今日、あたしはただ純粋に、陽太と一緒に花火を見るためにここへ来た。浴衣もメイクも髪型も、陽太の反応が見たくて、可愛くなりたいって思って、可愛いと言ってもらえるんじゃないかって期待して。
 それなのに……目の前の泣きじゃくる陽太は、なぜか悲しい言葉を並べる。あたしは、そんな言葉を聞きにきたんじゃない。まだまだ一緒にやりたいことはあるし、一番叶えて欲しいあたしの願いは、まだ叶っていない。

『いつか、満点の星をみよう』

「……もし、僕が死んでしまっても、絶対にいつも空を見上げていてください。僕は水瀬さんが見上げた先の空に、いますから。水瀬さんのご両親と……同じように」

 陽太の顔は涙でびしゃびしゃだ。反射する花火が涙を虹色に輝かせている。胸が痛い。陽太が口にする言葉が針のように突き刺さって、痛い。

「……やだ、やだよ、やだ……全部叶えようって、言ったでしょう? まだ全然じゃん」

 大きく首を振って、子供のように駄々をこねた。

「絶対に嫌。なんで? なんで陽太、あたしのすぐ目の前にいるじゃん、死んでしまうなんて、いつのことかもわからない事、言わないでよ‼︎」

 手を伸ばせば掴めるのに。触れた温もりが暖かいのに。もう、誰もいなくならないで欲しいのに。
 あたしは、陽太がいなくなってしまわないように抱きしめた。心臓の鼓動が聞こえる。トクン、トクンと、優しく、早く。陽太はここにいる、離れていってほしくない。

「手術をしたから死ぬわけじゃないでしょう? 死ぬために手術なんてしないでしょう? 陽太のことを救ってくれるから、救いたいから、手術を勧めてくれているんじゃないの⁉︎ ねぇ、お願い……もうこれでおしまいなんて……言わないでよ……」

 花火は休憩に入ったのか、辺りは静まり返っていた。あたしのしゃくり泣く声だけが、響いている。静けさに頭の中が冷静になってくると、泣いていた陽太の顔が絶望的なのも、辛いのも、語られた事実が真実であることも、ようやく全部、理解出来た気がした。

「陽太があたしに、希望の全てを教えてくれたんだよ? それなのに……どうして陽太は希望をもたないの? 見上げた空に星が見えたなら、それは希望だよ、なにもないわけじゃない。あたしがずっといるから、あたしがずっと陽太のそばにいて希望になるから、それじゃあ、ダメなの?」

 ずっとそばにいる。なんて、幻想でしかない。そう思っていた。

「諦めるなんて、言わないでよ。死んだ後のことなんて、考えないで。陽太は今ここにいるんだから。最後の最後まで諦めないでよ……死ぬなんて、寂しこと、言わないで……」

 強く強く、陽太を抱きしめた。胸に顔を埋めてあたしは泣いた。陽太のTシャツから、お日様の匂いがする。明るくて、間抜けで、なにを考えているのか分からなくて、冷たく突き放してもあたしのそばにいてくれて。陽太がいなくなったらなんて、あたしにはもう考えられなかった。
 そっと、あたしの髪に、肩に触れた陽太の手は戸惑うように、だけど優しく抱きしめ返してくれる。

「……ごめん、ありがとう」

 小さく、陽太がつぶやくようにそう言って、今度は精一杯の力で抱きしめてくれた。
 気がつけば終わってしまった花火。あたしは陽太と東屋に二人で座って、ぼんやりと街を眺めていた。

「……今日は、曇りだね」

 見上げた狭い空は真っ黒で、灰色の雲が漂う。
 昼間に見た開放的なここからの景色を思い出すと、闇に囲まれていて、まるで鳥籠のように閉鎖的な空間に思えてしかたがない。
 唯一望めるわずかな街の夜景も、あまりに近すぎて空も狭い。星なんて、一つも見えやしなかった。

「……水瀬さん……」
「ん?」
「僕、水瀬さんを初めて見た時に、この人はなにをそんなに怖がっているんだろうって、思ったんです」
「……え」
「明日、死んでしまうかもしれないと思う怖さよりも、怖いものなんて、あるのかな……って」

 虚空を見つめながら、陽太は呟いた。

「毎日外を眺めるふりをして、必死になにかを我慢しているような目をしていて。どうして、そんな顔をしているんだろうって、ずっと気になってた。僕はもしかしたら、明日にでも死んでしまうかもしれないのに、水瀬さんの悩みが僕のこの辛さよりも、もっと辛くて深いものなのかどうか、無性に気になったんです」

 無言のままでいるあたしに、陽太は話を続ける。

「単なる好奇心で、水瀬さんに近づいたんです」

 時折聞こえてくる虫の鳴く声。風も涼しく感じるほどに、日中の暑さは感じなくなった。

「ごめんなさい……もう、なにも期待とかしたくないんです……水瀬さんといると、苦しいんです。辛いん、です」

 震えていく声に、あたしは眉を顰めて膝の上の拳を握りしめた。
 連絡をくれない間に、陽太はたくさん悩んで不安で、病気と向き合う恐怖で押し潰されていたんじゃないかと思うと、あたしは自分が幸せだと感じていた時間が途端に偽りだったんじゃないかと思えてくる。
 呑気なのはあたしの方だった。思い返せば、陽太はいつも真面目で真剣だった。
 もっと、ちゃんと陽太の不安も心配も、気が付いてあげられたらよかった。

 後悔なんて、今更遅い。陽太はあたしといると、辛いんだ。だったら──

「……もう、会わないよ」

 絞り出すように、喉の奥から引っ張り出した。陽太が辛いなんて、見ていたくない。

「……うん。ありがとう」

 泣き笑いする陽太に、あたしは唇を噛み締めた。

「もう遅いから、碧斗に送ってもらってください。今、呼びます」

 スマホを持つ陽太の両手が震えているのを見て、あたしは首を振った。

「いい……あそこに居るって、言われたから。行ってみるから……じゃあ」

 立ち上がって、「またね」そう言おうとして、グッと飲み込んだ。
 代わりに、小さく「バイバイ」と手を振った。我慢していたのに、涙が溢れ出てきてしまうから、あたしはすぐに陽太に背を向けて歩き出す。さっき出てきたドアを目指して、決して振り向かずに真っ直ぐに。ドアノブに手を掛けてゆっくり開けると、明るさに目が眩んだ。そのまま、崩れ落ちるようにあたしは階段に座り込んだ。

「……っ……っふぇ……」

 次から次へと、溢れ出す涙が止められなくて、あたしはひざを抱えて泣いた。

「……大丈夫……か?」

 心配する声が聞こえて、あたしは驚いて少しだけ顔を上げて見下ろす。
 階段の途中に、碧斗くんが困ったように立ち止まっていた。

「落ち着いたら、送ってく。陽太に頼まれてるから」

 そのまま、碧斗くんも階段に座り込むと、あたしが落ち着くまでそばにいてくれた。

 しばらくして、あたしは顔を上げると立ち上がって碧斗くんに声をかけた。

「……ごめんなさい。トイレ、借りても良いですか?」
「あ、うん。こっち」

 ゆっくり階段を降りて、お店と繋がる一角のトイレに案内されると、あたしは中へ入って鏡の中の自分を見つめてため息が溢れた。
 せっかくのメイクは全部流れ落ちて、瞼は真っ赤に腫れ上がっている。なんとか冷水で顔を洗って、火照りは少しとれたけれど、ひどい顔してる。
 ため息を吐き出して、顔を少しでも隠したいから、グジャグジャになっていた前髪をまっすぐ下に引っ張って伸ばした。

「これ、陽太から」
「……え」

 トイレから出ると、碧斗くんがお店の入り口前で待っていてくれて、あたしになにかを差し出してくる。近づいて見ると、手にしているものは前に陽太に貸したハンカチ。

「……陽太は?」
「帰ったよ。陽太の家、うちのすぐ上だから」

 碧斗くんが天井を指差して微笑む。
 東屋のあった場所の側には、何軒か家が並んでいたのは見えたけど、あの中のどれかが陽太の家だったのか。あたしはぼんやりと外の景色を思い出す。

「……碧斗……くんは、陽太と仲が良いの?」
「え、あー、うん。一応俺は、幼なじみで親友だと思ってるけど」

 苦笑いする碧斗くんは「行こっか」と入り口ドアを開けてくれるから、あたしは頷いて外へ出た。

「別れたの? 陽太と」

 少し歩いてから唐突に聞かれて、あたしは驚きつつ首を振る。

「いや、あたし陽太とは付き合ってないし。だから、別れるとかないし……」

 あたしが一緒にいたら、陽太を苦しめてしまうんだ。だから、もう会わないって、さようならしただけ。じわっと、また目元がぼやけてくるから、あたしは手の甲で目元を拭った。

「陽太のこと、嫌いにならないでやってな」
「……え」
「陽太、ほんといい奴だから。頭いいし、優しいし、俺の話も真剣にいつも聞いてくれて」

 ずっと、耐えていたのかもしれない。

「なんで……なんで、陽太が病気なんだろうな。どこも悪いとこなんてずっとなかったのに……」

 あたしが泣いていても、なにも言わずにそばにいてくれて、碧斗くんは困ったような寂しげな目をしていただけだった。陽太のことをずっと前から知っている碧斗くんの方が、あたしよりもずっとずっと、辛いはずなんだ。

「……ごめ……泣くつもり、なかったのに……」

 腕で溢れ出す涙をグイグイと拭き出す碧斗くんに、あたしはさっき返されたハンカチを差し出した。

「これ、使って」
「……あ、ありがと……」

 すぐにハンカチで涙を拭い始めた碧斗くん。
『碧斗は良いやつだから。大丈夫ですよ』
 すぐに、あたしは陽太の言葉を思い出した。

「碧斗くんは、陽太が病気だって、知っていたの?」
「……うん。高校入って夏くらいかな。ちょうど今くらい。陽太から大事な話があるって連絡がきて、知った」

────

 高校は別々になったけど、お互い家も近いし朝に電車が一緒になることもたまにあったから、別に俺は陽太と距離が出来たとは思っていなかった。
 その日も、大事な話なんて言うから、あの真面目で恥ずかしがり屋な陽太に、まさか彼女でも出来たのか⁉︎ なんて、浮かれていた。
 俺のうちと陽太のうちの間にある秘密基地は、小さい頃から特別な場所だった。

『おう、なんだよ大事な話って。改まっちゃってさー』

 いつもの軽いノリで陽太に近づいていったら、東屋の椅子に座って街並みを眺めていた陽太が、泣いていた。瞬時に、彼女が出来たんじゃなくて、フラれたのかと察した俺は、慰めるいい言葉を探して頭の中をフル回転させていた。
 だけど、陽太から発せられた言葉に、頭の中も体もなにもかもが、フリーズした。

『僕、病気でさ、手術しても助かる可能性が低いらしいんだ』

 何秒間過ぎたか分からない。もしかしたら、数分経っていたのかもしれない。

『……は?』

 先ほどまでフル回転で動いていたはずの頭の中は、ネジが外れてしまったように全く動かない。体まで、硬直したように一歩も前に進めず、視線だけは陽太の流れ落ちていく涙をとらえていた。

『僕が死んだらさ、頼みたいことがあるんだよ』

 泣いているのに、俺には訳の分からないことなのに、陽太はそう言って、笑顔を向けてきた。

『は? なんの話してんの? え? 死?』
『僕ね、最近気になる人が出来てさ』

 今度は、嬉しそうな表情で泣き笑いするから、ますます混乱してしまう。
 は? あ、やっぱ彼女出来ましたって話か? だよな、冗談にしてはふざけてる。ってか、じゃあなんで泣いてんの? やっぱフラれたの?
 一気に動き始めた思考を働かせて目の前の陽太を見ると、やっぱりその目は泣いていて。

『僕ができる限りのことをしようとは思ってるんだけど、もしも、それが叶わなかったら、碧斗に頼んでもいい?』

 一向に話の中身が見えてこなくて、戸惑う俺に、陽太はやっぱり悲しげに笑った。

『こんなこと頼めるの、碧斗しかいないからさ。僕が覚悟を決めて手術を受けたら、水瀬さんはまた、ひとりぼっちになってしまうかもしれないんだ。そんなことはしたくないから、だから、碧斗に頼みたいんだ。僕が死んでしまったら、水瀬さんのそばにいてあげてほしい』

 だから、さっきからなんの話してるんだよ? 水瀬さんって誰だよ? 陽太が死んだらって、どういうことだよ?
 頭ん中がパニックになって、『死んでしまったら』の言葉が一番心の奥に引っかかって、痛くて、一気に涙が溢れ出してきた。

 なんて答えるのが正解なのかも分からなくて、言葉が出てこない程に嗚咽した。陽太の方が、俺を慰めてくれているみたいに、背中をさすってくれる。

『嘘だろ? なんでだよ? 陽太元気じゃん。なんともねーんだろ? 手術すぐしろよ! 早く、治せって‼︎』

 ようやく出て来たのは、陽太を攻めるような言葉だった。

『……怖いんだ』

 消えそうに呟いて、震えていた陽太に、もう、なにもかける言葉が見つからなかった。

────

「水瀬さんのことは、全部陽太から聞いてる」
「……全部?」

 とは、どこまでだろうか。

「俺は陽太のこと信じてる。手術だって成功する。だから、あいつが元気になるまでは、水瀬さんのそばにいる。あいつの病気のことを知ってる唯一の仲間だし」
「……え」
「あいつ、学校で他の友達に病気のこと話してたりしてた?」
「……聞いたこと、ない。たぶんだけど、陽太の周りの人達、誰も知らないと思う」

 見ていた限り、周りは病人を見るように接しているようには見えなかった。陽太も病気をしているなんて素振りも全然感じなくて。だからあたしも、なにも知らなかった。

「うちの母さんも知らねーんだよ? 陽太に言うなって言われてたからさ。あ、でももしかしたら、今日あたりユミさんに聞いてるかも知んないけどな」
「ユミさん?」
「ああ、陽太の母さん。仲良いんだ。さっきも出かけてくるって言ってたから。いよいよ陽太のこと、聞かされるのかもしれない」

 俯いてため息をつく碧斗くんの表情が、曇る。

「ねぇ、陽太さ、まだ時間あるよね?」
「……え?」

 あたし、諦めたくない。陽太とやりたい事、ちゃんと全部やりたい。このままなにもしないで、後悔はしたくない。

「手術って、いつなの?」
「……えっと……確か再来週。夏休み最後の日って聞いた」
「だったら、夏休みは遊び倒さないともったいなくない⁉︎」

 あんなに落ち込んだ陽太とさよならして、まだまだある夏休みを無駄にはしたくない。さっきはどうしようもなくて、悲しくて、陽太がそう思うのならって、陽太の意見を尊重した。だけど、あんなの絶対陽太の本心じゃないと思う。
 陽太がやりたい事、全部叶えてあげたい。じゃないと、陽太が報われない。

「……え? どういうこと?」
「碧斗くんのお母さんって、運転得意?」
「……あー、まぁ。運転はするけど、得意かどうかは……」
「じゃあ決まり! 連れて行って欲しいところがあるの」