「うわあああん! 怖いよぉ……怖いよぉ……奏多くんが怖いよぉ……」

幼い頃、結愛は泣いていた。
『破滅の創世』の記憶がある時の奏多はまるで別人のようだった。
記憶が戻った途端、まるで二重人格のように人格が変わったような振る舞いで他人を寄せ付けまいとする。

そもそも『彼』は本当に奏多なのだろうか?

そう思うほど、『破滅の創世』の記憶がある時の奏多の様子は結愛の知る奏多とはかけ離れていた。
常に記憶が封印されている影響で神の力を行使することはできないとはいえ、出会った頃は何度も殺されかけたこともある。
怯えの果てに、結愛達の心を支配するのは奏多への強い畏怖。
学園の教師や生徒達も『破滅の創世』である奏多とは一定の距離を保っていた。

「うわぁん! 怖いよぉ……怖いよぉ……」

一向に泣き止まない妹を見かねたのか、観月は視線を合わせて優しく頭を撫でた。

「ねえ、結愛。今日の奏多様が怖かったのなら、昨日の奏多様と遊んだ時のことを思い出したらどうかしら?」
「……うううっ……は、はい、お姉ちゃん。私……奏多くんとの思い出に逃避するなら超得意です」

昨日の奏多と過ごした時間だけがどこまでも優しくて、どうやったってそこに戻れない今日が悲しい。
それでもこうして結愛が奏多への確かな想いを貫けるのは、『破滅の創世』の記憶がある時の奏多も『奏多』だと気づけたからだ。

「人の心なんて知らなければよかった。知りたくなんてなかった」

それは現在の奏多が発したものではなく、過去の奏多が零した確かな想いの吐露である。
あの日、昇降口に向かう途中で音楽室の前を通りかかったのはほんの偶然だった。

奏多くん……?

ふわりとピアノの鍵盤に指を置いた奏多は呼吸をするように自然に弾き始めた。
水晶みたいに透明な音が一音一音、宙で青くきらめいて旋律を奏でる。
喜びも悲哀も苦痛も、全てが詰まったこれまでの数多の人々の人生。
どこまでも遠くへ。世界の軸さえ越えた場所にいる誰かに呼びかけるように、ずっと遠くへ。音楽室に慈しみに満ちた旋律が広がっていく。

「えへへ……奏多くんが奏でる演奏、最高です」

音楽には聴いた人のイメージを喚起させる力があると結愛は思った。

「ふふふです。見つけましたよ、奏多くん」

結愛はありったけの勇気を振り絞って音楽室に入る。

「……」
「は、はうっ……ダメですよ。……そ、そんな虫ケラを見るような目で見ちゃダメダメです」

暗き眼光に貫かれても、今日の結愛はめげなかった。
怖くないと言ったら嘘になる。
恐怖心を抱いていないと言ったら嘘になる。
迷いがないとは言えない。
だけど、そんな気持ちより奏多の傍にいたいという想いの方が何十倍も強い。
だが、その勇気は長くは持たなかった……。

「……」
「――っ」

それは無知(むち)蒙昧(もんまい)なる滅びゆく人類に向ける目とでもいうのだろうか。奏多の瞳からは何も感じられない。そこには凄惨な絶望と冷徹を同居させたような闇がある。
今の奏多は何かが生じれば、何の躊躇いもなく、感慨もなく、結愛を殺すということが分かった。