おにかみの里で過ごす日々が続いた。ここは移ろわない春のようで、千牙の屋敷の庭にある桜の木は、散ることなく咲き続けている。そのさまを不思議に思いながら部屋から見ていると、庭に出てみるか、と、くつろぎに来ていた千牙が言った。

「いいんですか?」

ぱっと顔を明るくした咲に、千牙が頷く。手を差し伸べられて、少し照れながらも応じた。

「屋敷では退屈させたか」

芝の上をゆっくり歩きながら問われたが、退屈、というより、身の置き所に困っていた、というのが本心だ。なにせここは、あやかしの里。人がどの範囲まで出歩いて良いのか分からず、咲は夜に朧の名づけに行く以外はずっと、部屋でハチやスズと語らって過ごしていた。

「ハチやスズがいてくれますから、退屈ではないです。でも、人の邑とは違いますから」

「そうか」

咲の言葉に、千牙はふと何かを考えたようだった。

「そういえば、望みは考えたか」

「ええと、それがその……」

言葉を濁す。もともと何かを要求する立場ではなかった。そんな思考回路が備わっていないのだ。

「今のままで私は、十分満足です。もうだいぶ、逗留させて頂いてますし……」

「しかし、それでは私の気が済まない。なにより、あやかしの頂点である私が、恩人のおぬしに何も出来なかったと、他のあやかしたちに指をさされてしまう」

「えっ!? そんなことに!?」

千牙の言葉に驚くと、千牙は咲の声に声を上げて笑った。

「ははは。まだそのような者はおらぬがな。しかし、他のあやかしたちに示しが付かぬ故、もうそろそろ考え付いて欲しい」

ややぐっと手を握られ、咲はどきりと慌てた。千牙の手は、人を食い殺すあやかしの頂点とは思えない程、あたたかい。肉親からのやさしさから縁遠かった咲には、このあたたかさが染みた。

居場所をくれた。役割を与え、それを成せば褒めてくれた。体温までもらってしまって、カラカラに乾いていた咲の心の中には、もうだいぶ、彼の熱がしみこんでいる。出来れば本当は、彼のような存在と別れたくない。でも人とあやかしは同じ場所に住めない生き物だ。いつ新たな居場所を告げられても良いように、咲は自分の気持ちが大きくなるのを一生懸命堪えていた。

桜の許までたどり着く。節のある幹をした古木は見上げるほど大きくて、輝かしいほどに花びらを大きく開いている。

「素敵……。桜の王様みたい……」

「そうか?」

咲は邑の山すそに咲く桜の花しか知らない。境界に気を配る千牙なら、他の人里に咲く桜も見たことがあって、それでこの桜の大きさを気に留めないのかもしれない。

「この大きさは、特別大きなわけではないのですか?」

「どうかな。私と同じ時を経ているから、少なくとも人里にはこの大きさはないだろうな」

同じ時を生きる、千牙と桜の古木。じゃあ、千牙にとって、双子のようなものだろうか。そう聞いたら、千牙は楽しそうに笑った。笑いながら目を細めて大木を見上げる千牙は、彼の里がここだというのに、どこか郷愁を感じさせるものだった。

「そうだな、そう言ってもいい。……咲。この桜に、名をつけてくれぬか」

「この桜に……、ですか? で、でも、千牙さんの双子のような樹ですよね?」

「そうだ。大事な樹ゆえ、咲に頼みたい」

ひたと見つめられれば、嫌とは言えず、咲は大きく枝を伸ばした桜を見上げた。堂々たるこの桜に名をつけるなら、この名しか思いつかない。