ーーーー 夏休みまで1週間。ここにきて1ヶ月と数十日が過ぎた。
すっかりここの生活にも慣れて、退屈だと思える時間も出来るほどだった。
夏休み前最後の土曜日。これから長い休みが待っているということもあり、どれだけ怠惰に過ごしていても許されるような気がする。
「刹那!ちょっとごめん!」
そんな僕に釘を刺すように階下から母の声が響いてくる。
寝起きでもないのに重い頭を起こしてベッドから立ち上がると、ゆらゆらと階段下で上を見上げている母の前に立つ。
「あ、ごめんごめん。ちょっとお使いに行ってきてもらってもいい?ちょっと今、手を離せなくて」
きっと希少な思春期を易々見送るなと、見かねた神様がくれた慈悲だろう。
そう思う事で、面倒だという理由で断ることの出来なかった僕の思考をプラスに変える。
「わかった。で?何を買うの?」
「そうね。お父さんのお酒を切らしちゃってて、休日出勤で疲れて帰ってきたお父さんから、晩酌をお預けしちゃ可哀想でしょ?」
相変わらず今でも仲のよろしいことで。でままぁ、仲が良いことにはこしたことはないだろうが。
「了解。いつものやつでいいんだよね?」
「うん大丈夫よ。お釣りは自由に使いなさいね。ついでに散歩でもしてきたら?」
「うん。そのつもりだったよ」
僕は母からお金を受け取ると、適当な服を見繕って装備して、遠回りになるが、海沿いを回ってから酒屋へと行くことにした。
時刻は15時過ぎたくらいだ。土曜日ということもありちらほらビーチを歩いている人や、海を眺めるカップルが目につく。
浅井晴也の話を聞いてからというもの、ただ綺麗だとしか映らなかった大海原が、濃い青色で塗りつぶされて、底のない大きな穴のように見えるようになった。
きっと潮騒部のメンバー、特に椿と七海にはもっと陰鬱な青に見えているのだろうと思う。
気づけば止まっていた足は自然とビーチの方に向かっていた。
まるで海に誘われているかのように、勝手にイベントが始まってしまって、操作のできないゲームのように。
波が引いては押し寄せる。爪先がその波に触れるか触れない程度の場所で足を止めて、グルッと一体を見回す。
「あれ?」
すると、僕と同じように波打ち際に立つ1人の女性の姿に目がとまった。
それもそのはず、それはよく知る人物だったから。
「椿?」
間違いなくその女性は、僕のお隣さんの席、我が潮騒部の部長。
僕はまた引き寄せられるように椿へと近づいていく。
数メートルまでに近づく。しかし、その間、そして今も椿は僕に気づいていないようで、水平線を見つめている。
「椿?」
急に声をかけてもいいだろうか?と気遣いつつも、その横顔から徐々に透明になり、消えてしまいそうな儚さを感じたために声をかけてしまった。
猫のように大きな瞳で僕の方へ顔を向ける椿。
その瞳から零れるそれに僕は目を奪われてしまう。
「せ、刹那くん………」
辛うじて声になった僕の名前は小さく震えていた。
「椿。えっと………」
女性の涙には魔法があるなんてフィクションの世界の話だと思っていた。しかし、こんな風にたじろいでしまうのが現実らしい。
「刹那くんもお散歩?」
しかし涙を見られた本人はそんな僕に戸惑う様子もなく、いつもと変わらず優しい声色を響かせている。
「うん。まぁ、お使いのついでなんだけどね」
気の効いた言葉なんて僕のボキャブラリーの中には存在しない。
気持ち自分の放った声にシリアスが混じっているようにも感じる。
「そうなんだ。私はねよくここに来るんだ。ここに来て、こうして、よく海を眺めているんだ」
そして今のように涙を流しているのだろうか?
「そうなんだね。大体いつもは、夕陽が沈む頃に見ていたけど、こうして、水面が揺らめく姿がハッキリと見えるこの時間も綺麗だね」
椿の横顔を見続けるわけにもいかない僕は、海を眺め必死に言葉を埋める。
「そうだね。本当に不思議。どんな顔をした海でも、綺麗に見えてしまうね」
見えてしまうという言い回しだけで、椿の心情がチラついている。
「ねぇ、刹那くん」
「ん?」
「タイムリープ出来たとして、もしやり直したい過去があったとして、そのやり直した世界は必ずしも幸せだと思う?」
そんなSFチックな話をふられ、嫌いなジャンルでもない僕は、いつかの妄想を思い浮かべた。
「僕が思うに、その世界では、今の世界での出来事は全て無かったことになるわけで、その世界でタイムリープした自分だけが、元の世界の記憶を持っている。みんなが忘れた自分を知っているのは自分自身だけ。その逆もまた然りなわけで。人は忘れられたら本当の死だと誰が言ったけど、きっとその世界の異質な僕は、生きている心地はしないかもしれないなって………なんてね。ただの妄想だよ!」
僕の突飛な妄想話でも椿は静かに耳を傾けてくれていた。
すっかりここの生活にも慣れて、退屈だと思える時間も出来るほどだった。
夏休み前最後の土曜日。これから長い休みが待っているということもあり、どれだけ怠惰に過ごしていても許されるような気がする。
「刹那!ちょっとごめん!」
そんな僕に釘を刺すように階下から母の声が響いてくる。
寝起きでもないのに重い頭を起こしてベッドから立ち上がると、ゆらゆらと階段下で上を見上げている母の前に立つ。
「あ、ごめんごめん。ちょっとお使いに行ってきてもらってもいい?ちょっと今、手を離せなくて」
きっと希少な思春期を易々見送るなと、見かねた神様がくれた慈悲だろう。
そう思う事で、面倒だという理由で断ることの出来なかった僕の思考をプラスに変える。
「わかった。で?何を買うの?」
「そうね。お父さんのお酒を切らしちゃってて、休日出勤で疲れて帰ってきたお父さんから、晩酌をお預けしちゃ可哀想でしょ?」
相変わらず今でも仲のよろしいことで。でままぁ、仲が良いことにはこしたことはないだろうが。
「了解。いつものやつでいいんだよね?」
「うん大丈夫よ。お釣りは自由に使いなさいね。ついでに散歩でもしてきたら?」
「うん。そのつもりだったよ」
僕は母からお金を受け取ると、適当な服を見繕って装備して、遠回りになるが、海沿いを回ってから酒屋へと行くことにした。
時刻は15時過ぎたくらいだ。土曜日ということもありちらほらビーチを歩いている人や、海を眺めるカップルが目につく。
浅井晴也の話を聞いてからというもの、ただ綺麗だとしか映らなかった大海原が、濃い青色で塗りつぶされて、底のない大きな穴のように見えるようになった。
きっと潮騒部のメンバー、特に椿と七海にはもっと陰鬱な青に見えているのだろうと思う。
気づけば止まっていた足は自然とビーチの方に向かっていた。
まるで海に誘われているかのように、勝手にイベントが始まってしまって、操作のできないゲームのように。
波が引いては押し寄せる。爪先がその波に触れるか触れない程度の場所で足を止めて、グルッと一体を見回す。
「あれ?」
すると、僕と同じように波打ち際に立つ1人の女性の姿に目がとまった。
それもそのはず、それはよく知る人物だったから。
「椿?」
間違いなくその女性は、僕のお隣さんの席、我が潮騒部の部長。
僕はまた引き寄せられるように椿へと近づいていく。
数メートルまでに近づく。しかし、その間、そして今も椿は僕に気づいていないようで、水平線を見つめている。
「椿?」
急に声をかけてもいいだろうか?と気遣いつつも、その横顔から徐々に透明になり、消えてしまいそうな儚さを感じたために声をかけてしまった。
猫のように大きな瞳で僕の方へ顔を向ける椿。
その瞳から零れるそれに僕は目を奪われてしまう。
「せ、刹那くん………」
辛うじて声になった僕の名前は小さく震えていた。
「椿。えっと………」
女性の涙には魔法があるなんてフィクションの世界の話だと思っていた。しかし、こんな風にたじろいでしまうのが現実らしい。
「刹那くんもお散歩?」
しかし涙を見られた本人はそんな僕に戸惑う様子もなく、いつもと変わらず優しい声色を響かせている。
「うん。まぁ、お使いのついでなんだけどね」
気の効いた言葉なんて僕のボキャブラリーの中には存在しない。
気持ち自分の放った声にシリアスが混じっているようにも感じる。
「そうなんだ。私はねよくここに来るんだ。ここに来て、こうして、よく海を眺めているんだ」
そして今のように涙を流しているのだろうか?
「そうなんだね。大体いつもは、夕陽が沈む頃に見ていたけど、こうして、水面が揺らめく姿がハッキリと見えるこの時間も綺麗だね」
椿の横顔を見続けるわけにもいかない僕は、海を眺め必死に言葉を埋める。
「そうだね。本当に不思議。どんな顔をした海でも、綺麗に見えてしまうね」
見えてしまうという言い回しだけで、椿の心情がチラついている。
「ねぇ、刹那くん」
「ん?」
「タイムリープ出来たとして、もしやり直したい過去があったとして、そのやり直した世界は必ずしも幸せだと思う?」
そんなSFチックな話をふられ、嫌いなジャンルでもない僕は、いつかの妄想を思い浮かべた。
「僕が思うに、その世界では、今の世界での出来事は全て無かったことになるわけで、その世界でタイムリープした自分だけが、元の世界の記憶を持っている。みんなが忘れた自分を知っているのは自分自身だけ。その逆もまた然りなわけで。人は忘れられたら本当の死だと誰が言ったけど、きっとその世界の異質な僕は、生きている心地はしないかもしれないなって………なんてね。ただの妄想だよ!」
僕の突飛な妄想話でも椿は静かに耳を傾けてくれていた。