魔素の満ちた森をひたすら駆けた。
心配のし過ぎというサナの言葉が思い返される。確かにそうかもしれない。
夜中に冒険者が移動することは決してない。暗闇がどれだけ敵となり得るのかを痛いほど知っているからだ。
しかし、あの雷鳴は間違いなくユズリアの魔法だ。つまり、ユズリアは今魔法を使わざるおえない状況にいるということ。
魔物ならユズリアには問題ないだろう。でも、夜襲や何かから追われ続けているとしたら?
結局、一番脅威となるのはいつだって同じ人間だ。魔物よりもずっと狡猾で、利己的。
夜更けにのこのこと姿を見せる獲物に、魔物がぎらついた瞳を向けて襲い掛かって来る。その全てを『固定』して走り続ける。
息が切れる。
コノハを起こして来た方が早かったかもしれない。
リュグ爺は気づいただろうか。随分遠くの方だったから魔力も感じられなかった。本当に偶然視界に入っただけのこと。
もしかしたら、何回も魔法を放っていたかもしれない。そのうちの一回をたまたま目にした。その可能性ももちろんある。
黒い木々に覆われた前方で、衝撃音が響く。
近い……。
微かな土煙と何かが焦げた臭い。
間違いなく、ユズリアが何者かと戦っている。その事実だけが、俺の足を止めることなく前へと突き動かす。
視界が晴れる。まず最初に目に入ったのは帳の降りた暗い闇を照らす炎。燃える木々の周囲を電気の筋が滞留しているのを見るに、恐らくユズリアの魔法で引火したのだろう。バチっという焔か雷か分からない音が耳を伝う。
その明かりの下、地面に倒れ込むユズリア。土ぼこりを被り、身体のいたる所に殴打の痕が散見する。闘志潰えた虚ろな瞳の向く方向には、身なりの良い白銀髪の男性。趣味の悪いまだら模様のローブには鷹が鼠を鷲津掴む刻印が刻まれている。
「ユズリア……ッ!」
ユズリアが弱々しく顔を傾ける。
「ロ……ア……?」
ユズリアを抱きかかえると、彼女は力なく握った細剣を滑り落す。
「一体、何があったんだ!?」
「ご……ごめん……なさい……。に……げて……?」
その瞳がじわっと滲んで、ゆっくりと瞼が閉じられる。
「ユズリア!? しっかりしろっ!」
応答はない。気絶してしまったようだ。
近くで見ると彼女の身体はより凄惨な傷だらけだった。破れた服越しに除く肌は青黒く腫れ、背中は大きく切れているのか、抱きかかえた腕がぐっしょりと鮮血で染まる。
ぞわっと感情が湧いた。視界がやや狭くなり、胸から頭にノイズが駆ける。
ユズリアの頬についた土をそっと拭う。
流されるな。落ち着け。自分に言い聞かせるようにひたすら反復する。
大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。やや軽くなった頭の奥底に感情を押し込んで強引に『固定』する。瞬間、嘘かのように脳内を駆け巡るノイズが消え去った。まるで、頭から水を被ったように思考がすーっと流れる。
ユズリアを木に預け、ゆっくりと立ち上がる。
その男は退屈そうに手元で謎の骨をいじっていた。
「つまらん劇は終わったかね?」
さらりと流れる白銀の髪が炎の色を反射する。
「……お前がやったのか?」
「このローリック・ティンジャー様に向かってお前とは、頭が高いぞ平民? それ以外に何がある」
「そうか」
有無を言わさず、ローリックの靴と地面を『固定』。
ユズリアが破れるほどの相手だ。先手必勝に限る。余計な感情が無いおかげで、視野も広い。ここには、ローリック以外に隠れている人物はいなそうだ。
「終わりだ。お前はもう動けない。貴族だか何だか知らないが、しかるべきところに連れて行く」
ローリックは謎の骨を手元で弄び、自分の足元と俺を交互に見比べた。
「ほう……黒髪、黒目でこの魔法。さては〝釘づけ〟だな? なるほど、名前しか聞いたことが無かったが、これは『固定』から来る異名だったか」
「……どうして、俺の魔法を知っている」
俺はこいつに会ったことがない。他人からの又聞きで俺の異名を知っていても、『固定』のことは誰も知らないはずだ。巷では、よく分からない謎の魔法ということになっている。なぜ、この男は『固定』を知っているんだ?
「さて、すぐに答え合わせできよう」
ローリックが瞬きした瞬間、迷わず『固定』。
きな臭いやつだ。なるべく、最短で動きを封じる。
「おいおい、平民というのは会話もできないのか? これでは魔物と変わらんな」
ローリックの持つ骨が光を纏って教典に変形する。
教典と手を『固定』。おそらく、召喚系魔法発動の武具だ。教典系の武具は対象のページを開かなければ発動は出来ない。教典と手を『固定』してしまえば、ページはめくれないはずだ。
つまり、ローリックは現在開かれているページに記述されているものしか召喚出来ない。
「無駄だ。コイツさえ召喚出来れば問題ない」
教典が黒紫に光を放つ。ローリックの目の前に小さな魔方陣が展開され、そこから一人の男性が召喚される。
なぜか胸が騒いだ。
召喚された男は眼をくりぬかれ、肌はどこか黒ずんでいる。黒い髪も相まって、随分と不気味な雰囲気だ。意識は無いようで、召喚された状態からピクリとも動かない。
「おい、これを〝解除〟しろ」
微かな疑問が芽生える。
今、確かに〝解除〟と言った。『解除魔法』のことだろうか。
召喚された男性が動きだす。ゆっくりと腕を持ち上げる。
刹那、俺は自分の目を疑った。
目を開けるローリック。その場で足を軽く上げて見せた。しかし、俺は『固定』が解かれたことよりも、その男性から目が離せない。
持ち上げた手で二本指を立て、横に切る動き。その瞬間、ローリックにかけた『固定』が効力を失った。
何故だ……? どうして、この男が使えるんだ……!?
もう一度、ローリックの瞼を『固定』。
「やれやれ、しつこい平民だな。おい、使え」
やっぱり、二本指を横に流す動作。間違いない。何度もこの目で見てきた動き。
これはサナの使う『解除』だ。
心配のし過ぎというサナの言葉が思い返される。確かにそうかもしれない。
夜中に冒険者が移動することは決してない。暗闇がどれだけ敵となり得るのかを痛いほど知っているからだ。
しかし、あの雷鳴は間違いなくユズリアの魔法だ。つまり、ユズリアは今魔法を使わざるおえない状況にいるということ。
魔物ならユズリアには問題ないだろう。でも、夜襲や何かから追われ続けているとしたら?
結局、一番脅威となるのはいつだって同じ人間だ。魔物よりもずっと狡猾で、利己的。
夜更けにのこのこと姿を見せる獲物に、魔物がぎらついた瞳を向けて襲い掛かって来る。その全てを『固定』して走り続ける。
息が切れる。
コノハを起こして来た方が早かったかもしれない。
リュグ爺は気づいただろうか。随分遠くの方だったから魔力も感じられなかった。本当に偶然視界に入っただけのこと。
もしかしたら、何回も魔法を放っていたかもしれない。そのうちの一回をたまたま目にした。その可能性ももちろんある。
黒い木々に覆われた前方で、衝撃音が響く。
近い……。
微かな土煙と何かが焦げた臭い。
間違いなく、ユズリアが何者かと戦っている。その事実だけが、俺の足を止めることなく前へと突き動かす。
視界が晴れる。まず最初に目に入ったのは帳の降りた暗い闇を照らす炎。燃える木々の周囲を電気の筋が滞留しているのを見るに、恐らくユズリアの魔法で引火したのだろう。バチっという焔か雷か分からない音が耳を伝う。
その明かりの下、地面に倒れ込むユズリア。土ぼこりを被り、身体のいたる所に殴打の痕が散見する。闘志潰えた虚ろな瞳の向く方向には、身なりの良い白銀髪の男性。趣味の悪いまだら模様のローブには鷹が鼠を鷲津掴む刻印が刻まれている。
「ユズリア……ッ!」
ユズリアが弱々しく顔を傾ける。
「ロ……ア……?」
ユズリアを抱きかかえると、彼女は力なく握った細剣を滑り落す。
「一体、何があったんだ!?」
「ご……ごめん……なさい……。に……げて……?」
その瞳がじわっと滲んで、ゆっくりと瞼が閉じられる。
「ユズリア!? しっかりしろっ!」
応答はない。気絶してしまったようだ。
近くで見ると彼女の身体はより凄惨な傷だらけだった。破れた服越しに除く肌は青黒く腫れ、背中は大きく切れているのか、抱きかかえた腕がぐっしょりと鮮血で染まる。
ぞわっと感情が湧いた。視界がやや狭くなり、胸から頭にノイズが駆ける。
ユズリアの頬についた土をそっと拭う。
流されるな。落ち着け。自分に言い聞かせるようにひたすら反復する。
大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。やや軽くなった頭の奥底に感情を押し込んで強引に『固定』する。瞬間、嘘かのように脳内を駆け巡るノイズが消え去った。まるで、頭から水を被ったように思考がすーっと流れる。
ユズリアを木に預け、ゆっくりと立ち上がる。
その男は退屈そうに手元で謎の骨をいじっていた。
「つまらん劇は終わったかね?」
さらりと流れる白銀の髪が炎の色を反射する。
「……お前がやったのか?」
「このローリック・ティンジャー様に向かってお前とは、頭が高いぞ平民? それ以外に何がある」
「そうか」
有無を言わさず、ローリックの靴と地面を『固定』。
ユズリアが破れるほどの相手だ。先手必勝に限る。余計な感情が無いおかげで、視野も広い。ここには、ローリック以外に隠れている人物はいなそうだ。
「終わりだ。お前はもう動けない。貴族だか何だか知らないが、しかるべきところに連れて行く」
ローリックは謎の骨を手元で弄び、自分の足元と俺を交互に見比べた。
「ほう……黒髪、黒目でこの魔法。さては〝釘づけ〟だな? なるほど、名前しか聞いたことが無かったが、これは『固定』から来る異名だったか」
「……どうして、俺の魔法を知っている」
俺はこいつに会ったことがない。他人からの又聞きで俺の異名を知っていても、『固定』のことは誰も知らないはずだ。巷では、よく分からない謎の魔法ということになっている。なぜ、この男は『固定』を知っているんだ?
「さて、すぐに答え合わせできよう」
ローリックが瞬きした瞬間、迷わず『固定』。
きな臭いやつだ。なるべく、最短で動きを封じる。
「おいおい、平民というのは会話もできないのか? これでは魔物と変わらんな」
ローリックの持つ骨が光を纏って教典に変形する。
教典と手を『固定』。おそらく、召喚系魔法発動の武具だ。教典系の武具は対象のページを開かなければ発動は出来ない。教典と手を『固定』してしまえば、ページはめくれないはずだ。
つまり、ローリックは現在開かれているページに記述されているものしか召喚出来ない。
「無駄だ。コイツさえ召喚出来れば問題ない」
教典が黒紫に光を放つ。ローリックの目の前に小さな魔方陣が展開され、そこから一人の男性が召喚される。
なぜか胸が騒いだ。
召喚された男は眼をくりぬかれ、肌はどこか黒ずんでいる。黒い髪も相まって、随分と不気味な雰囲気だ。意識は無いようで、召喚された状態からピクリとも動かない。
「おい、これを〝解除〟しろ」
微かな疑問が芽生える。
今、確かに〝解除〟と言った。『解除魔法』のことだろうか。
召喚された男性が動きだす。ゆっくりと腕を持ち上げる。
刹那、俺は自分の目を疑った。
目を開けるローリック。その場で足を軽く上げて見せた。しかし、俺は『固定』が解かれたことよりも、その男性から目が離せない。
持ち上げた手で二本指を立て、横に切る動き。その瞬間、ローリックにかけた『固定』が効力を失った。
何故だ……? どうして、この男が使えるんだ……!?
もう一度、ローリックの瞼を『固定』。
「やれやれ、しつこい平民だな。おい、使え」
やっぱり、二本指を横に流す動作。間違いない。何度もこの目で見てきた動き。
これはサナの使う『解除』だ。