明け方、野営の片付けを済ませた一行は、太陽を左手に見ながら馬車を走らせた。
 昨日と同じく、御者(ぎょしゃ)はスーが務めた。

「もうお怪我はよろしいようですね」
「おかげさまで」

 ナガーは昨夜張った布をパンパンと叩いた。
 ハロルは御者台の方に体を向け、椅子に膝立ちになって二人の話を聞いた。隣のミーンは昨日眠れなかったのか、うとうとしていた。

「それで、昨日は邪魔が入りましたが、虚構士をお嫌いな理由を聞かせて頂けませんか?」
「ああそうだったな。しかしなぜそこまで聞きたいのだ?」
「君に首を刎ねられるのが僕だけならばそこまで気にしません。というか、他人の過去などは出来ることなら詮索したくはありません。しかし、ここにはハロルもミーンもいる。彼女たちを嫌わなくても良い理由を見つけられる可能性が1%でもあるのなら、それを高めたい。それが師の務めです」

 しっかりと前を見たまま、意志の強い声を放つ。ナガーはやおら顔を上げて、スーの横顔を見つめた。

「昔な……」

 森の湿り気をたっぷりと含んだ土が、馬車の車輪に絡まって、ビチビチビチビチと粘質的なリズムを刻む。


※  ※  ※  ※


「本当に大丈夫なのか? ジルヴァ」

 ナガーは帽子を手渡しながら不安げに呟いた。ジルヴァはにへらっと笑って、中折れの帽子を被った。

「大丈夫さ。ナガーは心配性だなあ」
「何日も帰らないんだろう?」

 玄関に背を向けて歩き出したジルヴァのあとをついていく。募る不安は払拭出来ない。

「まあねえ。と言っても、5日後には帰ってくる予定ではあるし、行き先も決まっているから。入籍は10日後だし、それまでには間に合わせるよ」

 二人の出会った記念日を、結婚記念日にしようと約束していた。
 ジルヴァは肩まで上げた手をプラプラと振って、平気さをアピールする。

「しかし、虚構士と言うのは、その、実際のところどうなのだ? あまり良い噂は聞かないが」
「そうだねえ。アシオンではあんまりいい噂はない。でも、他の国ではそうでもないんだよ?」
「そうなのか?」
「ああ。一年くらい前にこの国に来たスー・レフォストって言う方は、虚構士先進国のジルアラではトップクラスの虚構士だったらしいんだけど、全然気取ってなくて物腰がやわらかでいい人なんだよ。それに、志がものすごく高い方なんだ。君も会えば気に入ると思う」
「ジルヴァが言うのなら、そうなのだろうな。だが、今回護衛するのは別の虚構士なのだろう?」
「そうだね。そっちの方は会ったことがないけれど、でもまあ、同じ虚構士、同じ人間なんだから大丈夫。それに僕はこう見えても兵士なんだよ?」

 また、にへらっと笑う。その様子がどうにも兵士らしくない。ナガーはそれがおかしくていつも笑ってしまう。

「なんだよぉ」

 ジルヴァが拗ねたように口を尖らせると、ナガーは口元を指で押さえてクスクスと笑いを堪えた。年上なのに、こういう子供っぽいところがあるのも、彼の魅力だった。

「すまない。気の抜けた笑顔が好きでな」
「それって褒めてるの? けなしてるの?」
「もちろん褒めているよ」
「じゃあ愛してるの? 愛してないの?」
「な!?」

 今度はジルヴァがニヤニヤと笑みを浮かべた。とても意地悪な質問。ナガーが素直に言葉にできないことを知っているのだ。

「急に話が変わってないか!?」
「僕の質問に答えられないのかなあ」

 腕を組んで胸を張っている。ナガーは視線を逸らした。

「あ、愛し、てる……」

 顔を赤く染め上げ下向き加減に言ったが、それは風に揉み落とされた。

「なんて?」

 彼は耳を近づけてますます口角を吊り上げた。

「もう!」
「あっはっは!」

 ナガーに突き飛ばされながらも、ジルヴァはトントンとバックステップで衝撃を緩和する。時折、彼の何気ない挙動から、兵士らしさが垣間見える。

「まっ! 帰ったら任務完了のご褒美としてもう一度聞くことにするよ。行ってくるね」

 踵を返す彼の背中に、ナガーは小さく「あ」と漏らす。愛しているくらい、いいじゃないか。しばらく会えなくなる、こんなときくらい。そう思ったのだ。

「僕は愛してるよ、ナガー。じゃあね!」
「な!?」

 自分の思惑など簡単に見透かした彼の言葉が、ナガーの耳に熱を持たせた。抱えていた不安もなにもかもを吹き飛ばしてしまう、愛している。

 それから数日間はとても忙しい日々となる。彼が居ない間に、ナガーは成れないケーキ作りを近所の人から教わったり、彼へのプレゼントなどを街に買いに行ったりした。誰にも話していなかったというのに、どこからか聞きつけた仕立屋がドレスの試着を勧めてきたこともあった。ナガーは高身長をコンプレックスに思っており、自分に似合うドレスなどないと決めつけていたが、仕立屋に促されるままに試着すると、息を呑むほどの感動を味わうことになった。だがしかし、いくら気に入ったからと言っても、旦那の了承を得ず勝手に買うわけにはいかない。そう言って断ると、

「いえいえ、ジルヴァ様からは既にオーダーを頂いております。ナガー様を残し家を空ける日が来ることを予告されておりまして、その際に準備を済ませて欲しいと。本日は仰せのままに伺った次第です。ジルヴァ様より大体の寸法は伺っておりましたので、微調整だけなら3日もあれば」

 彼は、ナガーの好みを熟知しているからこそできるデザインをオーダーしていた。文句のつけようのないそれは、確かに微調整だけで済みそうだ。その場に彼が居なかったことが悔やまれるが、本人も当日まで楽しみに待っていたいのだろう。だから、わざわざ不在の日を指定したのだ。
 彼の不在を埋めるように、ナガーは充実した日々を送った。

 見送ってから5日後。ジルヴァの帰宅予定日。仕事上予定は前後しやすいとは言え、彼の帰りを待ちきれない。早めの朝食を済ませると、外に出て花壇の水やりを始めた。今はまだ芽すら出ていない、埋められた種子。いつか必ず芽吹くはずの花の色は青。その色が良いとジルヴァが決めた。青はナガーの髪と目の色だからと。
 虹色の光の粒を作っては歩き、作っては歩き。

 気が付くと塀の向こうに馬車が止まっていた。そして玄関前には一人の兵士が立っていた。彼はこちらに気付くと、左胸に右手を宛てがい、丁寧にお辞儀をした。つられて会釈をする。

「ナガー・プリッドさんで間違いありませんね」
「はい、そうですが」
「読み上げます」

 兵士は神妙な面持ちで一枚の紙を懐から取り出して、ピシッと張った。

「ジルヴァ・フォサイン伍長は、この度の任務により、二階級特進し、曹長となりました。ジルヴァ曹長にはご親類の方がおらず、婚約者のあなたに報告するよう王より命がありました。これより王宮にて、王より直接お言葉をお納め頂きたく参った次第です。馬車を用意しておりますので、どうぞこちらへ」

 ナガーは雷に撃たれたように全身を引きつらせて、ただただ目をみはるのみだった。思考が追い付かない。いったいなんと言った。兵士は。紙を広げて。なんと。

「に、……特、しん?」

 ぼそぼそとした呟きは兵士に聞こえてはいない。彼は持っていた紙をナガーに手渡し、そのまま手を取って、馬車へと誘導した。

 ガタガタと揺れる籠の中で、いつの間にか意識が戻ってきていた。ただこれが、果たして正気の意識なのかは定かではない。確かめる気力もない。
 光の反射を拒絶した瞳で、馬車の外を見上げた。青が青すぎて夜が落ちてきそうな、蒼褪めた青空だった。