結論から言おう。
 一人スローライフは諦めた。しかし、ユズリアとの婚姻は絶対に首を縦に振らないと誓った。
 そもそも、平民と貴族が結婚って何の御伽噺だよ。そう思ったが、S級冒険者ともなれば、貴族とまではいかなくとも、それなりの地位は保証される。実際、貴族と結婚したS級冒険者も過去にはいたらしい。
 とはいえ、俺もそれに倣って、じゃあ結婚します。そんなこと、口が裂けても言えない。
 だから、俺は意地でも口約束を取り付けようとするユズリアに抵抗するべく、自分の口に『固定』をかけ続けた。小一時間、無言を貫くとユズリアも流石に諦めてくれたようだ。

「別に急ぐわけでもないし、ロアがその気になったらでいいわよ。ただし、逃げたり、他の女にほいほいつられたら、全部お父様に話すから」

 代わりにそんな脅迫まがいの台詞を突きつけられた。どうやら、退路は完全に断たれたらしい。
 しかし、有耶無耶にし続ければ、ユズリアもそのうち忘れるか、飽きてくれるだろう。それまでの辛抱だ。
 急に結婚だなんて、考えられもしない。なんたって、異性経験ゼロだからな! 

 野営を組み、携帯食料で腹を満たす。とりあえず、今晩は魔物の夜襲に備えて交代制で夜番をすることにした。いかに魔物がこの場所に寄ってこないとは言え、ここは魔素の森だ。小さな村一つなら軽々壊滅させるような魔物がうじゃうじゃいる。
 最初の見張りは俺がすることにした。俺はまだ、ユズリアを完全に信用したわけではない。今、横になったところで眠れるはずがなかった。
 しかし、それはユズリアとて同じ話、だと思っていたんだけどなあ。
 寝ころんだユズリアは、ものの数分で小さな寝息を立て始めた。
 信頼か、限界だったか。どちらにせよ、やっぱり俺が最初の見張りで良かった。

 彼女の目に疲労が浮かんでいることは、最初から分かっていた。S級になりたてで、魔素の森を一人でうろついていたのだ。きっと、夜だって眠れずに何日も過ごしていたのだろう。
 魔物の気配を肌で感じながら、緊張を途切れさす恐怖は計り知れない。だからこそ、冒険者はパーティーを組むのだ。しかし、S級冒険者はその絶対数が限りなく少ない。そのくせ、S級しか受けられない依頼が多いため、必然と一人で危険な地へ行くことが多くなる。一人の時、いかにして身体を休める術を培うのか、それも経験で得ていくしかない。
 しかし、聞けばユズリアは十八歳らしい。この歳でS級まで上り詰める冒険者など指折りだ。きっと、まだまだ成長を続けるのだろう。だからこそ、貴族の掟だとかさっさと忘れてほしい。大体、俺と彼女しかいなかったのだから、互いに無かったことにすれば済む話だ。でも、彼女の貴族としてのポリシーはそれを譲らないらしい。
 それとも、何か別の理由があるのか。
 大貴族のお嬢様がわざわざ冒険者をやること自体、類を見ないことだ。おそらく、触れずらい事情も少なからず抱えているのだろう。

そっと、彼女の額に手をかざす。

 ――『固定』

 あまり気が乗らない使い方だけど、これで彼女は『固定』が解除されない限り、起きることはない。

「若いうちは、たくさん寝るに限るよな」

 別に俺もまだ若い方に区分されると思うけど。
 でも、ユズリアと同い年の妹からはおっさん臭いと言われたからなあ。

 魔力溜まりは夜だというのに、ぼんやりと光を放ち続けている。なんなら、若干眩しいくらいだ。温度が四十度ほどあるため、冬だというのにこの聖域はそこまで寒さを感じない。
 触れるだけで魔力が急速に流れ込んでくるほどの高濃度。光を放っているのは浄化の力が働いているためだろう。まるで魔力ポーションと聖水を掛け合わせたような泉だ。これを瓶に詰めて売るだけで、屋敷が立つくらい稼げそうだ。

「いかん、いかん。また金のことばっかり考えている」

 この十年。ひたすら金銭のことを第一に考えて行動してきたせいだ。こういうのを銭ゲバっていうんだったか。我ながら、悲しい青春時代を過ごしたものだ。
 きっと、無性に人のいない場所で生活したいという欲が強いのも、間違いなく銭ゲバ生活のせいだろう。
 でも、今は何も気にせず、思うがままに過ごしていいのだ。
 満点の星空、温かな空間。そして、多分、きっと、おそらく、maybe、probably、perhaps、もう誰も来ない土地! ……あと一応、可愛い同居人。
 あれ? 結構、完璧なスローライフ環境ではないだろうか。一応、危険度S級の場所ではあるけれど。
 大きく息を吸い込んで、吐く。胸につっかえていた重りがようやく外れたようだ。
 やっぱり、今日は眠気なんて来そうにない。
 俺は足を泉に浸し、相変わらず下手くそな鼻歌を奏でるのであった。