「なんだ、これ」

 思わず変な声がもれた。
 四月某日、早朝。学校に着いた僕が下駄箱を開けると、黄色い封筒が入っていたのだ。
 これはいわゆる、ラブレターというものなんだろうか。また、なんとベタな。
 岡本悠真(おかもとゆうま)、高校三年生。彼女居ない歴=年齢の僕にも、ちょいと遅めの春がやって来たということなのだろうか?
 思えばここまで長かった、と思わず感慨に浸ってしまう。モテない男というのは幾つか特徴があるんだ、とたびたび親友にもからかわれてきたが、差し詰め僕の場合は消極的なことだろうか。
 決して無口とか暗いという訳でもないのだが、とかく女の子を前にすると上手く喋れない。というか、受身になってしまう癖がある。
 そんなんだから、優柔不断で頼りない印象を相手に与えるんだ。無駄に女ウケしそうな端整な容姿を持ちながら、お前がモテない理由はその受身体質にある、と耳にタコができるほど親友にも言われてきた。

 ところがあれ? どこを見ても差出人の名前がない。
 差出人の名前が無いなんて、これはちょっとおかしくないか? もしかしてこれは、たちの悪いイタズラかなんかじゃないのか?
 とたんに不安になってきた僕は、周囲の目を気にしながら、封を開けてみることにした。

「なんだ、これ」

 出て来た便箋に目を落として、先ほどと同じ台詞がもれた。

『日曜日。花見祭り。13時。案内板の前』

 書かれていたのはこれだけ。暗号かなにかか? これは?



 迎えた週末。空は雲一つなく冴えわたっている。
 僕は、日本三名園のひとつ、偕楽園(かいらくえん)に隣接した緑豊かな公園である、桜山公園(さくらやまこうえん)にやって来ていた。園内には約三百七十本のソメイヨシノと山桜が植えられている。ソメイヨシノは見頃までまだ少し早いが、まもなく満開になるんだろう。

 桜の木を見上げ、公園前に設置された案内板の前で、緊張気味に佇む僕が一人。
 緊張してしまうのも無理はない。誰が手紙の差出人なのか。本当にこの場所でいいのか。そもそも、誰がこの場所に現れるかもいまだに知らないのだから!
 それでも一縷の望みをかけて来てしまうあたりが、男の悲しい性なのだろうか。 
 しょうもない、と溜め息がもれそうになったその時、不意に右肩を叩かれる。
 
「ひゃあ!」
「わあ」

 僕の悲鳴と、高いトーンの女の子の悲鳴とが重なって聞こえる。
 いったい誰が──と振り返ると、桜色のセーターを着て、花柄のプリーツスカートを履いた女の子が立っていた。驚いたように、瞳を真ん丸に見開いて。

「ええと、野村(のむら)さん?」

 それは、クラスメイトの野村霧華(のむらきりか)だった。長い髪を二つ結いにして、眼鏡をかけた文学少女。教室で見かけるといつも読書をしているので、僕が勝手にそう思っているだけで、実際は憶測なんだけれど。というか、彼女についてさほど僕は詳しくない。

「こんにてぃは」

 多少噛みながら、照れくさそうに彼女はそう言った。

「君が、僕を呼び出したってことでいいのかな?」
「うん」と彼女は頷いた。マジかよ。本当に女の子からの手紙だったんだ。
「もしかして、差出人の名前が無かったから、イタズラだと思っちゃった?」
「それはまあ、思った」
「えっとね、私からの手紙だと知ったら、来てくれないかなって思って。ほら、私ちょっと暗そうなイメージあるから」
「だから差出人書かなかったの?」

 たどたどしく言い訳を重ねる野村さんに念の為尋ねると、彼女はこくこくと首を縦に揺らした。なんだか小動物みたい。

*

 ところが、告白かな? と自惚れた僕の予測は、早々に裏切られる。
 彼女いわく、来週とある男子をデートに誘って告白したいんだけど、そういった経験がまったくないので何を話していいのかわからない。そこで僕を相手にデートと告白の予行演習をしたいのだとか。イタズラじゃなかったことに安堵したけど同時に拍子抜けしたというか。なんとも複雑な心境だが、やっぱり美味い話はなかったというそんな話。世の中世知辛い。
 でも──。

「僕も経験なんてないよ」
「そ、それがむしろいいのよ」

 うむ。まったく意味がわからない。
 告白する相手は、たぶん同じ部活の奴とかだろうか。差し詰め僕は、頼みやすい都合のいい男ってところか。

「ところで野村さん、部活なんに入ってたっけ?」
「え。え? 文芸部だけど」

 そうか。本物の文学少女だった。
 
「ということは、相手は橘の奴か」
「ちちち、違うよ」と彼女はぶんぶん首を振って否定するが、そんなリアクションじゃバレバレなんだよ。

 橘は、文芸部所属のクラスメイト。無口で不愛想に見えるけど、(というか、実際そうだけど)女子たちに隠れイケメンだと噂される程度には人気がある。はなから僕に勝ち目なんてないような相手。(とほほ)

「まあ、いいや。わかった。乗り掛かった舟だ、付き合うよ」
「あ、ありがとう」

 何を深読みしているのか。『付き合う』という単語に対して、過剰なまでに狼狽えて見せる野村さん。これじゃまるで、ほんとに付き合うみたい。──なんてね。
 まあなんにしろ、所詮演技とわりきれば、肩の荷もおりるってもんだ。ちょっとだけ緊張が解けた。



 そんなこんなで、二人並んで歩き始める。隣を歩く野村さんは、僕より頭ひとつぶんほど背が低い。百五十センチちょっとくらいか? こうして見ると、手足もほっそりしていてスタイルがいいしなかなか可愛い。
 これまでそんなに意識して来なかった彼女に異性を感じて、僕の心臓が大きく跳ねる。
 仮初。これは仮初のデートだ、と加速していく鼓動を必死に宥めた。

 八分咲きのソメイヨシノのトンネルの中を進んでいくと、両脇に屋台が立ち並んでいた。
 取り敢えず、どっか覗いてみようか? と声を掛け、最初に金魚すくいをやってみることにした。

「お、可愛い彼女とデートかい」
「そんなんじゃないんです。ただのクラスメイト」

 冷やかしてくる青年の店員にバツが悪いと感じてしまうが、野村さんは特に動じた素振りも見せない。ポイを受け取って、赤や黒と色とりどりの金魚を眺めている。そこは否定しておくべきなんじゃないの?
「取れるかなあ」とセーターの袖を捲って気合十分の野村さん。
 しゃがみ込んだ姿勢で、水槽の中を気持ちよさそうに泳いでいる金魚を追尾している彼女の黒曜石のような瞳を見つめ、なんだか可笑しくなってくる。
 予行演習のデートなのに、そんなに楽しいのかな。

「お手並み拝見。やってごらん」
「い、行きます……!」
「大袈裟だな」

 水槽の真ん中付近を泳いでいた金魚に向かい、野村さんのポイが伸びる。すくえた、と思った瞬間、ポイに大きな穴が空いて、残念ながら金魚は逃げてしまう。

「ダメでした……」
「うん。なんというか、色々と、まあ惜しい。そうだなあ、まずポイの進入角度は斜め45度くらいが望ましいかな?」
「そうなの? ちょっと寝かせすぎちゃった?」
「うん。あと、なるべくポイを濡らさないように、と考えがちだけど、これも間違い」
「え、そうなの?」
 
 野村さんが心底意外って顔をする。

「濡れた場所と乾いている場所の境目が、非常に破れやすくなるからね。最初に全体を薄く濡らした方がむしろいい」
「ほほー」
「最後に、狙った金魚が悪い。ちょっと大きめの出目金を狙ったでしょ」
「カワイイかなーって思って」
「こんなの客寄せだから。水面近くを漂っている、酸欠気味で活きの悪いのが狙い目」
「岡本くんみたいに?」
「そうそう。僕みたいな死にかけ……って酸素足りてるわ」

 百聞は一見にしかず、ということでやってみますか。ロンティーの袖を捲りながら、眼前にやって来た金魚に向かってポイを一閃。
 最小の動作で掬い上げて、すばやくお椀に放り込んだ。

「うわあ、凄い」
「あんまり役に立たないスキルだけどな」

 花見とか夏祭りとか。年に数回しか活躍機会のないレアスキルだ。
 そのままもう一匹掬ってから、「やってみる?」と彼女にポイを差し出した。

「う、うん」
「あと、見ていて分かったと思うけど、掬う場所はポイの端を使うといい。そこが一番強度があって破れにくい」

 言いつけを素直に守る子どものように、四苦八苦しながら挑戦する野村さんを見て頬が緩む。今まで感じていた、大人しそうな印象とちょっと違う。
 あどけないというか。意外と明るいっていうか。本当に僕は、彼女のことを何も知らないんだな、と思ってしまう。
 悪戦苦闘しながらなんとか一匹掬ったところで、ついにポイに穴が開いた。
 なんとか三匹。結果は上々だろうか。
 二人で顔を見合わせて笑った。

 次に僕らが向かったのは、型抜きの屋台だ。長方形のテーブルに向かい合わせで座り、黙々と型を爪楊枝で突き続ける。僕が突いているのは花の模様。野村さんのは、傘の模様だ。

「これ、面白いんですかね?」
 と、野村さんが身も蓋もない質問をしてくる。
「ほ、ほら。ちゃんと抜けたら賞金ももらえるから……」

 壊さずに綺麗に抜くことができれば、支払い金額の倍がもらえる。
 だがしかし、こういうのは上手くいかないようにできているもので、少し力を加えただけで型は割れてしまう。大抵、きつい曲線部分で、失敗してしまうのだ……。「あ」
 なんて不毛なことを考えているうちに、本当に割れた。

「あはははっ」

 さも愉快そうに、野村さんが笑う。なんだかバカにされているような気分だ。
 笑いながらも、集中を切らさない野村さん。意外というか、彼女普通に上手い。難解な図柄もなんのその。見事抜ききって、ドヤ顔で型を突きつけてくる。

「納得いかん」
「女の子は器用だからね」

 そんな感じの謎理論を展開されたが、反論できないので押し黙った。
 僕は新しい型を手に取り再び挑む。ところが二戦目も、変わることなく野村さんの勝利だった。二回分の賞金を手にし、彼女の鼻が益々高くなる。

「納得いかん」
「ふふん。これで一勝一敗ですね」

 いつから勝負事になったのか、という気もしたが、悔しいと思っている時点で似たようなもんだろうか。

*

 それから僕たちは、シェイクを飲んで、綿あめを買った。その段階になってから小遣いが足りないことに気が付き、買えた綿あめは一個だけ。

「ごめん。男の僕が奢ってもらうなんて」
「なあに、いいってことですよ」

 野村さんはぺろりと綿あめを舐めた後、ほい、とこちらに差し出してくる。そうして一個の綿あめを交互に舐め合った。
 僕は彼女が舐めた場所を丁寧に避けながら舌を這わせていたのだが、彼女は気にしている素振りもない。僕が舐めたあとだろうとお構いなしだ。
 境目がわからなくなり、途中から諦めることにした。

「意外と大胆なんだね」
「なんのはなし?」
「いやあ、なんでも」

 気にしてないのなら、何も言うまい。というか、こちらから指摘するのも照れくさ過ぎる。

 快晴だった青空がオレンジ色に染まり、夕闇ひそかに迫るころ。公園内を一周し終えた僕たちは、最初に出会った案内板の前に戻ってきていた。

「遅くなって来たし、もうそろそろ帰ろうか」
「うん。今日は、予行演習に付き合ってくれて、どうもありがとうね」
「いや、どうせ暇だったし。というか、わりと楽しかった」

 楽しかった、と改めて口にした瞬間、自分の中で何かが変わった気がした。思えばこんなに長く女の子と話をしたこともなかった。
 クラスにいる、あまり目立たない女の子。
 これまで異性として意識したことも無かったが、半日一緒に過ごしただけで、彼女のいいところがたくさん見つかった気がする。
 思いのほか明るくて。真面目で一生懸命で。手先が器用で、なにより──可愛い。
 夕陽があたってほんのりと染まった頬。
 恥ずかしそうな顔で俯いた彼女の姿が、どこか儚げに見えた。まるで、目を離せば今にも消えてしまいそうな、そんな希薄な存在感。色白で、細身だからそう感じてしまうのか。

「野村さんもさ、来週の告白頑張ってね」

 成功しなかったらいいのに……なんて、考えてしまう自分のことが後ろめたい。あれ、でも、まだ告白の練習はしていないよね? でもまあいいか。僕がそこまで義理立てすることでもない。
 じゃあ、と言って立ち去ろうとした僕の袖口を、彼女がぎゅっと握った。

「違うの」
「違うって、なにが」
「告白、来週じゃないの。ごめん。なかなか言い出す勇気がなくて、一個だけ嘘ついてた」
「嘘って? どういう意味……?」

 握っていた袖口を彼女が解放すると、僕たちは自然と向き合う恰好になった。
 おほん、と一つ咳払いをしたのち、意を決したように彼女が顔を上げる。強くなった西日をバックに、彼女の顔がシルエットとなる。力強い光を放つ双眸が、僕の顔をまっすぐ見据えた。
 蛇に睨まれた蛙のように、僕は瞳を逸らすことができない。

「ではこれから、本番を始めます」
「野村さん、何言って……」
「岡本くん。私たちが最初に話をした日のこと、覚えてる?」
「一番最初? いや……覚えてない」
「まあ、それも無理はないかな。一年の時、クラスが別々だったから」

 言われてみると、確かにそうだ。二年~三年と同じクラスだったから失念していたけど、一年の時は野村さんと違うクラスだった。

「運動会でね、借り物競争があったの、覚えてる?」
「借り物競争……。あ、思い出した。確か──」
「そう。岡本くんが、見学していた私の手を取って、そのままゴールしたの。紙に書かれていた文字が、『メガネの似合う女の子』」

 そっか……。確かにそんなこともあった。

「それが凄く心に残っているというか、嬉しかったんだよ。──私、趣味の読書が祟ったのか、小学生のころからメガネを掛けていたんだよね。そのせいで、何となく暗いってイメージをもたれがちだったから──まあ、強ち間違いでもないんだけど」

 そう言って、「えへへ」と野村さんが自虐的に笑う。

「だからさ、やめることにしたの」
「……」
「暗いというイメージを払拭するため、コンタクトにしようかな~って悩んでいたのを、やめたの」
「野村さん……」
「それから、君の背中を追い掛ける日々が始まった。一見不愛想だけど、本当は優しいんだな、とか、友だちとか確かに少ないけれど、他人に媚びたりなんてしないし、自分なりの信念というのを、しっかり持ってるんだな、とか気づき始めたら、もう、膨れ上がっていく想いを止めることができなくなっていた。黙って見ているだけの毎日は、とても辛くて切なかったけれど、同時に楽しくて充実していた。だからこの()()()は、私にとって大切な想い出」

 じゃ、言うね。そう言って野村さんが落としていた視線を上げたとき、ちりん、という鈴の音が鳴った。彼女が肩にかけているバッグの脇で、小さな鈴がついた、赤くて四角い物が揺れていた。

「それは……?」
「あっ、見られちゃったか。これはね、()()()初詣の時に買った、恋愛成就のお守り。今日、この日の為に、ずっと肌身離さず持っていたんだよ」

 お守りを指で暫し弄んだのち、「おほん」と彼女はもう一度咳払いをする。

「ずっと前から好きでした。私と、付き合ってください」

 顔を伏せると、真っすぐ右手を差し伸べてくる。

 なんだろう、これは。夢でも見ているんだろうか。
 十七年間恋人がいなかった冴えない僕に、好きだと告げてくる女の子。
 学力は中の上だけど、運動神経は良くないし、優柔不断だと揶揄されている僕を、それでも好きだと言ってくれる女の子。
 この機会を逸したら、一生恋人なんてできないかも?
 そんな感じの不安が首をもたげてくるし、下心ももちろんあった。でも、たった一日かもしれないけれど、クラスで目立たない存在だった野村さんとこうして過ごし、その実直さやひたむきさに触れていくうちに、僕も確かに彼女のことが好きになっていた。
 いや、もしかしたら、まだ自分でもよくわかっていないのかもしれないけれど、胸が締め付けられるように苦しくなるこの感情に名前を付けるとしたら。
 きっとこれが、『恋』なんだと思う。
 だから──。

「勇気をだして、告白してくれてありがとう。まだ、自分の気持ちを上手く整理できていないけれど、先ずは友だちからお願いします」

 両手で、彼女の右手をしっかりと握る。
 野村さんが驚いたように顔を上げて、とたんに、堰を切ったように彼女の瞳から涙が溢れだした。

「わわ、泣かないでよ」
「ごめん。なんだかあまりにも嬉しくて。ようやく私の初恋、終わったんだなーって思って」

 野村さんは細い指先で涙を拭ったのち、よく通る声でこう宣言した。

「目、閉じてくれる?」
「え、今?」
「そう、今」
「なんで」
「いいから」

 観念して僕が目を閉じると、彼女の囁くような声が聞こえてくる。辺りの喧噪によって掻き消されようなほどの、小さな声で。

「これから宜しくお願いします、と言いたいところですが、もう一つだけ嘘をついてました。本当に、ごめんなさい。でも、最後に一つだけ、私の我がままを許してください」

 次の瞬間、僕の唇を柔らかいものが塞いだ。
 ふっくらとした感触だった。
 しっとりとした、瑞々しい感触だった。
 触れ合った唇から彼女の熱が伝わってきて、でも、次第にその熱が失われていく。鼻先で感じていた彼女の息遣いまでもが、遠くなっていく感覚が過る。

「大好き。これで私の未練は全部消えた。君のこと、絶対に忘れないから、私のこともわすれな……で……ね……?」

 耳元で聞こえた彼女の囁きが涙混じりになると同時に、途切れ途切れに聞こえ始める。まるで、携帯で通話しているさなかに、電波が悪くなった時のように。
 なあ、もう目を開けてもいいだろ?
 そう思って目を開けると、もう、彼女の姿は何処にもなかった。

 ちりん、と鈴の音が鳴って、夜の帳が下りた公園に寂しく響いた。



「そんで気が付いたら、夜の公園にぽつねんと一人でいたと」
「そういうこと。なんなんだろうな、これ」

 翌日の早朝。学校まで向かう通学路。
 僕は親友の男子と一緒に、学校を目指し歩いていた。

「狸にでも化かされたんじゃねーの? お前」
「バカ言え。そんなわけあるか」

 そんなもん非科学的だ、と笑い飛ばす。

「でも、なんでそこに居たのか、まったく覚えてないんだろ?」
「それなんだよなあ……」

 誰かと会う約束があって、家を出たような気はするんだよな。ところが、家を出たあとの記憶が、公園で我に返るところまで一切ないのだ。
 ほんとうに、なんなのだろうか。
 もしかして、若年性認知症だろうか。自分でも恐ろしくなって身震いした。

 そのとき、ひしゃげたガードレールがある交差点に通りかかる。

「ああ、そう言えばさあ」と友人がガードレールに目を向け言った。「あいつが死んだのも、ちょうど今頃だったなあ」
「もう一年か。あれは不幸な事故だった」

 桜山公園まであと数百メートルというこの場所で、クラスメイトの野村霧華が信号無視の車に撥ねられて命を落としたのだ。あの日は僕も、妙な手紙で公園まで呼び出されていたから、今でもよく覚えている。

 あの手紙、差出人は結局誰だったんだろう? 一年経っても誰も名乗り出てこないところを見ると、やっぱりたちの悪いイタズラかなんかだったんだろうけど。
 手紙。桜山公園。
 でも──なんだろう。それらの単語に、何か引っかかりを覚えた。野村さんの姿までもが、ちらちらと脳裏を掠める。郷愁の念とよく似た、ほんのりとした切なさをともなって。
 不思議な痛みをうったえる胸に手をそえ、僕は親友に話しかける。

「なあ」
「ん~?」
「今日の放課後なんだけどさ。野村さんの家に線香でも上げに行こうか」
「またどうした。突然」
「いや、今こうして思い出したのも、きっと何かの縁なのかなって」
「ん、そうだな」

 と彼は言った。
 その時どこからか、ちりん、という鈴の音が聞こえた。

 どこか懐かしくて、切ない感じの音色だった。

~END~