放課後の黒板掃除は私の日課。乱れている机を整えることも日課。教室の窓際にある花に水をあげるのも、開きっぱなしの窓に鍵をかけるのも、私の日課。
誰に言われてやるでもない。感謝されてやるでもない。だけど、この日課をすることで、『私もこの教室に居ていいんだ』って錯覚できるから、私ひとり、教室に残る。
窓からオレンジ色の西日が差し込むこの教室は嫌いじゃない。嫌いなのは、なんの色もない、昼間の日差しが入る教室。日中の教室は、当たり前だけどクラスメイトがいる。騒がしい教室にひとり、取り残されたような感覚に陥る。
別にいじめられているわけでもないし、話す相手がいないわけでもない。 ただ、本音で語り合える友達がいないだけ。取り繕ってしまう自分の笑顔と、ワントーン高くなる自分の声を感じると嫌気がさすから、休み時間はひとりで本を読んでいる。
『私は本が好きだから』って雰囲気をクラスメイトたちに出すことで、自分の心を守れるから。
小さな植木鉢の中で一生懸命咲く小さな花に、じょうろで水をあげる。
「......君たちは、生きづらくないの?」
小さな世界の中で、いつも同じ仲間と同じ時間を過ごさなきゃいけない。外の世界に飛び出したくても飛び出せない。窮屈な場所。
私は、自分自身と目の前の白い花を重ね合わせた。
「生きづらいかもね」
突然、聞こえた声に肩を跳ねあがらせる。心臓をバクバクさせながら振り返ると、教室のドアに寄りかかっているクラスメイトの長谷川さんがいた。
「帰ったんじゃないの......?」
「忘れ物を取りに来た」
長谷川さんはそう言って、自分の席に向かう。無表情のまま、引き出しの中に手を突っ込んでいる彼女の姿を目で追ってしまう。
長谷川さんは髪の毛を綺麗な金髪に染めていて、アクセサリーを数えきれないくらい身に付けている。 スカートも短くて、校則違反の常習犯。何度も先生に怒られている姿を見たことある。だけど、長谷川さんは校則を守ろうとしない。
「お、あった」
引き出しから、今流行っているキャラクターのキーホルダーを取り出した長谷川さん。
「あ、それ......」
長谷川さんの手の中のキーホルダーに思わず反応してしまう。私もそのキャラクターが好きで、ぬいぐるみとかを集めているから、長谷川さんに少し親近感が湧いた。
「こいつの顔を見ていると癒されるんだよな」
「分かる! 何を考えてるか分からなそうな顔が好きっ」
「だよな! ......って、まあ、藤崎も何考えているか分かんねぇけどな」
長谷川さんの言葉が、興奮状態だった私の心に鋭く刺さった。
“何を考えているか分からない”
なんとなく周りからそう思われているのかなと、感じてはいたけれど、クラスメイトにハッキリ言われるとショックを隠し切れなくなる。いつものように笑顔を作らなきゃって思うのに、引きつった笑顔 しか出てこない。
「黒板掃除とかもひとりでやってんだろ? 誰に感謝されるわけでもないのに、率先してやる気持ちが分かんないな」
「え......」
「私だったら面倒なことは絶対やんないね」
藤崎の考えていることは分からないな。
そう言って、長谷川さんはニッと笑った。
「私は長谷川さんのほうが分からないよ」
「なんでだよ?」
「だって。校則違反ばかりして怒られても懲りないし。教室にひとりでいても平気な顔しているし。キ ャラクターものに興味なさそうな顔して、すごく好きそうだし」
長谷川さんを不機嫌にさせてしまうかもしれない。だけど、そんな思いが浮かぶ前に言葉を口にしていた。そんな自分自身にびっくりする。
「じゃあ、教えてやるよ」
「え?」
戸惑う私をよそに、長谷川さんは自分の席に座った。足を組んで机に頬杖をつく態度は、日中の教室での態度と変わらなかった。
だけど、なにかが違う。なんだろう。人を寄せ付けないオーラを感じないというか。今なら、長谷川さんに近づいてもいいんだって感じることができた。
私は手に持っていたじょうろを植木鉢の横に置く。静かな教室の中、私の足音だけが響く。
長谷川さんの隣の隣の席、つまり自分の席に腰掛ける。机をひとつ挟んだ私たちの距離。近いようで遠い私たちの距離感が心地いい。
「藤崎って字がきれいだよな」
「急になに?」
「いつも黒板に書いてる字がきれいだな、って」
「授業中、寝てたんじゃなかったんだ?」
「失礼だな。たまに起きてるよ」
ってことは、大半は寝てるのね。
呆れながら心の中で突っ込む私。だけど、“私を見てくれる人がいるんだ”って感じることができて嬉しかった。
「ってことで、今から大事なこと話すからノートにメモ取れよ」
「え、うん」
「私のこと、藤崎に教えてやるからさ」
「それって、ノートに書かなきゃダメなの?」
「大事なことはメモを取るって、先生に教わらなかったか?」
なんか言いくるめられている気がする......。
有無を言わせないような長谷川さんの迫力に、私は机の横にかけてあった鞄からルーズリーフとペンを取り出す。
「授業用のノートしかないから、ルーズリーフでいい?」
「おう。なんでもいい」
横目で長谷川さんを見る。長谷川さんは遠くの黒板を見つめている。その横顔からはなにを考えているか、読み取ることが出来なかった。
私はルーズリーフに目を落とす。いつでも書けるようにと準備をする。ボールペンの頭部分をカチッと押して芯を出す。その音が合図だというように、長谷川さんは淡々と話しだした。
「......私、バスケが得意でさ。今日の体育のバスケで、かっこいいとこ見せて、みんなにチヤホヤされ たかった。っていうか、クラスメイトと喋るきっかけを作ろうと思ったんだよな。だけど、気が付いたときには温度差がすげぇの。冷たい目を向けられてるなって感じたよ。......今日もクラスメイトと話すことが出来なかった」
長谷川さんは一気に話した。
私は長谷川さんの感じていたことを聞きながら、それをルーズリーフに 書き留める。書きながら思った。長谷川さんも人間なんだなって。一匹狼みたいに見えていた彼女だけど、本当はクラスメイトに馴染みたかった狼なんだって......。
「だけどさ」
長谷川さんは言葉を続ける。私はペンを持ち直してルーズリーフに長谷川さんの想いを書く。
「不器用なりにクラスメイトと普通に話せるようになりたいって思い続けている。そんな自分を褒めて やりたいね」
「......うん」
「それに、今日の放課後、初めて藤崎と喋った。案外、いいヤツで面白いと思った。また話したいなって思ったな」
長谷川さんの真っすぐな言葉に、私は少し涙腺が緩くなった。ルーズリーフの文字が涙でぼやけてい る。温かい涙がこぼれた。
今までは悔しくて、無性に泣きたくなって流していた涙だったのに、この涙は私の心を温かい手でぎゅっと包んだように、不思議と溢れてくる涙だった。
「次は藤崎の番だな。ルーズリーフとペン、貸して」
「え......?」
「私ばかり話すのは変だろ。だから、今度は私が聞く番」
長谷川さんは隣の机をぽんぽん、と軽く叩く。私は促されるまま、ルーズリーフとボールペンを隣の机に置いた。それを受け取る長谷川さんがボールペンを握る。
私が自分の気持ちを話す......。なにを話せばいいんだろう。辛かったことも楽しかったことも思い浮かばない。というか、辛いことは気づかないふりをしている。楽しいと感じることはそもそもない。
口をなかなか開けない私に、長谷川さんは優しく笑う。
「思い浮かんだこと、テキトーに言えばいいよ」
そう言われて少し肩の力が抜けた。
いつも誰かに話すときは『なにをどうやって話そう』って、頭の中でぐるぐる考えていて、話すタイミングを失うことが多かった。
だけど、今は違うのかもしれない。 自分の思っていることを吐き出す時間なんだ。
「今日は学校が楽しくなかった。というより、いつも楽しくない。学校に来なきゃいけないから来ている感じ。
だから、少しでも学校にいる存在意義を見つけたくて、黒板掃除とかお花の水やりをしていたの。誰に感謝されたいわけじゃなくて、自分がここにいる意味を見つけたかったから、やっていること。
......だけど、それをやっていても、自分が“ここにいていいんだ”って感じることが出来なかった」
気が付いたら、わあって気持ちを吐き出していた。吐き出したこの感情は、自分でも気が付いていなかった。
自分の感情に気付けていなかったけれど、勝手に口が動いた。
ああ、そうか。私ってこんなことを考えていたんだって思ったら、なんだか泣けてきた。
辛かったことを、辛いって誰にも言えなかったんだな。そう思った。
......だからこそ、次に出てくる言葉は。
「放課後、最後まで残っていた自分に“ありがとう”って言いたい。その自分がいなかったら、長谷川さんと今、話せてなかったかもしれないから。今までやってきたことは、今日に繋がったと思えたよ」
私は隣の隣の席の長谷川さんに、ちらりと視線を向ける。長谷川さんは一生懸命、私の想いをルーズリーフに書いてくれていた。私のために一生懸命なにかしてくれている。それが嬉しくて、私は小さく 『ありがとう』と呟いた。
書き終わったのだろうか、ペンを置いた長谷川さん。窓から差し込むオレンジ色の西日が、長谷川さんの金色の髪の毛を照らす。今まで毛嫌いしていたその髪は、透き通っていて、とてもきれいな髪の毛 に見えた。
「んじゃ、今日は帰ろうか」
長谷川さんが隣の机にペンを置く。私は隣の机の上に置かれたペンを受け取り、鞄にしまう。
ちらりと横目で長谷川さんを見ると、あのキャラクターが描かれているクリアファイルにルーズリーフを入れていた。その横顔は優しくて、とてもきれいだった。
沢山の文字が書かれたルーズリーフを愛しそうにしまう長谷川さんとの関係を、今日で終わりにしたくなかった。
長谷川さんが鞄を持って席を立ちあがる。それにつられて、私も後を追うように席を立つ。
い、言わなきゃ。言わなきゃなにも伝わらないんだ......っ。
「は、長谷川さんっ」
「ん?」
「もし、良かったら。明日も、一緒に放課後、話したい......」
ぽかんとした表情の長谷川さん。それから、ふはっと笑って私に言う。
「私はそのつもりだったけど?」
「え......」
「ほら。窓閉めて、一緒に帰るぞ」
今日のこの時間が当たり前だというように言う長谷川さん。驚いたけど、それ以上に嬉しくて、私は自然と笑みをこぼした。
こんなに気持ちが高鳴るのはいつぶりだろう。明日も学校に来たいと思うのは何か月ぶりだろう。
分からないけど、分からなくていいんだ。明日、また長谷川さんと会えるってことが嬉しいから。
「私も窓、閉めるっ」
「遅いよ。もう閉め終わった」
「えっ。ごめんっ」
どちらともなく笑い出す。それが心地よくて、長谷川さんのこと、もっと知りたいなって強く思った。
———
「今日は嫌なことあった?」
ルーズリーフとペンを机の上に、私は長谷川さんに問いかける。
西日が差し込む教室に、今日も二人きり。いつも通り、ひとつ机を挟んで私たちは椅子に座っている。
長谷川さんは相変わらず、頬杖を突いている。ダルそうな姿勢なのに、『話そう』って気持ちは伝わってくる。本当に長谷川さんって変な人。
「んー。生活指導の先生に、黒髪に戻せって怒られた。校則違反するなって、他の生徒もいる前で怒られたよ。見た目だけが全てじゃないのに、中身が大事だろ、って言い返したくなった。けど、校則違反しているのは事実だし。でも、中身も見て欲しいっていうのも本音だし、っていう葛藤があった」
「朝、校門の前で怒られていたね。あれは、生徒指導の先生も言い方きついと思った」
「だよな!? 言い方もそうだし、声もバカでかいし。普通に近所迷惑だよな!?」
「確かに近所迷惑!」
私はルーズリーフに書きながら笑った。
今日、朝からイライラしている様子だった長谷川さん。だけど、今は頬を膨らませながら、冗談交じりの文句を言っている。そんな和やかな時間に私も心が落ち着く。
「じゃあ、今日の良かったことは?」
「私がこのファッションを貫き通したい理由を再認識できたことだな。やっぱり、好きなものは好きでい続けたい。目立つってことはさ、それなりにリスクがあるけど、それでも自分を隠して、自分に嘘をついて生きていたくない」
「そっか」
「私、小さい頃は周りの目ばかり気にして、周りに合わせてたんだよ。苦しくて泣いていたときに、母さんに言われたんだ。......どうして周りと一緒じゃなきゃいけないの? って」
長谷川さんが今、どんな表情をしているのか分からない。だけど、少しだけ声が震えているような気 がした。
......長谷川さんが泣いている。そう感じた。
今すぐその背中に触れたい。
『私がここにいるよ』って言いたい。
だけど、その反面。私は、静かに長谷川さんを受け止めたかった。触れなくても心地よいと思えるこの距離。だから、今は思いきり泣いてほしい。
触れなくても伝わっている。そう信じてる。
「大好きな母さんの言葉で勇気をもらったんだ。私は私でいいんだって。だか、ら......っ」
長谷川さんは声を上げて泣いた。私はペンを止めて、ルーズリーフを眺めた。
長谷川さんが落ち着くまで、私はここにいることしか出来ない。でも、それでいいんだ。
これが、私たちのちょうどいい距離間だから......。
何分くらいたっただろうか。しばらくして、長谷川さんが泣き止んだ。
『あー。こんな泣くと思わなかった』と、ティッシュで鼻をかむ長谷川さんに私はなにも言えなかった。
私には分からない、長谷川さんの過去。それと今。知りたいって思えば思うほど、もどかしさを感じ る。もっと、長谷川さんと仲良くなりたいなって、思ってしまう......。
「次は藤崎の番ね」
そう言われて私は黙ってルーズリーフとペンを渡した。
———
翌日。
私が登校すると、長谷川さんは席に座っていた。
.....珍しい。いつもはチャイムギリギリで、だるそうに教室に入ってくるのに。
そんなことを思いながら私は自分の席に着く。
あの日、私と長谷川さんが初めて話した日。その日以降、私と長谷川さんの距離がすごく近くなったわけではない。話すのは決まって放課後だけ。
ルールがあるとかじゃないけど、お互いなんとなく、昼間は話しかけない。それもそれで寂しいけれど。
だからこそ、放課後が楽しみでもある。放課後、長谷川さんと話すために 1 日頑張っている。
そんなことを考えながら、1 時限目の授業の準備をしていると、隣の隣の席の長谷川さんが立ち上がった。どうしたんだろう、と考えるより先に、長谷川さんが私に近づいてくる。
「はせ、」
「藤崎。これ、やる。......今日、誕生日だろ」
「え? あ、うん。そうだった......」
自分で忘れていた誕生日。自分の誕生日を忘れていたから、長谷川さんにも私の誕生日を伝えていなかったのに、なんで知っているんだろう。
そんな疑問を浮かべたけれど、それ以上に私は嬉しくて、渡された紙袋をぎゅっと抱えた。
「そんな強く抱きしめたら、中身つぶれるだろ」
ふはっと笑う長谷川さんにつられて私も笑う。日中のなんの色もない光が、長谷川さんの髪の毛に当たってきらきらと輝く。
「長谷川さん、ありがと!」
「おう」
長谷川さんは、照れ隠しをするかのように髪の毛をいじる。それから『誕プレとか渡したことねぇから、どうしていいのか分かんねぇや』といって、逃げるように教室を出て行った。そんな後ろ姿を、頬を緩ませながら見送る私。
だけど。
もう、長谷川さんがこの教室に戻ってくることはない。
その事実を知ったのは、朝のホームルームのときだった。
長谷川さんが、転校した。
信じられなかった。信じたくなかった。
転校ってなに?
昨日の放課後もなにも言ってなかったじゃ ん。
いつも通りに本音言い合って、受け止め合って。
『また明日の放課後ね』って言って、手を振ったのに。
しかも、『転校した』ってなに?
今朝だって普通に学校来てたじゃん。
私に誕生日プレゼント渡してくれたじゃん......。
だけど、思い返してみれば、今朝、長谷川さんの机に鞄はかかっていなかった気がする。
じゃあ、本当は、昨日で学校来るのが最後だったってこと?
私はいてもたってもいられず、職員室に走った。
「先生っ!」
先生は息を切らす私に驚きつつも、なにかを悟ったような表情をしていた。
「長谷川さん、なんで転校したんですか! なんで先生も話してくれなかったんですかっ!」
職員室に響く私の声。涙と共にこぼれ落ちる言葉。
そんな私とは反対に先生は穏やかだった。それが無性に腹立たしくなった。なんで、そんなに落ち着いていられるの......っ。
涙で言葉にならない私の言葉。
そんな私に先生はゆっくりと話し始める。
「長谷川のお母さんが入院することになってね。大きな病院で診てもらわないといけないから、家族で引っ越すことを決めていたらしい」
「そんな......」
じゃあ、あの日、長谷川さんが泣いていたのはお母さんのことを想って泣いていたんだ......。
いつも話していたのに、私、なにも知らなかった。知っているつもりで、なにも知らなかったんだ。
長谷川さんも、どうしてそんな大事なことを私に話してくれなかったんだろう。お母さんのことも、 転校することも......。
「転校のことは長谷川に口止めされていたんだ。......最後までお前との時間を大切にしたかったから、 と」
「うぅ......っ」
「いい友達を持ったな」
「......はいっ」
その日の放課後、私は西日が差し込む教室で、長谷川さんからもらった誕生日プレゼントを開けた。
紙袋の中から、少し厚みのあるものを取り出す。包装紙とリボンできれいにラッピングされているそれ を、私はほどいていく。
包装紙がはがれて姿を現したものは、オレンジ色のファイルだった。夕焼けのような優しい色が、長谷川さんとの時間を思い出させる。
ファイルの表紙を 1 枚めくる。
私と長谷川さんの字が目に飛び込んでくる長谷川さんと初めて心の内を語り合ったあの日のルーズリーフが閉じてあった。
ルーズリーフをめくるたびに、長谷川さんとの時間がよみがえってくる。
「全部、しまってあったんだ......」
書き上げたルーズリーフはいつも長谷川さんが持ち帰っていた。長谷川さんは、それを 1 枚も捨てることなく大切にしてくれていた。
そう思うと、どうしようもない寂しさと長谷川さんへの伝えきれていない思いがこみあげてくる。
「これが昨日の......」
昨日で終わり。
現実を受け止めなくちゃいけないのに、受け止められない私は、最後のルーズリーフをめくった。
「手紙......?」
最後のルーズリーフの後ろに、ファイルと同じ夕焼けのような優しい色の封筒が挟まっていた。
私は封を開ける。
震える手で、便箋を取り出す。
『藤崎へ。
転校のこと、隠していてごめん。隠していたというか、言えなかったんだ。言ってしまったら、どうしようもないくらい泣いてしまいそうで。泣いてしまったら、放課後の時間もいつものように迎えられないと思ったから、最後まで言わなかった。そんな私を許してくれるなら、手紙の続きを読んで欲しい。
私にとって、藤崎と本音を話せる時間は心地良かったんだ。それが、学校に来る意味になっていた。
藤崎がいつも放課後に残って、教室をきれいにしてくれていたこと、ずっと前から知っていたよ。
なんでそんな面倒なことやっているんだろう、って疑問だった。だから、藤崎のことを知りたくなった。
藤崎は存在意義を見つけたくて、って言っていたよな。そんな藤崎の存在に私は何度救われたと思う?
......どうせ、藤崎はなにもしていない、って言うんだろうな。だけど、藤崎が私の隣にいることで、私は自分を大切にしようと思えたよ。
ひとつ後悔が残るとしたら。もう少し、藤崎と距離を縮めたかったな。
“隣の隣の席”じゃなくて、“隣の席”で藤崎と語りたかった。そのくらい、私にとっては藤崎が大きな存在になっていたんだよ。
自分の存在意義を見つけようと必死になっていた藤崎がいたから、今の私たちがいる。
だから、ありがとう。
......ありがとう、有紗。
長谷川 美奈より』
手紙の最後には、長谷川さん......。美奈の電話番号が書かれていた。
寂しくない、なんて言ったら嘘になる。
だから私は、放課後、この教室で美奈に電話かけようと思う。
「......もしもし、美奈? 有紗だよ。
......今日も本音時間、始めよう」
fun.
誰に言われてやるでもない。感謝されてやるでもない。だけど、この日課をすることで、『私もこの教室に居ていいんだ』って錯覚できるから、私ひとり、教室に残る。
窓からオレンジ色の西日が差し込むこの教室は嫌いじゃない。嫌いなのは、なんの色もない、昼間の日差しが入る教室。日中の教室は、当たり前だけどクラスメイトがいる。騒がしい教室にひとり、取り残されたような感覚に陥る。
別にいじめられているわけでもないし、話す相手がいないわけでもない。 ただ、本音で語り合える友達がいないだけ。取り繕ってしまう自分の笑顔と、ワントーン高くなる自分の声を感じると嫌気がさすから、休み時間はひとりで本を読んでいる。
『私は本が好きだから』って雰囲気をクラスメイトたちに出すことで、自分の心を守れるから。
小さな植木鉢の中で一生懸命咲く小さな花に、じょうろで水をあげる。
「......君たちは、生きづらくないの?」
小さな世界の中で、いつも同じ仲間と同じ時間を過ごさなきゃいけない。外の世界に飛び出したくても飛び出せない。窮屈な場所。
私は、自分自身と目の前の白い花を重ね合わせた。
「生きづらいかもね」
突然、聞こえた声に肩を跳ねあがらせる。心臓をバクバクさせながら振り返ると、教室のドアに寄りかかっているクラスメイトの長谷川さんがいた。
「帰ったんじゃないの......?」
「忘れ物を取りに来た」
長谷川さんはそう言って、自分の席に向かう。無表情のまま、引き出しの中に手を突っ込んでいる彼女の姿を目で追ってしまう。
長谷川さんは髪の毛を綺麗な金髪に染めていて、アクセサリーを数えきれないくらい身に付けている。 スカートも短くて、校則違反の常習犯。何度も先生に怒られている姿を見たことある。だけど、長谷川さんは校則を守ろうとしない。
「お、あった」
引き出しから、今流行っているキャラクターのキーホルダーを取り出した長谷川さん。
「あ、それ......」
長谷川さんの手の中のキーホルダーに思わず反応してしまう。私もそのキャラクターが好きで、ぬいぐるみとかを集めているから、長谷川さんに少し親近感が湧いた。
「こいつの顔を見ていると癒されるんだよな」
「分かる! 何を考えてるか分からなそうな顔が好きっ」
「だよな! ......って、まあ、藤崎も何考えているか分かんねぇけどな」
長谷川さんの言葉が、興奮状態だった私の心に鋭く刺さった。
“何を考えているか分からない”
なんとなく周りからそう思われているのかなと、感じてはいたけれど、クラスメイトにハッキリ言われるとショックを隠し切れなくなる。いつものように笑顔を作らなきゃって思うのに、引きつった笑顔 しか出てこない。
「黒板掃除とかもひとりでやってんだろ? 誰に感謝されるわけでもないのに、率先してやる気持ちが分かんないな」
「え......」
「私だったら面倒なことは絶対やんないね」
藤崎の考えていることは分からないな。
そう言って、長谷川さんはニッと笑った。
「私は長谷川さんのほうが分からないよ」
「なんでだよ?」
「だって。校則違反ばかりして怒られても懲りないし。教室にひとりでいても平気な顔しているし。キ ャラクターものに興味なさそうな顔して、すごく好きそうだし」
長谷川さんを不機嫌にさせてしまうかもしれない。だけど、そんな思いが浮かぶ前に言葉を口にしていた。そんな自分自身にびっくりする。
「じゃあ、教えてやるよ」
「え?」
戸惑う私をよそに、長谷川さんは自分の席に座った。足を組んで机に頬杖をつく態度は、日中の教室での態度と変わらなかった。
だけど、なにかが違う。なんだろう。人を寄せ付けないオーラを感じないというか。今なら、長谷川さんに近づいてもいいんだって感じることができた。
私は手に持っていたじょうろを植木鉢の横に置く。静かな教室の中、私の足音だけが響く。
長谷川さんの隣の隣の席、つまり自分の席に腰掛ける。机をひとつ挟んだ私たちの距離。近いようで遠い私たちの距離感が心地いい。
「藤崎って字がきれいだよな」
「急になに?」
「いつも黒板に書いてる字がきれいだな、って」
「授業中、寝てたんじゃなかったんだ?」
「失礼だな。たまに起きてるよ」
ってことは、大半は寝てるのね。
呆れながら心の中で突っ込む私。だけど、“私を見てくれる人がいるんだ”って感じることができて嬉しかった。
「ってことで、今から大事なこと話すからノートにメモ取れよ」
「え、うん」
「私のこと、藤崎に教えてやるからさ」
「それって、ノートに書かなきゃダメなの?」
「大事なことはメモを取るって、先生に教わらなかったか?」
なんか言いくるめられている気がする......。
有無を言わせないような長谷川さんの迫力に、私は机の横にかけてあった鞄からルーズリーフとペンを取り出す。
「授業用のノートしかないから、ルーズリーフでいい?」
「おう。なんでもいい」
横目で長谷川さんを見る。長谷川さんは遠くの黒板を見つめている。その横顔からはなにを考えているか、読み取ることが出来なかった。
私はルーズリーフに目を落とす。いつでも書けるようにと準備をする。ボールペンの頭部分をカチッと押して芯を出す。その音が合図だというように、長谷川さんは淡々と話しだした。
「......私、バスケが得意でさ。今日の体育のバスケで、かっこいいとこ見せて、みんなにチヤホヤされ たかった。っていうか、クラスメイトと喋るきっかけを作ろうと思ったんだよな。だけど、気が付いたときには温度差がすげぇの。冷たい目を向けられてるなって感じたよ。......今日もクラスメイトと話すことが出来なかった」
長谷川さんは一気に話した。
私は長谷川さんの感じていたことを聞きながら、それをルーズリーフに 書き留める。書きながら思った。長谷川さんも人間なんだなって。一匹狼みたいに見えていた彼女だけど、本当はクラスメイトに馴染みたかった狼なんだって......。
「だけどさ」
長谷川さんは言葉を続ける。私はペンを持ち直してルーズリーフに長谷川さんの想いを書く。
「不器用なりにクラスメイトと普通に話せるようになりたいって思い続けている。そんな自分を褒めて やりたいね」
「......うん」
「それに、今日の放課後、初めて藤崎と喋った。案外、いいヤツで面白いと思った。また話したいなって思ったな」
長谷川さんの真っすぐな言葉に、私は少し涙腺が緩くなった。ルーズリーフの文字が涙でぼやけてい る。温かい涙がこぼれた。
今までは悔しくて、無性に泣きたくなって流していた涙だったのに、この涙は私の心を温かい手でぎゅっと包んだように、不思議と溢れてくる涙だった。
「次は藤崎の番だな。ルーズリーフとペン、貸して」
「え......?」
「私ばかり話すのは変だろ。だから、今度は私が聞く番」
長谷川さんは隣の机をぽんぽん、と軽く叩く。私は促されるまま、ルーズリーフとボールペンを隣の机に置いた。それを受け取る長谷川さんがボールペンを握る。
私が自分の気持ちを話す......。なにを話せばいいんだろう。辛かったことも楽しかったことも思い浮かばない。というか、辛いことは気づかないふりをしている。楽しいと感じることはそもそもない。
口をなかなか開けない私に、長谷川さんは優しく笑う。
「思い浮かんだこと、テキトーに言えばいいよ」
そう言われて少し肩の力が抜けた。
いつも誰かに話すときは『なにをどうやって話そう』って、頭の中でぐるぐる考えていて、話すタイミングを失うことが多かった。
だけど、今は違うのかもしれない。 自分の思っていることを吐き出す時間なんだ。
「今日は学校が楽しくなかった。というより、いつも楽しくない。学校に来なきゃいけないから来ている感じ。
だから、少しでも学校にいる存在意義を見つけたくて、黒板掃除とかお花の水やりをしていたの。誰に感謝されたいわけじゃなくて、自分がここにいる意味を見つけたかったから、やっていること。
......だけど、それをやっていても、自分が“ここにいていいんだ”って感じることが出来なかった」
気が付いたら、わあって気持ちを吐き出していた。吐き出したこの感情は、自分でも気が付いていなかった。
自分の感情に気付けていなかったけれど、勝手に口が動いた。
ああ、そうか。私ってこんなことを考えていたんだって思ったら、なんだか泣けてきた。
辛かったことを、辛いって誰にも言えなかったんだな。そう思った。
......だからこそ、次に出てくる言葉は。
「放課後、最後まで残っていた自分に“ありがとう”って言いたい。その自分がいなかったら、長谷川さんと今、話せてなかったかもしれないから。今までやってきたことは、今日に繋がったと思えたよ」
私は隣の隣の席の長谷川さんに、ちらりと視線を向ける。長谷川さんは一生懸命、私の想いをルーズリーフに書いてくれていた。私のために一生懸命なにかしてくれている。それが嬉しくて、私は小さく 『ありがとう』と呟いた。
書き終わったのだろうか、ペンを置いた長谷川さん。窓から差し込むオレンジ色の西日が、長谷川さんの金色の髪の毛を照らす。今まで毛嫌いしていたその髪は、透き通っていて、とてもきれいな髪の毛 に見えた。
「んじゃ、今日は帰ろうか」
長谷川さんが隣の机にペンを置く。私は隣の机の上に置かれたペンを受け取り、鞄にしまう。
ちらりと横目で長谷川さんを見ると、あのキャラクターが描かれているクリアファイルにルーズリーフを入れていた。その横顔は優しくて、とてもきれいだった。
沢山の文字が書かれたルーズリーフを愛しそうにしまう長谷川さんとの関係を、今日で終わりにしたくなかった。
長谷川さんが鞄を持って席を立ちあがる。それにつられて、私も後を追うように席を立つ。
い、言わなきゃ。言わなきゃなにも伝わらないんだ......っ。
「は、長谷川さんっ」
「ん?」
「もし、良かったら。明日も、一緒に放課後、話したい......」
ぽかんとした表情の長谷川さん。それから、ふはっと笑って私に言う。
「私はそのつもりだったけど?」
「え......」
「ほら。窓閉めて、一緒に帰るぞ」
今日のこの時間が当たり前だというように言う長谷川さん。驚いたけど、それ以上に嬉しくて、私は自然と笑みをこぼした。
こんなに気持ちが高鳴るのはいつぶりだろう。明日も学校に来たいと思うのは何か月ぶりだろう。
分からないけど、分からなくていいんだ。明日、また長谷川さんと会えるってことが嬉しいから。
「私も窓、閉めるっ」
「遅いよ。もう閉め終わった」
「えっ。ごめんっ」
どちらともなく笑い出す。それが心地よくて、長谷川さんのこと、もっと知りたいなって強く思った。
———
「今日は嫌なことあった?」
ルーズリーフとペンを机の上に、私は長谷川さんに問いかける。
西日が差し込む教室に、今日も二人きり。いつも通り、ひとつ机を挟んで私たちは椅子に座っている。
長谷川さんは相変わらず、頬杖を突いている。ダルそうな姿勢なのに、『話そう』って気持ちは伝わってくる。本当に長谷川さんって変な人。
「んー。生活指導の先生に、黒髪に戻せって怒られた。校則違反するなって、他の生徒もいる前で怒られたよ。見た目だけが全てじゃないのに、中身が大事だろ、って言い返したくなった。けど、校則違反しているのは事実だし。でも、中身も見て欲しいっていうのも本音だし、っていう葛藤があった」
「朝、校門の前で怒られていたね。あれは、生徒指導の先生も言い方きついと思った」
「だよな!? 言い方もそうだし、声もバカでかいし。普通に近所迷惑だよな!?」
「確かに近所迷惑!」
私はルーズリーフに書きながら笑った。
今日、朝からイライラしている様子だった長谷川さん。だけど、今は頬を膨らませながら、冗談交じりの文句を言っている。そんな和やかな時間に私も心が落ち着く。
「じゃあ、今日の良かったことは?」
「私がこのファッションを貫き通したい理由を再認識できたことだな。やっぱり、好きなものは好きでい続けたい。目立つってことはさ、それなりにリスクがあるけど、それでも自分を隠して、自分に嘘をついて生きていたくない」
「そっか」
「私、小さい頃は周りの目ばかり気にして、周りに合わせてたんだよ。苦しくて泣いていたときに、母さんに言われたんだ。......どうして周りと一緒じゃなきゃいけないの? って」
長谷川さんが今、どんな表情をしているのか分からない。だけど、少しだけ声が震えているような気 がした。
......長谷川さんが泣いている。そう感じた。
今すぐその背中に触れたい。
『私がここにいるよ』って言いたい。
だけど、その反面。私は、静かに長谷川さんを受け止めたかった。触れなくても心地よいと思えるこの距離。だから、今は思いきり泣いてほしい。
触れなくても伝わっている。そう信じてる。
「大好きな母さんの言葉で勇気をもらったんだ。私は私でいいんだって。だか、ら......っ」
長谷川さんは声を上げて泣いた。私はペンを止めて、ルーズリーフを眺めた。
長谷川さんが落ち着くまで、私はここにいることしか出来ない。でも、それでいいんだ。
これが、私たちのちょうどいい距離間だから......。
何分くらいたっただろうか。しばらくして、長谷川さんが泣き止んだ。
『あー。こんな泣くと思わなかった』と、ティッシュで鼻をかむ長谷川さんに私はなにも言えなかった。
私には分からない、長谷川さんの過去。それと今。知りたいって思えば思うほど、もどかしさを感じ る。もっと、長谷川さんと仲良くなりたいなって、思ってしまう......。
「次は藤崎の番ね」
そう言われて私は黙ってルーズリーフとペンを渡した。
———
翌日。
私が登校すると、長谷川さんは席に座っていた。
.....珍しい。いつもはチャイムギリギリで、だるそうに教室に入ってくるのに。
そんなことを思いながら私は自分の席に着く。
あの日、私と長谷川さんが初めて話した日。その日以降、私と長谷川さんの距離がすごく近くなったわけではない。話すのは決まって放課後だけ。
ルールがあるとかじゃないけど、お互いなんとなく、昼間は話しかけない。それもそれで寂しいけれど。
だからこそ、放課後が楽しみでもある。放課後、長谷川さんと話すために 1 日頑張っている。
そんなことを考えながら、1 時限目の授業の準備をしていると、隣の隣の席の長谷川さんが立ち上がった。どうしたんだろう、と考えるより先に、長谷川さんが私に近づいてくる。
「はせ、」
「藤崎。これ、やる。......今日、誕生日だろ」
「え? あ、うん。そうだった......」
自分で忘れていた誕生日。自分の誕生日を忘れていたから、長谷川さんにも私の誕生日を伝えていなかったのに、なんで知っているんだろう。
そんな疑問を浮かべたけれど、それ以上に私は嬉しくて、渡された紙袋をぎゅっと抱えた。
「そんな強く抱きしめたら、中身つぶれるだろ」
ふはっと笑う長谷川さんにつられて私も笑う。日中のなんの色もない光が、長谷川さんの髪の毛に当たってきらきらと輝く。
「長谷川さん、ありがと!」
「おう」
長谷川さんは、照れ隠しをするかのように髪の毛をいじる。それから『誕プレとか渡したことねぇから、どうしていいのか分かんねぇや』といって、逃げるように教室を出て行った。そんな後ろ姿を、頬を緩ませながら見送る私。
だけど。
もう、長谷川さんがこの教室に戻ってくることはない。
その事実を知ったのは、朝のホームルームのときだった。
長谷川さんが、転校した。
信じられなかった。信じたくなかった。
転校ってなに?
昨日の放課後もなにも言ってなかったじゃ ん。
いつも通りに本音言い合って、受け止め合って。
『また明日の放課後ね』って言って、手を振ったのに。
しかも、『転校した』ってなに?
今朝だって普通に学校来てたじゃん。
私に誕生日プレゼント渡してくれたじゃん......。
だけど、思い返してみれば、今朝、長谷川さんの机に鞄はかかっていなかった気がする。
じゃあ、本当は、昨日で学校来るのが最後だったってこと?
私はいてもたってもいられず、職員室に走った。
「先生っ!」
先生は息を切らす私に驚きつつも、なにかを悟ったような表情をしていた。
「長谷川さん、なんで転校したんですか! なんで先生も話してくれなかったんですかっ!」
職員室に響く私の声。涙と共にこぼれ落ちる言葉。
そんな私とは反対に先生は穏やかだった。それが無性に腹立たしくなった。なんで、そんなに落ち着いていられるの......っ。
涙で言葉にならない私の言葉。
そんな私に先生はゆっくりと話し始める。
「長谷川のお母さんが入院することになってね。大きな病院で診てもらわないといけないから、家族で引っ越すことを決めていたらしい」
「そんな......」
じゃあ、あの日、長谷川さんが泣いていたのはお母さんのことを想って泣いていたんだ......。
いつも話していたのに、私、なにも知らなかった。知っているつもりで、なにも知らなかったんだ。
長谷川さんも、どうしてそんな大事なことを私に話してくれなかったんだろう。お母さんのことも、 転校することも......。
「転校のことは長谷川に口止めされていたんだ。......最後までお前との時間を大切にしたかったから、 と」
「うぅ......っ」
「いい友達を持ったな」
「......はいっ」
その日の放課後、私は西日が差し込む教室で、長谷川さんからもらった誕生日プレゼントを開けた。
紙袋の中から、少し厚みのあるものを取り出す。包装紙とリボンできれいにラッピングされているそれ を、私はほどいていく。
包装紙がはがれて姿を現したものは、オレンジ色のファイルだった。夕焼けのような優しい色が、長谷川さんとの時間を思い出させる。
ファイルの表紙を 1 枚めくる。
私と長谷川さんの字が目に飛び込んでくる長谷川さんと初めて心の内を語り合ったあの日のルーズリーフが閉じてあった。
ルーズリーフをめくるたびに、長谷川さんとの時間がよみがえってくる。
「全部、しまってあったんだ......」
書き上げたルーズリーフはいつも長谷川さんが持ち帰っていた。長谷川さんは、それを 1 枚も捨てることなく大切にしてくれていた。
そう思うと、どうしようもない寂しさと長谷川さんへの伝えきれていない思いがこみあげてくる。
「これが昨日の......」
昨日で終わり。
現実を受け止めなくちゃいけないのに、受け止められない私は、最後のルーズリーフをめくった。
「手紙......?」
最後のルーズリーフの後ろに、ファイルと同じ夕焼けのような優しい色の封筒が挟まっていた。
私は封を開ける。
震える手で、便箋を取り出す。
『藤崎へ。
転校のこと、隠していてごめん。隠していたというか、言えなかったんだ。言ってしまったら、どうしようもないくらい泣いてしまいそうで。泣いてしまったら、放課後の時間もいつものように迎えられないと思ったから、最後まで言わなかった。そんな私を許してくれるなら、手紙の続きを読んで欲しい。
私にとって、藤崎と本音を話せる時間は心地良かったんだ。それが、学校に来る意味になっていた。
藤崎がいつも放課後に残って、教室をきれいにしてくれていたこと、ずっと前から知っていたよ。
なんでそんな面倒なことやっているんだろう、って疑問だった。だから、藤崎のことを知りたくなった。
藤崎は存在意義を見つけたくて、って言っていたよな。そんな藤崎の存在に私は何度救われたと思う?
......どうせ、藤崎はなにもしていない、って言うんだろうな。だけど、藤崎が私の隣にいることで、私は自分を大切にしようと思えたよ。
ひとつ後悔が残るとしたら。もう少し、藤崎と距離を縮めたかったな。
“隣の隣の席”じゃなくて、“隣の席”で藤崎と語りたかった。そのくらい、私にとっては藤崎が大きな存在になっていたんだよ。
自分の存在意義を見つけようと必死になっていた藤崎がいたから、今の私たちがいる。
だから、ありがとう。
......ありがとう、有紗。
長谷川 美奈より』
手紙の最後には、長谷川さん......。美奈の電話番号が書かれていた。
寂しくない、なんて言ったら嘘になる。
だから私は、放課後、この教室で美奈に電話かけようと思う。
「......もしもし、美奈? 有紗だよ。
......今日も本音時間、始めよう」
fun.