あの後、美月からも連絡が来た。さっそく泊まりに来る日取りを聞かれたから、美月の都合に合わせることにした。決まった日にちは父の命日。二人でお墓まいりに行こうと約束して、メッセージのやりとりは終了した。
そういえば、陽太が美月に合わせろって言っていたな。
湯船に浸かりながら陽太と話したことを思い出す。お風呂から上がって髪をタオルで拭きながら、スマホを眺めた。
夕陽の写真に映り込む陽太の表情、見るたびになんだか不安になってしまう。
あんな暗い曲を毎日聴いて、周りの友達とは上手くやっているように見えてはいたけれど、あたしなんかに構ってくるし、もしかしたら、陽太は陽太で、なにか悩みを抱えているのかもしれない。
無性にそれがなんなのか知りたくなった。だけど、あたしが踏み入って良いものなのかと考える。あたしだって、他人に自分の気持ちに踏み込まれてしまうことが嫌だと思っているのに、きっと、陽太だってそうだろう。
誰にだって、言いたくないこと、知られたくないことはあるはずだ。だから、知らなくても良いんだ。陽太が話してくれたら、それを黙って聞いてあげれば良い。
あたしの知っている陽太は、あんぱん好きで写真を撮るのが超絶下手くそな、間抜け顔の友達だ。
それだけで、十分過ぎる。友達と呼ばせてもらえることだけでも、今のあたしの中で陽太の存在は奇跡だ。
そっとスマホをテーブルに戻して髪の毛を乾かしていると、わずかに聞こえてくる着信音に、あたしはドライヤーを止めた。ほとんど乾いたボサボサの髪のまま、ドライヤーを置いてテーブルに駆け寄った。
画面に表示されているのは、〝山中陽太〟の文字。思わず慌ててしまって、あたしはスマホを耳に当てながら「はいっっ」っと、上擦った声が出てしまう。
一瞬、間が空いてから、笑っているような陽太の声が聞こえて来た。
『水瀬さん、今、大丈夫でした?』
確認するような優しい話し方は、普段から陽太の良いところだと思っている。やけに落ち着いていて、あたしみたいにバタバタしていない。
「うん、大丈夫、大丈夫」
『あの、夏休みのことなんだけれど……』
そこまで言うと陽太が黙り込んでしまうから、不思議に思いながらも続きを話してくれるのを待った。
『えっと……水瀬さんとやりたいことを箇条書きにしてみたんだけど、送ってもいいですか? もし、迷惑なら全然気にしなくて良いですから! 僕が勝手に色々考えてしまって、なんか、選べなくなってしまって、だから、電話してしまったんですけど……』
どんどん小さくなっていく陽太の声に、あたしはため息をつく。
『あ、ごめんなさい。いきなりこんなこと言われても困りますよね……えっと……やっぱ、忘れて……』
「送って! あたしどうせ暇だから。陽太がやりたいなら、やれることやろうよ」
『……ほんと、ですか?』
「うん、ほんと」
『今すぐ送ります! ……けど、引かないでくださいね』
「え? それは分かんない。見て見ないと」
『……え……あー、とりあえず、送ります』
はっきり断言したあたしに、たじろぐ陽太の姿が目に浮かぶ。すぐに、ピコンっと陽太からのメッセージが届いて、あたしはスマホに視線を落とした。
「うわ……」
思ったよりも箇条書きが多くて、本当に一瞬引いてしまった。一つ一つ、確認するようにあたしは文字に指をなぞりながら読む。
》夏休み中に水瀬さんと一緒にやりたいこと。
一、お姉さんに会わせてもらう
二、僕の友達に会ってもらう
三、Sunny dayへ行く(パン屋)
四、花火大会へ行く
五、夕陽を見たい
六、星空を見たい
七、水瀬さんのやりたい事をやる
一番の美月に会うっていうのは、今度叶えてあげれるし、陽太の友達? ……これは、ちょっと無理かも。あ、あんぱん屋! 行きたい! これはぜひともだな。
「……花火大会……」
テレビでやっていた花火大会の情報を思い出して、あたしは頷く。これもありだ。夕陽……あの、陽太が見た夕陽だったら、あたしも見てみたい。そして、星空を見たい。
『いつか、満天の星を見に行こうか』 父の声が頭の中でこだました。あたしの、未だに叶っていない夢。
あたしのやりたい事は、偶然にも陽太のやりたいこととおんなじだ。これが叶えば、あたしのやりたい事も叶ったも当然で、陽太といっしょになら本当に嬉しいと思う。そう思ったから、あたしはすぐに陽太に電話をする。
「ニ番以外全部やろう!」
陽太が着信に応えるよりも先に、あたしは意気込んで言い放った。
『え! 全部⁉︎ ほんとですか⁉︎』
「うん! あたしも陽太のやりたい事やりたいと思っていたから。だから、ニ番以外全部!」
『……ん? ニ番以外? ……ニ番って……えー! 僕の友達に会ってくれないんですか⁉︎』
陽太のガッカリする声が聞こえてきたけれど、あたしは冷静に頷く。無理。
そもそも陽太の友達って何人と会わなきゃいけないの? みんな友達みたいに交友関係の広い陽太をいつも見ているから、余計に無理だと思う。
話しかけられても、みんながみんな陽太のようにあたしの冷たい態度に屈せずに関わってこようなんて思わないんだよ。お前は特別変なやつなんだよ。自覚してほしい。
「別にあたしは陽太だけが友達でいいよ」
『……う……』
「……う?」
『……そう言ってくれるのは、嬉しいけど、一人だけ、会ってほしい奴がいるんです。どうにかなりませんか?』
「……んー……じゃあ、それは一番最後にして。他のやりたい事全部叶ったら、その友達に会ってあげるよ」
『やりたい事全部、叶ったら? ……分かりました。本気で全部叶えましょう。僕、これから計画立てます! じゃあ、また! おやすみなさい』
「え! あ、うん、おやすみ」
急に真剣な声を出したかと思えば、最後はきっといつものフニャけた顔で笑っているんだろうなと思うような柔らかいおやすみに、あたしは胸が暖かくなる。
一人きりの部屋も、陽太からのやりとりで寂しさを感じなくなった。
明日から夏休み。陽太のやりたい事を、夏休み中に全て叶えられるのかは疑問だけれど、別に夏休みを過ぎたって、少しずつ叶えればいい。来年は受験とか進路とか、色々考えなきゃいけなくなる。色々と無茶できるのも今年のうちだと思う。まぁ、でも高校生活はまだまだあるんだし、陽太となら、一緒にいろんな事を楽しめるのかもしれない。そう思うと、あたしは今までにないくらいに期待に胸が膨らんだ。
なんだ、友達って、案外いいもんじゃん。
朝、目が覚めると、スマホにメッセージが届いていた。
布団の中でまだ虚ろな目を擦りながら確認する。メッセージは陽太からのもので、一つではなかった。
》起きてくださーい!
》水瀬さん、まだ寝てます?
》おはようございます。
さっそく今日からよろしくお願いします。
とりあえず手っ取り早く、僕のお気に入りのパン屋を案内します。並木公園で待っているので、準備ができたら来てくれると嬉しいです。
メッセージに一通り目を通して、あたしは勢いよく起き上がった。
すぐに窓へと視線を向けて、おそるおそるカーテンを引いた。窓を数センチだけ開けて、並木公園の方へと視線を向けて見る。
いたっ‼︎
入り口の段差に座って、ワイヤレスイヤホンをしながらスマホを眺めている陽太の姿を発見して、あたしは一気に慌て始めた。
え⁉︎ ちょっと待って! 早くない? ってか、今何時?
チラリと視界に入った時計を確認したら、まだ午前八時前。おそらくもっと前から陽太はあそこにいるんだと思うから、学校へ行く時間と同じように家を出て来たって事なのか。なんて、考えている場合ではない。とにかく、顔を洗って歯を磨いて、今日も暑くなるんだろうと、Tシャツにゆるパンツとラフな格好に着替えて髪を梳かす。鏡の前で自分の顔をじっと見つめた後に、ほんのり色付きのリップを塗った。
先生と会う時にだけ付けていた、あたしのお気に入り。気持ちが沈んでいても、ほんのり色付くこのリップで表情がなんとなく明るく見える様な気がして、ただの自己満足だけど、落ち込まないようにとおまじないだった。
靴を履いて玄関を出ると、公園まで早足で歩く。音楽を聴いている陽太は、まだあたしの気配に気が付いていない。ぼぅとしながら遠くを見つめている表情の横顔に、夕陽の写真に映り込んでいた陽太の瞳が重なる。
そんな物思いに耽っている陽太から、あたしは目が離せなくなった。急いでいた歩幅をゆっくりにしてそっと陽太の前に立つと、ようやく気が付いた陽太はいつものように目を細めて笑顔を向けてくれた。
「水瀬さん! おはようっ」
「……おはよう」
ワイヤレスイヤホンをしまいながら、陽太は立ち上がってすぐに「行こう」と歩き出すから、あたしは遅れてしまった事を謝るタイミングを逃してしまう。
「私服の水瀬さんもいいですね! なんかデートみたい」
「は⁉︎」
「あ、いや、ごめんなさい。調子乗りました」
陽太のデート発言に、あたしは思わず怒ったような返しをしてしまった自分に後悔する。だけど、すぐにシュンとなって謝る陽太が可愛くて笑ってしまった。
陽太のお気に入りのパン屋さん【Sunny day】は、学校を通り越して駅から電車に乗り込み、一駅先にあった。
外観は絵本に出てきそうな可愛らしい赤いとんがり屋根のお店。門があって小さな庭には色とりどりのお花が植えられている。思わず「可愛い」と呟いてしまったあたしに、陽太は微笑んでくれた。「あんぱん、まだあるかなぁ」と、すこし心配そうに店内を伺う。
「そんなに人気なの?」
「そーですよ。いつも一番に来て買うんですから。今日は出遅れたからな」
「そーなんだ……」
だから、こんなに早く来たのか。あたしが起きるのが遅かったからだな。もし売り切れていたら、申し訳ない。
「……ごめん、あたしがいつまでも寝てたから」
「全然っ! 水瀬さんのせいじゃないから、気にしないでください」
昨日のうちに時間指定してくれればよかったのに。あたしが慌てる陽太にため息をついていると、慣れたように店内に入っていく陽太に、あたしもついて行く。
「あら、陽太くんおはよう。彼女連れてくるって言うから取り置きしておいたよー」
「え⁉︎ ちょっ、彼女じゃないです。友達!」
「あはは! 慌てすぎだよ陽太くん。こんにちわ、お友達、名前は?」
ショートカットにヘアバンドをした元気いっぱいな女の人が、陽太の肩をトントン叩きながら、陽太の後ろに隠れる様にしていたあたしに笑顔を向けてくれる。
「あ……こ、こんにちわ。水瀬、です……」
「へぇ、みなせちゃん? 可愛い名前!」
「あ、いや、それ名前じゃなくて……」
あたしが訂正しようとしても、小さな声はその人の耳には届かずに、「ちょっと待ってて」と店の奥へ行ってしまった。
「すみません、彼女と間違われてしまって。サチコさんいつも陽気で……」
「うん、びっくりしたけど、大丈夫」
俯きながら頭を掻いている陽太が、本当に申し訳なさそうに言うから、あたしは気にしてないと笑った。
「そっかぁ、今日から夏休みだもんねー。はい、いつもの」
戻ってきたサチコさんは、手に持ってきたあんぱん二つを陽太に渡している。
「あ……すみません、つぶあんってもう無いですよね?」
「え! もう全部出ちゃったから、次焼き上がるまでちょっと時間かかっちゃうな。二人ともつぶあん派になったのー?」
ニヤニヤとあたしと陽太を交互に見るサチコさんは、やっぱりあたしを陽太の彼女だと思っているっぽい。
「こしあんとつぶあんをさ、半分こにして分け合えば良いんじゃ無い? うちのあんこはどっちも美味しいんだから、一度で二度美味しいじゃない」
そう言って高らかに笑うサチコさんに、あたしと陽太は「確かに!」と互いに顔を見合って笑った。
「碧斗も早く彼女連れてこないかなーって思ってるんだけどね、あの子は部活バカだから無理かな」
「はは、碧斗はモテるだろうから心配ないですよ」
「えー! モテるの? あの子?」
「あ、高校は違うんで分かんないですけど、中学ん時はめちゃくちゃ告白されてましたよ」
思い出すように笑う陽太に、サチコさんは驚いた顔をしている。二人の雰囲気からして、陽太はここの常連らしい。碧斗って言う、ここの息子とも友達なのかな。
話に入れずに、店内を見渡していたあたしに陽太が気がついて、「行こうか」と言ってくれた。「またおいでね」と手を振るサチコさんに、あたしは小さく会釈を返した。
「前に、行きたい場所があるって水瀬さん連れ出そうとして、ものすごい怒られたことあったの、覚えてます?」
陽太が振り返って気まずそうに話すから、あたしはすぐにあの時のことを思い出す。
「覚えてるよ。陽太が訳わかんない行動ばっかりしてくるからあの時はイラッとしたんだよ」
「……すみません。そこに、今から行きたいんだけど、今日は大丈夫ですか?」
慎重に、あたしの表情を伺うように聞いてくる陽太。もう陽太にイラつくことなんてないし、そんなに怯えなくてもいいんだけれど。出しかけたため息を飲み込んでから、あたしは笑った。
「行こう。行ってみたい」
「ほんと? やった! 良かった! うん、行こう」
そうやって急に子供みたいにはしゃいで、満面の笑みになる陽太に、やっぱりあたしは胸が暖かくなるのを感じた。