待ち合わせの時間に間に合うように準備をしようと言ってくれた純くんが、美月と一緒に車で迎えにきてくれた。
 ここからは少し遠いけれど、純くんの実家の美容室へと車で向かっている。
 車中、純くんから「俺にも那月ちゃんと陽太くんの出逢い話を聞かせてーっ」と言われて、困りながらも順を追って話すと、泣きながら聞いてくれた。

「なんだよ、陽太くんマジいいやつじゃんっ!」
「ちょっと、純くん運転集中して!」

 涙を拭って時折目を瞑る純くんに美月が慌てて怒った。そんなこんなであっという間に辿り着いた先には、とても気さくな美容師のお母さんとお姉さんが待っていた。
 純くんは美容師ではないけれど、小さな頃から髪をいじるのが好きで、この前うちに来た時も戸惑うことなくあたしの髪を結ってくれた。

「純、ワゴンこっちに持ってきて」

 お姉さんに指示を出されて動く純くんに、美月もなにか手伝おうと一生懸命について回っている。キョロキョロしていたあたしは「ほら、前向いていて。可愛くなるよー」と、鏡越しに笑顔を向けられ、緊張しながら頷いた。
 いつの間にか隣の椅子に美月も座っていて、純くんのお母さんに髪をアップにしてもらっている。綺麗に変わっていく自分と美月の姿にドキドキしてきた。お姉さんにメイクをしてもらって、完成した自分の姿にしばらく見惚れてしまっていた。

「はは、那月ちゃん、口開いてるよー、可愛くてびっくりした?」

 純くんが笑いながら最後にこの前付けてくれたのと同じ、星型の簪を挿してくれた。

 お昼ご飯までご馳走になって、純くんのお母さんとお姉さんに「ありがとうございます。ご馳走様でした」とお礼を言い頭を下げると、あたしはまた車に乗り込む。
 ずっとバックの中にしまっていたスマホを確認すると、メッセージが届いているのに気が付いた。
》待ち合わせ、Sunnydayに変更。時間は同じ。
 またしても、業務連絡なメッセージが陽太から届いていた。なんだか画面の向こうに陽太を想像できなくて、他人行儀を感じてしまう。少し、寂しい気がする。

「美月、陽太が待ち合わせの場所Sunny dayにするって」
「さにーでー?」
「パン屋さんだよ! うちから一駅先の赤いとんがり屋根の。知らない?」
「あ、俺知ってるよ。あそこのあんぱん美味いよね」

 話を聞いていた純くんが反応してくれて、あたしはそこまで行ってもらうことをお願いした。待ち合わせまであと三十分。少し早いけれど、それくらいなら待っていられる。
 美月と純くんに「ありがとう」とお礼を言って、あたしは車から降りると、Sunny dayの入口を眺めた。
 お店の中には明かりが付いていて、ガラス扉からサチコさんが顔を出した。

「あ! みなせちゃん!」

 笑顔で手を振られて、あたしは戸惑いながら振り返って笑顔を向けた。

「外、もう暗いから中に入って。たぶんもうそろそろ来ると思うから」

 あたしと陽太がここで待ち合わせていることを知っているのか、サチコさんに手招きをされて、あたしは店内の椅子に座って待たせてもらうことにした。

「とっても可愛いわね、みなせちゃん! 陽太くん惚れ直しちゃうわよ、きっと!」

 豪快に笑う顔はこの前と一緒で勢いが良くて元気が出る。が、「みなせちゃん」と呼ぶのは多分下の名前が「みなせ」だと思っているサチコさんに、名前の訂正をすべきか悩んでいると、目の前にアイスティーのグラスとあんぱんが置かれた。

「はい。あたし、こしあん好きな彼女なんだとばっかり思ってたの。今日のはつぶあんだよ」
「あ……ありがとう、ございます」

 またしても彼女と勘違いされていることを、訂正するべきか悩んでしまう。

「陽太くんね、いっつもつぶあんしか買ったことがなかったのに、ある日突然こしあんのあんぱんも買って行くようになったから、これはなにかあるなって思っていたのよね」

 サチコさんはあたしに対面する椅子に座ると、得意げに微笑みながら話し出した。

「最近碧斗と二人でこそこそ話してることが多かったから、きっと彼女でも出来たんだわって思っていたのよ。そしたら、この前みなせちゃんを連れてきてくれて、とっても可愛い子だし、なんだか自分の息子のことのように嬉しくって。だから、またいつでもいらっしゃいね。あ、うちの碧斗には会った?」

 あたしは小さく首を振る。

「見た目も口も悪いけど、優しさはある子だから、会ったら仲良くしてやってね」
「……あ、はい」

 見た目も口も悪い……って。この前、陽太が中学の頃はモテていたと言っていたけれど。母親だからきっとそう言うんだろうな。

「あ、噂をすれば来たわよ」

 入り口の方へと視線を向けたサチコさんにつられるように、あたしもそちらへ視線を向けた。

「たーだいまーっ。マジ今日の練習ハードすぎだったんだけど。もうメシ食って風呂入りてぇ……」

 足取り重たく入ってきたその人は、あたしの存在に気がつくとぴたりと口を閉じた。

「おかえり、碧斗。陽太くんは?」
「あ……今から呼び出す」
「え? 今から?」
「うん。帰ってきたら連絡してって言われてたから」
「あら、そう。じゃあみなせちゃん、もう少し待たなきゃいけないわね」
「あ、あたしは大丈夫です。待ってますから」

 サチコさんが不安げな顔をするから、あたしは笑った。

「……みなせって……陽太の?」
「そうよー。お母さんみなせちゃんともう仲良くなったのっ! ねっ」

 自慢げに胸を張るサチコさんは振り返って同意を求めてくるから、あたしは苦笑いで頷いた。

「お祭りの会場まで行くんでしょ?」
「いや? 行かねーよ。そこの上から見るって」
「え、あそこ見えるかしら? 拓けてはいるけど見渡せるほどじゃないし」
「いーの! もうちゃんと計画してんだから。口出しすんな」
「はいはーい、じゃあ碧斗にあとは任せる。あたしはユミちゃんと出掛けてくるからね」
「は? 店は?」
「もう閉めてるわよ? じゃあ、みなせちゃんも花火楽しんでいってね」

 【close】のプレートを指差して、サチコさんは奥の部屋へと消えていった。

「……マジかよ」

 頭を抱えて小さく呟く姿を見つつ、あたしはどうしたらいいのか分からずに無言のまま残りのアイスティーを啜った。

「……えっと……碧斗……です。陽太から聞いてるかもしれないけど」

 沈黙を破って、不器用な自己紹介をする碧斗くん。短髪の頭をガシガシと掻きながら、困った顔をしてあたしからすぐに目を逸らすと、両手をこちらに突き出し慌て出した。

「ちょ、ちょっとだけ、ちょっとだけ待っててくんない? 今すぐ陽太呼んで来るから! 店は閉まってるし、誰もたぶん来ないだろうから、待ってて、な」

 少しずつ距離をとる碧斗くん。あたしに言っているんだろうけれど、自分に言い聞かせているようにうんうん、と頷きながら出口へと移動すると、最後はニッと誤魔化すように笑って手を振って行ってしまった。
 なんだ、あれは。
 やっぱり陽太の友達だな。行動の意味がわからない。行ってしまったドアを見つめて、あたしは苦笑いをしてからため息を吐き出した。
 しばらくして戻ってきた碧斗くんのそばに、陽太は居なかった。

「あいつさ……」

 あいつって言うのは、たぶん陽太のことだと思うのだけれど。そこまで言ってから、次の言葉がなかなか出てこない碧斗くんを、あたしはじっと待つしかない。目が合ったかと思うとすぐに逸らして、何度かその繰り返しをした。

「……あの……さ、あいつ今すげぇ落ち込んでて、俺の言葉じゃなに言っても伝わらないんだよね。水瀬さんさ……もし、あいつが変なこと言い出したら、全力で止めて欲しいんだよ」

 ようやく開いた口から出た言葉に、あたしは首を傾げた。碧斗くんの表情は真剣そのもので、ふざけている様には見えないし、なんだか二人がなにを言いたいのかが伝わってこない。

「秘密基地の東屋で待ってるから、行ってやって」

 裏口に案内されて、慣れない浴衣でゆっくりと階段を登る。ついた先のドアから外に出ると、目の前にはもうあの時陽太に連れられて来た東屋が見えた。Sunny dayのすぐ裏が秘密基地に続いていたんだ。

「俺はここにいるから、もしもなにかあったら呼んで」

 パタンと閉じられたドアを背に、東屋へと視線を向ける。辺りはすっかり夜になっていて、薄明かりの下に座っている後ろ姿が見えて、それが陽太だと、あたしには分かった。そっと近付いて、声を掛けようとしたら、あたしよりも先に陽太が振り返った。

「……水瀬……さん?」

 ゆっくりと立ち上がって、驚いた顔をした陽太の目尻がふんわりと下がっていく。

「うわ……めちゃくちゃ綺麗ですね」
「……ありがと」

 浴衣を褒めただけだから、と、勘違いしないようにあたしは恥ずかしくなって袖をキュッと握りしめて陽太から目を逸らす。

「ここ、どうぞ」

 さっきまで陽太が座っていた場所の隣に手を差し出されるから、あたしは素直にそこへ座った。

「もうすぐかな」

 陽太の言葉と共に、ヒューっと音が聞こえてきて、夜空に花火が咲く。顔を上げて花火を確認しようとするけれど。

「あれ? 思ったよりも見えなくない?」

 音は聞こえるものの、花火が真っ正面に見えるだろうと期待していたあたしは、明るくなるだけの空に少しガッカリして陽太の方を見た。

「うん、ここね、正面には見えないんだよね。自分が少し動けば良い角度探せるんだけどさ、今年はどの辺がいいかなぁ」

悩みながら、陽太は立ち上がると歩き始めた。
その間にも花火は上がり続ける。

「あ、ここ! 水瀬さん、こっち」

 陽太がフェンスギリギリのところで手を振るから、あたしもフェンスに近付く。
 フェンス越しに見る花火は、先ほどまで物陰や木の葉の影で一部分しか見えなかったけれど、小さくもしっかりとまんまるに見えた。
 陽太があたしの手をとって、少し段差になっている場所に躓かないようにと支えていてくれた。

「ほら、ここならちゃんと見えます」
「あ……うん」

 繋がれた手に、ドキドキと早くなる心臓の音が伝わってしまわないか気になってしまう。見上げた先の陽太が、あたしの視線に気がついて微笑んでくれた。だけど、その表情はなぜか悲しそうだ。

「お祭りの会場まで行けなくて、すみません」
「え……ああ、いいよ。あたし人混みとか好きじゃないし、陽太と一緒に花火見れるなら、どこだって大丈夫」
「え、あ……ありがとう」

 照れながら頷く陽太に、あたしまで恥ずかしくなってしまう。

「ってかさ、あの業務連絡みたいなメッセージはなんだったの? 思わず笑っちゃったんだけど」

 あたしが思い出して笑いながら聞くと、陽太は気まずそうな顔をする。

「あー、えーっと、碧斗に代わりに、送ってもらってたから、です」
「……え?」
「……ごめんなさい、水瀬さん……僕のやりたいこと、全部叶えられそうに、ないです」

 繋がれた陽太の手の力が、一瞬だけ強くなる。

「水瀬さん、僕、夏休み中に手術を受けます。だけど、それで助かる可能性ってかなり低いみたいなんです。だから……」

 え? 手術? 助かる可能性がかなり低い?
 いきなりの陽太の発言に、あたしは頭がついていけない。今まで陽太の口からは出たことのなかった言葉が並ぶから、ますます混乱してしまう。
 バンバンと夜空を彩る花火の音に、陽太の声が負けてしまう気がして、陽太がなにを言いたいのか、必死に耳を傾けた。

「だから、今日でおしまいにします。僕は、もうすぐこの世から、いなくなる存在だから……」

 陽太の泣きそうな笑顔が、辛そうに歪んでいく。花火の光で赤や緑、色彩を何度も何度も変えながら、ゆっくりと陽太の顔に影を落としていく。繋がれていた手が、そっと解けて、離れていった。
 陽太がポケットからスマホを取り出して、花火の方へ向けた。その手は、わずかに震えている。

「写真がぶれるのは、手がしらずに震えてしまっていたから。意識しても止まらない。性能のいいスマホのカメラだから、僕の震えをそのまま画面に写してしまう。僕が写真を撮るのが下手なのは、スマホさえも重たく感じてしまうこの手のせい。だから、ほら、また水瀬さんに下手だなって、言われちゃう」

 普通に撮るのも難しい花火の写真。
 陽太が撮った花火は、全体にぼやけてブレるというよりも明らかに大失敗な残念な写真になっていた。
 はは、と力なく笑って、陽太はあたしと目を合わせた。

「今までありがとう。水瀬さんと過ごした夏の日を思い出に持って逝く。僕の最期の希望になってくれて、本当に、ありがとう。僕がいなくなったら、水瀬さんは悲しんでくれるかな、時々、思い出したりしてくれるといいなって、思ってる……っ……」

 無色透明な涙が、陽太の頬を流れた。眉が下がっていって、堰き止めていた涙が一気に崩壊して、溢れ出す。歪んでいく陽太の顔を、スローモーションでも見ているかのように
、あたしはただ、見ていることしか、できなかった。耳に遠く、花火の音。そして、陽太の嗚咽。頭の中が真っ白になってしまって、陽太が話した言葉の意味を理解するのに、時間がかかった。