「神のごとき強制的な支配力。それは天災さえも支配し、それを利用することができるわ。そして、一族の上層部をよく思っていなかった者達さえも、彼らに協力してしまうほどの力」
「ある意味、洗脳に近い力だな」
観月の説明を慧が補足する。
「そして、一族の上層部が有している神の加護は同じ一族の者には効果は及ばないけど、それ以外の者は影響を受けてしまう危険な力」
穏やかな静寂に一石を投じるように、一族の上層部の者達を凝視する。
握った両手に、観月は恐れるような想いとともに、求めるような気持ちを込め、そっと力を込めた。
「これ以上、みんなを苦しめるようなことは絶対にさせないわ!」
「まぁ、そういうことだ。悪いが、本部までの同行は俺達が受け持つぜ!」
慧は強い瞳で観月を見据える。
それは深い絶望に塗れながらも前に進む決意を湛えた眸だった。
一族の上層部の策謀。何一つ連中の思いどおりなど、させてやるものかと。
「ええ……もちろんよ……」
他に言葉は不要とばかりに、観月は優しい表情を浮かべていた。
二人の誓いはたった一つ。
奏多と結愛を護るためにこの状況を打開すること――一族の上層部の野望を挫(くじ)くために絶望の未来になる連鎖を断ち切ることだ。
「決められた運命なんかに絶対に負けたくないもの!」
観月の覚悟が決まる。
ここにいるみんなで神の加護に本気で抗う。
そして、『破滅の創世』の神意に立ち向かう。
観月は信じている。奇跡が起こることを。
奏多達が定められた運命を壊してくれることを。
「たとえ、『破滅の創世』の配下達が立ち塞がってきても、私達は奏多様を守ってみせる……」
拳を握り締めた観月は手加減はしないと意を決した。
「……ふむ。それは困りますね。我々も、上部から奏多様をお連れするように言われておりますので」
一族の上層部の一人は、観月達がそう言うのを待ち望んでいたように微笑んだ。
「しかし、あなた方の言い分ももっともです」
観月達の切なる願いを踏まえた上で、一族の上層部の一人は息を飲む程に甘美な問答を求める。
「では、こうしませんか? 奏多様の警護は、これまでどおり、あなた方にお任せいたします。ただし、我々も、あなた方の同じ飛行機に搭乗します」
その語りかけは――その心の奥に観月達を利用する打算があるとは決して思えないような真摯な瞳と優しさに満ちた声音だった。
「此ノ里結愛さん。あなたはどう思いますか?」
「はううっ、それは……」
一族の上層部の一人による、突然の矛先の変更に、結愛はわたわたと明確に言葉を詰まらせた。
「『破滅の創世』の配下、そして幹部の力は強大です。我々も同行した方がよろしいかと。そう思いませんか?」
「そう思わないから断っているんだ」
司の率直な物言いに、一族の上層部の一人はその唇に「そうでしたね」と純粋な言葉を形取らせた。
「分かりました。では、我々は本部でお待ちしております。また、何かありましたら、すぐに奏多様のもとへ駆けつけますので」
一族の上層部の者達はそう言い残すと、出発ロビーから去っていった。
「何かあったら、か……」
一族の上層部の者達の最後の言葉は、奏多の瞳を揺らがせるのに十分すぎた。
観月は不安を端的に表した。
「司、どう思う?」
「当然、俺達を尾行してくるだろうな。だが、無下にはできない。『破滅の創世』の配下達、一族の上層部、どちらも相手にするのは分が悪すぎる」
恐らく、司の言葉は本心だろう。
司を始め、『境界線機関』の者達は一族の上層部を毛嫌いしている。
だが、しかし、その働きに感謝をせぬような無礼者でもなかった。
「とにかく、本部に急ごう。下手に詮索すると危険な感じがするからな」
司の意見はもっともだった。
『境界線機関』はこの世界の未来を担う、練度の高い精強な部隊である。
それに今回、司は一族の上層部が有している神の加護に備えて、警護部隊は一族の者達だけで構成している。
猛者ぞろいである『境界線機関』の者達相手に、先程の一族の上層部の者達のみで抗するのは無謀だ。
それなのに――一族の上層部の者達の表情には動揺の色は一切見られなかった。
まるで微笑ましい出来事があったように、穏やかな笑みを堪えていた。
「本部に着くまで、この緊迫した状況が続きそうだな」
あまりに複雑すぎる想いに苛まれて、奏多は表情を曇らせる。
神の魂の具現として生を受けたこと。
尋常ならざる力を持つことは同時に尋常ならぬ運命を背負うことになるのだと、奏多は身を持って知ってしまったから。
「よし、搭乗ゲートに向かおう」
司の号令の下に、一族の上層部本部へと多くの意志が踏み込む。
奏多達、そして『境界線機関』の者達が飛行機の機内へと。
過去を乗り越えるために、本部に向かおうとする者。
一族の上層部の本部の内部の把握を心に定めている者。
その事情は様々だろうが――とにかく誰も彼も一族の上層部の本部へ向かう心算なのは間違いなかった。
「遂にここまで来れたな……。俺達が一族の上層部の本部を目の当たりにできる日が来るなんてな」
「この飛行機なら本部の近くまでいけるけど、飛行中に上空から『破滅の創世』の配下達が襲ってこないとは限らないわ」
慧と観月は後方の奏多と結愛を守りながら搭乗口を抜け、機内へと入る。
機内を歩きながら、観月は改めて切り出した。
「司は、本部には何度も足を運んだことがあるのね」
「ああ。もっとも『境界線機関』の中で、何度も本部に足を運んだことがあるのは俺くらいだ」
観月の的確な疑問に、司は渋い表情を見せる。
「一族の上層部は『破滅の創世』様の神としての権能の一つである『神の加護』を有している。その力によって、今まで一族の上層部の本部は秘匿されていたからな」
だからこそ、一族の内情に詳しい『境界線機関』のリーダーである司は本部の案内人に適していた。
一方、機内をきょろきょろと見渡していた奏多と結愛を、客室乗務員が誘導する。
「川瀬奏多様と此ノ里結愛様のお席はこちらです」
「結愛、行こう!」
「はい、奏多くん」
奏多の呼びかけに、結愛はルンルン気分で席に向かう。
「やっぱり、乗務員全員に、奏多様達の情報が行き届いているのか。事前に伝えていたとはいえ、ここまで情報が伝達しているのは一族の上層部の仕業だろうな」
本来なら『破滅の創世』である奏多を、一族の上層部の本部に踏み入れさせるべきではないかもしれない。
それでも司は奏多と結愛の意思を尊重した。
信じるに足る光を、司は奏多達の中に見たのだから。
飛行機の機内は静寂に包まれている。
奏多達以外の乗客はまばらだった。
「それにしても尾行しているか。恐らく、機内の乗客に混じっているんだろうな」
「乗客に?」
そう話す慧はいつものように快活だった。
話を聞いている観月だけが目を瞬かせては大きく瞳を開いている。
「そのままの意味さ。一族の上層部が、あれしきのことで引き下がるわけがない。手っ取り早く尾行するのなら、乗客に扮して同行しているのが一番なんだよ」
「つまり、同じ飛行機に搭乗しているってこと?」
尾行に関わる話に観月が耳を傾けた、その刹那――
「尾行か……下らないことをするね。一族の上層部の人間は」
声は思わぬところから聞こえてきた。
「愚かなものだ。このような乗り物で、わたし達の目を欺けると思っているとは」
口にすれば、それ相応の苛立ちと嫌悪がにじみ出てくる。
「飛行中に、上空から襲ってくる。それは違うな」
「うん。上空から攻めても良かったんだけど、機内に混じれ込んだ方が、一族の上層部の人間の裏をかくことができるしね」
不意にこの場にそぐわない涼やかな声が響く。
慧と観月が慌てて振り向くと、そこには見覚えのある二人の少女が佇んでいた。
「ど、どうして……?」
「ほええ、最悪です。『破滅の創世』様の配下さん達が機内にいるですよ!」
奏多と結愛は混乱する頭でどうにか言葉を絞り出す。
「ちっ、『破滅の創世』の配下の奴らか」
「そんな……。どうやって? この飛行機は、一族の上層部によって、安全を維持されているはずなのに……」
慧と観月の反応も想定どおりだったというように、少女達の表情は変わらない。
「うん、そうだね。でも、一族の上層部はいつも固定観念にとらわれているからね。厳重警備態勢の中でも付け入る隙があるよ」
観月が抱いた疑問に、蒼い瞳の少女――アルリットが嬉々として応える。
「ねー、そこにいる、一族の上層部さん」
「……へえー。俺のことを気づいていたのか。こりゃ、盲点だったな」
アルリットの目に宿った殺意を前にしても、一族の上層部の男性は余裕綽々という感情を眸に乗せる。
一触即発な空気が流れる中。
「どうなっているの……?」
「つまり、『破滅の創世』の配下だけではなく、一族の上層部の奴も、この飛行機に潜入していたんだよ」
話の全貌が掴めない観月に応えるように、慧は不敵に笑う。
「で、恐らく、こいつは先程の一族の上層部の奴らが言っていた、上部の一人だろうさ」
「……奏多様をお連れするように告げた、一族の上層部の上部?」
観月が促すと、一族の上層部の男性は薄く笑みを浮かべて言った。
「そうさ。俺は一族の上層部の一人、不死のヒューゴ。浅湖慧、蒼天の王アルリットと同様に、貴様を亡霊にした元凶さ」
「なっ!」
「えっ?」
あまりにも衝撃的な事実を突きつけられて、慧と観月は大きく目を見開いた。
「こいつが、俺を蘇らせたっていうのか……?」
思わず、息が詰まる。
慧は当惑し、その言葉の意味を飲み込むのに時間がかかった。
「そうさ。浅湖慧、貴様を生き返らせるのは一苦労したぞ」
空白。
あまりにも唐突な……ヒューゴの宣言に、奏多と結愛の思考が真っ白に染まってしまった。
数秒経って、ようやくひねり出せた言葉は微妙に震えていた。
「そ、それって……この人が、慧にーさんを……」
「はううっ……」
まさかの展開に、奏多と結愛の心が揺さぶる。
混乱は治まることはなく、むしろ深まっていた。
「……まさか、こんなところでお目にかかるとはな」
因縁の相手を前にして、慧は改めて、過去の出来事を掘り起こす。
重要な任務に失敗し、アルリットに殺害された後――。
『一族の上層部』に見逃がされたのは、あの時点で『揉め事』を増やすつもりがなかったからだろう。
それに自分はまだ、利用価値があると思われたのかもしれない。
奏多の……蒼真の兄として――。
蒼真は、本当に生まれない方が良かった『いのち』なのか――。
幼い慧の心に強烈に焼きついた蒼真の姿。
生きているはずの弟がいなくて、その家族だけがこの世界で今もどうしようもなく生きている。
過去だけがどこまでも優しくて、どうやったってそこに戻れない現実が悲しい。
忘れることなど出来ない。
大切な思い出の数々。
だから、どうしても面影を重ねてしまう。
心が渇望するように昔日を求めてしまっていた。
過去なんて捨てられるものではない。
決して忘れられない過去の先に、今も未来も繋がっているから。
大事な思い出を抱きしめたまま、この先も歩いていくしかないのだ。
「生まれない方が良かった……そんなわけねぇだろう……!」
奏多達を救うために。もう、逃げ出してはならないと慧は知っているから。
「観月、ここで何としても食い止めるぜ!」
「分かったわ」
様々な思いが過りつつも、慧と観月は動き出す。
穏やかならざる空気を纏う機内。奏多達がいる場所。そちらへと視線を滑らせて――。
奏多と蒼真は繋がっている。
『破滅の創世』の神魂の具現として。
もう慧は理解している。
疑いようもなく確信している。
それでもその言葉が欲しくて、慧は奏多に声をかけた。
「奏多、敵の視線をこちらに向けさせる。結愛と一緒に援護してくれ」
「分かった。慧にーさん」
奏多は即座に打開に動くべく、慧達のもとへと進んでいった。
今の自分がすべきことは、『破滅の創世』の配下達と一族の上層部の動きを止めることなのだから。
圧倒的な不利、後手に回る後手、それでも『境界線機関』の者達は希望を捨てていない。
それぞれが抱く感情は違えど、今ここに三つ巴の狼煙が上がった。
「『破滅の創世』様の神の権能の力に目を付けて、私欲のために利用している愚か者」
銀髪の少女――リディアが発した戦意の言葉は、刹那の迷いすらなかった。
最強の力を持つとされる神『破滅の創世』を人という器に封じ込め、神の力を自らの目的に利用する。その一族の行為は『破滅の創世』のみではなく、他の神全てに対しての裏切りだ。
『破滅の創世』の配下であるリディア達にとって決して看過できない行為だった。
「不死だと言ったな。その言葉、確かめさせてもらうよ」
リディアはそのまま無造作に右手を斜め上に振り払う。
「――っ! ……凄まじいねぇ」
たったそれだけの動作で、リディアはヒューゴとその周囲の者達を楽々と弾き飛ばした。
喰らった力の凄まじさはヒューゴがうめき、身動きが取れなくなるほどだ。
「リディア、分かってるとは思うけど、今回の目的は――」
「分かっているよ、アルリット」
リディアは振り返って、アルリットに微笑んだ。
「今回、わたし達が遂行することは、『破滅の創世』様を拠点にお連れすることだ。この場にいる一族の者の抹殺は二の次なのだろう」
「うん、頑張ろうね」
リディアとアルリットは会話を交わすことで、次なる連携を察し合う。
一族の者の戦力を出来るだけ削ぎながら、彼女達は本懐を求めることを第一にするのだろう。
「うわあああっーー!!」
「やばいぞ!! 逃げろーー!!」
飛行機の機内は大混乱に陥っていた。
奏多達以外の乗客は、身を焼くような焦燥に駆られる。
大急ぎで別の場所へと移動していく。
『破滅の創世』の配下達――。
それは人智の及ぶ存在ではない。
それは人の営みに害し得る、あるいは人の営みで抗し得る存在ではない。
それは生まれついた時から絶対的である。
其は神の愛し子。
――『破滅の創世』の配下達がそんな風に謳われたのは問答無用の真理としてただ、偉大であったからに違いない。
そんな相手に胸を掻きむしられる想いで対峙する者も居ただろう。
『破滅の創世』の配下達は胸の内に恐るべき憎悪を滾らせていたのだから――。
「観月、被害を出さないためにも、ここで何としても食い止めるぜ!」
「分かったわ」
様々な思いが過りつつも、慧と観月は動き出す。
「三つ巴の戦い。『破滅の創世』の配下達、一族の上層部、どちらも味方ではないわ。この混乱した状況を利用して、奏多様を狙ってくるかもしれない」
そこに疑いを挟む余地はない。
観月が口にしたその言葉が全てを物語っていた。
「そうだね。あたし達が今回、遂行することは『破滅の創世』様を拠点にお連れすること」
その一言一句に恐怖に駆られ、顔を強張らせる観月。
「なら、楽しませてもらうとするかねぇ」
逆にヒューゴは喜ばしいとばかりに笑んでいる。
「『破滅の創世』様が示した悲憤の神命。それは絶対に成し遂げなきゃならないことだから」
その為に動いている。
そう――目的はたった一つだけ。
遥か彼方より、『破滅の創世』の配下達の望みはそれだけだった。
だからこそ、大願とも呼べるその本懐を遂げるために一族の上層部をも利用しただけに過ぎないのだ。
静寂が満ちた。
一族の上層部にとって、最大の誤算は『破滅の創世』の配下達の存在だった。
彼女達さえいなければと思うことは幾度も起こり、そして今もまた起ころうとしている。
それでも戦うことを、挑むことをやめないのは、それが一族の上層部の矜恃に連なるものゆえか。
「不死能力。その能力、素晴らしいね。ねー、そこにいる、一族の上層部さん」
「……へえー。冬城聖花の時と同じように、俺の能力に目をつけたってわけか」
アルリットの目に宿った殺意を前にしても、ヒューゴは余裕綽々という感情を眸に乗せる。
一触即発な空気が流れる中。
「おっと、その前に浅湖慧、おまえに伝言があったんだ」
「ちっ、亡霊にしたこと以外に何かあるのか?」
「伝言?」
慧と観月の反応も想定どおりだったというように、ヒューゴの楽しそうな表情は変わらない。
「いや、亡霊にしたこと関連さ。まあ、分かっていると思うけど、俺の能力が蒼天の王アルリットに奪われたり、最悪、俺が死んでしまうと――」
如何に不明瞭な状況でも、答えはそれだけで事足りた。
そう言わんばかりに、ヒューゴは事実をさらりと告げる。
「当然、おまえも死ぬことになるからな」
「なっ!」
「えっ?」
あまりにも衝撃的な事実を突きつけられて、慧と観月は大きく目を見開いた。
「こいつが死ぬと、俺も死ぬっていうのか……?」
思わず、息が詰まる。
慧は当惑し、その言葉の意味を飲み込むのに時間がかかった。
「そうさ。浅湖慧、貴様を生き返らせたのは俺なんだからな」
空白。
あまりにも唐突な……ヒューゴの宣言に、奏多と結愛の思考が真っ白に染まってしまった。
数秒経って、ようやくひねり出せた言葉は微妙に震えていた。
「そ、それって……この人の身に何かあったら、慧にーさんが……」
「はううっ……」
奏多と結愛は混乱する頭で、どうにか言葉を絞り出す。
混乱は治まることはなく、むしろ深まっていた。
「そうさ。今の『破滅の創世』様にとって、お兄様の生死は重要だろう」
奏多の姿を認めてから、ヒューゴは薄く笑みを浮かべて言った。
「えっ? ……お兄様?」
それはただ事実を述べただけ。
しかし、ヒューゴの言葉は、奏多には額面以上の重みがあった。
「浅湖蒼真にとって、浅湖慧は唯一無二のお兄様なんだからな」
「蒼真……?」
奏多が目を瞬かせると、慧は照れくさそうにほんのりと頬を赤くした。
それは知らない人の名前。
奏多はヒューゴが発した言葉の意味を理解できない。
これからどうすればいいのか、確固たる解答もまだ出ていない。
でも――何故か、懐かしい響きがした。
『どんどん大きくなるな、慧と蒼真は』
『ふふ、本当ね。このまま、蒼真がずっと生きていてくれて家族四人で過ごせたら何もいらないわ』
どこからか優しげな誰かの声が聞こえてくる。
知らない記憶。なのに、どうしようもなく現実味を帯びた感覚があった。
『慧にーさん、慧にーさん!』
『つーか、蒼真、あまり無理するなよ』
兄弟は公園を燥いで駆け巡り、そのたびにどうでもいいことで一喜一憂する。
誰かに生きた証を見てほしかった。傍にいてほしかった。
――それを望んだのは誰の心だったのだろうか。
だけど、願わくば見て見たかった。
この胸の奥底を灼く焦燥にも似た、けれどより甘やかな感情の正体は何なのかを。
「慧にーさん……」
奏多は懐かしむように、過去の記憶に身を任せる。
「俺は、慧にーさんを死なせたくない!」
きっといつまでも、この記憶を忘れない。
この温かさを忘れない。
きっと、これからもずっと覚えている。
そんな着地点へ落ち着くなり、奏多の身が軽くなった。
「結愛、この状況を打開しよう!」
「はい、奏多くん!」
奏多と結愛は改めて戦意を確かめ合う。
「奏多、敵の視線をこちらに向けさせる。結愛と一緒に援護してくれ」
「分かった。慧にーさん」
奏多は即座に打開に動くべく、慧達のもとへと進んでいった。
今の自分がすべきことは、みんなとともに飛行機の安全を確保することなのだから。
「今だ。このまま突き進んで、緊急着陸させるぞ!」
さらに司を先頭に、『境界線機関』の者達がリディアとアルリットの防衛を崩しにかかる。
だが……。
「無意味だ」
そう断じたリディアの瞳に殺気が宿る。
絶え間ない攻撃の応酬。だが、全ては無意味に、塵のように消えていく。
「――っ」
リディアの表情は変わらない。
深遠の夜を照らす満天の月のような――流麗にして楚々たる容貌は僅かも曇らなかった。
『破滅の創世』の配下達にとって、一族の者達は不倶戴天の天敵である。神敵であると。
「乗客が、パイロットにこのことを伝えてくれることを願うしかないな」
流石にそう簡単には通してくれないかと、司は思考を巡らせた。
「それでも止めるさ。たとえ、それが無意味なものだとしても……」
「これ以上、進ませないわ!」
決定打に欠ける連撃。
それでも慧は怯むことなく、観月と連携して次の攻撃に移った。
「あたし達がするべきことは『破滅の創世』様の望むこと。この世界にもたらされるべきは粛清だよ」
そう宣言したアルリットは神の鉄槌を下そうとする。
神命の定めを受けて生を受けた『破滅の創世』の配下達にとって、『破滅の創世』は絶対者だ。
『破滅の創世』の奪還のために、一族の者達を相手取る戦いは世界各地で続いている。
いずれも絶大な力を有する『破滅の創世』の配下達は、世界にとっての最大の敵で在り続けていた。
「厄介なこと、この上ないな」
帰趨の見えない状況に、慧は考えあぐねる。
『破滅の創世』である奏多の防衛を最重要視せねばならない。
だが、『破滅の創世』の配下達、一族の上層部の思惑。
先手を打とうとも後手に回ろうとも、はっきりとしたことは分からなかった。
「『破滅の創世』の配下達の防衛を突破できないなら……!」
『境界線機関』の者達が、ヒューゴの位置を確認し、即座に布陣する。
「おいおい、物騒だな。今度は俺を捕らえるつもりか」
ヒューゴは自分を取り囲む『境界線機関』の者達を見る。
「不死のヒューゴ、俺達がここにいる理由は分かっているのだろう?」
「ああ。だが、それはお互い様だろう? 俺達が尾行してくることを、『境界線機関』のリーダー様は無下にすることはできない。『破滅の創世』の配下達、一族の上層部、どちらも相手にするのは分が悪すぎる。『境界線機関』のリーダー様はそう言っていたからな」
空港の観月とのやり取りを聞かれていたのだろう。
ヒューゴの的確な疑問に、司は渋い表情を見せる。
「なあ、此ノ里結愛。おまえはどう思う?」
「はううっ、それは……」
ヒューゴの突然の矛先の変更に、結愛はわたわたと明確に言葉を詰まらせた。
「『破滅の創世』の配下、そして幹部の力は強大だ。おまえの大好きな幼なじみを守り抜くためには、俺達も協力し合った方がいいんじゃないか。そう思わねぇ?」
「そう思わないから断っているんだ」
司の率直な物言いに、ヒューゴはその唇に「感情的だな」と純粋な言葉を形取らせた。
「雄飛司。おまえの情に熱いところは、いつか命取りになるぜ。まあ、俺はここで死ぬつもりはないから、できる限りの揺さぶりをかけさせてもらう」
現状を把握したヒューゴは唇を噛む。
このまま、悪戯に時間を消費しても平行線だ。
何もしなくては『破滅の創世』の配下達の前に為す術もなく朽ち果てるだけだろう。
ならば、機先を制した方が確かだ。
「雄飛司。おまえにとっても、浅湖慧は大切な存在だろう? このまま、俺が非業の死を迎えたら、浅湖慧も死ぬけど、いいのかよ?」
「……っ」
ヒューゴが苦々しいという顔で語った問いかけに、司は絶句する。
「自分達の目的のために、俺達の心を利用する。随分と悪辣な手口だな。まぁ、一族の上層部らしいやり方だけどな」
「そうね」
この世の悪意を凝集したような一族の上層部のやり方に、司だけではなく、慧と観月も激しい嫌悪を覚えたのは間違いない。
「今のところ、『破滅の創世』の配下達と一族の上層部、どちらも派手に動いていないのは、こちらの出方を見計らっているからかもしれねえな」
「厄介ね」
慧と観月は瞳に意志を宿す。
『破滅の創世』の配下達と一族の上層部、どちらも好き勝手にはさせないと――強い意志を。
決して譲れない想いがあった。