窓のない牢屋は、暗闇に浸かっていた。

 ハロルとミーンは無事だろうか。スーは捕まってからそればかりを考えていた。
 遠くからカツンと足音が近づいて来た。そちらの方に目を凝らすとボウッと言う炎の揺らめきを見て取れた。やがてそれは自分が閉じ込められている牢屋の鉄格子の前で止まった。炎に映し出されたのは丸眼鏡に癖のあるベリーショート。アミトラである。
 彼女は壁の蝋燭に火を灯し、持っていた燭台を近くの出っ張りに置いた。

「いいザマねぇ」

 闇の中で鮮やかに咲く真紅の唇が、歪に曲がる。
 炎に照らし出されたスーの痩躯には生々しい傷跡があった。上半身を裸にされた彼は、椅子に座らせられ、手と足に枷が嵌められ身動きが取れない状態になっていた。

 ——カチャッ。

 アミトラは牢屋の錠を外して、中に入って来た。この状態では錠が外されても抜け出すことは出来ない。

「ああぁ」

 うっとりとした声を零し、スーの鎖骨の辺りを撫でた。その尖り具合を指先で確かめる。やがて肩の傷口に到達する。

「う……」

 スーが呻くと、ふふふっ、と笑みを零す。傷口には薄いカサブタができ始めていた。そこにガリッと爪が立つ。

「ぐぅ……!」

 スーは歯を食いしばって痛みに耐えた。アミトラは瞳の奥を輝かせながら、ぐりぐりとほじくる。

「ああ、スーが。ジルアラの大虚構士と言われたスー・レフォストが! 私に成す術もないなんて。ああ……!」

 彼女はスーの傷口に唇を這わせ、やがて舌で陥没した皮膚を舐め始めた。熱と痺れが傷口から全体に流れ始める。スーは電撃のような感覚を脳の下辺りで感じていた。

「本当に、胸がすくわぁ」

 爪に付着した肉片をチュパッと吸い上げて、恍惚に唇を震わせている。
 スーは苦痛に顔を歪めながら、彼女を見上げた。

「君の、目的は、なんですか。僕を、虐めたいだけなら、弟子たちは、解放してもらえませんか?」
「嫌ぁよ。そんなことをしたらあなたが喜ぶじゃあない? それにあの子が一番重罪なんだもの。解放なんて出来るわけがないでしょぉ?」
「確かに国際的な法律に抵触したことは詫びなければなりません。その責任を負って私が刑に処されると言うのは構いません。妥当性があるでしょう。しかし、もしもハロルまで死罪と言うのならあまりに重すぎます。それこそ裁量に公平性がないとして、アシオンからの制裁がありますよ」
「あらぁ? そうかしら? 私はそうは思わないわ。だって、あなたのところの王様、虚構士が嫌いだもの」

 スーは返す言葉もない。アミトラはクスリと笑う。

「まあ、あなたが私の心配をしてくれていることには痛み入るけど、その心配には及ばないことを冥途の土産に教えてあげるわ」

 彼女は鉄格子に背中を預けた。

「あなたは覚えてないでしょうけど、私たちはジルアラで同期だったのよ」
「エノスの出身では?」
「ほら、やっぱり。あなたはジルアラで虚構術を学んでいるとき、いつも私の前を走っていたわ。私だって優れているのに、周りはみんなあなたを持て囃した。それでも最初はまだ良かった。あなたをライバル視することで、もっともっと強くなろうと思えたもの。だけど、あなたは私のことなんて欠片も意識しているようではなかった。しかもあなたは、虚構士としてのライセンスを得たあと、アシオンに行くとか言い出した。あんな虚構術後進国に」
「だからこそ、です」
「その正義感も腹立たしいのよ。虚構士の社会的地位の底上げだとか、一人で悩んでいる子供たちを救うためだとか、金や名誉には目もくれず、アシオンに行って虚構士としての活動をし始めたわ」
「それは君も同じでしょう?」
「違うわ。エノスからスカウトがあったの。それからしばらくして、エノスの工作員としてアシオンに行くことになった」
「工作員?」
「アシオンは確かに虚構士に対して冷遇している虚構術後進国ではある。でもそれでも他の国に後れを取っていないのは資源が潤沢に揃っているから。周りの国は狙っているのよ。アシオンの生産力を。
 対してエノスは資源が乏しく貧しい国。輸入に頼っていてもじり貧。いつかは他の国に食い潰されてしまう。だから戦争をして奪うしかない。けれど、いくら虚構士を取り揃えて戦いの準備をしたところで、理由もなくエノスから攻め入ってしまっては、周りの国がそれを快く思わない。そう、隣国が納得してくれるイデオロギーがなければ戦争を起こすことができないの。
 そんな折、ジルアラの大虚構士とうたわれたあなたがアシオンに行くという噂が流れた。エノス王はすぐにことの重大さに思いが至ったわ。資源と生産力にあぐらをかいていたアシオンだけど、そこに虚構士の技術と戦闘力が加われば、他国が手を出せないほどの大国に成り上がってしまう。それだけは絶対に避けなければいけない。だからエノスは、私に虚構士に対しての不安を煽るように命令したの。私はそれを受けた。もともと虚構士に対していいイメージを持っていないアシオン国民を謀ることなんて造作もなかったわ」
「それが、ジルヴァ・フォサインを殺すことですか」

 スーの声は震えている。アミトラはニヤリと口元を緩めた。

「ええそう」

 ——ガシャン!

 スーを繋いでいる拘束具が音を立てる。

「君は! 君には人の心がないのか! 結婚を間近に控えた二人を引き裂くなど!」
「なぁに言ってるの? 虚構術を使えないやつらなんて、みんなゴミでしょう? 私たちと同等に扱うこと自体間違いなのよ。実際アシオンに行って、あなただって感じたでしょう? 話の通じないやつらだなぁって」

 スーはギリッと音が聞こえるほど歯を噛み締め、アミトラを睨んだ。その瞳は雷光の如き鋭さを放ったが、アミトラは構わずずいっと近寄る。額同士がくっつきそうなほどの距離。

「それにね、スー。あれはあなたのせいなのよ」

 その言葉にスーは眉を(ひそ)めた。

「もともと私は、あなたさえ引き抜ければ良かったの。一緒にエノスに行ったらずっと劣等感に苛まれることになるでしょうけど、それでもライバルが居るのは嬉しいことだもの。だから私はすぐにあなたに声を掛けたわ。……それなのに」

 彼女の細い一重瞼がぐっと開く。

「あなたは私に、はじめましてと言ったのよ!」

 ガンッ! と鉄格子を叩いた。

「私の存在を意識したことがないどころか、顔すら覚えてすらいなかった! あなたを懲らしめてやろうと思ったわ。もともと引き抜きが無理ならば虚構士の品格を落とす計画だったから、作戦の変更はスムーズに進んだわ」

 スーは項垂れた。彼女が選んで殺人を犯したとはいえ、そのトリガーを引かせてしまったのは自分なのだ。だが今は、そんなことを悩んでいる場ではない。

「では、ドラゴンで街を荒らしたりしたのも、その延長線上ですか」
「その理由が半分。もう半分は、あなたたちをエノス側におびき寄せるため。あれだけ騒ぎを起こして、問題のドラゴンがこちらの方へ飛翔してくれば、王も動くでしょう。アシオン王のことだから、国外に多量の兵士を動員することは考えないはず、と言うのはエノスの宰相の考え」
「それで、僕をおびき寄せておいて、なにをする気ですか」
「あなたを罪人に仕立て上げるのよぉ。言ったでしょう? イデオロギーが必要だって。アシオンの虚構士がエノスの兵士を虚構術によって傷付けた。そっちの言い分は正当防衛かも知れないけれど、結果だけを見ればそんなことは重要ではない。エノス及び隣国はこの国際問題を重く受け止めるはずよ。戦争をするには充分過ぎる理由になるの」

 アミトラは腰に手を当てて、髪をかき上げた。

「でも、もしもあなたが命乞いをして私の部下に成りたいと言うのなら、助けてあげるわよ?」
「それでハロルたちが助かるのなら」
「何回も言わせないで。あの子は無理。戦争のきっかけのための生贄なんだから。おちびちゃんは奴隷くらいにはしてあげてもいいけれど」

 スーは首を垂れ、それから重々しく息を吐いた。

「なら、いい」
「……は?」

 彼女は片方の肩を下げて、顔を覗き込んだ。スーは顔を上げ、冷徹なまなざしでアミトラを刺した。

「君のつまらない自尊心に付き合うくらいなら、死んだ方がマシです」

 ——パァンッ!

 スーが言い終わるのと同時に、アミトラは平手を振り抜いていた。

「じゃあ! 明日! 死ぬことね!」

 彼女が牢屋を出て行ったあと、壁で燻ぶっていた炎が消え、辺りは闇に包まれた。