ーーー徐々に熱を帯びるヒーターのように、ゆっくりと意識が覚醒していく。

どうやらおかしな夢を見ていたらしい。

小説の読み過ぎか、書き過ぎか、なんともドラマ性のありそうな夢だった。

ボンヤリとした視界に浮かびあがる壁、本棚、机。

ベッドから眺めるその光景は、いつもと変わらず…………。

あれ?何かがおかしい。

目が覚めればそこは見慣れた景色のはずなのにここは違う。

………。いや、そうでもない?

この景色を知っている。いや、この景色も知っている。

ここは僕の部屋。それは歪みのない真実だと脳が認識している。

とても気色の悪くデジャブとも言えない、この言葉にできない現状を整理するためにも体を起こしてみる。

体を起こして隅々まで部屋を眺めていても、その感覚は変わらない。

知っている。けど、あるべきものが無いような感覚。

これが真実であり、虚構のようなそんな感覚。

寝惚け眼もすっかりクリアになってしまい、とりあえず頭の覚醒を促進させるために洗面所へと向かおうとドアを開ける。

ドアを開ければ知っている廊下。その先には1階に続く階段。

うん。これも知っている景色だ。

迷走中の脳をそのままに、足が向くまま階段を下りる。

「あら、おはよう、刹那ちゃん」

「ん? あ、おはよう」

洗面所へと入ろうとすると、先客がパタパタとスリッパを響かせて現れる。

ごく自然に挨拶を返してしまったが、そこに違和感のあるような、ないような。そんな感覚。

その人は紛れもなく僕の母親。

なのにどうしたのだろう?このモヤモヤとした感覚は。

洗面所の鏡の前に立ち、ぼやっと反射する自分の姿を目に映す。

ーーーー間違いない。僕は僕だ。あれ?でも?こんなに幼い顔だったか?まるで高校生のように見える…………?いやいや、僕は高校生じゃないか。あれ?

答えを求めては、また新たな疑問に遮られ再び迷宮に迷いこむ。

そこで、僕は改めて考えてみることにする。

僕の名前は刹那。保月刹那だ。

年齢は?23歳。いや、何を寝惚けているのだろうか。今年で僕は高校2年生になる歳じゃないか。いや、でも確かに23歳だった頃の記憶があるような気がする。

23歳だった頃? なんで過去形なんだっけ?

でも、確かに23歳の僕は小説家志望で、確か事故に巻き込まれて。それで…………死……んだ?

集中すれば、その頃の記憶が鮮明に頭を駆け巡る。

間違いない。僕は多分死んだはずだ。

それで目が覚めて、知らない海にいて。

それで、少女達を助けて。

それから?どうなった?僕は…………誰だ?

鏡に映る自分に問いかける。

無論、鏡の中のそいつは、僕と同じように険しい表情のまま答えることはない。

落ち着け。まずは、これまでの記憶を辿れ。

僕は確か、両親が早くに亡くして、12歳の時に今の里親に引き取られたんだ。

それは覚えている。

それで、暫くは特に山も谷もなく平凡に暮らしてきた。

でも、数週間前。父の仕事の都合で、この町に越してきたのだ。

越してきたと言っても、もともとこの町の生まれで、引き取られてすぐに、父の出張についていく形で引っ越して、その出張が終わりこの町に帰ってきていた。

そして、今日は転校初日の朝。

うん。大丈夫だ。記憶はちゃんとしている。

ならばこの23歳の記憶は?前世の記憶?未来予知?

わからない。糸口すら掴めない。

「刹那ちゃん! ご飯できてるよん!早く済ませちゃいなね!初日から遅刻なんてしたら笑い者よ!」

僕の現状とは真逆な陽気な声がリビングから、廊下を伝って聞こえてくる。

「は、はーい!」

それに反射的に返事をすると、容量不足でパンパンになった頭を抱えるようにしてリビングへと向かう。

リビングでは、春の訪れを晴れやかに伝える天気予報士の声がテレビから聞こえてくる。

それを背景音楽に変えて、ソファーに座り新聞を広げている父が僕をちらりと見やる。

「おう。おはよう刹那。初日だから気合いを入れて、早起きって事は、なかったみたいだな」とおおらかに笑う父。

「う、うん。まぁね。別に緊張とかもしていないし」

考える事が多すぎて、緊張なんてするよ余裕もないというのが本音だが。

「あらあら、相変わらずの強心臓なこと。まぁ、動じないということは、悪いことではないけれど、ただの強がりさんなら、可愛いわね」

「そんなんじゃないよ。多分」

ダイニングの僕の定位置にコーヒーの入ったマグカップを置きつつ、父との会話に参加する母。

僕は流れるようにダイニングテーブルの前に着席すると、焼きたての食パンにかぶりつく。

う~ん。なんとも自然だ。

さっきまでの違和感が嘘かのように自然だ。

それでも、やっぱり腑に落ちない部分が多いのだけれど。

芳醇な食卓の香りが、その景色と時間がリアルだということを教えてくれる。それで少しは脳が落ち着いてきているようだ。

「どうしたの?やっぱり緊張してるの?」

それでも表情にその心境が表れてしまっていたのだろう。

母が顔を覗き込むようにして、対面の椅子
に腰をおろした。

「いや、まぁ、なんと言うか、改めて懐かしいなと思ってさ、この町が。帰ってきたんだなって、思って」

誤魔化しのための言葉でも、それは心の隅っこにいた本音だった。

「そ、そうね。そうよね」

その言葉が気に触ったのか、母は伏し目がちに相槌をする。

その母の心情を理解することの出来ない僕は、居心地の悪さをコーヒーと流し込んで、登校の支度をするためにリビングを後にした。