『ただいま!』
玄関に置いてある人感センサーの人形に手をかざすと、私のかわりに大きな声をあげる。
玄関には、いつもはない靴が並んでた。スニーカーと、手のひらくらいの大きさの小さな靴。
『おかえり~』
いつもはない声がリビングから聞こえる。
急いで部屋に入ると、姉が小さな子供と遊んでいた。
『お姉ちゃん! はやかったね』
『今日は仕事休んだからね。この子と遊んでお昼寝起きたらすぐ来たよ』
そうなんだ。
一歳の甥っ子は、ブーブーと言いながら、お気に入りの車で遊んでいる。姉が私のほうを見るようにうながすと、ニコニコ笑いながら手を振ってくれた。
私はスマホを操作するのももどかしく、小さい甥っ子をギュッと抱きしめる。やわらかい髪の毛を撫でて、優しいにおいを吸うと癒される。
「ブーブー!」
甥っ子ちゃんは私にハグされながらも、手に持ったお気に入りの車おもちゃを振り回している。
「コウ、お姉ちゃんに当たるよ」
お姉ちゃんはそう言いながら、私から甥っ子ちゃんを受け取る。
私は満面の笑みを浮かべながら、バッグからさっき買ってきた車のおもちゃをとりだした。甥っ子の目が輝いて、手に持っていた車を放り出す。お姉ちゃんは、すぐ甥っ子ちゃんを制止した。
『投げていいのはボールだけよ』
スマートフォンを手に甥っ子ちゃんの目を見ながら首を振った。スマートフォンに登録してある言葉のようだった。
「ぼーう」
『そうボールだけ』
『ごめん、私がおもちゃ出したから』
『ううん、おもちゃありがとね。ほんとこの子車に目がないから』
甥っ子ちゃんは、さっき放り投げた車と、私があげた消防車を並べて、何かをしゃべりながら遊びだした。
お姉ちゃんは、それを見ながらつらそうに喉と口元を抑える。
私は慌ててキッチンに駆け込んだ。冷たいお茶をグラスになみなみそそいで、お姉ちゃんの目の前に突き出す。
お姉ちゃんは笑って、手刀で軽く空を切るような「ありがとう」の手話をしてから、グラスを受け取った。
『ねえ、お姉ちゃん、そんなにしゃべって大丈夫なの?』
『そうなんだけどね。いちいちアプリで入力していられないよ。危ないことしてる時とか、つい声出ちゃうし。スマホ触ってると、寂しくさせちゃうし』
そうかもしれないけど。
さっきみたいなのは、ジェスチャーとかでなんとかなるんじゃないのかな、と私は考えてしまう。
話したほうがいいんだろうけど、でも。命懸けで語り掛けるようなことなのかな、と考えてしまう。
『ほんとは、しゃべらないほうがこの子のためにもいいんだけどね。私がしゃべるとこの子もしゃべっちゃうから』
『コウちゃんはまだ感染してないって?』
『そうらしいんだけど。いつかかるかわからないから、やっぱ無防備におしゃべりするの怖いよね』
一時期は、生まれたばかりの子供がたくさん亡くなって、世界中を絶望感が包んでいた。でも今生まれてくる子は、免疫持ってる子もいるらしい。
これも見えないところでの、人類とウイルスの生存競争なのかもしれない。
『ウイルスって変異するし。子供って距離近いから、やっぱり心配』
そうだね、とわたしはしょんぼりうなづいた。今大丈夫だからって、ずっと大丈夫とは限らない。成長したら、感染してしまうのかもしれないし。わかってないことが多すぎる。
『明明後日には、政府が迎えに来るんだよね』
『うん。お父さんとお母さんにも会えるのも今日が最後』
感染していない子供は、離島とか山奥とかの施設につれていって、薬が開発されて完全に大丈夫だと判断されるまで、隔離されることになった。防護服を着た大人たちや育児ロボットと過ごすことになるらしい。甥っ子ちゃんも対象だった。
「乳幼児を親から引き離すなんて!」とか「防護服の大人に囲まれるなんて養育環境がひどすぎる」と大きな問題になったけど、命には代えられない、国の未来には代えられない、と強行されることになったらしい。
『明日は旦那さんとこ?』
『その予定。明後日は、三人で最後にゆっくり過ごすつもり』
お姉ちゃんは、神妙な顔で黙ってしまった。
コウちゃんが、「るーるー」と何か歌のようなものを歌ってるかわいい声が聞こえる。
お姉ちゃんはため息をついて小さく笑い、スマートフォンに文字を打ち込んだ。
『こんな世界に産んでしまって、申し訳ないと思ってる』
思わず大きな声を出しそうになった。私は慌ててスマートフォンに入力する。
『そんなことないよ。大変かもしれないけど、救世主だよ! 癒しだよ!』
お姉ちゃんは、スマホで「そうかな?」のイラストカードを表示して私に向けた。おどけた顔の猫のまわりで「???」が躍ったイラストだ。
あたしは「そうだよ!」のイラストカードを見せる。これは、推し俳優のアッキーがプンプンかわいく怒ってる似顔絵イラストで、「そうだよ!」と音声も出る。
『お姉ちゃんもこの子のために長生きしないと!』
『あとで取り戻すよ。年取ったらずっと黙ってる』
『その前に、治療薬に期待だね』
お姉ちゃんは笑いながら頷いた。
その日は、みんなでお鍋を食べた。コウちゃんの分だけ先に取り分けて冷ましてから、お姉ちゃんはせっせとコウちゃんに食べさせている。
ベーと吐き出したり、自分で食べようとしてこぼしたり、お姉ちゃんはやっぱりふいに「あらら」とか声が出てしまうみたいだった。
お母さんたちは何か言いたそうにしながらも、ただただかわいい姿を見てた。私もこの一秒一秒をかみしめるように、ご飯を食べた。