泊まりにくる二、三日前から、もうすぐお泊まりだね、とか、なにか食べたいものはある? とか、必要なものはない? 買っていこうか。とか、美月からのひっきりなしに届くメッセージがいい加減面倒に感じて、既読だけつけて返さずにスマホを放っておいた。

 陽太と秘密基地へ行ってから数日が過ぎていた。その間、陽太からの連絡はない。あたしは学校の課題を終わらせようと机に向かっていて、休憩をするたびに気にしてしまうのは、陽太からのメッセージが届いていないか。なんだか、陽太に依存し始めているような気がしてならない。
 だめだなあたし。寂しいからって先生の思惑にハマって、だけどそれでも孤独よりもマシだと抱き合って。あの時は、それはそれで満たされていたのかもしれないけれど、今は陽太にそばにいて欲しいと思い始めてしまっている。
 あの笑顔が、間抜けな顔が、思い出すだけで心の中が暖かくなるから。
 今度こっそり笑顔の写真でも撮ろうかな。そんなことを考えていたあたしのスマホが鳴っった。着信表示は、美月。

「はーい」
『那月、元気そうだねー! 明日ね、お家で焼肉パーティーしようって純くんが提案してくれたんだけど、那月の彼氏も誘いなよー』
「……はい?」
『純くんが奮発していいお肉買ってくれるってから、那月ご飯大量に炊いといてね!』
「……いや、」

 あたし、誘う彼氏いないし。
 断ろうにも、元気いっぱいな美月の声に圧倒されて、じゃあまた明日ね! と、通話は一方的に終了してしまった。きっと、あたしがなにを言っても頷くことはないと思った。とりあえず、明日の予定を話したかったんだろう。別にメッセージをくれれば十分なのに。そう思いながらスマホを置こうとすると、ピコンとメッセージが入ってきた。

》那月の声が元気そうで安心した。また明日ね。

 美月からのメッセージに、小さなため息が漏れた。
 ずっと、心配してくれていたんだろうな。ここから出て行く時も、決して美月はにこやかじゃなかった。あたしがあんな状態で帰ってきたりしたから、一人になったあたしのことを、ずっと気にしてくれていたんだと思う。頻繁に届くおかずや手紙が、その証拠だ。
 さっきの美月の明るい声も、きっとあたしを元気付けてくれる為のものだと思うと、胸が苦しくなる。
 もう、あたしは大丈夫。そう伝えたい。
 明日陽太を美月に会わせたら、きっと安心してくれる。根拠はないけど、なんとなく確信を持って思えた。

》明日、美月が焼肉パーティーしてくれるって。陽太も暇ならどう?

 陽太へのメッセージに素直に〝来て欲しい〟と言えないのは、万が一断られたりしたら、傷付くから。それが怖いから。
 既読がいつまでも付かなくて、もう寝るばかりで潜り込んだベットの中で、スマホを握りしめて送ったメッセージを何度も確認する。ようやく付いた既読の文字に、しばらく返信を待っていたけれど、なかなか返事は来なくて、あたしはいつの間にか眠ってしまっていた。

 すぐ耳元の振動で目が覚めると、あたしは頬に当たるスマホを手にしてまだボヤける目を擦りながら画面を確認した。着信は美月。

「……はい?」
『おはようっ、那月! まーだ寝てたの?』

 元気な声にあたしは思わずスマホを耳から離して、壁にかかる時計を見上げた。時刻は午前九時。うわ、だいぶ寝てたんだ、あたし。

『先にお墓の掃除とかしに行ってるから、準備したらおいでね。あ、あと、那月の好きなお花買ってきて、よろしくねーっ』
「うん……分かった」

 通話を終了させて、まだボーッとする頭を押さえる。再び閉じかけた瞼をなんとかこじ開けて、あたしは準備を始めた。
 言われた通りに近所のお花屋さんで、トルコキキョウとカーネーションを選んでアレンジしてもらった。カラリと晴れ渡る空に太陽が眩しい。
 毎年お父さんの命日に、お母さんの分までお墓参りをする。美月と二人で。お墓の場所は並木公園を横切って少し歩いたところ。向かっている途中でスマホが鳴った。美月かな、と画面を見ると、そこには陽太の名前。急いであたしはそれに応えた。

「陽太、おはよう」
『あ、おはようございます。今、大丈夫ですか?』
「うん」
『メッセージに気がつくのが遅くなって。今、並木公園まで来たんですけど……』

 声がすぐそばで聞こえてきて、後ろ姿の陽太を発見する。公園の入り口の車止めに座り込んでいる陽太に、あたしは駆け寄った。

「陽太! おはようっ」

 いきなり現れたあたしに陽太はびっくりしながら、優しく微笑んでくれた。

「おはようございます。遅くなりました」

 頭を下げる陽太に、あたしは首をブンブンと振った。

「遅くないってば。ちょうど良かったよ! 美月もう先行ってるって。一緒に行こう」

 微笑む陽太がなんだかまだ少し、顔色が良くないように感じた。

「お花、持ってきてくれたんだ」

 陽太が手にしている花束に気がついた。

「あ、はい。なにもないのもあれかなと思って」

 戸惑う陽太に嬉しくなって「ありがと」と素直にお礼を言うと、ふんわり微笑む陽太の表情が優しくて安心する。お墓までの道を並んでゆっくり歩いて行くと、美月の姿を見つけた。

「もう、那月やっと来た! 見て、ピッカピカ!」

 (じゅん)くん張り切りすぎだから、と、首にタオルを巻き付けて額の汗を拭う純くんと戯れあう美月に、あたしは今までにないくらいお墓が光り輝いているのを見て苦笑するしかない。

「あ、もしかして、彼氏?」

 美月が陽太へ視線を向けて、にこにこと笑顔になっていくから、あたしは慌てて首を振った。

「ち、違うよ、友達っ! 友達の山中陽太。美月に会いたいって言うから来てもらった」
「え、あたしに?」
「……は、初めまして、山中陽太といいます。水瀬さんとは一緒のクラスで。仲良くさせてもらっています。お姉さんがいることも聞いていたので、ぜひ、会いたいなって思っていたので、会えて嬉しいです」

 頭を下げると照れた様に笑う陽太に、美月は驚いて目を見開いたかと思うと、その瞳が柔らかく弧を描く。

「陽太くん、初めまして。那月の姉の美月です」
堀越(ほりこし)(じゅん)です。よろしく」

 二人が陽太に自己紹介をするのを眺めていると、純くんがあたしにも視線を向けてくれる。

「那月ちゃん、美月のこと連れ出してしまってごめんね。ずっと一人にしてしまったことを、美月が悩んでいて僕も心配だったんだけど、陽太くんみたいな子がそばにいるなら、大丈夫そうだね」
「あ! ちょっと純くん! それあたしのセリフだから!」
「え? あ、ごめん。なんか、二人見てたら安心しちゃって」
「もぉ。純くんはいつも良いとこどりなんだからーっ。あ、それって父に? もらってもいい?」

 純くんに怒りながら、美月は陽太の手にしていた花束に気がついて受け取ると、あたしのと一緒にお墓に供えてくれた。順番にお墓に手を合わせると、純くんは飲み物を買ってくると、先に公園の方へと陽太を連れて向かって行った。

「お父さんとお母さん、安心してくれているかなぁ」

 美月が空を見上げながら言った。

「……してるよ。お墓こんなにピッカピカにしてくれる旦那他にいないよ? きっと」
「え! あ、まぁ、そうね」

 陽太となにやら盛り上がって歩いていく純くんの後ろ姿に視線を送ると、美月が笑った。

「ほんと、結局那月の胃袋掴んだのも純くんだし、あたしと一緒に那月のこと心配してくれて、今日も、久しぶりに那月に会うのに、なんだか変に緊張しているし。なんにも言わない父親に結婚の許しもらうよりも、那月に認めてもらえるかどうかの方が心配みたいよ、彼は」
「え? なにそれ。そんなのとっくに認めてるし」
「本当?」
「普通さ、彼女の妹に手紙なんて書かないでしょ? 手料理作ったりしないでしょ? 彼氏がどんなやつかなんて、気にもしないでしょ? まぁ、陽太は彼氏じゃないけど。純くん、あたしのこと美月と同じくらい心配してくれているんだなって、改めて感じたよ。だから……」

 ここで言葉に詰まってしまうのは、素直になっても大丈夫かどうか不安だから。
 本当はちゃんと言いたい。言おうって決めていた。なのに、いざその言葉を口にしようとすると、やっぱりこうなる。

「ありがとう、那月」
「……え」
「ありがとう。ちゃんと、あたしや純くんの気持ちを理解してくれて。押し付けがましいのかなって、不安だったりもしたんだけど、純くんが、そんなわけないだろって、喜んでくれるから、那月ちゃんが結婚するまでずっと見守ろうって。そう言ってくれてさ」
「……っ、だよ」
「ん?」
「ありがとうは、あたしのセリフだよ‼︎」

 なんでそんなに美月は優しいんだ。あたしなんて、わがままできつい言葉を何度も投げつけて反抗してきたのに。それなのに、一度だって突き放されたことなんてなかった。
 だから、ずっと言いたかった言葉を、美月があたしに言うなんておかしいでしょ。あたしの方が、〝ありがとう〟なのに。

「あたしね、那月がいてくれて幸せなんだよ。お父さんが亡くなった日、病院のベッドで眠っている那月を見て、那月まで死んでしまったらどうしようって、あたしひとりぼっちになってしまったら、どうしようって。本当に毎日毎日怖くて。だけど、那月が目を覚ましてくれたから、あたしの名前を呼んでくれたから、だから、もうひとりじゃないって。絶対に那月と一緒にずっと生きていこうって、そう心に決めたんだよ」

 潤んだ美月の瞳に、あたしの胸が痛いくらいに締め付けられた。同時に涙腺が熱くて、湧き上がる想いに、耐えきれなくなった大粒の涙が溢れ出す。拭っても、拭っても。

「……がと……ありがと……美月、ありがとうぉ……っ……」

 泣きじゃくるあたしを、美月は優しく抱きしめてくれた。ようやく、素直になれた。
 空のずっとずっと向こう、入道雲のてっぺんよりも高いところで、お父さんとお母さんが微笑んでくれている様な、そんな気がした。

「だーかーらぁ、純くんはいいとこ取りなのっ」

 狭いアパートの真ん中、テーブルの上のプレートで、高級和牛がいい香りを舞い上げて美味しそうな焼き目をつけてひっくり返った。あたしと陽太はそれに目を輝かせてよだれが垂れるのを必死に我慢。今か今かと、純くんの真剣な眼差しとお肉とを交互に見つめていた。

「那月ちゃんと陽太くんのために奮発したんだぞー。あんまり焼くと硬くなるから、もう良いかも。ほら、美月、皿!」

 美月が膨れながらそばにあったお皿を取ると、純くんへと渡す。

「なにその顔ーっ、可愛いなぁ美月は」
「は⁉︎ もうっ」

 純くんの言葉に真っ赤な顔になってしまう美月に、あたしは思わず笑ってしまう。純くんは美月の一枚も二枚も上手だ。
 あたし達のために貯めていた給料から奮発して高級サーロインステーキを買ってきてくれた純くんの行動に、呆れるどころか嫉妬してしまっている美月に驚いた。
 あたしから見たら美月は大人で、あたしのことなんかいつも子供にしか見ていないんだろうってずっと思っていたけど、今目の前にいる美月はまるで子供の様に純くんの行動にいちいち反応していて、なんだか、純くんの言う様に、可愛い。

「こら、那月。笑わないのーっ。お肉美味しい?」

 厚くて大きな一枚肉を、純くんが食べやすい大きさにカットしてくれて、塩胡椒とわさび醤油と、それぞれで食べてみる。

「美味しいっ! こんなの今まで食べたことない!」
「はははっ、素直だねー那月ちゃん。俺がまた食べさせてあげるからねー」

 あたしの反応に、純くんは嬉しそうに笑ってそんなことを言うから、思わず大きく頷いた。

「陽太くんは? 美味しい?」

 純くんの問いかけに、隣にいた陽太は静かに頷いた。

「……美味しい、です」
「……ん? あれ? ……待って、陽太くん、泣いてる⁉︎」

 慌て始めた純くんに、あたしは驚いて陽太の顔を覗き込んだ。すると、すぐに目元を拭う陽太に、あたしは本当に陽太が泣いていたと分かった。

「す、すみません……、なんか、嬉しくて……、楽しくて……美味しくて……」

 顔を上げた陽太はもう一度涙を拭いながら、笑顔を向けてきた。

「な、なんだよぉー! 俺も泣いちゃうよー。あー、こんな感動してくれるんならもう一ランク高級な肉にすりゃよかったなー! よっし、次な、次またみんなで食べような、最高級ステーキ‼︎」
「ちょっと、純くん大丈夫? 破産しちゃうよ?」

 フライ返しを高く掲げて張り切る純くんに、美月が冷静に突っ込むけれど、純くんは聞いちゃいない。近所に笑い声が響き渡っているんじゃないかと思ったりもしたけれど、楽しいのは止められない。
 あたしと陽太のお皿に次々とお肉や野菜を乗せてくれて、人生で一番食べたんじゃないかと思うくらいにお腹がパンパンになった。「ギブ」と二人で降参の白旗がわりの布巾を掲げると、純くんが満足げに大笑いした。

 このアパートに、こんなに楽しい笑い声が響いたのは、きっと初めてだと思う。こんなに毎日が楽しいなんて、夢じゃないかと思ってしまう。
 片付けまできちんとして、純くんは陽太を家まで送り届けながら帰って行った。

『またやろうな。これ、ここで使う様に買ったやつだから、置かせてね』

 純くんがそう言って置いていった焼肉プレートの箱がキッチンの見える場所に置いてあって、夢じゃなかったって実感する。明日また目が覚めることが、楽しみで仕方がない。
 お風呂に入って歯を磨きながら、あたしは頭の中で考えていて、ふと、陽太に教えてもらったあの曲を口ずさんだ。
『希望の《《き》》くらいは持てるような気がしますから』
 あたしの見えなかった希望が、きの文字どころか、全部が希望に見えてきている気がしてならない。
 こんなに幸せで良いのだろうか? 陽太と出逢ってから、こんなに日常が変わるなんて、思いもしなかった。
 今度は、陽太に言いたい。〝ありがとう〟って。
 陽太があたしに片方だけのスニーカーを持ってこなければ、なにも始まらなかった。無くした靴を持ってくるとか、あいつは白馬の王子様か? ふと、シンデレラのストーリーを思い出したあたしは、頭の中にガラスのスニーカーを手にして白馬にまたがる、どう見ても王子様とは言えない平凡な陽太の姿を想像してしまった。思わず咥えていた歯ブラシごと流しに吹き出してしまった。

「なにしてんの? 那月」

 あたしの行動を見て、笑いながら入ってきた美月はお風呂に入る準備をしながら、鏡越しに微笑んでいる。

「……べ、別に」

自分の顔がニヤけているんじゃないかと不安になりながら、あたしは口元を隠すように手で覆った。

「良い子だったね、陽太くん」
「……うん」

 素直にあたしが頷いたからか、美月は一瞬目を見開いたようにしてから、また優しく微笑んで、あたしの頭を撫でてくれる。

「安心した。那月が笑ってくれていて」

 美月の手の温もりが暖かくて、ずっと撫でていて欲しくて、あたしは溢れそうな涙を堪える。

「今日は一緒に寝ようね! 陽太くんのこと色々聞かせて。あ、ついでにあたしと純くんのことも聞いてーっ」

 きゃーっと、美月はそのまま素早く服を脱いでバスルームへと消えていった。

 あたしと陽太との出逢い、先生のことは敢えて黙っていた。無くしたスニーカーを届けにきてくれた陽太の話をして、さっき吹き出していたことを話すと、美月も「わかる」と深く頷いて賛同してくれた。また、陽太の王子様な姿を想像してしまって、二人で笑いあった。

 美月と純くんは結婚式の準備が進んでいるらしい。どこの式場にするか、ドレスは何色か、たくさん決めなくちゃいけないことがあって、大変だけど楽しいと話してくれた。ドレスの試着会には、あたしにもきて欲しいと誘われた。美月のウェディングドレス姿は絶対に綺麗だと思う。
 一緒にベットに並んで寝ると、隣で「どんなのが似合うと思う?」と、はしゃぐ美月の横顔が幸せに満ちていて、あたしまで幸せになれるような、あったかくて、優しくて、そんな夜を過ごした。