀬さーん」
間抜けにも聞こえる呼び声に、あたしは振り返りも歩みを止める事もしない。
「あれ? ちょっと、待ってくださいよ。聞こえてない?」
聞こえてる。無視してるの。分かって?
「あ、森谷先生!」
その言葉に、あたしは瞬時に反応してしまって、振り返った。もちろん、その先には先生なんていない。いるのは、ニコニコと笑顔を向けて立っている、山中陽太だけ。分かっていたのに、勝手に体が動いてしまった。こんな簡単な罠に引っかかってしまう自分に、あたしは頭を抱えたくなる。
「水瀬さん、この後予定あります?」
近づいてきたそいつは、ニコニコと笑顔を崩さずに聞いてくる。こいつがなにを知っているのかは分からないけれど、先生を引き合いに出されたことにイラつく。
「ちょっと行きたいところあるんですよね」
そんなの勝手に一人で行けば?
口には出さずに眉を顰めて黙ったままでいると、陽太があたしの手をとって進み出すから、一瞬なにが起きたのか分からなくなった。
繋がれた手は、思ったよりも大きくてしっかりとあたしの手のひらを包む。
「こっから十分かかんないかなぁ」
「ちょっ……と、離してよ!」
掴まれた手を、あたしは思い切り振り払って離した。
驚いた顔をする陽太を鋭く睨むと、その顔が徐々に青ざめていく。
「あ……ご、ごめん。あのさ、ちょっと……」
「なんなの? あたしは別にあんたになんて用はないから。もう話しかけてこないで」
知らない。山中陽太なんて、あたしは知らない。あたしに近付かないで。放っといて。あたしと先生とのなにを知っているのかはわからないけれど、あたしは誰とも関わりたくなんてない。
もう一度青ざめた顔を睨むと、あたしは前へと進んだ。
家に着いて玄関を開けて、ぽつり。「ただいま」と呟く。なにも返ってこない部屋の中に苦笑いをして、あたしは足を踏み入れる。
陽太が持って来たりんごがテーブルの上に置いてあって、手に取り皮ごと一口かぶりついた。まだしっかりと硬さのある果肉は、甘みよりも酸味が先に口の中に広がった。
「すっぱ……」
思わず、あいつの嫌がらせかと思ってしまって、笑いが込み上げてくる。
いきなり現れて遠慮もなしに話しかけてくるとか、気分が悪い以外にない。いきなりどこかへ連れて行こうとするし。真面目な顔して、なんなのあいつは。ほんとはめちゃくちゃ遊んでいるやつだったりするの? 友達も多そうだし、あーいうやつに限って中身はヤバいのかもしれない。
こんな時に、あいつがどんなやつなのか聞ける友達でもいれば解決するんだろうけれど、そんな友達はあたしにはいない。と、言うか、もうどうでもいいでしょ。あんなやつのことなんか。もう一度りんごを齧ると、あたしはため息をついた。
次の日も、またその次の日も、昼休みになると陽太は屋上へと現れた。
冷たく突き放したはずなのに、陽太はただ、なにを言うわけでもなくニコニコヘラヘラして現れると、あたしのそばに座る。そして、耳にはワイヤレスイヤホンを装着していて、空を見上げてなにかを聞いている。
そんな日々にいい加減慣れて来た頃、あたしは陽太に声を掛けていた。
「それ、いつもなに聞いてんの?」
いつもの様に空を首が落ちそうなくらいに見上げている陽太に聞いてみるが、聞こえていないのか返答がない。それに無性にあたしはイラついて、片方のイヤホンを陽太の耳から取り外した。
「え! え?」
なにが起きたのか分からない様に慌てた表情と動きをして、陽太はこちらを向いた。あたしはそんな陽太に、冷めた目をしてもう一度聞く。
「なに聞いてんの?」
「え! あ、もしかして! 僕に興味持ってくれていたりするんですか?」
照れた様に驚く陽太に、あたしはますます目を細める。
「いや、単に真面目なあんたには似合わないなと思って。あ、もしかして英語? 英会話聴いちゃったりしてんの?」
「……違います」
一瞬、陽太の表情が曇った気がして、揶揄うのはやめようと感じた。
「それ、聞いてみて下さい」
あたしが手に持っていた片方のイヤホンを指差して、陽太が真面目な顔をする。渋々、あたしはイヤホンを耳に押し込むと、聞こえてきたのは英会話ではなくて、メロディーだった。聞いたことのないメロディーは流行りの曲ではなさそうで、あたしにはよく分からない。だだ、曲調といい、言葉の羅列といい、聞けば聞くほどに。
「なにこの曲、暗くない?」
そう感じて気持ちが下がる。普段の陽太からすると全く正反対な耳に聴こえてくる曲に、あたしは違和感を覚えた。
「……どん底を知ったら、それ以上は落ちないし、あとは登るしかないじゃないですか」
わざとらしく笑っているような陽太の笑顔が、やっぱりいつもとは違う気がする。
「だったら、前向きな曲を聞けばいーじゃん」
「良いんです。今は、下がるところまで下がりたいから。もう無理ってところまで落ちたい。そうしたら、そこからわずかでも希望を見上げることが出来るのかもしれないから」
真っ直ぐ、空を見つめる陽太の瞳は、どこか悲しそうで、切なく見えた。
いつも友達に囲まれて、悩みなんて無いみたいにへらへらしていて。どうしてそんな目をするんだろう?
「毎日希望に満ち溢れた日々を送ってんじゃないの? なに、そんな重たいこと言ってんの。あたしなんて希望のきの字も見えやしない」
思わず、笑ってしまう。陽太は、あたしのないものみんな持っている気がする。
「俯いているからでしょ? 水瀬さん、前向いて笑いなよ。可愛いんだから」
『那月、笑ってよ。可愛いんだから』ふいに、美月の声が頭の中に響く。
「……なにそれ。美月と同じこと言ってるし」
離れてから、美月の存在が日に日に恋しくなって来ている。優しい美月の言葉を思い出して、自然と口角が上がってしまった。
「あ、ちょっと今、笑ってくれました? 嬉しい」
素直に喜ぶ陽太の笑顔がふんわりと優しくて、あたしは陽太から目を逸らした。
「美月、って?」
「あー……あたしのお姉ちゃん。十個も年上で、小さいうちはほんとお世話になりっぱなしだった。でも、あたし素直になれなくて。最近結婚前に彼氏と同棲するってうちを出て行ったの。美月が幸せになるなら、あたしは一人でも良いって、そう思ったから、今は一人暮らししている」
「……そう、なんですね。なんか、水瀬さんが自分のこと話してくれて嬉しいな。僕だけしか知らないことが増えると、特別な感じがします」
そう言って微笑む陽太の笑顔が、眩しい。
「……今まで、自分のことを話したいとか、話そうとか、聞いてくれる人なんていなかったし……あ……」
そう言いながら、また思い出した。先生のこと。……あれは、完全に同情されただけ。可哀想なあたしに対する惨めな慰めと単なるあいつの欲望だ。思い出しただけで気分が悪い。あたしがしばらく黙り込んでしまっていると、隣から歌声が聞こえてくる。陽太が、さっき聞いていた歌を口ずさむ。
「え、上手くない?」
思わず陽太の方に体ごと振り返ってしまった。あたしのその反応に、聞こえているのかいないのか、チラリと一瞬だけ目が合って、陽太はすぐに目を閉じた。イヤホンを両耳にして歌うその声が、あたしのことを慰めてくれている気がして、知らず知らずのうちに涙が頬を伝った。
ずっと一緒に、
永遠に、
なんて、ただの幻想でしかない。
最後は一人
最期は一人
だったら、
もうキミを追いかけることもやめよう
一人になるのは、
一人でいるよりもきっと辛い
だったら、ボクは初めから
キミの前にはいなかったことにしよう
『ほら、那月にもいつも話しているでしょう? 純くん。結婚を前提に一緒に暮らさないかって言ってくれたんだ』
幸せそうに頬を赤めて笑う美月の言葉に、あたしは素直に喜べなかった。
『那月も高校生になったし、最近は料理もたまにしてくれているし、生活する分にはきっと困らないと思うの。遠くに行くわけじゃないから。ここのアパート代とかも心配しないで。一つだけ、高校はちゃんと卒業して。あ、あと、きちんと食べること。これだけは約束してね』
頷きはしたものの、曖昧な表情のあたしに、美月が心配そうな目をする。だから、あたしは強がって無関心な真顔を向けた。
『那月も、いるんだよね? 好きな人』
『……え』
『最近、帰りが少し遅い時があるし、そんな時は那月は無意識かもしれないけど、鼻歌歌ってる。なんか、綺麗になった気もするし。だから、あたしここを出る決心がついたんだよ。那月を置いて、あたしだけ幸せになんてなれないから。これから先も、なにがあってもあたしは那月のお姉ちゃんだし、那月の味方だからね。それだけは忘れないで』
真剣な瞳が、そう言った後に細い三日月になる。思わず泣きそうになってしまって、あたしは『分かったよ』と無愛想に言いながら立ち上がって、自分の部屋へと駆け込んだ。
美月はいつもあたしのことを考えてくれる。素直には言えないけれど、大好きなお姉ちゃんだ。美月が居なければ、あたしは本当に一人ぼっちで、きっとあの事故のことも立ち直ることも出来なかったと思う。
本当に感謝している。今度、美月に会えたら、ちゃんと言いたい。「ありがとう」と。陽太の優しくも柔らかい歌声が、あたしを素直にさせる気がした。いつもよりも長い時間、あたしはこの日、陽太と休み時間を一緒に過ごした。
実際の年齢は聞いたことがなかったけれど、たぶん二十代後半から三十代前半くらい。整った顔立ちをしていて、かけている眼鏡のせいで真面目で一瞬厳しいイメージを持ってしまうけれど、その目が微笑むと、同い年の男の子よりも遥かに可愛い笑顔に変わる。柔らかく下がる目尻に、何度ドキドキしたことだろう。
下を向いてペンを走らせている今の表情には、そんな可愛らしさはない。これまではあたしの視線に気がついて目が合うと、いつも表情を緩めてくれて、それがたまらなく愛おしくて、大好きだった。また、あの顔を見せて欲しい。そう思いながら先生の事を見つめていても、その瞳がこちらを捉えることはなかった。
思わず漏れてしまうため息に、あたしはカバンを手に取ると教室からゆっくりと出た。
校門を抜けて、足取りも重たく歩いていると、もうすっかり聞き慣れてきてしまっているあの声で、名前を呼ばれた。
「水瀬さーん」
間抜けにも聞こえる呼び声に、あたしは振り返りも歩みを止める事もしない。
「あれ? ちょっと、待ってくださいよ。聞こえてない?」
聞こえてる。無視してるの。分かって?
「あ、森谷先生!」
その言葉に、あたしは瞬時に反応してしまって、振り返った。もちろん、その先には先生なんていない。いるのは、ニコニコと笑顔を向けて立っている、山中陽太だけ。分かっていたのに、勝手に体が動いてしまった。こんな簡単な罠に引っかかってしまう自分に、あたしは頭を抱えたくなる。
「水瀬さん、この後予定あります?」
近づいてきたそいつは、ニコニコと笑顔を崩さずに聞いてくる。こいつがなにを知っているのかは分からないけれど、先生を引き合いに出されたことにイラつく。
「ちょっと行きたいところあるんですよね」
そんなの勝手に一人で行けば?
口には出さずに眉を顰めて黙ったままでいると、陽太があたしの手をとって進み出すから、一瞬なにが起きたのか分からなくなった。
繋がれた手は、思ったよりも大きくてしっかりとあたしの手のひらを包む。
「こっから十分かかんないかなぁ」
「ちょっ……と、離してよ!」
掴まれた手を、あたしは思い切り振り払って離した。
驚いた顔をする陽太を鋭く睨むと、その顔が徐々に青ざめていく。
「あ……ご、ごめん。あのさ、ちょっと……」
「なんなの? あたしは別にあんたになんて用はないから。もう話しかけてこないで」
知らない。山中陽太なんて、あたしは知らない。あたしに近付かないで。放っといて。あたしと先生とのなにを知っているのかはわからないけれど、あたしは誰とも関わりたくなんてない。
もう一度青ざめた顔を睨むと、あたしは前へと進んだ。
家に着いて玄関を開けて、ぽつり。「ただいま」と呟く。なにも返ってこない部屋の中に苦笑いをして、あたしは足を踏み入れる。
陽太が持って来たりんごがテーブルの上に置いてあって、手に取り皮ごと一口かぶりついた。まだしっかりと硬さのある果肉は、甘みよりも酸味が先に口の中に広がった。
「すっぱ……」
思わず、あいつの嫌がらせかと思ってしまって、笑いが込み上げてくる。
いきなり現れて遠慮もなしに話しかけてくるとか、気分が悪い以外にない。いきなりどこかへ連れて行こうとするし。真面目な顔して、なんなのあいつは。ほんとはめちゃくちゃ遊んでいるやつだったりするの? 友達も多そうだし、あーいうやつに限って中身はヤバいのかもしれない。
こんな時に、あいつがどんなやつなのか聞ける友達でもいれば解決するんだろうけれど、そんな友達はあたしにはいない。と、言うか、もうどうでもいいでしょ。あんなやつのことなんか。もう一度りんごを齧ると、あたしはため息をついた。
次の日も、またその次の日も、昼休みになると陽太は屋上へと現れた。
冷たく突き放したはずなのに、陽太はただ、なにを言うわけでもなくニコニコヘラヘラして現れると、あたしのそばに座る。そして、耳にはワイヤレスイヤホンを装着していて、空を見上げてなにかを聞いている。
そんな日々にいい加減慣れて来た頃、あたしは陽太に声を掛けていた。
「それ、いつもなに聞いてんの?」
いつもの様に空を首が落ちそうなくらいに見上げている陽太に聞いてみるが、聞こえていないのか返答がない。それに無性にあたしはイラついて、片方のイヤホンを陽太の耳から取り外した。
「え! え?」
なにが起きたのか分からない様に慌てた表情と動きをして、陽太はこちらを向いた。あたしはそんな陽太に、冷めた目をしてもう一度聞く。
「なに聞いてんの?」
「え! あ、もしかして! 僕に興味持ってくれていたりするんですか?」
照れた様に驚く陽太に、あたしはますます目を細める。
「いや、単に真面目なあんたには似合わないなと思って。あ、もしかして英語? 英会話聴いちゃったりしてんの?」
「……違います」
一瞬、陽太の表情が曇った気がして、揶揄うのはやめようと感じた。
「それ、聞いてみて下さい」
あたしが手に持っていた片方のイヤホンを指差して、陽太が真面目な顔をする。渋々、あたしはイヤホンを耳に押し込むと、聞こえてきたのは英会話ではなくて、メロディーだった。聞いたことのないメロディーは流行りの曲ではなさそうで、あたしにはよく分からない。だだ、曲調といい、言葉の羅列といい、聞けば聞くほどに。
「なにこの曲、暗くない?」
そう感じて気持ちが下がる。普段の陽太からすると全く正反対な耳に聴こえてくる曲に、あたしは違和感を覚えた。
「……どん底を知ったら、それ以上は落ちないし、あとは登るしかないじゃないですか」
わざとらしく笑っているような陽太の笑顔が、やっぱりいつもとは違う気がする。
「だったら、前向きな曲を聞けばいーじゃん」
「良いんです。今は、下がるところまで下がりたいから。もう無理ってところまで落ちたい。そうしたら、そこからわずかでも希望を見上げることが出来るのかもしれないから」
真っ直ぐ、空を見つめる陽太の瞳は、どこか悲しそうで、切なく見えた。
いつも友達に囲まれて、悩みなんて無いみたいにへらへらしていて。どうしてそんな目をするんだろう?
「毎日希望に満ち溢れた日々を送ってんじゃないの? なに、そんな重たいこと言ってんの。あたしなんて希望のきの字も見えやしない」
思わず、笑ってしまう。陽太は、あたしのないものみんな持っている気がする。
「俯いているからでしょ? 水瀬さん、前向いて笑いなよ。可愛いんだから」
『那月、笑ってよ。可愛いんだから』ふいに、美月の声が頭の中に響く。
「……なにそれ。美月と同じこと言ってるし」
離れてから、美月の存在が日に日に恋しくなって来ている。優しい美月の言葉を思い出して、自然と口角が上がってしまった。
「あ、ちょっと今、笑ってくれました? 嬉しい」
素直に喜ぶ陽太の笑顔がふんわりと優しくて、あたしは陽太から目を逸らした。
「美月、って?」
「あー……あたしのお姉ちゃん。十個も年上で、小さいうちはほんとお世話になりっぱなしだった。でも、あたし素直になれなくて。最近結婚前に彼氏と同棲するってうちを出て行ったの。美月が幸せになるなら、あたしは一人でも良いって、そう思ったから、今は一人暮らししている」
「……そう、なんですね。なんか、水瀬さんが自分のこと話してくれて嬉しいな。僕だけしか知らないことが増えると、特別な感じがします」
そう言って微笑む陽太の笑顔が、眩しい。
「……今まで、自分のことを話したいとか、話そうとか、聞いてくれる人なんていなかったし……あ……」
そう言いながら、また思い出した。先生のこと。……あれは、完全に同情されただけ。可哀想なあたしに対する惨めな慰めと単なるあいつの欲望だ。思い出しただけで気分が悪い。あたしがしばらく黙り込んでしまっていると、隣から歌声が聞こえてくる。陽太が、さっき聞いていた歌を口ずさむ。
「え、上手くない?」
思わず陽太の方に体ごと振り返ってしまった。あたしのその反応に、聞こえているのかいないのか、チラリと一瞬だけ目が合って、陽太はすぐに目を閉じた。イヤホンを両耳にして歌うその声が、あたしのことを慰めてくれている気がして、知らず知らずのうちに涙が頬を伝った。
ずっと一緒に、
永遠に、
なんて、ただの幻想でしかない。
最後は一人
最期は一人
だったら、
もうキミを追いかけることもやめよう
一人になるのは、
一人でいるよりもきっと辛い
だったら、ボクは初めから
キミの前にはいなかったことにしよう
『ほら、那月にもいつも話しているでしょう? 純くん。結婚を前提に一緒に暮らさないかって言ってくれたんだ』
幸せそうに頬を赤めて笑う美月の言葉に、あたしは素直に喜べなかった。
『那月も高校生になったし、最近は料理もたまにしてくれているし、生活する分にはきっと困らないと思うの。遠くに行くわけじゃないから。ここのアパート代とかも心配しないで。一つだけ、高校はちゃんと卒業して。あ、あと、きちんと食べること。これだけは約束してね』
頷きはしたものの、曖昧な表情のあたしに、美月が心配そうな目をする。だから、あたしは強がって無関心な真顔を向けた。
『那月も、いるんだよね? 好きな人』
『……え』
『最近、帰りが少し遅い時があるし、そんな時は那月は無意識かもしれないけど、鼻歌歌ってる。なんか、綺麗になった気もするし。だから、あたしここを出る決心がついたんだよ。那月を置いて、あたしだけ幸せになんてなれないから。これから先も、なにがあってもあたしは那月のお姉ちゃんだし、那月の味方だからね。それだけは忘れないで』
真剣な瞳が、そう言った後に細い三日月になる。思わず泣きそうになってしまって、あたしは『分かったよ』と無愛想に言いながら立ち上がって、自分の部屋へと駆け込んだ。
美月はいつもあたしのことを考えてくれる。素直には言えないけれど、大好きなお姉ちゃんだ。美月が居なければ、あたしは本当に一人ぼっちで、きっとあの事故のことも立ち直ることも出来なかったと思う。
本当に感謝している。今度、美月に会えたら、ちゃんと言いたい。「ありがとう」と。陽太の優しくも柔らかい歌声が、あたしを素直にさせる気がした。いつもよりも長い時間、あたしはこの日、陽太と休み時間を一緒に過ごした。