「私にとって、奏多くんは奏多くんです。だから、他の神様や『破滅の創世』様の配下さん達、そして一族の上層部さん達には奏多くんを渡しませんよ」
あの苛烈な戦いの後も、確かに今こうして間違いなく奏多は『結愛の幼なじみ』としてこの世界に存在している。
その事実は途方もなく、結愛の心を温めた。
「えへへ……」
結愛の目線が隣の奏多へと注がれる。
「奏多くん。さっそく、一族の上層部の本部に行きましょう」
「そうだな」
様々な思いが過りつつも、奏多と結愛は動き出す。
「だけど、本部はどこにあるんだろう……」
「奏多様。今回のご訪問の件を受けて、お迎えに参りました」
奏多の不安を一蹴するように、既に空港の入口には一族の上層部の者達が待ち構えていた。
「これって一体……」
「この空港で、奏多様が来るのを待ち構えていたんだな」
奏多の疑問に、司は置かれた状況を把握する。
「その通りです。蒼天の王アルリットが動き出した以上、我々も悠長に本部で待ち構えているわけにはいかなくなりました。前にお伝えしましたとおり、この世界に危機が迫っていますので」
そう前置きして、一族の上層部の者達は奏多を出迎えた。
観月は不安を端的に表した。
「司、どうする?」
「当然、ここで断っても、俺達を尾行してくるだろうな。一族の上層部の思惑が気になるが、一族の上層部の本部まではあと少しだ。さすがにこの段階で、同行を断るわけにはいかない」
恐らく、司の言葉は本心だろう。
司を始め、『境界線機関』の者達は一族の上層部を毛嫌いしている。
だが、しかし、その働きに感謝をせぬような無礼者でもなかった。
それに、ここで同行を断れば、一族の上層部の者達は強行手段を取ってくるだろう。
「とにかく、本部に急ごう。下手に詮索すると危険な感じがするからな」
司の意見はもっともだった。
『境界線機関』はこの世界の未来を担う、練度の高い精強な部隊である。
それに今回、司は一族の上層部が有している神の加護に備えて、警護部隊は一族の者達だけで構成している。
先程の戦いで、痛手を負ったとはいえ、猛者ぞろいである『境界線機関』の者達相手に、この場の一族の上層部の者達のみで抗するのは無謀だ。
それなのに――一族の上層部の者達の表情には動揺の色は一切見られなかった。
まるで微笑ましい出来事があったように、穏やかな笑みを堪えていた。
「これから向かう場所は、一族の上層部の本部。戦いの場はいくらか整えたいところだな……」
司は警戒を示すように言葉を切った。
周りの景色が妙に寒々しいものに思える。まるで張り詰めた緊張感に身震いするようだ。
「つーか、既に一族の上層部は、俺達がここに来たことに気づいているみたいだぜ」
「俺達の存在に気づいているのか……?」
確かめるようにつぶやいてから、奏多の眸が驚きの色に変わる。
違和感を感じた、といえば簡単なことだが、慧の表情には確信めいたものがあった。
それが事実であると――。
一族の上層部の本部に近い空港。
監視カメラがあらゆる場所にあるみたいだな。
慧達を観察するのはおぞましいほどの作為。
この感覚は今まで散々味わっている。一族の上層部による監視だ。
まるで一族の冠位の者は、一族の上層部に逆らうことができないことを強調するように、慧達のこれからの行動を白日の下に晒そうとしている。
「随分と悪辣だな。まぁ、一族の上層部らしいやり方だけどな」
「そうね」
慧の言い草に、観月はふっと微笑む。
如何に取るに足らない存在でも警戒を怠らない。
それが一族の上層部の一人である聖花の矜持なのだろう。
『境界線機関』の者達は、奏多と結愛の身を護りながら基地本部へ突き進む。
「あっ……」
「本部が見えてきましたよ!」
やがて、奏多と結愛の視界には、巨大な一族の上層部の本部が見えてきた。
この世界に存在するとある邸宅。
その邸宅に『破滅の創世』の配下達は集っていた。
アルリットとリディアも、先程の戦いの状況報告のために帰還している。
「一族の上層部の者には、お初にお目にかかる方が多いでしょう。今回、アルリットとリディアが遭遇した、一族の上層部の一人、不死のヒューゴ。『不死者にする能力』と『攻撃を無効化する能力』。二つの能力によって、私達の力に対処してきました」
柔らかく自然体にそう礼を示したレンは藍色の瞳に少しばかりの警戒を乗せている。
「……一族の上層部が、私達に対抗する手段を持ち得ていたことは私達、幹部の者にとっても大いに痛手でした」
『破滅の創世』の配下の者達の中でもひときわ常軌を逸している存在が『幹部』と呼ばれる者だ。
『忘却の王』ヒュムノスと『蒼天の王』アルリット、そしてこの場を仕切っているレンもまた、幹部の一人である。
「あの日、一族の上層部が用いた卑劣な手段によって僅かにできた隙、その隙を突かれ、『破滅の創世』様は記憶を奪われてしまったのです。その手段の一つが、一族の上層部が持っている能力だったと思われます」
レンはアルリット達からの報告をもとに、新たに得た情報を語っていく。
「一族の上層部が用いた卑劣な手段によって、人の器に封じ込められ、神魂の具現として、ありえざる形の生を受けてしまった存在。それが――今の『破滅の創世』様の真実です」
かって三人の神のうち、最強の力を持つとされる神『破滅の創世』が卑劣な手段によって、記憶を封じられ、ただの人間に成り果てている。
『破滅の創世』の配下達の間で動揺が波及した。
「……幸い、アルリットとリディアによって、『破滅の創世』様が向かっている場所は把握できたのですが……。肝心の『破滅の創世』様はいまだ、一族の者の手中に……」
青年のその表情の険しさを見れば、『破滅の創世』はいまだに一族の上層部に利用されている状況なのだろうとは予想がついた。
「レン様。今こそ、神のご意志の完遂を――」
『破滅の創世』の配下達は口々にそう唱える。
彼らは始まりの事など覚えていない。
光陰矢の如し、神命の定めを受けて生を受けたからには、彼らには朝と夜の区別など、さして気になるものでもなかった。
ただ――『破滅の創世』が示した神命。それは絶対に成し遂げなくてはならない。
遥か彼方より、望みはたった一つだけだった――。
『破滅の創世』の配下達は主が御座す世界を正そうとする。その御心に応えるべく献身していた。
「レン。先程の戦いでは、一族の上層部に不覚を取った。だが、わたしはどうしても、我が主の無念を晴らしたい」
「それは私も同じ気持ちです。一族の者の手から『破滅の創世』様をお救いしなくては……!」
リディアの宣誓に呼応するように、レンは一族打倒を掲げる。
『破滅の創世』の配下達の気持ちは皆同じだ。
「あたし達がするべきことは『破滅の創世』様の望むこと。この世界にもたらされるべきは粛清だよ」
そう宣言したアルリットは神の鉄槌を下そうとする。
神命の定めを受けて生を受けた『破滅の創世』の配下達にとって、『破滅の創世』は絶対者だ。
『破滅の創世』の奪還のために、一族の者達を相手取る戦いは世界各地で続いている。
いずれも絶大な力を有する『破滅の創世』の配下達は、一族の者達にとって最大の敵で在り続けていた。
「さてと……レン。一族の上層部の本部に入る方法を考えてきたよ」
アルリットは天井に手をかざして周囲を照らす能力――光の玉を顕現させようとする。
その手から淡い光が放たれた瞬間、アルリットの姿は聖花のそれへと変わっていく。
やがて、光の玉がふわりと浮上して、周囲は明るく照らされていた。
「ねー。あたし、真似るのは得意なの」
紫の瞳と銀色の髪が特徴的な少女。
裾を掴んでいるドレスを思わせる衣装は青や紫色の花をあしらわれている。
いまや、アルリットの見た目は聖花そのものだ。
「どう、レン? このまま、一族の上層部の一人として潜入できそうだよね」
「その言葉づかいのままなら、偽物だとすぐに判明するだろう……」
アルリットの明るい声音に、リディアはため息を吐きながら応対する。
「しかし、一族の上層部の本部のもとに潜入することは、わたし達の目的を遂行する足掛かりになるはずだ」
「なるほど。一理ありますね」
リディアの意見を参考に、レンは一族の上層部に気づかれぬように秘密裏に奏多と――『破滅の創世』と接触する方法を勘案していく。
その時だった。
「レン。随分、苦労しているようじゃな」
レンの前に、神々しい赤い光が降り立つ。
そこには艶やかな女性が立っていた。
華やかな美貌と引き込まれそうな瞳は、強大な魔力を持つに相応しい女神としての雰囲気を醸し出している。
「爪が甘いんじゃないのかの。わらわなら、このような世界、さっさと破壊しておるのう」
その桜色の頬に、色付く唇が奏でた音色はトランポリンで弾むボールのように軽やかだ。
別世界の女神が降臨して、『破滅の創世』を救うために割って入ってきた――。
その事実を前にして、レンの雰囲気が変わる。
揺れるのは憂う瞳。
それは剥き出しの悲哀を帯びているようだった。
「不変の魔女、ベアトリーチェ様」
レンは恭しく一礼する。
「この世界は、最も『破滅の創世』様を冒涜しておりました。故に滅ぼさなくてはならないのです。神のご意志を完遂するために」
その存在を根絶やしにすることは、『破滅の創世』を救える唯一の方法であるというように――。
そう告げるレンは、明確なる殺意をこの世界の者達に向けていた。
「しかしながら、『破滅の創世』様を惑わす者がいます。此ノ里結愛さん。一族の者でありながら、『破滅の創世』様を惑わす危険な存在です」
「ふむ……あの小娘じゃのう」
レンの危惧に、ベアトリーチェは納得したようにうなずいた。
レンは『境界線機関』の基地本部に潜入した時のことを思い出す。
『此ノ里結愛さん。一族の者である……あなたが、『破滅の創世』様にそのような感情を抱くなど、あってはならないのです』
『そんなことないです! 明日、今日の奏多くんに逢えなくても、私は明日も奏多くんに恋をします! 怖いですけど……すごく不安ですけど……もう逃げません!』
レンが嫌悪を催しても、結愛は真っ向から向き合う。
『奏多くんが大好きだから!』
最後まで自分らしく在るために――結愛は今を精一杯駆け抜ける。
それは結愛なりの矜持だった。
「これから何をしようと一族の者の罪が消えるわけではないのです。私達が決して許さないことが、彼らの罪の証明となる」
平坦な声で、レンはあの日の結愛の決意を切り捨てた。
「それなのに、此ノ里結愛さん。一族の者である……あなたが、『破滅の創世』様にそのような感情を抱くなど、決してあってはならないのです」
結愛の決意に、レンは嫌悪を催した。
「『破滅の創世』様をお救いするために、まず滅ぼすべきなのは此ノ里家の者。そして――」
レンは改めて、誓いを宣言する。
「……此ノ里結愛さん。これ以上、『破滅の創世』様に関わらせるのは危険ですね」
揺れるのは憂う瞳。それは剥き出しの悲哀を帯びているようだった。
「あの人間は、『破滅の創世』様に害を為す存在です」
結愛が、奏多の――『破滅の創世』の導き手になっている。
その存在を根絶やしにすることは、『破滅の創世』を救える唯一の方法であるというように――。
そう告げるレンは明確なる殺意を結愛達に向けていた。
「だから、その存在を根絶やしにしてから、この世界を滅ぼすというのじゃな」
「……はい」
ベアトリーチェの確認に、レンが深刻な面持ちで告げる。
苦渋に満ちたその顔からは、その奥にある感情の機敏までは読みきれない。
「此ノ里結愛さん。まずは『破滅の創世』様を惑わすこの人間から滅ぼしましょう。『破滅の創世』様、必ずや一族の呪いからお救いいたします」
レンが発した決意の言葉は、刹那の迷いすらなかった。
そう――もうすぐで手が届くのだ。
『破滅の創世』の配下達にとって、唯一無二の願い。
神として生きたい。
それを奏多が選ぶだけで――。
『破滅の創世』が示した神命。
それは絶対に成し遂げなくてはならない。
遥か彼方より、望みはたった一つだけだった――。
『破滅の創世』の配下達は主が御座す世界を正そうとする。
その御心に応えるべく献身していた。
それはこのまま『破滅の創世』を人という器に封じ込め続け、神の力を自らの目的に利用するという一族の上層部の悲願とは相反するものだった。
しかし、今、この世界には奏多にとって大切な存在である結愛がいる。
そして、『境界線機関』のリーダー、司とその大部隊がいる。
この状況を変革させる手段を用いようとしていたレンにとっては望ましくない状況だった。
「お主なら、そう言うと思っていたのう」
ベアトリーチェはそれを見越していたように微笑む。
『破滅の創世』の配下達にとっての神は、唯一無二の『破滅の創世』だけであることを知っていたから。
自分が助言しても、彼らの意志が変わるとは思っていなかった。
ただ――。
「まあ、わらわとしては、久しぶりに『破滅の創世』に会いたいのう。力を貸してやろう」
ベアトリーチェは、奏多に――『破滅の創世』に会えるだけで幸せであった。
彼女がそれを親愛と名付けたならば、親愛である。
友愛と名付けたのであれば、友愛である。
親愛も友愛も、彼女の言葉一つで意義を持つ。
詰まるところ、ベアトリーチェという女神にとって、人間の愛や正しさなど、どうでも良い判断材料であった。
神の言葉こそが天上の囁きであり、至高の頂きである。
神の望みこそが、真に人が叶えるべき目標であった。
「一族の上層部の本部に入る手助けをしようかの」
うっとりと笑ったベアトリーチェの頬に朱の色が昇った。
『不滅』を意味するその名を有したベアトリーチェは女神である。
状況を手繰りながらも、前線に飛び出すのはあくまでも興味本位と信じるが故だ。
「これなら、まどろっこしい手を使わずに済むな」
リディアが発した戦意の言葉は、刹那の迷いすらなかった。
最強の力を持つとされる神『破滅の創世』を人という器に封じ込め、神の力を自らの目的に利用する。
その一族の行為は『破滅の創世』のみではなく、他の神全てに対しての裏切りだ。
『破滅の創世』の配下であるリディア達にとって決して看過できない行為だった。
「うん、そうだね。あたしはね……叶えたいことがあるの。でも、それは『破滅の創世』様の記憶が戻らないと絶対に叶わない願いだから」
アルリットの胸から湧き上がってくるのは、たった一つの想い。
何もかもを取り戻せるなら、アルリットはあの頃の『破滅の創世』を取り戻したいと願っていた。
「ベアトリーチェ様の力は、必ずや『破滅の創世』様をお救いするための最善の手となるはずです」
一見すれば非常に温和なようにも感じるが、レンの胸中には一族の者への形容しがたい怒りがある。
殺意の一言で説明できないほど、その感情は深く深く渦巻いていたから。
「この世界が滅ぶ。だから、何だというのでしょうか。全ては『破滅の創世』様だけで充分です……。私達にとって、それ以外の者はいてもいなくても関係ない」
レンの信の行く果てに、司達の想いは相容れない。
「『破滅の創世』の配下の者は、いつでも『破滅の創世』に忠実じゃな。わらわの配下の者にも見習わせたいのう」
ベアトリーチェが念押しするように言った。
「わらわの配下の者は、わらわの意見など、聞く耳持たぬ」
ベアトリーチェは腕を組んで不満をもらす。
「世界を変えるのは、人間やわらわの配下の者の一存だけでは決められぬというのに」
破滅をもたらす。
救いをもたらす。
相反するようで、彼女達の中では一致している。
神が示した神命。
それは絶対に成し遂げなくてはならない。
神命の定めを受けて生を受けた配下達にとって、神の存在は絶対者だった。
「レン。お主も、そう思うじゃろう?」
「はい、もちろんです。……幸い、アルリットとリディアによって、『破滅の創世』様の居場所は把握できています。あとは一族の上層部の本部に潜入し、『破滅の創世』様のもとに赴くことができれば……」
アルリットの言葉に、随分と物腰丁寧な仕草でレンは礼をする。大仰に両の腕を広げながら。
奏多の――『破滅の創世』の記憶が戻るのを待ちわびるように。
「アルリットが強奪した一族の上層部の人間の能力は、必ずや『破滅の創世』様をお救いするための一助となるはずです。では、この状況に乗じて、私達もまた、『破滅の創世』様のもとに参りましょう」
『破滅の創世』の思い描く情景には遠いかもしれないが、これは確かな一歩のはずだとレンは確信していた。
「願わくはこの戦いで、『破滅の創世』様の神のご意志が戻ることを――」
『破滅の創世』の配下達は、『破滅の創世』の存在とともに在る。
死、消滅、終焉……。
形容しがたい『終わり』の気配とともに、だ。
レン達が、一族の上層部の本部に潜入する手段を勘案していた頃。
「ふー、奏多くん。本部の入口にようやくたどり着きましたよ」
巨大な一族の上層部の本部の入口の前で、結愛は大きく伸びをする。
「巨大すぎて、入口までの距離が果てしなかったです」
「本当だな」
結愛の言い分に、奏多は途方に暮れたようにため息を吐いた。
「『境界線機関』の基地本部よりも大きいな。まるで超高層ビルみたいだ」
「はい。最上階はすっごーく果てしないです!」
奏多の戸惑いに元気の良い返事が返ってくる。結愛の食いつきが半端ない。
「さささ、どうぞどうぞ、奏多くん。一族の上層部の本部の案内は任せてください」
目標が定まったことで、結愛は熱い意気込みを見せた。
「あら、結愛は元気いっぱいね」
元気溌剌な結愛の――妹の様子に、観月は満足げな表情を浮かべる。
幼い頃、世界のあらゆることに怯えていた妹は、今ではいつだって勢いで奏多のもとに走って行く。
躊躇うことだって知らない彼女はまっすぐに生きているのだ。
だからこそ、観月が心配になることは多い。
「でもね、結愛。一族の上層部の本部に入ったことはないから、きっと迷うと思うわ」
「ううぅ……厳しいです」
観月の念押しに、結愛はしょんぼりと意気消沈する。
「奏多様、こちらです」
「結愛、行こう!」
「はい、奏多くん。今度は絶対に道を間違えませんよ」
『境界線機関』のリーダーである司は一族の上層部の本部の案内人に適していた。
司は、一族の上層部の本部に何度も足を運んだことがある。
『境界線機関』の者達も、奏多と結愛の身を護りながら一族の上層部の本部へ突き進む。
やがて、奏多達の視界に巨大なエレベーターが見えてきた。
「奏多くん、このエレベーターから、一気に最上階に行けるみたいですよ」
結愛が指差す先を見据えれば、エレベーターの押しボタンが見えてくる。
「かなり速そうだな……」
「はい、奏多くん」
奏多と結愛は最上階の押しボタンを見て、安堵の胸をなでおろす。
喜びも束の間、慧は確認するように置かれている状況を踏まえる。
「何とか、ここまで来れたな」
「ああ。だが、ここも安全ではない。一族の上層部の者達が待ち構えている可能性がある」
司は警戒を示すように言葉を切った。
周りの景色が妙に寒々しいものに思える。まるで張り詰めた緊張感に身震いするようだ。
この状況は誰かの悪意に彩られて作られているような、そんな予感さえも感じられる。
「それにしても……不死のヒューゴか。『不死者にする能力』と『攻撃を無効化する能力』。二つの能力を持っている。厄介だな」
司は改めて、一族の上層部の者達の手強さを肌で感じ取っていた。
奏多達はこのエレベーターから、上層部の本部の最上階に向かうことになる。
奏多達の姿を見やりながら、一族の上層部、そして『破滅の創世』の配下達と相対した時の行動について、道すがらの相談を開始した。
「今のところ、『破滅の創世』の配下達は追ってきていない。さすがに、一族の上層部の本部に潜入してくるとは思えないが、用心に越したことはない。『破滅の創世』の配下達の手の内はまだ探れないのだろうが、今後、奏多様と此ノ里家の者を狙ってくるのは間違いないな」
司がこれまでの状況から推測を口にする。
「つーか、強奪で能力を奪えるのは厄介だな。アルリットがヒューゴの能力を奪わったら、大変なことになりそうだ」
「本当ね」
慧と観月は底の知れない『破滅の創世』の配下達の力に改めて畏怖した。
「まぁ、アルリットは不滅の王レン、忘却の王ヒュムノスと同じく、『破滅の創世』の幹部の一人だからな」
ひりつく緊張が慧の首元を駆け抜けて行く。
『破滅の創世』の配下の者達の中でもひときわ常軌を逸している存在が『幹部』と呼ばれる者だ。
アルリットもまた、『蒼天の王』として、蒼穹の銘を戴く幹部の一人である。
「とにかく、急ごう。ここで『破滅の創世』の配下達に襲われては元もこうもない」
事は急を要すると、司達『境界線機関』の者達は巨大なエレベーターに乗り込む。
「『破滅の創世』の配下達の狙いは俺だ。何とかしないと……」
戦局を見据えていた奏多は置かれた状況を重くみる。
「『破滅の創世』の配下達の狙いは奏多様。恐らく、何らかの形で接触してくるわね」
観月は響いてくるエレベーターが一気に上がる音に緊張を走らせる。
今は司達、『境界線機関』の機転で、『破滅の創世』の配下達の追っ手を振り切っている。
とはいえ、あくまでこれは超常の領域にある『破滅の創世』の配下への目眩まし程度。
倒すを確約するものではなく、どれほど妨げられるのかも未知数。
「一族の上層部はこの状況をどうするのかしら……?」
そう口火を切った観月は懸念を眸に湛えたままに重ねて問いかける。
「このまま、奏多様を上層部の本部で匿うつもりなのかしら?」
「その可能性は高いな。この状況になることを予め、推測していた、と考えるべきだ」
状況を踏まえた慧はそう判断する。一族の上層部の矜持。その悪辣なやり方を紐解けば、全てが合致したからだ。