「だからこそです!自己満足でもいい!自分の好きな事を好きっと呼べればそれでいいんです!だから!」

七海は両手でスカートの裾と裾を握ると、ふぅとひとつ息を吐いた。

そして覚悟に満ちた瞳で僕の瞳を射貫く。

「私は、刹那先輩の事が好きです!」

そう陰りない真っ直ぐな言葉を向けられて、心臓が鷲掴みにされる思いだった。

それは苦しさと心地よさと嬉しさの入り雑じった感情は、おそらく今日まで感じることは無かっただろう。

これが純な想いで、純な心で、純な時間なのだろう。

その眩しさが、青さが今は僕を苦しめている。

「刹那先輩に救ってもらったあの日から。それがきっかけだなんて単純かもしれないですけど、乙女脳とかメルヘンチックとか馬鹿にされてもいいです。私はあの日、運命を感じたんです。私が生かされた事、そして生かしてくれた先輩に。それどころか、こうしてまた再会できたんです。これが運命じゃないなら、この世界の全てを疑いますよ」

その最後の言葉が鋭利になって突き刺さる。

「ありがとう。そこまで想ってくれていたなんて本当に嬉しいし、僕は幸せものだと思う。でもごめん」

ごめん。七海の事はもちろん好きだ。でも、この告白すら無かったことになってしまうのだ。

一瞬でも夢を見てもいいかもしれない。でもそれは誠実じゃない。誠実な告白に、誠実な返事をしなければ僕は僕を許せない。

「そ、う。ですか。分かりました。いえ、分かっていました。刹那先輩は椿ねぇを見ているんですよね」

「え?」

「合宿のあの夜も2人で浜辺にいましたよね」

「違う!!」

思わず声を荒らげてしまう。小さな体が小動物のようにビクつく。

「ごめん。急に大声出しちゃって。その、僕が断った理由はそういうことじゃないんだよ。椿の事は恋愛対象としては見ていない。椿もそう思ってる。あの夜、そんな話をしたんだ」

今度は潤んだ瞳から雫が流れ落ちるほど、大きく目を見開く七海。

「じゃあ。じゃあ。どうして?ですか?」

いよいよ潮時だろう。いずれ話さなければいけないんだ。こんな突拍子もないような話でも、このタイミングで口にすればきっと伝わるはずだ。

「実はね」

僕は意を決して口を開いた。何度も頭で整理したこの世界の秘密を。僕の秘密を。これからのことを。

出来るだけ簡潔にまとめた僕の言葉は七海にどう届いただろうか。

僕が話している最中相槌すらせずに、どこか遠くに焦点を合わせていた七海。

僕が話終えてから静かな時間が流れていく。互いに次の言葉を探しているように。

体感では数分にも思えた無を破ったのは七海の方だった。

「ごめんなさい。まだちょっと良く分かって居なくて、じゃあ私たちは?何者なんですか?」

「そ、それは…………」

そう言われてしまえば終焉。返す言葉は見つからない。僕の創造した登場人物だなんて言えるはずもない。

「私たちは依代みたいなものですか?人形みたいなものですか?キャンバスに書かれた人物画ですか?命は宿っているのですか?」

冷たさを肌で感じる言葉に自分の犯した罪を知る。

そもそも言わなくても良かったのかもしれない。だって、結局僕の存在は記憶には残らない訳で、勝手に過去を変えてしまえば後腐れする余地もなく終わったはずだ。

それでもそうしなかったのはやはり僕のエゴ。それでもここで過ごしてきた日々は本物だと心底では感じていたのだろう。

ああ。そうだ。この世界がみんなが僕の作り上げたものであろうと、この日々がその延長だろうとどうでもいい。ここで過ごして感じた気持ちに嘘なんてひとつも無かったじゃないか。

なんでそんな簡単な事に気づけずにいた?そんなに余裕が無かったんだな。僕は。

「確かに始まりはそうだったかもしれない。でも、今は違うと僕は思ってる。ううん。やっと気づいたんだ。今、こうして告白してもらえて、とても嬉しかった。その気持ちが何よりの証拠だ。今日まで過ごしてきたこの日々に偽りなんてない。どれもが本物で。どれもが記憶だ」

これが僕の導き出した解だ。この解にもまた陰りなんて存在しない。

「もし。先輩がこの世界から居なくなったとして、私達の記憶からも消えるんですよね。その世界で生きる私達は幸せでしょうか?根拠はないですが。その世界で私達は、一生完成しないパズルのように、ひとつ欠けたピースを探していると思います。心の深層で、無意識でも先輩を探すと思います」

ああ。なんとなく分かる気がする。多分僕はこの世界から消え、元の世界に戻るとしても、次世を生きるとしても、心のどこかに小さな穴が開いてしまいそうだ。

それはきっと未練。でも。それでも僕は。

「人は忘れられる事が本当の死だって聞いたことがあるんだ。今ならその言葉の意味が分かる気がする。もしさ。この世界から僕が消えても、心のどこかで僕が、みんなが居たこと忘れていなければ、それはとてもハッピーなエンドだと僕は思うよ」

そう言い終えた僕は全ての鉛を海へ沈めて、とても軽やかな気分だった。

そんな風船のような僕の視界を七海が一気に塞いだ。

重なった唇に頭が真っ白になる。ここが現実なのか、夢の世界なのか分からなくなるほどに。

数秒近づいた2人の距離は、潮風が2人の間を抜ける頃にはさっきまでの距離感に戻っていた。

「まだ、ちゃんと理解しようとはしていません。でもここはちゃんと伝えるべきです。潮騒部のみんなに。それから考えましょう。これからのことも」

現実に追いつかない僕とは裏腹に、七海はこの潮風にも負けない爽やかな笑顔で笑った。

そうして僕は手を取られるようにして来た道を引き返しはじめる。みんなが待つ潮風部へと。

ーーーー部室に戻ると、水泳部を切り上げたナル、一通り業務を終えた香坂先生も集合していた。

「あ、刹那くん。それに七海も」

椿は気まずそうに微笑むと小さく手を振る。

「ああ、えっと」

僕が言葉に詰まっているとすぐ目の前の七海がピンと天井と垂直に手を上げる。

「これから、刹那先輩からとても大切なお話があります。それと、私も宣言を達成しましたのでそのご報告もついでにしときます!」

七海の好きな人へ告白するという宣言の達成に沸く部内。

姉の椿も満足そうに手を叩いている。

「それで、刹那の話って?もしかしてそういうことか?」

ナルは邪な思考をして冷やかすように笑っている。

「え?あ、いや。えっと僕の話は………」

いつも通り和気あいあいとした部活動。ここに水を差す勇気がまだ僕にはなかった。

「刹那先輩」

しかし、その瞬間僕の左手を小さく柔らかな手が包んだ。

「七海」

「大丈夫です。最初はていうかまだ私も混乱はしていますが、きっとみんなちゃんと聞いてくれますよ」

そう言った七海の少し震えた右手を一度強く握り返してからほどくと、僕は覚悟を決めて口を開いた。

「まずは、美琴、パソコンを貸してもらっていい?」

僕は部室に備え付けてある美琴の私物でもあるパソコンを借りると、鞄から持ち歩いていたメモリースティックを取り出し、そのパソコンに差し込んだ。