ドドリーとセイラに一軒、リュグ爺に一軒、新しく家を建てた。幸いなことに聖域にはまだまだ十分な広さがある。何なら、じわじわと聖域が広がっているんじゃないかとさえ思えた。
 これで聖域に住む住人は俺を合わせて七人。しかも、全員がS級指定の危険地帯を一人で生き延びれる紛れもない化け物だ。
 この七人がいれば、恐らく国の一つくらい容易く落とせるだろう。

「よし、家に関してはこれでいいかな。後、希望とかある?」

 ドドリーとセイラは特に無いといった素振りを取る。

「では、儂から一ついいかな?」

 リュグ爺が曲がった腰をそのままに、顔を上げる。
 こうしてみると、本当にただの老人なんだよなあ。強者特有の気配を抑えるようなものも見受けられない。

「儂らは何をすればいいのじゃ?」

「何をって、何が?」

 リュグ爺がはて? とでも言いたげに首を傾げる。

「お主はここの長なんじゃろ? そして、儂らは住人じゃ。何かしら役目を与えられるものだと、思っとったんじゃがのお」

「俺がここの代表? 一体、誰がそんなことを言ったんだ?」

 リュグ爺は俺がこの場所をまとめる役だと思っているというわけか。

「違ったんですか?」

「うむ、俺も兄弟が取り仕切っているものだと思っていたぞ」

 セイラとドドリーもリュグ爺に賛同した。つまり、二人も同じ考えだったらしい。
 全く、冗談じゃない。誰が好き好んでそんな面倒な役をしなければいけないんだ。

「今となってはこうして皆がいるけれど、俺は最初、一人でスローライフをするためにここへ来たんだ。ここを何かの組織みたいにするつもりはないよ」

「なんじゃ、そうじゃったのか」

「大体、俺は面倒事が大嫌いなんだ。だから、家を建てるのは俺しか出来ないからやるけれど、後は自分たちで何とかしてくれ」

 聖域は誰のものでもないんだ。皆が好きなように、生きたいように生きればいいだろう。
 住まいとか、食料に関してだけある程度共通管理のような形にすれば、後はいつ誰がどこに行こうが、何をして過ごそうが俺には知ったこっちゃない話だ。

「うむ、それもまたよかろう!」

「そうですね。そちらの方が余計ないざこざが起きないでしょう。これ以上人が増えたら話は別ですけれども」

 セイラさん、とてつもなくどでかいフラグを立てないでもらえないでしょうか。

「ふむ、それでも皆、何かあったらお主を頼るのじゃろうな」

「おいおい、勘弁してくれよ……」

「ふぉっ、ふぉっ、頼られるのは苦手と見えるのお。何かあればこの老骨も少しくらい相談に乗ってやるわい」

「助かるよ、リュグ爺」

 リュグ爺は相変わらず細い眼をしょぼしょぼさせて笑う。なんだか、サナと母親と暮らしていた時の近所のおじいさんを思いだす。

「私たち、今から昼食をつくろうと思いますけれど、リュグ爺様とロアさんもいかがですか?」

「おぉ、神官の娘や、料理は上達したかの? 昔はそれはもうひどい有様だったような覚えがあるのじゃが」

「ふふっ、リュグ爺様ったら。つくるのは私じゃなくて、ドドリーさんですわ」

「うむ、セイラの料理はいくら俺であっても命を落としかねん」

 錫杖がドドリーの腹に刺さる。セイラの変わらぬ笑みにも慣れてきたというものだ。
 ドドリーよ、本当、相談ならいつでも乗るぞ。男の約束だ。

「せっかくのところだけれど、俺は遠慮しておくよ。今からコノハが見つけた川を見に行くからさ」

「そうか、では今夜は魚で宴だな!」

「まあ、期待せずに待っていてくれ。なんせ、こんな魔素の濃い場所にある川だからな」

 三人と別れ、畑の様子を見に行っていたコノハとサナと合流する。
 二人揃って土で手を汚していた。仲良くやっていそうで安心だ。そもそも、サナは最初からコノハのことを気に入っていたようだから、何の心配もしていなかった。
 コノハに関しては、里での出来事で他人を遠ざける傾向にあると思ったが、どうやら俺の信頼する人はもれなくコノハも信頼に置くようにしているらしい。全く、可愛い奴め。
 サナはもちろん、コノハやユーニャが嫁に行く時も、俺は泣いてしまうんだろうな。

「サナも付いてくるのか?」

「当たり前」

「そんな遠くないところでありまする。ユズリア殿が街から帰って来る夕暮れには、聖域の方に戻れるでありましょう」

 ユズリアには二日前から街の方に買い出しに行ってもらっている。やはり、未だ調味料や衣類などは定期的に買い出しに行かなければならないため、ユズリアには負担をかけてしまっていた。本人はさほど気にしていなそうだが、やっぱり何かしら考えておく方が今後のためだろう。
 やっぱり、商人が近寄れないというのが大きな要因だ。どこかにS級冒険者兼商人なんていう奇特な人物はいないものだろうか。

 聖域を出発して一時間ほど魔素の森を南下する。破岩蛇を討伐した岩肌地帯をさらに奥へ行くと、空気が湿り気を帯びてきたのを感じた。そして、春の陽気だったはずが、肌を撫でる空気がいつの間にかひんやりとしてくる。
 人類圏の外側に位置するここはまさに未開の地。どんな魔物や自然が跋扈(ばっこ)しているのか分かったもんじゃない。

「着いたでありまする」

 ちょうどサナが後ろから忍び寄る大きな虎型魔物を、巨大な隕石を打ち放って押しつぶしたところだった。
 前を行くコノハの向く方角には、大きな川が見えた。黒い大地と木々に相反し、透き通る清涼な青をたっぷりと含んだ水が帯をなして流れている。下流の方に目を向けると、向こう岸が微かに見えるくらい大きな円形の水溜まりになっており、まるで川から湖へと変貌しているようだった。
 覗き込むと、川底を滑る魚の群れが見える。どうやら、この川は魔素の影響をあまり受けていないようだ。湖の方は水深が深そうで、魚の姿は見えるが、道具を使わなければ取るのは難しそうだ。

「なんか、変なのある」

 サナが呟いて指で示す。湖のちょうど中央にぽつんと存在する浮島のようなものだった。一本の枯れた大樹が生えていて、その根元には大きな繭のような黒い繊維状の球体が二つ並びで鎮座している。

「なんだ、ありゃ?」

「何かの卵でありまする?」

「……気持ち悪い」

 サナの発言には大きく同意だ。気にはなるが、この深さでは泳いでいくしか方法は無いし、そこまでして確認するようなものでもない。どうせ、虫型魔物の卵か繭だろう。

「一応、壊しておくか。サナ、頼む」

 サナは表情変えずに小さく頷くと、指輪がギラリと輝き、前方に魔方陣を展開させる。ぶわっと魔方陣が大きく広がって消えゆくとサナの頭上に大きな溶岩石が出現した。
 サナが腕を振り下ろす仕草と同時に隕石が繭に向かって勢いよく落下し、土ぼこりを周囲に撒き散らす。

「手ごたえ、ない」

 浮島を取り巻く煙が晴れる。サナの言う通り、隕石は粉々に砕けているが、繭に関しては無傷だった。

「威力は申し分なさそうだったけれど?」

 サナは頷く。

「結構、魔力込めた。けど、多分当たってない?」

「当たってないなら、どうして隕石が砕けてるんだよ」

「おそらく、あの変な霧のようなものでありましょう」

 そういいつつ、コノハが札をぼやっと光らせる。風の刃が空気を切り裂いて射出された。弧を描いた刃が繭を切り裂こうとした刹那、繭から禍々しい黒紫の霧が噴出し、刃とぶつかる。衝撃で辺りを風が吹き散らし、湖が波を立てる。しかし、やはり繭は無傷だ。

「うわ……」

 思わずそんな声が出る。

「……面白くない。次は全力出す」

 サナの指輪が一層、光を増す。

「まてまて、サナが本気を出したら湖ごと吹き飛ぶだろ」

「……お兄がそう言うなら、やめる」

 サナの指輪から輝きが消えたのを見て、俺は焦る胸をなでおろす。サナが本気を出せば、間違いなく地形が変わってしまう。そうなれば、せっかく見つけた川も待望の魚も台無しだ。

「とりあえずは放置でいいだろ。今のところ、何をしてくるわけでもないし」

 俺たちは湖より上流の水深が浅い川辺で魚を取って帰ることにした。俺とサナがいれば罠や釣り竿など必要はない。サナが『解除』で水と魚の流れを止め、姿を鮮明にした魚の群れに向けて俺が『固定』を放つ。あとは岩肌や川藻にくっつく魚を手で取っていくだけだ。
 十分足らずで、持ってきた籠いっぱいの魚が取れた。今日は魚パーティーと洒落込もうじゃないか。

 聖域に戻る頃には陽が傾いていた。
 泉の発するおぼろげな光と夕日が混ざり合って、まるで橙の強い虹のように輝いている。
 何度見ても幻想的な景色の下で、ドドリーが家のそばに腰かけて矢じりを整えていた。いくらマッチョと言えど、やはりエルフは絵になる。口を開かなければの話だが。

「おぉ、帰ったか! 案外、早かったな兄弟たちよ! して、釣果はどうだったのだ?」

「釣ってきたわけじゃないけれど、この通りだよ」

 サナが魔力で浮かせた籠をドドリーの前に置く。

「なるほど、豊漁というわけだ!」

「まあな。ところで、ユズリアは戻っているか?」

 いつも通りであれば、今日中に帰ってきておかしくない。ユズリアも魚を食べたがっていたから、喜んでもらえそうだ。

「いや、まだ戻っていないな」

「そうか……少し心配だな」

 籠の中の魚がぴちっと跳ねるのを見て、なぜか胸がざわついた。

「ユズリア殿とて、S級冒険者。何かあれば一人で解決できまする」

「お兄は昔から心配性。だから、今日も私と寝る」

 結局、ユズリアは夜になっても戻ってこなかった。取ってきた魚は血抜きをして、コノハが出した氷結魔法で保存しておくことにした。やっぱり、宴は皆が揃ってからに限る。

 夜中、不意に目が覚めた。窓の外はぼんやりと泉が光り、空には半月が覗いている。冒険者時代の感覚が鈍っていなければ、恐らく丑三つ時くらいだろうか。
 隣で静かに寝息を立てるサナ。その右手は俺の袖口をぎゅっと掴んでいる。母親が無くなってからのサナの癖だ。
 サナを起こさないようにローブを羽織って外に出た。泉の発する熱が春の夜風に乗って肌を撫でる。

「どうしたのじゃ? こんな夜更けに」

 思わぬ声かけに少し驚いた。見ると、リュグ爺が泉の傍に腰を掛けて夜月を眺めていた。

「ちょっと起きちゃってね。リュグ爺こそ、こんな時間に何しているんだ?」

「ふぉっ、ふぉっ、歳を取ると長く寝ていられないものじゃ。それに儂はここに来てからまだ数日。安全だと自分で確認せな、気が済まない性分でな」

 その細い瞳が俺を見据える。

「まあ、S級冒険者にとっては当然のことだな。どうせリュグ爺もそうなんだろ?」

「儂は大したもんでもないわい。ただ、長いこと冒険者をやっていて、過大評価されただけの老骨じゃよ」

 皺塗れの細い指先に夜紋蝶が止まって羽を休める。
 少し迷って、俺はリュグ爺に疑問を投げかけた。

「なあ、リュグ爺がここにとどまった本当の理由って何なんだ?」

 リュグ爺は何も言わず、広がる星空に目を向ける。

「俺にはあんたがボケているようには到底感じられない。何か目的でもあるなら、面倒だけど手伝うよ」

「ふぉっ、ふぉっ、お主は本当にお人よしじゃのお。何かと損する性分じゃよ?」

「分かってるよ。でも、一緒の場所で暮らしてるんだ。隣人のことは出来る限り知っておくべきだろ?」

 リュグ爺が重そうに腰を上げる。しゃがれた顔、かすれ気味な声、杖でも欲してそうな腰曲がりな立ち姿。だというのに、どうしてか俺は龍にでも睨まれたかのように動けなかった。その細い瞼越しの小さな瞳にぞくっとした気配が背筋を走る。

「強いて言うならば、最近、この地の魔素がより一層濃くなっているからかのお」

「魔素が濃くなっている……?」

「なあに、大して案ずることでもないわい。浮浪人の戯言じゃ」

 そう言って、リュグ爺はいつものように笑いながら家の中へ姿を消した。
 魔素が濃くなると、何だって言うのだろうか。結局、リュグ爺の目的は分からずじまいだ。

 俺もそろそろ部屋に戻ろう。そう思った刹那、遠くの方で雷鳴が天を衝いた。