「ケヒャッ! ……なかなかの反応」

 ドラゴンに乗っていた男が笑い声を漏らした。

「死ぬ準備はできているか、貴様」

 零度の視線を送りながら、吐き捨てるナガー。
 すると男はドラゴンの背中から飛び降り、ナガーと対峙した。三白眼の下に大きな隈がある不健康そうな男だった。それを見送るように、上空で羽ばたいていたドラゴンの姿が徐々に遠退いていく。

「あれはいいのか?」
「所詮は虚構士の産物……当てにはしてない」
「貴様が虚構士と言うわけではなさそうだな」
「ケヒャッ! ……俺は詐欺師じゃあない」

 詐欺師と言われてハロルはムッとする。

「精度も悪い……炎を吐けと命じてから数秒遅れた。俺が直接手を……下した方が早い」

 男がそう言うとケープの中でなにかが動いた。彼は鼻から首にかけてストールを巻きつけており、その下には上半身をすっぽりと覆うケープを羽織っている。だから恐らく手が動いているらしいことはわかっても、なにをしているのかまではわからない。ケープの下の装備も不明だ。下半身の細さと上半身の大きさを比較して鑑《かんが》みるに、胸当てや肩当ての類を装着しているのはわかるが、材質も厚みもなにかもわからない。
 正々堂々真っ向勝負と言うよりは、物陰に潜んで敵を狩る。陰険なハンターのような男だ。

 ナガーは見た者の心臓を氷漬けにしてしまうような鋭い視線を刺していたが、隈の深い男は粘質的な糸で得物を絡め獲る蜘蛛のようなねっちょりとした視線でナガーを含んだ風景そのものを犯していた。恐怖より先に嫌悪感を抱かせるような視線。
 お互いに見合ったまま。間に空気の歪みでもあるかのように、二人の距離はゼロにも無限にも思えた。
 ハロルはポンチョの下の創筆に手を伸ばした。しかしそれを掴まれる。
 驚いて顔を上げると、スーが真剣なまなざしを向けていた。

「師匠……!」
「黒いドラゴンがこちらの方に向かって飛んで行ったので慌てて走ってきました」

 師匠の後ろではミーンが膝に手をついて、肩で息をしていた。

「彼がドラゴンを?」
「ドラゴンに乗っていたのは、アイツだ。でも、虚構士じゃあないみたいだ」

 スーは男に視線を投げかける。

「あなたは何者ですか?」
「ドミドミ・ソプレッス」
「ドミドミ、我々はドラゴンを探していました。しかしあなたが虚構士ではないのなら、裏であなたに指示を出している虚構士が居ますね? その方の元へ僕たちを案内して頂けませんか? 無益な争いはしたくないのです」

 ドミドミは三白眼をぎょろつかせる。

「ケヒャッ! 指示? 違う……俺は争いに来た」

 言って右足を大きく後退させ、姿勢を低く構えた。
 対してナガーは大剣を上段で構え、足を開いた。

「今一度問うが、死ぬ準備は出来ているのだな? アシオン王の名のもとに、護衛としてお前を殺す」

 周りの温度がグッと下がる。ハロルは自分の汗が冷たく変わるのを感じていた。

「出来れば生け捕りにできませんか?」

 空気を読まずに発せられたスーの言葉に、視線を切らず答える。

「無理だ。こいつは強い。手を抜けばやられる」

 一瞬で間違いなく力量を測るのも、強い剣士の条件だ。彼女にはそれが備わっていた。

「でしたら、お好きなように。我々は邪魔にならないよう下がっています」

 スーに手を引かれてさがりながらも、ハロルは不満を顔に張り付けていた。

「使用許可証を持たない我々が手を出したら、国際問題に発展します。ナガーを信じましょう」

 西日は茜色を増していく。陽と村の間に雲が通り過ぎたときだった。ドミドミは消えた。
 少なくともハロルの眼にはそう映った。

 ——ガキィッ!

 しかしそうではないとナガーの剣が訴えた。彼女の剣もまた消えていた。身の丈ほどある大剣が、一瞬にして振り下ろされていたのだ。懐まで近づいていたドミドミは剣で弾かれ、土の上に長い線状の足跡を作っていた。彼の手には短剣が握られていた。切り伏せられる直前に短剣を取り出し凌いだらしい。
 ナガーは忌々しげに舌打ちをした。
 子供の体重ほどもある大剣の一撃を、拳3個分ほどの短剣で捌かれたのだ。今の一瞬での攻防だけを見るなら、ナガーの剣術は負けている。

「ケヒャッ!」

 ドミドミは右へ左へ体を揺らし、徐々に距離を詰めていく。ただふらふらしているわけではない。右から左へ帰って来るときの遠心力がそのまま動力になってスピードを上げている。
 ナガーは中段へと構えを変え、剣を横に倒した。
 ふらっふらっと近づいてくるドミドミの、右へ振り切ったところに一撃を見舞う。横薙ぎ一閃。しゃがんで避けられ、下から短剣が迫りくる。だがナガーは後退せず前に出た。

 ——ガキンッ!

 短剣を胸のプレートで弾き飛ばす。大剣から離した掌を握って打ち下ろし。ドミドミの頬を斜め上から捉えた。
 殴られたドミドミは吹き飛び、ゴロゴロと転がりながら地面を蹴って跳び、空中で体勢を整え、着地した。
 第二関節まで鉄のプレートで覆われた籠手の一撃は鋭く重く、ストールからは血が薄っすらと滲んでいた。
 ドミドミはケープの中に手を入れた。ナガーが身構えると同時に、彼のケープから刃が飛び出した。その後ろには鎖が付いており、彼女に到達すると同時に剣に巻き付く。その鎖を外す前に、ドミドミは距離を詰めてくる。取り合いでは体格的に負けるはずはないが、彼の目的はそこではないだろう。ナガーの大剣は両手で支えねばならないのに対して、ドミドミは片手。もう片方の手には短剣が握られている。接近戦における圧倒的イニシアチブを取られている。
 近づかれナイフで突かれるのを、大剣を振ったり体を逃がしたり、或いは敢えて装甲の固い部分で受け流したりして、何度も防ぐ。しかしそれでも防戦一方であるのに違いはない。

「仲間なのに……助けない」
「護衛対象だ」
「虚構士はいつもそう……なにもしないくせに。口は達者……偉そう」
「そうでもないさ」

 ナガーは剣を押し出し同時にそれを手放した。預けるように放った剣をドミドミは処理しきれない。鎖を思い切り横に振ることで直撃を免れたが、正中線を思い切り相手に向けた状態。ナガーはさらに前進。右側からナイフが付き入れられるのを右手の籠手で弾き、敵に向けて左肩を入れる。射るようなジャブが正確に鼻を突き、鼻骨を砕いた。ドミドミの敏捷性でなお避けられなかったのは、パンチのスピードによるところだけではない。彼女は左肩を入れた時点で、ドミドミの足を踏んでいたのだ。
 ドミドミのストールが急激に赤黒くなっていく。どうやら鼻血が出ているようだ。
 距離を取りたいドミドミに一歩も譲らず間合いを詰めるナガー。拳を振り上げると、ドミドミの防御が上がった。ナイフで守る気だ。が——。

「がはっ!」

 ドミドミの口から空気が漏れ出る音がした。
 ナガーは彼の脇腹を思い切り蹴り上げていた。タイツに覆われた膝が美しく尖っている。
 ドミドミは堪らず倒れ込み、ストールを外して吐瀉物を撒いた。その隙にナガーは大剣を拾い上げて構えた。

「くっ……そのタイツ、鉄でも……()っているのか」
「ただの綿だ」
「バカな……自殺行為」

 通常、戦場では敵を倒すことよりもまず自分が傷付かないことを優先する。どんな小さな傷でも、戦いが長引けば病気を引き起こし死に至る可能性があるからだ。ナガーの上半身は鎧に守られている。鉄壁と言っていい。しかし下半身は動きやすさを重視した軽装。ブーツの上面にプレートが張り付けてあるくらいで、あとはナイフで易々と貫通する素材のものばかりだ。であればそこをいかに傷付けられないように戦うかが肝になる。実際ナガーもそのように戦っていた。
 だからドミドミも想像出来なかったはずだ。避けるための足、守るべき足が無防備に自ら迫ってくるなど。

「私はお前を殺すつもりで戦っている。同時に、殺される覚悟も出来ているのでな」

 ナガーは大剣を振り上げた。

「ま、待て! 俺は……家族を人質に!」

 ドミドミは唇を戦慄かせて悲痛な声で訴えた。

「お前を仕留めない動機にはならん」

 籠手と柄の間からぎゅう、と音が鳴った。

「虚構士! あの……黒トカゲを操る虚構士! アミトラ……ドリシエ!」

 ナガーの眼が大きく開かれる。

「アミトラだと!?」

 ドミドミはケープの襟に手を突っ込み、小さな筒を取り出して咥えた。

 ——ぷっ!

 それが吹き矢だと言うことにハロルたちが気付いたのは、ナガーの太ももに矢が刺さってからだった。

「くっ!」

 ナガーは大剣を振り下ろすが、一挙動早くドミドミは回避行動に移っていた。それを追いかけようと体を前に傾けるが、そのまま倒れてしまう。引き摺った足を忌々しげに見て怒気を孕んだ声を上げる。

「くそ、どうなってる!」
「ケヒャッ!」

 ドミドミは吹き矢の筒をくるくると手の甲で回しながら、口角を吊り上げた。目元は笑っておらず、対峙するハロルたちを隙なく見据えている。まばたきすらしない。

「今のは……毒が仕込んである。麻痺……徐々に心臓に行く」

 ナガーは膝を折りながらも、大剣を下段で構えている。
 ハロルはポンチョを翻し、腰から創筆を抜いた。
 同時にドミドミは吹き矢を構える。
 二人の間に一本も切ってはならない糸が無数に張りつめられた。指先一つ動かせない。このプレッシャーの中、ナガーは戦っていたのだ。

「人質は……嘘」

 ドミドミは口元から吹き矢を放さず、ぼそぼそと零す。

「アミトラ……ドリシエはいる。エノスに……帰る。7日後には……心臓止まる。ケヒャッ!」

 西日が雲に隠れ、辺りが影に包まれると、ドミドミは消えた。数秒後に足音が遠くで聞こえたが、そこに居た誰もが追うことが出来なかった。