「朧よ、控えろ。これよりこの娘は、我が一族がもらい受ける」

びゅうと桜吹雪があたりに舞い踊った。途端に、背筋を凍らせるように冷たかった空気が一変、春のような温かさに包まれる。風の流れによってふわりと桜の花びらが舞って、咲の視界を埋め尽くし、柔らかな風に乗った花びらが通り過ぎると、鬼の視線の先に、この世ならざる美しい青年が佇んでいた。

闇のような漆黒の長い髪、切れ長の目は燃えるように赤く、上背は木にくくられている咲が天を見上げる形で仰がないと顔が見えない程もある。白の着物はその場で耀かんばかりの滑らかさで、彼の挙動を待っている。邑のどの人とも比べられないほど美しい青年を前に、咲は呆けた。

『そのものは、我の獲物……。結界を超えた、人間……』

一方、こだまのような声を発するのは、鬼だ。声にそちらを向けば、相変わらず彼の視線は咲にあり、青年の隙をついて、咲を喰らおうとしているのが分かる。じりじりと間合いを詰めてくる鬼を前に、空気のぬくもりで気を取られていた咲は、相変わらず自分の命が危ういのだと思い知り、ふるりと震えた。

咲を捕食しようと、鬼が腕を振り上げる。ひゅっと爪先が空気を切り裂く音がして、自分の命の終わりを見た咲の前に、ひらりと青年が躍り出た。青年は腰に携えていた大太刀を振るい、咲に襲い掛かろうとした鬼を一刀両断にした。ぎゅっと大太刀の柄を握る手が咲の目の前に現れ、太刀に切り裂かれた鬼が、あまたの光の粒となってその場から立ち上り、消えていく。その、異形であった鬼の成りと光の粒の儚さの相反する光景を見つめていると、太刀を腰に佩きなおした青年は、造作もなく咲がくくられていた縄を解き、やすやすとその腕に咲を抱きあげた。人に見えるとはいえ、結界の外に生きるものはあやかし。咲はその存在の手中に収まってしまったことに、一瞬体をこわばらせた。

「ひゃっ」

「恐れることはない。おぬしは我が一族の恩人。丁重にもてなそう」

穏やかな笑みを湛える青年に見つめられる。家族に縄で縛られてから緊張の連続だった咲の心は限界を超え、青年に抱きかかえられたまま意識を手放した。