「帰って来たのかい?」
「うん」
「学校はどうだったかい?」
「……楽しかったよ」
「そうかい。良かったねぇ」
変わらないやり取りに、上書きされていく嘘の山が僕の上に積み上げられる。重かった。とても重い。でも、これも全部両親が迎えに来るまでの辛抱だ。帰ってくればこの嘘はつかなくて済む。クラスメイトに無視されるのも終わる。家に帰れる。どうせ帰ったってひとりぼっちだけど、でももうここまでくるとそっちの方がマシだった。だから迎えに来てくれる日を楽しみに、大丈夫だと言い聞かせてきたけれど。
「……え? 迎えに来れなくなった?」
「そうなのよ。まだ抱えてるプロジェクトが終わらなくて。でも、大丈夫よね? だって聞いたわよ、——毎日楽しいのよね?」
電話越しの母に言われて、目の前が真っ暗になった。毎日楽しくないって言えば、帰って来てくれたの?
……いや、違う。帰って来る訳ない。そういうつもりの、今のはそんな為の言葉じゃない。
僕への確認じゃ無くて、これは、母の罪悪感を軽くする為の言葉。
「……楽しいよ」
どっちにしろ、どうせ帰って来ないのだ。分かってる。だって小さな時からそうだった。僕はいつも泣いて縋ったけれど、母は行ってしまう。だって仕事だから、仕方ないから。
電話を切った後に涙が込み上げてきて、僕は誰にも見られないよう自室として割り振られた部屋に閉じこもる。部屋の外から祖母達の心配そうな声が聞こえて来たけれど、今はどうしても顔を見せる事が出来なくて、めちゃくちゃに泣き喚きたい気持ちを必死に抑え込んだ。
『あなたは誰?』
あの時の女の声が脳に響く。僕は誰なんだろう、僕にだって分からない。だって僕が抱いた気持ちはどこにも向かう先がない。本当の僕を知ってる人はどこにもいない。
『あなたは誰?』
その言葉が僕を責める。僕を、僕の現実を。
次の日になり、変わらず登校した僕に祖母達は安堵していたし、クラスメイトは変わらず僕と目を合わす事すらしようとしなかった。いつも通りの毎日。きっとずっと続くのだろう。変わらない、本当の僕の居ない毎日が。
……もう嫌だ。
『あなたは誰?』
その夜。僕は一人、裏山へと向かう。脳内に響くあの声に導かれる様に。
もうどうにでもなれば良いと思った。だって、僕の事を知ろうとしてくれるのはあの女の人だけだって気づいたから。それが呪いのせいだとしても、それで僕が死ぬ事になったとしても、もうどうだっていい。
懐中電灯を片手に山奥へとどんどん進んでいく。あの日と変わらず鬱蒼とした木々が行手を阻むかの様に僕の身体に何度もぶつかってきたけれど、そんなの何も気にならない。ただ、あの人に会いたいという気持ちでひたすらに進んだ。あの人はきっと僕を待っているはず。
「……また来たの?」
「!」
声だ。あの人の声だ。懐中電灯で照らした先、もう一つ先の木の影に何かが居る。
「帰れなくなるよ……」
「それは、僕が殺されるという事ですか?」
「…………」
すると、一瞬の瞬きの間に目の前に立ち塞がる様に女が立っていて、
「——だとしたら?」
僕をじっと、長い髪の毛の間から見下ろしていた。もう、逃げられない。……だけど。
「……どうぞ。あなたがそうしたいなら」
僕は、真っ直ぐに彼女の目を見つめて言った。
「僕はもうどうでもいい存在なので。だったら僕に興味を持ってくれたあなたに殺された方がマシだ」
「…………」
彼女の瞳が揺れる。と、同時に伝わって来たのは、彼女の動揺。
「……お家の人は?」
「……居るけど、居ません」
「…………」
「帰りたくない、もう嫌なんです」
「…………」
彼女は黙り込んでいる。そこでようやく僕はあれ?と、不思議に思う。なんだか困っている様に見えたから。
「……帰りたくないの?」
「はい」
「でもきっと心配すると思う。迷子になったのなら山の入り口まで送ります」
「違います! 僕は自分の意思でここに来ました」
「……じゃあ、こんなのはどう? 今日は一度帰って、また明日、もっと明るい時間にここへ来る事」
「…………」
「その方がいいわ。そうしましょう、ね?」
「約束ですよ」と、いう声と共に、彼女が僕の後ろを指差すので振り返ると、先程までの邪魔をしていた木々が避ける様に道をつくり、山の外の景色が真っ直ぐ先に見えていた。……ありえない光景だ。
もう一度彼女の方へ振り返ったけれどそこにはもう誰も居なくて、僕は用意されたその道を仕方なく歩いて戻る事にした。
彼女は誰? 何者なんだ?
噂とは随分違う存在の様だった。だって、僕に帰る様促す彼女は、とても優しい目をしていたから。
「うん」
「学校はどうだったかい?」
「……楽しかったよ」
「そうかい。良かったねぇ」
変わらないやり取りに、上書きされていく嘘の山が僕の上に積み上げられる。重かった。とても重い。でも、これも全部両親が迎えに来るまでの辛抱だ。帰ってくればこの嘘はつかなくて済む。クラスメイトに無視されるのも終わる。家に帰れる。どうせ帰ったってひとりぼっちだけど、でももうここまでくるとそっちの方がマシだった。だから迎えに来てくれる日を楽しみに、大丈夫だと言い聞かせてきたけれど。
「……え? 迎えに来れなくなった?」
「そうなのよ。まだ抱えてるプロジェクトが終わらなくて。でも、大丈夫よね? だって聞いたわよ、——毎日楽しいのよね?」
電話越しの母に言われて、目の前が真っ暗になった。毎日楽しくないって言えば、帰って来てくれたの?
……いや、違う。帰って来る訳ない。そういうつもりの、今のはそんな為の言葉じゃない。
僕への確認じゃ無くて、これは、母の罪悪感を軽くする為の言葉。
「……楽しいよ」
どっちにしろ、どうせ帰って来ないのだ。分かってる。だって小さな時からそうだった。僕はいつも泣いて縋ったけれど、母は行ってしまう。だって仕事だから、仕方ないから。
電話を切った後に涙が込み上げてきて、僕は誰にも見られないよう自室として割り振られた部屋に閉じこもる。部屋の外から祖母達の心配そうな声が聞こえて来たけれど、今はどうしても顔を見せる事が出来なくて、めちゃくちゃに泣き喚きたい気持ちを必死に抑え込んだ。
『あなたは誰?』
あの時の女の声が脳に響く。僕は誰なんだろう、僕にだって分からない。だって僕が抱いた気持ちはどこにも向かう先がない。本当の僕を知ってる人はどこにもいない。
『あなたは誰?』
その言葉が僕を責める。僕を、僕の現実を。
次の日になり、変わらず登校した僕に祖母達は安堵していたし、クラスメイトは変わらず僕と目を合わす事すらしようとしなかった。いつも通りの毎日。きっとずっと続くのだろう。変わらない、本当の僕の居ない毎日が。
……もう嫌だ。
『あなたは誰?』
その夜。僕は一人、裏山へと向かう。脳内に響くあの声に導かれる様に。
もうどうにでもなれば良いと思った。だって、僕の事を知ろうとしてくれるのはあの女の人だけだって気づいたから。それが呪いのせいだとしても、それで僕が死ぬ事になったとしても、もうどうだっていい。
懐中電灯を片手に山奥へとどんどん進んでいく。あの日と変わらず鬱蒼とした木々が行手を阻むかの様に僕の身体に何度もぶつかってきたけれど、そんなの何も気にならない。ただ、あの人に会いたいという気持ちでひたすらに進んだ。あの人はきっと僕を待っているはず。
「……また来たの?」
「!」
声だ。あの人の声だ。懐中電灯で照らした先、もう一つ先の木の影に何かが居る。
「帰れなくなるよ……」
「それは、僕が殺されるという事ですか?」
「…………」
すると、一瞬の瞬きの間に目の前に立ち塞がる様に女が立っていて、
「——だとしたら?」
僕をじっと、長い髪の毛の間から見下ろしていた。もう、逃げられない。……だけど。
「……どうぞ。あなたがそうしたいなら」
僕は、真っ直ぐに彼女の目を見つめて言った。
「僕はもうどうでもいい存在なので。だったら僕に興味を持ってくれたあなたに殺された方がマシだ」
「…………」
彼女の瞳が揺れる。と、同時に伝わって来たのは、彼女の動揺。
「……お家の人は?」
「……居るけど、居ません」
「…………」
「帰りたくない、もう嫌なんです」
「…………」
彼女は黙り込んでいる。そこでようやく僕はあれ?と、不思議に思う。なんだか困っている様に見えたから。
「……帰りたくないの?」
「はい」
「でもきっと心配すると思う。迷子になったのなら山の入り口まで送ります」
「違います! 僕は自分の意思でここに来ました」
「……じゃあ、こんなのはどう? 今日は一度帰って、また明日、もっと明るい時間にここへ来る事」
「…………」
「その方がいいわ。そうしましょう、ね?」
「約束ですよ」と、いう声と共に、彼女が僕の後ろを指差すので振り返ると、先程までの邪魔をしていた木々が避ける様に道をつくり、山の外の景色が真っ直ぐ先に見えていた。……ありえない光景だ。
もう一度彼女の方へ振り返ったけれどそこにはもう誰も居なくて、僕は用意されたその道を仕方なく歩いて戻る事にした。
彼女は誰? 何者なんだ?
噂とは随分違う存在の様だった。だって、僕に帰る様促す彼女は、とても優しい目をしていたから。