窓の外には自由の女神が見えるニューヨークの高級ホテル最上階スイートルーム。テーブルには御馳走がとても二人では食べきれないほどのルームサービスの御馳走がならんでいる。一介の日本人美大生に過ぎない優絵と俺には身に余るほどの贅沢は、日常を遠いものとなってしまったことを感じさせた。
「子孫を残す目的ってさ、自分が死んだ後も生きた痕跡を残すことだと私は思うんだよね。絵を描くこともまた、自分の死後も生きた証を残すことなわけで……。つまり作品のことを我が子って言うのはそういうことだと思うんだけど……って、望、聞いてる?」
「ああ、聞いてるよ。俺もそう思う」
「だよね! そう思うよね! でさ、絵が全部自分の子供だったら私たち子だくさんだねえ。って、私たちだけじゃなくて世の中の芸術家みんなそうかー」
 おしゃべりな優絵はマシンガントークを繰り広げたのち、勝手に納得する。
「優絵は特にたくさん描いてたよな。肝っ玉母ちゃんだ」
 表現したいことがたくさんある優絵は同期の中で一番たくさんの絵を描いていたといっても過言ではないと思う。賞をとることこそなかったものの、腐ることなく自分の心をキャンバスに描くことそのものを楽しんでいた。
「またまたあ、望君ちのお子さんはみんな優秀じゃないですかあ。聞きましたよー。この間末っ子くんが栄えある学長賞を受賞したんですって! 隣の奥さんが噂してましたよ~」
 この秋、優絵をモデルに描いた俺の絵が令和金桜美術大学創立百五十周年展で学長賞、すなわち最優秀賞を受賞した。賞をとるのは初めてのことではないが、今回のような大きなコンペティションで最優秀賞ともなると周囲への影響も大きかった。マスコミから取材を受けたり、海外の富豪から絵を買いたいという打診があったりした。
「うちの子たちにも日の目を見せてあげたかったなあ」
 優絵が遠い目で窓の外を見つめる。本来百万ドルの夜景が見えるはずのこの場所だが、オフィス街のビルの光はまばらだ。地上を見下ろせば、暴徒と化した群衆を警官が抑えている。
 今日は3月31日。明日はエイプリルフールだ。こんなおかしな状況も全部嘘になって、ありふれた日常に戻ってくれたらいいのにと願っても、それは叶わない。
「あと5時間か……」
「うん。それまで思い出話でもする? 思い出すなー。望が入学式で、すごーくイライラしてて『怖っ! ヤンキーじゃん!』って思ったらトイレ我慢してただけって言うね。終わった途端に、すごい剣幕で迫ってくるから、あ、死んだって思ったら『トイレどこですか!?』だもん」
 絶妙に似ていない俺の物真似を交えながら、優絵がけらけらと笑う。この出会いがきっかけで優絵と仲良くなったので今ではいい思い出だが、それが生理現象に起因するものというのはどうにも恥ずかしい。
「頼むから忘れてくれ」
「残念、死ぬまで忘れません」
 優絵が微笑む。一瞬の沈黙が流れる。その沈黙を破るために俺も言い返す。
「じゃあ、俺も新歓のカラオケで優絵が下手な歌うたってたこと死ぬまで忘れねえわ」
「やめてー忘れてー!」
 優絵が赤面して顔を覆う。優絵の描く絵は光るものがあったが、歌の才能は絶望的になかった。カラオケのマイクとここまで遺伝子レベルで相性が悪い人間を初めて見たと感心したほどだ。俺はさらに続ける。
「カラオケで初めて60点台出た! 50点超えたことないのに!ってはしゃいでたら実は最低点が60点の機種でした。音痴な優絵さんのことは一生忘れませんよ」
「はあー。その音痴に告白してきたのはどこの誰ですかねー?」
 少し拗ねた様子の優絵が俺の頬を抓る。