目覚めてからハロルは散歩に出た。気分転換だ。

 火事があったのは6年前だと言うのに、この村はまだ復興が出来ていないようだった。どこを見ても瓦礫だらけで、そのどれもが(すす)けていた。
 もともと家屋が立っていただろう近くに壊れた石垣があって、それが階段状になっていたので面白半分で登ってみた。思いのほか見晴らしが良く、狭い足場でくるりと回って見渡した。

(オレがこの村を燃やしたのか)

 火事の夢をずっと見ていた。それがなんなのかさっぱりわからなかった。だがこの村に来て、その夢がより具体的なものになった。
 ハロルは追われていた。黒トカゲをなんとかしろと言われた。
 ミーンが言うには、気を失っている間のハロルの髪と目の色は変わっていたらしい。果たして自分は何者なのか。

(オレは誰なんだ)

 夜空を纏ったドラゴン。アシオンでブロンの家の畑を荒らしたのもそれだ。そしてそのドラゴンはハロルが気を失っているときに現れた。もしもハロルが引き連れていたドラゴンがハロルのことを探しているのなら、辻褄が合う。合ってしまう。

「おい」

 不意に声を掛けられた。声の主を探ろうと首を回すと、同時にバランスを崩してしまった。

「う、うぉおお!」

 手をばたつかせたが姿勢を戻すことは叶わず、そのまま落下。

 ——ガシャン。

 が、ハロルの体は地面にはぶつからなかった。

「大丈夫か?」
「う、いててて」

 ハロルは抱き止められていた。鎧を着たナガーに。

「ああ、鎧が痛かったか」

 降ろされる途中、ナガーのすまなさそうな声が零れた。

「いや、助かったぜ」

 ハロルはよろめきながら、近くの大きな石の上に腰掛けた。

「お前、あんなところでなにをしていたのだ?」
「村を見渡してた」
「そのあとしばらくずっと固まっていたじゃあないか」
「なんだよずっと見てたのかよ」
「護衛対象なのでな」

 ハロルの隣にナガーのむっちりとした尻がドカリと下ろされた。

「それで、なにか考え事でもしていたのか?」

 彼女の切れ長の双眸がハロルを正確に捉えて離さない。スーとは種類が違う、強制力を持ったまなざしだ。

「ん……いやぁ」

 歯切れの悪いハロルから、ナガーは視線を切った。

「倒れたらしいな」
「ん? あ、ああ」
「村を見回っていてな。あとから聞いた。もういいのか?」
「大丈夫だ」
「そうか」

 沈黙が流れる。森の奥では鳥のさえずりが木々を渡り、空では雲が夕に暮れる準備を始めていた。

「悪かったな」
「……え?」
「虚構士をずっと遠ざけていたから、虚構士にはハロルやミーンのような子供もいると言うことを考えもしなかった。そして、子供はやはり子供なのだと言うことも。初めて会ったとき、いきなり突き放すような態度を取ってしまったから。ずっと気にしてはいたのだ」

 視線は気まずげに逸らされたままだ。

「そんなの、恋人を殺されたらオレだってそうなっちまうよ。気にしてないからいいぜ」
「お前はやさしいな」
「そ、そうか?」
「ああ。あんな態度を取ったのに、私のケガを治してくれた。なのに私は4年前のことをうじうじと」
「たった4年で整理できるわけねえだろ。無理すんなよ」
「ふふ。そうか。大人なんだな」

 真っ直ぐに見つめられ、ハロルは視線を逸らし、頭を掻いた。

「せめて最後に、愛していると言っていたら、この心残りも多少は違ったのかも知れんな」
「それなんだけどさ……多分、聞こえてたんだと思うぜ? 意地悪言っただけだよ」
「それはわからん」
「じゃあ、仮に聞こえてなかったとしても、でも、それでも伝わってたって、オレは思う」
「どうしてそう思うんだ?」
「ナガーは愛してたんだろ?」
「ああ、もちろんだ」
「愛してるってさ、オレはよくわかんないんだけど、オレが師匠を好きな気持ちよりずっとずっとすげえ感情なんだろ? 師匠はさ、オレが口に出してないことでも、気付いて頭撫ぜてくれるんだ。悲しいとか悔しいとか以外にも、嬉しいとか楽しいとかも。口に出さないのに、伝わってる。もうすぐ夫婦になるくらい愛し合ってたんなら、言わなくても伝わってたと思うぜ。ジルヴァがナガーに愛してるって言ったのもさ、師匠がオレの頭を撫ぜるのと同じなんじゃあねえの?」

 視線を彷徨わせながら、頬を掻く。ハロルはスーに対して面と向かって好意を伝えたことはない。そもそもそれを言うような間柄は飛び越えていると思っていたから。しかしいざ口に出すと、それはとてもこそばゆい感覚だった。

「まったく……。心配して様子を見に来たつもりが、逆に心配されるとはな」

 ナガーは、自嘲めいた笑いをため息の上に載せた。

「こんな不甲斐ない大人だが、なにか相談に乗れることがあれば言ってくれ」
「ナガーはオレより大人だから、そりゃ頼りにはするけど、無理して大人をさせるための子供じゃあねえぜオレは」

 ハロルは口元を緩めてナガーに向き直った。

「ははっ。また心配されてしまったな。つくづく私は、なにをしてきたんだろうな」
「めちゃくちゃ強くなったじゃねえか。三人の追剥ぎを一発で倒すなんて、他のやつには出来ねえよ」
「いや、強さだけじゃあ、何事を成したとは言えん。この村のありさまを見て、余計にそう思ったよ」

 ハロルは意味がわからず首を傾げた。

「スーに聞いたんだが、ここで火事があったとき、彼は調査資料を作って国に報告したらしい。壊滅的な状況をつまびらかに説明したというのに、数人の兵士を派遣して数日分の食料を渡したらすぐに引き上げたのだそうだ。兵士はなにもしなかった。結局体面のための派遣だったのだと言っていた。私はそのときまだ兵士にはなっていなかったが、自分のしてきたことを思い返しても、誰かの役に立ったためしがなかった。ジルヴァを殺されて、そんな思いを二度としたくなくて、他の人にもして欲しくなくて、ただ強さを求めて必死だった。兵士になれば国民を救えるかも知れないと思って剣を振り続けて来た。しかしどうだ。私がやってきたことはただの戦いごっこだ。悪いやつを倒すこともしていなければ、誰かの盾になることもしていない。戦がなければ役に立てない、ただの張りぼて。そんなことに今更気付いたんだ」

 力なく視線が落とされた。

 彼女からは出会ったときの気高さは失われ、同時に周りを覆っていた氷も瓦解していた。氷の花が咲いていたのではなかった。花が凍っていたのだ。婚約者と同時に心まで失くしたから、温度も失くしてしまった。

「戦いがなくても役には立てるぜ」

 ナガーは首を傾げる。

「なんでピンと来てねえんだよ。相談に乗ってくれるんだろ?」
「あ、ああ! そうだな。なんでも言ってくれ」

 得心して早口になったナガーを見て、少しの安堵を感じる。ハロルはまだ残る躊躇いと共に深く息を吐いた。

「オレさ……ずっと過去を失くしてたんだ」
「過去?」
「師匠に会うまでの記憶がないんだ」
「そうだったのか」
「でも」

 一度切ってから、再び迷いが押し寄せてくる。いずれスーには話さなければいけないだろうこと。

「さっき思い出したんだ。オレ、この村を——」

 言い終わる前にハロルの頭と胸に衝撃が走った。
 ナガーに抱えられて、ゴロゴロと地面を転がる。土煙が上がった。そこに遅れて炎が放射された。
 ハロルはナガーに抱えられたまま突然のことに放心してしまっていた。

「立てるか?」

 コクコクと頷き、立ち上がる。ナガーは背中の大剣の柄を掴み、留め具を3点外し、鞘を脱がせた。躍り出て地面に刺さった剣身。柄を掴んで切っ先を持ち上げる。
 炎が放たれた方を見上げると、ドラゴンが翼を広げ一足先に夜を引き連れてきていた。