死にたい。

 高校生になってからそんなことが頭を過ぎるようになった。
 目標も夢もなにももっていない。
 ただ平凡に生きているだけ。

 生きる理由なんてどこにもなかった。
 それに死ぬ勇気さえもち合わせていなかった。




「おはよー!」

 ひとりの少女が教室のドアを元気よく開ける。
 すると、教室中が一気に明るくなる。

「あかりーん!」

「あかり!」

「あかりちゃん!」

 次々と彼女の周りに人がたくさん集まっていく。
 彼女はだれに対しても笑顔で、ひとりひとり順番に話していた。

 そんな光景を教室の隅っこからみるのがわたしの日常だった。

 星田(ほしだ)あかり。
 明るく元気でだれに対しても優しい。
 だれもが憧れるクラスの人気者だった。

「りんかちゃん、おはよ!」

 わたしは教室の端の席でだれからも声をかけてもらえない。
 けど、彼女だけは毎朝わたしの元へやってきては笑顔で挨拶をしてくれた。

 つまらない。こんな教室内だけの関係なんて。

 わたしはぺこっと会釈するだけで、このクラスが始まって数ヶ月経ったいまでもだれとも話せないでいた。



 その日の学校帰り。
 なにもかもがいやになったわたしは、気づいたら家の近くの線路の前まできていた。

 カンカンと降りる遮断桿。
 ここに飛び込みさえすれば、すべてが終わる。
 どうせわたしが生きている意味なんかない。

 踏み出してしまいそうになったとき、どこからか微かにピアノの音色が聞こえてきた。
 その音につられるように足が止まる。
 踏切の音に混じって少し聴き取りにくかったけど、たしかに聞こえた。

 そのピアノが鳴るほうへと気づいたら足が向かっていた。


 決して大きいとはいえない会場で、そのステージ上でピアノをたのしそうに弾いているのは、紛れもなくクラスメイトの星田あかりだった。

 音楽のことはよくわからないが、彼女の弾くピアノは繊細で優しくて心地よかった。

 お客さんと時折目を合わせて、うれしそうに微笑む彼女はいまのわたしからみて星のようにとても眩しく見えた。


 気づいたら終わりみたいで彼女はピアノの横に立つ。
 思わず心を奪われ、最後の最後まで聴き入っていたようだ。

 お客さんに一礼をし、彼女はステージから降りる。

 そうだ。
 ばれる前に急いで、帰らないといけない。
 足を進めようとすると、

「あれ、もしかして黒瀬(くろせ)りんかちゃんじゃない?」

 その声に、足がピタッと止まる。

 ふり向くと笑顔でこっちを手招きしている彼女と目が合う。

 ここでスルーしてしまえばよかったんだ。
 でも、さっきの彼女の輝きに見惚れてしまった。
 無視することはできなかった。


「うれしいなあ! 
 クラスメイトの子がわたしのピアノを聴きにきてくれるなんて!」

 そう言ってスキップでもするかのように軽い足取りの彼女はいつも以上に上機嫌だった。

「……」

「あ、駅まで一緒にいこうよ!」

 こっちの気まずさなどお構いなしにどうやら駅まで同じ道を歩むみたいだ。


「りんかちゃんピアノは好きなの?」

 にこにこ笑顔を浮かべながら()く。
 でも、わたしの脳内にはべつのことが浮かんでいた。

「あの……わたし、りんかじゃありません」

「え! え! うそ! わたしずっとまちがえてた?」

 彼女は驚きを隠せないように大声を出した。

 その様子にやっぱりとため息をこぼす。
 数ヶ月間ずっとりんかちゃんって呼ばれ続け、いまさら訂正するのもほんとは気が引けた。

「りかです。梨に花って書いて梨花です」

「え! ごめんね! ずっとまちがえてた!
 友だちに同じ漢字でりんかって子がいて!」

「りんかでもいいですよ」

 自分でもなんでこの言葉が出たのかはわからない。
 名前を呼び間違えられたらいい気なんかしないのに、ずっと呼んでくれてたからかすっかり馴染んでいた。

「じゃあ、りんかちゃんで!
 わたしのことは気軽にあかりって呼んで!」

 これが彼女とはじめて交わした会話だった。



 それから度々、彼女の演奏を聴きにいった。
 不思議と彼女のピアノを聴いていると心が落ち着き、死にたいと思う気持ちも段々と薄れていった。

 帰りは駅に着くまで話すのが自然になった。
 わたしの話ではなく、彼女の話に耳を傾けてることがほとんどだった。
 時折、彼女の問いかけに答えるだけだ。


「わたしの夢は音楽家!
 歌ったり曲つくったりピアノ弾いたりしたい!
 そして、いつか七色の景色の大きなステージでわたしの歌を歌うんだ!」

 きらきらとした瞳で、夢を語る姿はとてもたのしそうにみえた。
 こういう人は生きるのがたのしいんだろうな。

「ちゃんと夢をもっていてすごいね」

「りんかちゃんは?」

「わたしは……なんもないよ。
 だから生きる理由もなんもない」

 投げ捨てるように吐いた言葉。
 ため息混じりで下を向く。

「もしかしてさ、死にたいって思うの?」

「うん。毎日思ってる。
 前、あかりのピアノが聞こえなかったらきっと線路に飛び込んでた」

 いまではあかりの音楽があるからこそ生きていると思う。
 淡々と話すわたしに彼女は目を開いて驚く。

「よかった。ピアノを弾いていてよかった。
 これからも音を奏でるから辛いときは聴きにきてね」

「うん」

 そんな温かい言葉をくれて心から安堵した。



 彼女と仲良くなってから気づいたことは、あかりは結構音に敏感だということ。

 クラス委員で前に立ってみんなの意見に耳を傾けているときも、どんな小さい声も聴き逃さない。

「その意見もいいね!」

 どんな意見もひろって肯定する。
 これが人気者である理由のひとつなんだろう。

 わたしとは極力正反対だ。



「りんかちゃん。ピアノは弾ける?」

 いつも通りステージを終えた彼女は、ピアノを撫でるように優しく触っていた。

「わたしなんか。音楽はだめだめで」

 わたしに音楽の才能なんかあるはずもない。
 否定し、自分の殻に閉じこもりそうになった。
 そのほうが楽だから。

「たのしいよ! 教えるから弾いてみようよ!」

 あかりの手に引かれて、隣に座る。

「わたしの真似するだけでもいいからさ」

 だれにでも弾けるような曲を選んでくれたのか彼女と同じ音をたどるのは簡単だった。

「そうそう! りんかちゃん上手だよ!」

 少し弾けただけでも大袈裟に褒めてくれるから不思議と嫌とは思わなかった。
 彼女の音色をおなじように追いかけるだけだったけど、たのしい! そう強く思った。

「……りんかちゃんならすぐ上達すると思う」

「えっと、ありがとう」

 褒めてもらえたのがうれしい。
 顔には出せなかったけどピアノにもっと触れたいと感じた。
 もっとあかりに近づきたい。



「お母さん。わたしやっぱりピアノがほしい」

 家に帰ってすぐにダメ元でお母さんにねだってみた。
 小さい頃、お母さんはわたしにピアノを習わせたかったらしく、なんでいまさらときっと思うだろう。

「へ?」

 アイロンをかけていた手が止まり、素っ頓狂な声を出す。

「やってみたい」

「……びっくりしたけど、うれしいわ。
 今度お父さんと一緒に選びましょうね」

 普段ほしい物なんか全く言わないので、電子ピアノとかではなく、グランドピアノを買ってもらえた。
 これなら、あのステージにあるピアノとおんなじだ。
 この日から少しずつピアノに触れるようになった。
 憧れである彼女に少しでも近づくために。



「りんかちゃん! 一緒にカラオケ行かない?」

「わたし……人前で歌うの苦手で」

 それに、歌が上手いあかりの前で歌うなんて。
 余計に緊張してしまう。

「大丈夫だよ! 試しに歌ってみて」

 やや強引にマイクとデンモクを渡される。
 彼女が引き下がることはなさそうなので、小さい頃から好きだった曲を入れて歌ってみた。

 1曲歌い終わると、彼女はボーッとなにかを考えていた。

「あの……」

 なにも言ってくれないと、やっぱり変だったかなと心配になる。

「ねぇめっちゃ上手! りんかちゃん、才能あるよ!
 絶対歌うべき人だよ」

 机を乗り出して放った彼女の言葉はわたしの胸をまっすぐに貫く。

「ほんと?」

「声は少し小さいかもしれないけど、音程正確率はほぼ完璧じゃん。
 音感いいんだね」

「そんなことないよ」

「いや、そんなことしかないね。
 ご家族が音楽家とか?」

「えっと、お母さんが元ピアニストで」

「へぇー! すごい! 憧れちゃう!」

 最後まで何回もわたしの歌を褒めてくれた。
 彼女の歌声には劣っていると思うのに、それでも認めてくれるのはうれしかった。


「またりんかちゃんの歌聴きたいな」

「……うん」

 帰り際に言ってくれたこの一言に素直に受け止めようと思った。

 この日を境にわたしは、ひとりでカラオケに行くようになった。
 少しでも前より上達して、あかりに褒めてもらいたくて。

 

「わあ! ピアノ前より上手になったね!」

 ステージが終わったあと、また一緒に弾かせてもらえることになった。
 やっぱりふたりで奏でるピアノはたのしい。

「家で練習したからね」

「ピアノ好きになってくれてうれしいよ」

 満開の桜のような笑みをみせた。
 でも、その表情はすぐに陰る。

「実は最近受けてたんだけど……また歌手のオーディションだめだったんだ」

 今度は悔しそうに唇をかみしめながら呟く。
 もう何回も落ちているようですっかり元気がなかった。

「わたしは……あかりの音楽が好きだよ」

 彼女はステージで、ピアノを弾きながらたまに歌っていたことがあった。
 なんの曲かはわからないけど、優しくてだれかの心に響くいい歌声だと思う。

「ありがとう。そう言ってくれるとうれしい!」

 つくり笑いにしかみえなかったが、彼女は精一杯笑ってみせた。

「わたしね、作詞作曲で歌も書くの!」

「え、すごい!」

「よかったら歌ってみて!」

 そう言って、渡された歌詞とメロディー。

 ピアノを弾くようになってから、音階がスラスラと読めるようになった。
 だからどんなリズムなのかわかる。
 メロディーが自然と頭に浮かんできた。

 家でこっそりピアノで彼女の曲を弾いて、歌も練習したのは、あかりには言わなかった。



「あかり? 聞いてた?」

「あ、ごめん。なに?」

 この頃、あかりは元気がない。
 どこか上の空のことが多いし、話も聞いてないことがある。
 どんな音も聴き逃さない彼女にとっては珍しいことだった。

「最近……なんだか音がよく聴き取れなくて」

「……だから、ステージにも立たないの?」

 最近はほとんどステージには立っていない。
 立ち寄ってもあかりじゃない、違う人がピアノを奏でているだけだ。

「いまはちょっと曲作りに集中したくて……。
 つぎのオーディションに間に合わせたいんだ」

 儚げに笑った彼女の言葉に嘘は見当たらない。
 きっと、音が聴こえにくいのも作詞作曲に疲れているだけだ。
 またすぐ彼女の音楽は聴ける。

 そう自分に思い込ませる詭弁(きべん)だった。


 それからあかりは何日も学校を休んだ。
 なんで休んでいるかはわからない。
 そういえば、わたしたちは連絡先ひとつ交換していなかった。
 だから、メッセージのやり取りができない。

 いつも明るく元気な彼女がいない教室は太陽のいない空のように暗かった。


「星田さんにプリントを届けてくれる人」

 担任の先生が訊いた途端、一斉に手が上がる。
 さすがの人気。
 先生も少し戸惑っていた。

 わたしだってあかりにあいたい。
 授業ですら挙げたことなかったのに、はじめて自分から挙手をしていた。

「大勢で行っても星田さんを困らせるだけなので、一番家の近い黒瀬さんにお願いしようかな」

 その一言で「ええ……」や「行きたかった……」のような悲しげな声があがる。

「ありがとうございます」

 プリント類を受け取って、無言で席に座る。
 すると、あかりと仲良い望月さんのグループが集まってきた。

「黒瀬さん。これあかりんに渡してくれる?」

「え?」

「あかりが学校来てくれないとさみしいから」

「あ、うん」

 数人から受け取ったメッセージカード。
 あかりへの手紙のようだった。

「ありがとう! でも黒瀬さんでよかったよね」

「うん、あかりも喜びそう」

「え、なんで……」

 彼女たちの言葉に頭をひねる。

 わたしはあのステージに行った帰り道しか話していない。
 カラオケは結局一度しか行っていない。
 教室では挨拶を交わす程度。
 わたしよりずっと前からあかりとコミュニケーションを取っていたのは目の前の彼女たちのほうだ。

「だって、りんかちゃんが! とかたのしそうに話してたもん」

「梨花って名前なのにまちがえてるし!」

「わたしの名前……知ってたんだ」

「あたりまえでしょ? クラスメイトなんだから」

 思わず吃驚(きっきょう)し、声が出なかった。

 関わらないようにしていたのは、わたしのほうだったんだ。
 自分から決めつけ、遠ざけていた。
 わたしがもっと自分から話しかければ仲良くなれるのかもしれない。



「あかり! これプリント!
 あと望月さんたちがあかりがこないとさみしいってメッセージカード」

「……」

 なにも言わず、泣きそうになりながら宝物をもらうかのように抱きしめた。

「あかり? どーしたの?」

 普段と様子が違いすぎて、心配になった。

「耳が……聞こえない」

 ゆっくり消えそうな声で言いながら、彼女が見せた紙は、〖突発性難聴〗と書かれている診断書だった。
 前々から聞こえづらいときはあったものの、放置していたらもう完全に後戻りはできない状態のようだった。

 息を呑んだ。
 こんなことが起こっていたなんて想像もできなくて、なんて言えばいいかわからない。

〖わたしの世界から音が消えた〗

 スマホの画面で文字を打って、伝えてくれた。

「えっと……」

 短い間で、逡巡(しゅんじゅん)する。
 あかりが傷つかなくて、元気を出してくれるような声かけを。

 わたしはこのとき、彼女になんて声をかければよかったのだろう。
 なにが正解だったのだろう。

 結局、絶望のような顔した彼女に言ってあげられる言葉をわたしは見つけられなかった。



「はい? どなた……え」

 手に取った知らない番号からの電話。

 頭が真っ白になるというのはきっとこういうことを言うのだろう。
 頭の中が一瞬で空っぽになった。

 あかりが亡くなった。
 線路に飛び込んだ、自ら命を絶ったのだと。

 学校経由で、あかりのお母さんが電話をかけてくれたらしいが、そんなことはどうでもよかった。

 衝撃の事実に、その夜はどうやって過ごしたのかは覚えていなかった。
 そもそもあかりがもうこの世界にいないという現実がどうしても理解できなかった。
 受け入れられなかった。


 次の日の朝。
 朝の光で目が覚めて、その眩しさに目が眩んだ。
 いつも通りの朝。昨日のことが夢だったらよかったのにと何度願ったのだろう。


 わたしは意味のない一日を過ごし、夜になると、昨日告げられたお通夜の会場に向かった。

 会場に着くと、たくさんのクラスメイトが涙している光景が目に入る。
 飾られた写真には無邪気な笑顔のあかりが写っていた。


 なんで。なんで死んじゃったの。

 写真に問いかけても答えが返ってくるわけがない。
 それでも言わずにはいられなかった。

 耳が聞こえなくなったことが原因?
 耳が聞こえなくなってもピアノはあかりならきっと弾けるようになるよ。
 感覚でも弾けるようになるよ。
 歌だって、なにか方法かあるかもしれない。

 なにも死ななくたって______



「娘は突発性難聴を患ってしまいました」

 亡くなった経緯を家族がぽつりぽつりと小さな声で話し出す。

 偶然なのかわからないが、あかりが飛び込んだ線路はわたしが前に飛び込もうとしたところと同じだったのだ。

「あかりは小さい頃からほんとに音楽が大好きで、
きっと自分の世界から音がなくなったのが、耐えられなかったんだと思います。
 わたしたちはなにもできませんでした」

 涙をこらえながら、あかりのことを話すあかりのお母さんの言葉でハッとする。

 そうだ。
 あかりはどんなときでも音をたのしんでいた。
 そんな彼女の世界から音が消えたのだ。
 彼女の生きる理由は音楽だけだったのだ。
 それが無くなったいま、死を選んでしまった。

 どんなに孤独だったのだろう。
 どんなに哀しかったのだろう。

 わたしこそなにもできなかった。
 なにも言ってあげることができなかった。
 わたしのほうが生きる価値もない人間なのに。

 わたしが先にあの線路で死ぬはずだったのに。

 嗚咽が込み上げてきて、手で押さえるのに必死だった。
 このとき、やっとあかりがもういない現実が理解できたのかはじめて泣けた。



「りんかちゃんよね?」

「……はい、そ、うです」

 あかりのお母さんから声をかけられ、思わず声がしぼんでいく。
 わたしがあかりの最期(さいご)にあった友だちなのだ。
 なにか言われるかもしれないと身構える。

「ありがとう。娘と仲良くしてくれて。
 亡くなる前日もりんかちゃんのことたのしそうに話していたわ」

「え……」

 思わぬ温かい言葉に張り詰めていた糸がぷつんと切れる。

「これ、あかりからあなたにって」

 ノートのような大きさの封筒を受け取る。
 ぺこっと会釈をしてあかりのお母さんとはわかれた。

 なんだろう、と視線を封筒に戻す。

「こ、れは……」

 中をチラッとみてみると彼女が書いたメロディーと手紙のようなものがあった。

 そのあと、それを家に持ち帰って何時間もピアノで音をなぞった。
 彼女が教えてくれたピアノで彼女の面影を追いかけるように。

 このメロディーには、歌詞はまだ書いていなかったけれど、すごく心が温かくなるような優しい曲調だった。
 あかりらしい。
 まるでわたしたちの出逢いを描いているようにリンクする。


 続いて手紙を開けると、かわいい音符の便箋が目に入った。
 ここでも音楽なのがあかりっぽいなと思わず、くすっと笑ってしまう。


 りんかちゃんへ

 わたしはあなたに、あなたの才能に嫉妬してた。
 小さい頃からずっと音楽をしてきたわたしなんかを一瞬で上回るその才能に。

 試しに歌ってみたらといって歌い始めただけなのに才能が開花した。
 どんどん歌がピアノが上手くなっていった。

 でも、同時にうれしかったんだ。

 だれも見つけられなかった才能を一番に気づけたことも一番のファンでもあった。

 あなたはこれからも歌うべき人だ。
 わたしの音楽であなたが死ぬのをやめたのなら、わたしが生きていた意味は(たしか)にあった。
 この世界でりんかちゃんはわたしの分も生きて。

 p.s.なにも声かけられなかったって悔やむ必要はないからね。
 あのときのりんかちゃんの顔みてたらどんなけわたしのこと考えてたか伝わったよ、ありがとう。

 あかり


 思わず一粒の雫が手紙の上にこぼれ落ちた。
 文字が滲み出す。
 それをみたら、涙は一滴だけじゃ足りず、何度も何度も頬を伝う。

 彼女はよくわたしに才能があると言っていたけど、違うんだよ。
 才能があるのはわたしじゃない。
 彼女のほうだ。

 才能はべつにその分野に優れていることだけじゃないと思う。
 音楽家になりたい、その熱意に勝るものはない。
 歌を歌う彼女はほんとにたのしそうで幸せそうで、たとえ結果が報われなくとも、まだ大勢の人が見つけていないだけで、わたしには才能があるようにみえたんだ。


 歌わないと。
 ほかのだれでもないわたしが。
 彼女の意志を継がないと。

 こんなとろこで立ち止まっている暇なんかない。
 わたしは、彼女のために生きたい。

 こんなにも強く生きたいと想ったのは生まれてからはじめてのことだった。
 




「りんかー!」

「りんかちゃーん!」

 たくさんの声援。たくさんの観客。
 わたしがこんなにも大勢の前に立つなんて高校生の頃は想像もできなかった。

 ここまでくるのに10年もかかってしまった。
 遅くなったけど、たくさんの努力とたくさんの挫折もすべてはこの瞬間のため。
 彼女が褒めてくれた歌声を、彼女と奏でたピアノを大勢の人たちにみせるときがきた。

 わたしはいま大きなステージに立っている。
 彼女が夢見たステージに。

 周りを見渡せば虹色のサイリウム。

 これがきっと彼女が見たかった景色(せかい)なんだろう。
 なんて美しいのだろう。

 あぁ、彼女こそここに立つべき人だったのに。


 唇をかみしめ、精一杯この景色を目に焼き付ける。
 いつか天国で再開したときに、想い出話ができるように。


「つぎが最後の曲です。
 この曲はわたしの大切なひとが(のこ)してくれました。
 未完成だった曲にわたしが歌詞を添えました。
 あなたのおかげでわたしは生きたいと強く想えるようになりました。
 ありがとう!」

 彼女のことだけを綴った曲。
 彼女はわたしの希望のひかり。
 わたしの一番星。

「聴いてください。真珠星(スピカ)

 その声とともに割れんばかりの拍手が会場を包み込んだ。