銀行勤めの厳格な父と結婚前は高校教師だった母。誰がどう見てもお堅い職業に就いていた両親は絵に描いたような学歴主義人間だった。

三歳で大学までエスカレーター式の幼稚園にお受験して合格、両親の望むとおりに入学した僕。しかし入学してたったの半年で父の転勤が決まってしまい、両親はそれはそれは大喧嘩をしたらしい。

それでも父の転勤先に付き添うことに決めた母は幼い自分を連れて地方へ引越し、散々文句を言いながら公立の幼稚園へ通わせた。

幼稚園が終わって昼過ぎに家へ帰ってくるとすぐさま習い事教室に放り込まれた。ピアノ、そろばん、プールに英会話、小学校受験用の学習塾。

もちろん帰宅すれば父が買ったドリルが待っていて、決められたページを終わらせない限り夕飯も風呂も寝ることも許されなかった。


母は「私立の子達は幼稚園で学ぶ事なの! 同い年なのに遅れをとって恥ずかしくないの!?」とよく叱っていた。

その頃は言葉の意味が理解出来ていなかったからただ叱られたことが悲しくて泣いていたのだけれど、今思えば幼稚園児に遅れるものにもないだろと冷静に思う。

とにかく両親は僕が他よりも劣っていることが許せなくて先を進んでいることが当たり前で、ほかと少しでも違うことがあれば狂ったように声を荒らげた。

そんな環境にいたせいからか、心の内をノートに綴るようになったのは割と早い段階からだった。恐らくそれを日記と呼ぶんだと知る前から何かしらノートに綴っていた気がする。


とにかく夜に机に向かって入れば両親の機嫌が良くて、でも勉強するのは嫌だったからノートに色な事を綴るようになっていた。