ハロルが目を覚ましたのは自室のベッドの上だった。起き上がろうとすると、隣で呻き声が聞こえた。それはミーンのものだった。ベッドの横に椅子を置いて、そのまま寝てしまったようだ。
 看病してくれていたのか。ハロルは穏やかなまなざしを向けた。その両方にはバラの赤。

 カーテンが揺れる。この季節の風は、森から草の匂いを運んでくれる。ハロルは深呼吸をして、それからミーンのオリーブ色の髪を撫ぜた。心の中を泡が満たしていくような感覚。

 不意にノックの音が響き、スーが部屋に入ってくる。目が合った瞬間、スーは足早に近づいてきてベッドに腰掛けた。恭しい手つきでハロルのおでこに掌をピタリと付ける。やわらかくて冷ややかな指先が心地良い。

「師匠」

 ハロルが気まずげに言葉を零すと、スーはなにも言わずそっと抱き寄せてくれた。ゆったりとしたローブに包まれ、ハロルは安心した気持ちになる。銀色の髪を梳《と》かすように、スーの指が数回通った。

「良かった。本当に良かった」

 ぎゅうぅっと力を籠められ、ハロルは呻き声をあげた。慌ててハロルから離れる。

「だあ! 殺す気かよ!」
「すみません。つい、嬉しくて」

 スクウェアタイプの眼鏡の奥の瞼を細めて、眉をハの字に曲げた。

「いいけど……でも」

 ハロルは項垂れて、言葉を探した。記憶の片鱗を拾って集めている最中だ。情景が断片的で、上手く整理できない。

「オレ、……オレの虚構術のせいで、花壇が燃えちまった。ミーンを助けるためにと思ったのに、そのせいで、勘違いされて」
「そのあとのこと、覚えていませんか?」
「あと? そういやそこですげぇ頭痛がして、声が遠くなって、気付いたらここに居た。あのあとなにかあったのか? ……あ、花は?」

 スーは表情を変えずに、緩やかに息を吐いた。

「花なら大丈夫。覚えてないようですけれど、君は虚構術を使って花を巨大化させたのですよ」
「オレが?」
「ええ。そして、その花が暴れて、周りの人たちを襲い始めました」

 ハロルは目を見開き蒼褪めた。自分が無意識に使った虚構術で人を傷付けるなど、虚構士としてあってはならない。自分の指先を見つめる。

「それで、そのあとは……」

 ポンと頭の上に掌が置かれる。

「僕が豪雨を降らせて火を消し、花は元通りにしておきましたよ。君が正常ではなかったようなので、気を失うように虚構術を掛けましたが、存外長引いてひやひやしました」

 スーの声は穏やかだが、それゆえにハロルの胸は締め付けられた。いっそ叱って欲しかった。君はなにをやっているのだと、張り倒された方が良かった。ハロルは知らず震えだした手を握っていた。

「師匠、その、オレ、なんて言えばいいのか、その」
「ありがとうと、ごめんなさい」

 包み込むようなやわらかな声だった。ハロルは顔を上げてスーを見つめた。

「それだけでいいのですよ。君は未熟で、そのために僕は居る。さあ、言ってごらんなさい」

 ハロルは震える唇を開いた。

「ありがとう」

 スーは微笑を返す。

「ごめんなさい」

 ハロルの髪は何度も()かれた。その度に瞳から溢れ出した雫が、ぽとぽとと布団を濡らした。