セイラとドドリーは朝早くに出発した。
 破岩蛇を討伐した帰りに、もう一度ここに寄るらしい。
 あの二人の強さは分からないけれど、曲がりなりにもS級冒険者なのだ。無理だと判断すれば、すぐに撤退を選ぶだろうし、特に問題は無いだろう。

「あの二人、大丈夫かな?」

 実った赤い野菜を眺め、ユズリアが呟く。

「心配し過ぎだって」

 コノハの指さす位置に(はさみ)を滑り込ませ、枝を剪定する。この畑にはそんな作業必要なさそうだけれど、見栄えは大事だ。というのも、この畑、種を植えて水をやるだけで、なぜか三日もしないうちに実がなる。
 考えられる要因はただ一つ。浄化のために土の中に埋めた魔石だろう。土壌を良くしているのか、成長の促進効果でもあるのか、はたまたどちらもか。何にせよ、あの泉に関しては深く考えないようにした。だって、すごいってこと以外よく分からないし。

「ドドリー殿もセイラ殿も、多分すごく強者だと思いまするよ」

「どうして?」

「お二方とも、卓越した気配の消し方でだったでありまする。でなければ、あんな近づかれるまで某が気づけないはずがありませぬ」

「確かに、ドドリーは遠くにいたからともかく、セイラの接近には全く気づかなかったな」

 間合いの内側まで入られても気が付けないなんて、油断していたとしてもあり得ない話だ。しかも、S級が三人揃って全員。それだけで、セイラの実力が高いことは明白だ。神官に必要なスキルだとは思わないが。

「でも、セイラさんは神官で、ドドリーさんは射手でしょ? なんか、バランス悪くない?」

「それは俺も思った。前衛無しでどうやって戦うんだろうな」

 考えられるとすれば、神官の光魔法で遠くから敵を拘束。そして、射手の高火力で一方的に殴る戦法だろうか。事故も怪我もない良い作戦だ。何より、地味な感じでちょっと親近感が湧く。
 
 陽がてっぺんを越え、畑から戻ると、泉の傍に朝出たはずのセイラとドドリーがいた。

「あれ? もう倒しちゃったの!?」

「ユズリアさん……」

 セイラの表情は明るくない。

「それがな、やむない理由で撤退してきてしまったわい!」

 ドドリーはあまり変わらないようだ。しかし、撤退するにしても早すぎるような。二人の顔に疲労も見えない。

「何があったんだ?」

「私たち、案外早く破岩蛇を見つけることが出来たんですが、」

 セイラが小さくため息をつく。

「つがいでした」

「つまり、二体いたってこと?」

 ドドリーが腕を組み、うなずく。

「流石にS級指定の魔物を二体同時に相対するのは厳しいでありまするね」

「そうなんです。どうしたものかと」

 破岩蛇が二体。セイラとドドリーが諦めて別の個体を探すとしても、拠点の近くにそんな危なっかしい魔物を放置することは出来ない。魔素の森とは言え、そんなにぽんぽんS級指定がいてたまるか。

「依頼は破岩蛇を一体討伐でいいんだよな?」

「うむ」

「じゃあ、一体は俺が相手をしよう。後の一体はそっちに任せる」

「おおっ! 流石はロア。筋肉が無くても男だ! 見直したぞ!」

「それは余計なお世話ですよ。とにかく、一体は俺が引き受ける。セイラもそれでいいか?」

 肩を組もうとしてくるドドリーの腕を押しのける。男の友情を育む趣味は無い。

「でも、ご迷惑になるんじゃ……。破岩蛇はS級指定の魔物の中でもかなりの強さですし」

「大丈夫ですよ、セイラさん。私とロアに任せてください!」

「いや、ユズリアも付いてくるのかよ」

「なによ、私だってたまには身体を動かさないと鈍っちゃうもの」

 それもそうか。いざというときに判断が鈍るのは危険だ。特にここはS級指定地域なんだから。

「じゃあ、俺とユズリアで一体。そっちで一体でいいな? コノハは留守番だ。変な人が来ても、ついて行っちゃ駄目だからな? 外にも極力出るなよ。わる~い魔族がお前を連れ去るかもしれないんだからな」

「ロア殿……某は子供じゃないでありまする……」

 何を言うか。十二歳なんて、まだまだひよっこだ。

 陽が沈む前に片を付けたいところだ。
 俺たちはすぐに出発した。途中、何体かA級指定の魔物に出くわしたが、張り切っているユズリアが全部なぎ倒した。若いなぁ。
 聖域の少し奥は森というより、岩肌が目立つ山のような斜面が続いていた。木々は生えているものの、随分とまばらだ。おかげで視界が開けているため、すぐに破岩蛇のつがいを見つけることが出来た。

 巨木のような大きな身体に、ゴツゴツと纏った岩肌。尖った口先から覗く舌はまるで鉄のように鈍い光を放っている。

「ひゃ~、硬そう……」

俺が討伐したときよりもだいぶ大きな個体だ。骨が折れるかもしれない。

「では、私たちは反対側へ回ります」

 既にドドリーは一足先に狙撃箇所を探しに行っているようだ。射手にとって、ポジション取りは最重要。マッチョにしては繊細かつ迅速で良い射手だ。

「ロアは今回、後ろから支援しててね!」

「はあ? 俺が前に出て『固定』すればすぐに終わるぞ?」

「だからよ! 身体が鈍らないようにするためなんだから、さっさと終わったら意味ないじゃない」

 ユズリアは細剣を引き抜き、やる気満々だ。

「そういうことなら……。でも、危なくなったらすぐに助けるからな!」

「それは私が弱いと思ってるから言ってるのかしら?」

「違うって、心配だからに決まってるだろ? 怪我してほしくは無いんだよ」

 ユズリアは何も言わない。横髪から覗く頬がほんのり赤みを帯びているのは気のせいだろうか。

「ほら、セイラたちが始めるみたいだぞ?」

「えっ!? わ、分かってるわよ! じゃ、援護よろしく!」

 ぐっと足に力を入れたユズリアが一瞬でぴりっと電撃を残して消え去る。
 全く、不安だ。

 ユズリアがいつの間にか破岩蛇に肉薄し、その鼻っ面に鋭い突きを放つ。まさに目にもとまらぬ速さだ。しかし、細剣は表面の岩をほんの少し削り取るだけで弾かれてしまう。
 間髪入れず落下しながら二発喉元を突くが、同じように小石を散らすに過ぎない。
 破岩蛇が蛇とは思えない甲高い咆哮を放つと、身体の周りにいくつもの魔方陣が展開され、大きな岩の弾丸が射出される。
 宙にいるユズリアにその岩を避ける術はない。かといって、細剣では『身体強化魔法』があってもいなすことは難しいだろう。
 二本の指を立てる。
 遠くから、ユズリアが一瞬こちらに目を向ける。その表情を見て、俺はそっと指をほどいた。
 ユズリアの周りを魔方陣が展開する。金色に強い閃光を放つと同時に、雷撃の槍が弧を描いて落石を次々と撃ち落とす。

 そして、ユズリアは地に足をついた瞬間、再び姿をくらました。
 気が付けば、破岩蛇の体表を削り取り上空へ、さらに瞬きの隙に再び岩を散らし、真下へ。その速度は反発するごとに速度を増し、雷の残像が破岩蛇を包み込む。
 砕け散る破岩蛇の岩が、雷に弾かれて火花を散らす。
 しかし、破岩蛇の『反転』も同時にすさまじい速度で展開される。無数の岩石の塊が縦横無尽に駆け回るユズリア目掛けて追尾(ホーミング)する。岩石は互いにぶつかり合い、熱を帯びて溶岩のように真っ赤に染まる。
 あんなの掠っただけで半身が焼けこげるぞ……。
 すさまじい速度で削られていく破岩蛇の体表から、艶めく肉肌が見えてきた。
 しかし、『反転』によって生まれたマグマのごとき岩石が瞬時にまとわりつくように埋まり、いつの間にか破岩蛇は真っ赤に身体を焦がす。
 流石のユズリアも速度が落ちてきた。その間にも、何倍にも膨れ上がった威力の真っ赤な岩石がユズリアの背に迫る。

 ユズリアが一度距離を取る。すると、岩石の群れはユズリアへの追尾をやめ、破岩蛇の周りを高速で纏うように渦巻く。

「おいおい、これは厄介すぎるだろ……」

 餓死戦法は間違いじゃなかったと思わされる理不尽さだ。まともに戦ったら、こうなるのだから。
 
 ユズリアがチラッと俺を見る。その意味を俺は瞬時にくみ取った。
 ユズリアの姿が消え、再び岩石の渦を縫うように飛び回る。
 その靴と足に向けて『固定』をかける。
 ユズリアは次々と岩石を蹴り飛ばす。軌道のズレた岩石に後続の岩石がぶつかった瞬間、俺は右手を素早く振り下ろす。二つの岩石はピタッとくっつき、一回り大きくなる。あとは、この繰り返しだ。
 徐々に大きくなっていく真っ赤な岩石の塊。優に破岩蛇の大きさを超えるほどになっていた。しかし、速度は変わらず、ユズリアを追尾し続ける。
 背に触れそうなほど接近する山のような巨岩。そのままユズリアは破岩蛇の鼻先に降り立つ。ユズリアの背中を溶岩が焦がそうとした刹那、今まで以上の速さで雷の如くユズリアの姿が消えて追尾を振り切る。

 全く、今まで速度を抑えていたとでもいうのか。

 追尾先を完全に見失った巨岩が速度を落とせずに破岩蛇にぶつかり、周囲に衝撃をまき散らす。形も残らずに砕け、焼けこげる破岩蛇。もう、『反転』が発動することは無かった。

「よっと……!」

 稲妻を纏って帰って来るユズリア。ものの数十秒だ。

「いえーい! 息ぴったり!」

 そう言いながら、満面の笑みでVサインをする。
 苦笑いの零れる俺はぴたっとくっ付けた二本の指を横に開いて彼女を真似た。
 まさか、ユズリアがこれほどまでに強かったとは思わなかった。
 最後のあの馬鹿げた速度。到底、目で追えなかった。
 出会い頭にやられていたら、きっと俺は今この場にいないだろうな。

「ふぅー、久々に緊張したぁ~」

「お疲れさん!」

 ユズリアがじっと俺を見つめる。そして、上目で何かを訴えるようにぴょんぴょんと背伸びした。

「んっ!」

「え、なに……?」

「んーんっ!」

 これはあれだろうか。
 あってるかも分からないが、ユズリアの頭を撫でる。ちょっと静電気を感じた。

「えへへっ……」

 先ほどまでの凛々しい彼女はもうおらず、なんとも腑抜けた溶けてしまいそうな表情だ。
 まあ、頑張ったし、こんなのでいいならいくらでも撫でてやろう。それにしてもコノハといい、ユズリアといい、頭を撫でられるのが好きなんだろうか。
 そういえば、ユーニャもご褒美くださいとかいって、なぜか俺に撫でるように要求していたような。
 うーむ、若者の流行なのか?
 今度、妹にも久々にやってみようかと思い、なぜか寒気がした。今やったら、手がちぎり取られそうだ。あいつ、最近反抗期っぽいしな……。

「それより、セイラさんとドドリーさんは大丈夫かしら」

「あー、多分大丈夫だろ。もう終わるはず」

 実は、後方にいた俺にはずっと視界に入っていた。

 まず、セイラが光魔法で宙を舞いながら破岩蛇を引き付ける。
 どうやら前衛はセイラで、後衛がドドリーのようだ。神官が前衛なんて、聞いたこともない。
 不思議に思っていると、セイラが柔らかな笑みを零す。
 そして、次の瞬間、錫杖で破岩蛇の脳天を思いっきりぶん殴った。すさまじい衝撃音と共に破岩蛇の岩肌が硝子のように砕け散る。衝撃は破岩蛇を突き抜け、地面を大きく陥没させた。
 思わず、怖っ、と心の声が漏れる。
 『反転』が発動し、すぐさま肉肌を埋めようと岩石が射出される。しかし、次の瞬間には風を纏った矢が寸分の狂いもなく岩石の中心を貫いていた。
 無数にセイラに襲い掛かる岩石を、矢の群れが次々と撃ち落とす。その間、セイラは錫杖でひたすら破岩蛇を殴る、殴る、殴る。
 錫杖を振るうたびに、彼女の笑みが愉悦のように歪んでいくのは気のせいではないはずだ。何なら、彼女の口から聞こえてほしくもない狂喜じみた笑い声すら聞こえる。

「な、なにあれ……」

 流石のユズリアもドン引きしていた。

 体表をほとんど削り取られ、ボロボロになった破岩蛇。最後の力を振り絞ってか、今までで一番大きな岩石をセイラに向けて打ち放つ。

「あっ! あれ!」

 ユズリアが指さす方向を見ると、なぜかドドリーが破岩蛇の真上にいた。そして、弓矢をかまえ――ずに投げ捨て、なぜかそのまま風魔法を纏って破岩蛇に向けて飛び込む。

「ふーぁはっはっはっはッ!」
「きゃははっはっはっはッ!」

 二人の絶笑が響き渡る。
 山のような巨岩は粉々に砕け散り、破岩蛇は脳天から一直線に貫かれた。生気を失い、パラパラと散る岩と共に地に堕ちる破岩蛇。
 残ったのは高嗤うマッチョエルフと、返り血を浴びたバーサーカー神官だ。

「なにあれ怖い……」

 俺とユズリアは抱き合って静かに震えていた。