執務室で、千牙は小夜と向かい合わせになって、難しい顔をしていた。
「いかがなさいますか、長。あの人間ども、一度、厳しくしつけてやらねばならないと思いますが」
「うむ……。それは考えてはいるが……」
千牙は悩んでいた。先ごろから、咲の邑の邑人たちが、結界の域をひろげようと画策している。その行為は古の協定に違反するもので、人妖(じんよう)の世界を統べる千牙が均衡を保つ努力をしなければならない。しかし……。
「市子たちが力を失えば、欲に憑かれたあの邑での行き場がなくなり、路頭に迷うだろう。最悪、結界の外に追い出されたら、私にはもう庇い立てが出来ぬ」
「なにをお迷いになられます。彼らには既に、無為に滅されたあやかしが幾体もいるではありませんか。命をもって命を償う。どの世界にも、通用することかと」
小夜の言うことは正しい。市子たちが我欲の為に境界を拡大し、邑の面積を増やしてきたのは事実だし、その度に弱きあやかしが犠牲となってきた。均衡を破って来たのは向こうだ。裁きを受けるのも、しかりと言うべきだろう。しかし。
(咲にとって、市子たちは肉親……。私たちの考えの及ばぬところで、彼女は市子たちに対する想いがある筈……)
朧たちに言祝ぎの名をつけた咲。おそらく自分の名をその意味でつけてくれた親にも、なににも代えがたい気持ちがある筈。
「いま一度、熟慮する。下がれ」
千牙の言葉に、小夜は、御意、とこうべを垂れた。障子窓の外の、桜の木がさわりと揺れた。